8. 放課後
華山竜三:何の話だよ?
りく:ぼくたちの今後について
りく:ちゃんと話し合おう?
りく:実は……今月、生理が
華山竜三:わかった。髪が赤くて太陽って
あだ名の女だな? 俺は知らな
いし聞いたこともない。
りく:最初からそう答えなよ。
りく:何の話だと思ったのーw
華山竜三:おまえ、絶対、ぶつからな。
りく:いいから早くおいで?
りく:ねえ
りく:ねえ
華山竜三:着いた。出てこい。
りく:君が来い
ほどなくして、陸のいるカフェにメッセージをやりとりしていた相手が入ってきた。
そこらの大人より背が高く、真っ黒の学ランの丈が合っていない。そのくせ遅生まれでまだ十四歳の華山竜三だ。
竜三の面立ちは冷ややかで、どこか周囲を寄せつけない雰囲気がある。だから女性客ばかりの店内では少し浮いていた。
本人もそれを自覚しているように硬い表情で歩いてきたが、本を読んでいる陸を見つけたらしく、ほっと眉間のしわをほどいた。
「遅れて悪い」と竜三は言った。
まったくだ。居残りがあるとは聞いていたけれど、こんなにかかるなんて。おかげでこっちは家に鞄を置いてブレザーをパーカーに替えてゆっくり準備する時間ができた。
「いいよ」
陸は文庫本を閉じた。
「待ってる時間も、デートのうちでしょ」
五分後、頭の痛みにうめきながら陸は店を出た。
「なに本気パンチかましてんのーっ!? マージ信じらんないんですけどっ!」
キーッ、と陸は地団駄を踏む。
竜三はテイクアウトしたコーヒーが苦いのか、顔をしかめている。
「……おまえは何キャラなんだよ?」
「そりゃもちろんっ老若男女人獣問わない愛されキャラっ? みたいなっ?」
「ノリが古いのが致命的だな」
「リューちゃんだってそうでしょーっ。いまどきガラケー使う十代なんていないよっ」
「いや、いるから」
「でも絶滅危惧種でしょ? やめてよねー。ただでさえぼくら《旧暦》は平安時代に生きてるって思われてんだからっ」
「つっても、うちはただの花火屋だ。おまえんとことは比べようが」
突然、不快な高音が耳を衝いた。
前から歩いてきた輩グループのひとりが、すれ違い際に指笛を鳴らしたのだ。
陸と竜三が思わず足を止めると、連中はにやにや笑いを大きくして、まわりを囲んできた。
「おうい、火ぃ貸してんか――」
「ついでにそっちの彼女も貸してや――」
濃いひげやタトゥーを見せびらかした男たちに、陸は軽蔑の視線を浴びせた。
「たまらんなぁ、その眼つき。燃えるわ」
「お、おい……」
「あん?」
振り向いた剛毛男はひゅっと息を止めた。
彼のGジャンの背中を炎がちろちろと舐めている。
「うわあぁ!」
ほかの連中の服や靴からも次々に火の手が上がった。ちょっとした騒ぎになったが、陸と竜三は何食わぬ顔でそこを離れた。
「華山くんさぁ……町なかで火遊びすんのやめてよね」
「はっ。こんな熱じゃ茶も沸かねえよ」
そう言う竜三の右手も炎に包まれている。しかし当人は涼しい顔をして、指の皮膚どころか、持っているコーヒーカップすら燃えていない。
「魔素でつくった偽物の火なんです、だから危なくないんです、なんて通じると思う?」
陸はあえて言った。竜三は万一のことがないよう、自分の肌にも着火して温度を確かめているそうだが、
「そんなの傍からじゃわかんないだから。君は手を出さないほうがいいよ」
「わかってる」
わかろうとしている、といった顔で竜三は炎を引っこめた。残りかすの魔素の光がふたつみっつ浮かんで消えた。
「それより君、今日はちゃんと付き合ってくれるんだよね」
「ああ、おまえの幼馴染みを捜すんだろ。けど、手がかりが少なすぎないか?」
「細かいことはいいから、行こうっ!」
待ち合わせをした長田から三宮へ、神戸の郊外から中心へと向かう。それからポートライナーに乗って港湾のウォーターフロントに行き、大阪湾地下鉄に乗り換え。
長いエスカレーターをひたすら下った先にあるホームは、平日にも関わらずけっこう混雑していたが、始発駅なのでふたりとも座ることができた。
「〝ななわ〟に行くの久々だねっ。クリームティー食べようよっ」
「んな調子でさがしものは見つかるのか?」
大阪湾の海床下を進み、電車は沖に出て行く。陸上の地下鉄よりも、つめたい鉄の感触が車内までひしひしと伝わってくる感じがする。
トンネルの左右の壁から青い光が差し込み、アクリルガラス越しに海の生き物や海草が見えている。それが水槽を使った人工の景色だとしても、海底鉄道の雰囲気を損ねてしまうものではない。インスタグラムの肥やしにはもってこいだ。
ひかえめな歓声とシャッター音になにげなく振り向いた陸は、あれ? と眉を上げた。観光客の一団を挟んだ向こう側に、知った顔が見える。
(水口くん……?)
学校の同級生、それ以上でも以下でもない男子。いっしょにいるのは高校生かもっと年上の人たちのようだが、いずれにせよ陸の知らない顔ぶれ。
水口はこちらに気づいていないようだったが、陸は竜三の肩を借りて寝たふりをした。
「ん? なんだよ」
「気にしないで」
「おまえ、ほんと乗物弱いな。もう着くぞ」
竜三の言うとおりアナウンスが聞こえてきた。
間もなく、ななわ、ななわ、終点です。お忘れ物のないよう――
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わあ、と陸は声を上げた。
改札を抜けると、夕映えの島の景色が待っていた。
海鳥たちが舞う空も、駅の背後に広がる海も、葡萄酒とキャロットジュースの色合いに染まっている。
大阪湾に浮かぶ群島の町「ななわ」。
いずれも五平方キロメートルに満たないちいさな島々で構成されている。そのなかで最も大きく、賑やかな、ここは水埜島。
駅舎には「ようこそ、魔術のみやこへ」「ここはななわ、七曜の島々」などと書かれた横断幕や幟があったり、五芒星や籠目といった術的意匠があちこち施されている。魔術文化を売りにした観光地なのだ。
「あ、見てリューちゃん、新しいクレープ屋っ。あーっ、あの露店ちょっと見たい!」
はいはい、と竜三はテキトーなあいづちをうつばかりで出足が遅い。地元の人間が観光地ではしゃぐのはカッコ悪い、などとカッコ悪い考えにとらわれているのだろう。
石畳の駅前広場は、行き交う人々の影で目まぐるしく表情を変え、柱時計や巨石のオブジェだけが長い影を落として不動のコントラストを成している。
陰陽師系の露店(目玉商品は「呪文で飛ぶ! 折り紙」)、分身の術を披露している忍者の大道芸人(術中は動けないようだ)、それらに集まる多国籍の観光客の姿を横目に広場を出ると、その先は目抜き通りにつながる。
右手からカーブインしてきた運河がずっと向こうまで伸び、その両河岸に木造石造三角四角さまざまなコロニアル建築が軒を並べている。なかはお土産屋やチェーンの飲食店だったりするのだが、雰囲気はばっちり。行列もちらほら。
深まる夕暮れのなか、通りの隙間でひっそりと営業する占い小屋や、輸入魔術用品店の見つけにくい入口にも灯がともり、不思議な情緒を感じさせる。
「浪花のヴェニス」とも称される景観に楽しくなっているのは陸だけで、竜三は生真面目な顔をして通行人を観察したり、路地をのぞきこんだりしていた。
「今日は地元のガキが多いな」
「そうかな~?」
陸はそれよりクレープを頬張るのにいそがしい。
「ったく」
竜三はあきれ顔をしたが、自分も同じものを手にしている事実はくつがえせない。あきらめた様子でチョコ・ホワイトクリーム・バナナとエトセトラを包んだほかほか生地にかぶりついた。
「……二手に分かれるとかしたほうがいいんじゃないか」
「んー、そこまでしなくていいかな」
竜三は足を止めた。「いいのか?」
陸は振り向き、肩をすくめた。
「ぼく、この土日でさ、けっこうあっちこっち捜したんだよ。実をいうと、ここにも来たし」
「…………」
「まぁ、見つかんないよ。ふつうに考えてそうじゃん?」
話しながら、陸はそのときの道筋を思い返した。
大阪、神戸といった大きな街をあてもなく、昼夜問わず駆けまわったのは、いま考えると無謀に過ぎたかもしれない。
「もうさ……町角でばったり! ってのを祈るしかないと思う。だから竜三、そんなに気張らなくていいんだよ。ね?」
「わかった」と竜三は言った。「じゃあ俺は向こうを捜す」
「えぇ!? 〝じゃあ〟って何っ」
のっぽの学ランは運河にかかった橋をずんずんと渡っていった。
陸がその場であっけにとられていると、ぱらぱらと拍手が聞こえてきた。
洋風建築の並びに、ぬっと現れた大きな鳥居。くぐった先に人が集まっている。
何かと思えば、大道芸だ。
長々と伸びた参道の奥に、ななわで一番大きい神社があるが、そちらへ向かう参詣客をつかまえて見世物をしているようだ。
こんな場所で珍しい。しかもパフォーマーがまた変わっている。
マントコートに山高帽の立派な紳士。頑丈そうなあご全体に青ひげが目立ち、若くはなさそうだが、ウルトラマンみたいな安っぽい〝お面〟をかぶっているのはどういう意図か。
芸自体は、何のことはない。ただステッキを浮かせているだけ。手品の域だ。
子どもたちはそんなのそっちのけで、相方の犬のほうに夢中になっている。
大きなシュナウザーだ。くしゃくしゃの黒い毛におおわれ、ところどころ毛先が白くなっている。子どもらにべたべた触られても微動だにしない。
陸はその犬のほうがなんだか気になった。
「あ、竜三捜さなきゃ――って、いるじゃん!」
橋のなかばのところで、竜三は誰かと話していた。相手はひとつふたつ年下とおぼしき少年だ。なんだかオドオドしている。竜三がむっつりと見下ろしているからだろう。
「カツアゲはやめろーっ」
「違う」
振り向いた竜三は真顔。
「こいつから声をかけてきたんだよ」
「えと……」
少年はきれいなまつげをしょぼつかせて陸を見た。
「そっちも、エレメンティア?」
軽く不意をうたれた。飛行機やプロスポーツのチケットをとるとき、エレメンティアかどうか確認されることはあるが、知らない少年に路上で訊ねられることはめったにない。
「集会があるんだってよ」
竜三は通り過ぎていく高校生のグループを横眼で見た。
「同類だけの、特別のな」
「〝魔術〟を……教えてくれるんだ」
少年は元気のない声で言った。よく見ると、彼の表情にはどこか陰がある。水に何時間も浸かったように唇が蒼い。
「魔術?」
この界隈の民芸店や工房で体験できるレクリエーションやワークショップのことではなさそうだ。
もっとくわしく聞こうとしたが、少年は行けばわかるよとつぶやいて足早に去っていった。
「あやしい……っ」
陸は携帯端末を取り出した。
「通報しとこー」
「いきなりかよ」竜三はぎょっとしたようだ。
「だって魔術を使う犯罪者が関わってるかもしれないし」
「〝邪導師〟ってやつか」
「そうそう! それにね、ぼくは警察にちょいちょい追っかけられる。なのにこういうガチっぽい案件がね、放置されるなんてね、不公平だよねっ」
「私怨じゃねえか」
竜三はあきれ顔をしたが、ふと何かひらめいたようだった。
「その前に、実際見てみようぜ」
「へ?」
「ガキの集会なら、俺たちにも参加資格はある。……おまえの幼馴染にもな」