28. 真相/心層
月明かりが差し込む暗いなかに陸が入っていき、カルアはドアの口に立って待った。玄関はひとりぶんのスペースしかなさそうだったから。
「ただいま~」
ちょっと光度の足りない電球がつき、アイボリーとベージュの二色しか見当たらない質素なリビングが現れた。
陸にどうぞと言われるまでもなく、カルアは荷物を置いて靴を脱ぎ捨てるや、摩耗した板張りの床にぐたあと突っ伏した。
「そんなとこで寝ないで~?」
内カギの閉まる音がしたあと、陸が横に来て、ひざを揃えて座った。
「疲れちゃった?」
カルアはゾンビのうめきで返事した。
「そうだよね。こんなに敵がうろついてるなんて……でもまぁ、あんまり連携とれてないみたいだから」
陸は口を閉じ、携帯端末を確認した。
カルアがメッセージを送ったのだ。ランゲージ・センターが焼き切れそうだと訴えるため。
言語中枢って何? とか訊いてきたらぶっとばしてやろうと思ったが、その必要はなかった。
「おしゃべりしすぎたってこと?」
陸はふふ、と笑いやがる。
「楽しかったんだから、いいじゃん」
それは気分による。騒がしさを求めることもあれば、避けたいと思うことだってある。
黙っているカルアに対し、どうにか反応を引き出そうとしたのだろう、陸は汚い手を使った。
「カールーアーちゃんっ」
ぴくっとしてしまう。胸が浮き上がるような感じ。忌々しい。
起き上がってみると、陸が両腕を広げていた。聖母みたいに。
「おぶってあげよっか?」
むかつく――かみつきたい衝動に駆られた。その動物的な欲求に衝かれるまま、カルアは陸のひざの上に手を置き、もたれかかるように身体を近づけた。
「わっ、え、本当に?」
自分から言ったくせに陸はうろたえている。
「……おめえ、なんで〝カルア〟って呼ぶんだよ」
カルアは訊ねたが、声はだんだんちいさくなった。眼をそらしもした。その疑問を口にしたことを後悔するくらい、気恥ずかしさがわいてきた。
「ん? んー……なんか、嬉しそうだから」
誰が、という言葉をのみ、カルアは陸のふとももの付け根に触れた。続いて脇腹、肩、背中と、感触を確かめる。
自分の手だけでなく、顔や胸も押し当て、触覚をフルに使った。
これが陸の身体。線は細いけれど、意外に筋肉はくっきり、骨はしっかりしているようだ。
いまカルアが動かしている、この赤毛の身体――ムニムニとスカスカが両極端な――とはけっこう違う。
「ってちょっ……一回立とうっ」
陸が動いた。カルアは陸の肩にあごをのせ、身を預けながらいっしょに立ち上がる。
「あの……、君もさ、ひとのこと名前で呼んでよ。バロン様とか、絵李ちゃんたちとか……あと、ぼくも」
突如、ふたりは息を止め、同時にまぶたを見開いた。
胸を離し、仰天した顔を見合わせる。どちらにも困惑の相が浮かんだ。
「な、何……?」
「こっちの台詞だ!」
陸のギャザースカートの上から股間をまさぐった。そのカルアの手がわなないている。
「おめえ、なんでついてねーんだよ! 男なんじゃねえのか!?」
硬直する陸。遠雷が急に近くに落ちたような反応だった。
「あー、うん」とばつ悪そうに「このことは、カレンちゃんにも話してなかったけど……」
陸はするりと一歩下がり、距離を置いた。
「簡単な話だよ。ぼくはどっちにもなれるんだ」
「どっち……?」
「女にも、男にも」
思考の空白。カルアの脳みそは風船と入れ替わってしまった。しかし陸がそれを破裂させた。
「身体のかたちを変える。要は変化だよ」
「っ待て待て待て待て!」
カルアの視線は忙しなく上下した。
「じゃあ何か……? てめ、ちんこ出したりしまったりできんのか!?」
「そんな言い方しないでよっ!」
陸は赤くなって声を上げたが、いまは細かいことを気にしてられないカルアだ。
「ショーコ見せろよ!」
「証拠っていうか、ぼく、この服に着替えるまでは男の身体だったよ?」
「はぁぁあ!?」
眼の前の陸を凝視しながら、その前の姿を思い起こし、比べてみた。みようとした。
「……わかりにくいよね」
もの憂げにまつげを陰らせる陸。てかどこも変わってねえよ、とはとても指摘できない雰囲気だ。
「自覚はあるよ。ぼくには〝女〟が染みついているんだ。そうなるように育てられたから……家のしきたりで」
カルアは顔をしかめた。「何だよ、それ」
「一族として認められるには、オンナじゃないとだめなんだって」
陸はブラックジョークを面白がるように言ったが、また陰のある声音に戻った。
「ほんと、ばかみたいな因習だけど……それにとり憑かれてるんだ、あの家は。……ぼくと母様もそうだった」
そのとき、カルアの意識にひずみが生じた。
急にチャンネルを変えられたように、違う場面が脳裏を過ぎる。
(――ぼくは、真の〝鉄乙女〟にならなきゃ、だめなんだ)
子どもだ。ポニーテイルの長い髪。表情のない顔と声。
凍った湖面のような瞳が、こちらを見抜く。
(――君もそう言うんだね)
別の場面だ。さっきの子の暗い横顔がある。
(ぼくにはわからない……。どうして、ひとを殺しちゃ――)
「あの家は、ぼくの家じゃない」と陸の生きた声がした。
現在進行形の感覚がカルアに戻ってくる。それは鈍重な頭痛とめまいを伴った。
「ぼくが帰りたいと思えるのは、あのお邸だけだよ。バロン様がいた……。何より、君が」
親愛の念に染まった陸の瞳が、まっすぐにカルアへと注がれた。
しかしカルアはそれを受け止められなかった。全感覚がぐらりと傾いていた。
「だいじょうぶっ!?」
陸があわててそばに来て抱き止めた。
身体のどこにも力が入らない。自分が中身のない着ぐるみになってしまったような気がした。
「――っ!」
心配そうな陸の顔がおぼろげに見える。声が遠くてよく聞こえないが、名前を呼びかけているようだ。誰の――いや、どっちの?
知りたいような、どうでもいいような。
********************
「カルア……カルア」
やさしい呼びかけ。ぺちぺちと頬を叩く手。
かすんで見える真っ白な世界。
それらによってカルアの頭は覚醒へと導かれた。
――文字どおり、頭のなかだけだが。
「……カレン」
カルアは片割れの顔をぼんやりと見つめた。
向こうも見返してきたが、眼の焦点以外はどこも動かなかった。まつげでさえ。
それでも、そこにいるカレンは前よりもずっと〝らしく〟見えた。
赤毛のストレートヘアに、大きめのリボンをつけて、つば広の麦わら帽子をかぶっている。バロン(あのおんな)の帽子に似せたそんなものを好むのはカレンだけだ。
光を受けて透きとおるようなワンピースもそう。カルアの趣味ではない。ではないが、見惚れた。
シェイクスピアの主張にカルアは賛同しない。きれいなものはきれいなのだ。
手を伸ばし、片割れのぬくもりを求める。
抱きしめ合うと、眼尻に余分な水分がしみ出てきた。相手の首にこすりつけてやる。
「くたくたのようですね」とカレンはささやくように言った。
「おめえのせいだ」とカルアは抗議する。「この身体……脳みそとか心臓とか、急に止まったりバク転したりしやがる」
「それは……あなたの感情ですよ、カルア」
カレンの掌がカルアの首筋をひと撫でしたあと、ハグがゆるんだ。
「あなたの、こころの動きです。身体の動きと同じで、エネルギーの消費を伴う……」
カレンはこっちの頭のなかを読むような眼をして、
「〝思い出す〟ことも……そう。あなたはそうした精神的活動に……慣れていない。だから、よけいに疲弊してしまったのでしょう」
け、とカルアは口を曲げた。
「カウンセラー気取りか? ほかに言うことねえのかよ」
「……カレンはいま、こころと身体、両方の動きを抑えています。生命力の確保のため……。不快にさせてしまったのなら、ごめんなさい」
カルアは黙った。カレンを護る立場の自分が、逆に責めてどうする。
「オレちゃんは大丈夫だけどよ……。おめえ、そこまで弱ってんのか?」
カレンは眼を閉じて、ひらいた。
「一時の危機的状況は脱したようです。だからこうして……〝夢〟のなかで、あなたと会えた」
「つまり、回復が進んでるってことか!?」
「その可能性に、期待したいです。きっと……リンちゃんが」
「オレちゃんのおかげだなっ!」
わっとカルアは抱きついた。圧迫されたお互いの胸が破裂しかねないほど強く。
「オレちゃんよぉ、今日ずっと陸にくっついてたんだぜ。こんなふうによ」
その途端、カレンはカチンコチンのアイスバーのようになってしまった。
「こんな……ふうに……?」
「おう! そうすりゃ、おめえは元気になるんだろ?」
カレンはカルアをそっと押しやった。
「……言ったはずです。触れ合わなくても、つながることはできる、と」
「あー? なに機嫌悪くなってんだよ」
「そんな感情は……ありません」
顔をそむけるカレン。
ほめてもらえるという期待がはずれてカルアはぶすっとした。
「カレンには、役目があるのです。何よりもまず、そこに力を注がないと……」
片割れは麦わら帽子をとり、上を向いた。
そこは〝あの部屋〟ではなかった。カレンには居場所がたくさんあり、カルアもいくつかつれていってもらったことはあるが、こんなところははじめてだ。
とてつもなくだだっ広く、どこまでも果てが見えず、「空間」という言葉が当てはまらない感じがする場所。白一色で塵ひとつない。だが何もないわけではなかった。
光がある。
青空も風も大地もないところに、燦々と光だけがあふれている。
光源は頭上。
見上げたカルアの視界を埋め尽くすような、巨大な魔法陣がこちらを睥睨していた。宇宙人の母船みたいに。
「〝呪歌〟の魔導円陣。ママがくれた……子守唄」
カレンの声と表情がかすかにやさしくなったのを、カルアは敏感に感じ取った。
「なにが〝ママ〟だ……!」
憤りで、のどが震えた。
「あの女がオレちゃんたちに何をしてくれた? こんなろくでもねえ力なんて寄越しやがって。おかげでオレちゃんたちは、ずっと狙われる運命なんだぜ?」
片割れの顔からまた表情が消え、ふっと眼を伏せた。
「カレン、おめえが眼を覚ましたことは誰にも言ってねえ」
カレンはまばたきして、すぐに訊き返した。
「……ママにも?」
「あの女が知ったら、またおめえに無茶なことさせようとするだろ。こんな弱ってるのによ。そんなの許さねえ」
「でも……」
カレンは言いかけた言葉をのみこみ、誰かが横から出しているカンペを読むみたいにして言い直した。
「〝太陽〟の力を制御する……誰かがやらないと……それがカレンの役目だから」
「何言ってんだ。おめえはあの女とのトレーニングが嫌で嫌で、しょっちゅうオレちゃんを呼び出してたじゃねえか。だからオレちゃんは闘争したんだ。おめえが逃走ったものと、片っぱしから」
聞いているのかいないのか、カレンはうつむいたままだった。
やがて止まっていた時間が動き出すように、その唇が震えた。
「そうですね。カレンは弱くて……嫌なことばかり、あなたに押しつけて……」
「いや待て、勘違いすんなよ! オレちゃんがむかつくのは、おめえに嫌なことさせようとするやつらだぜ!」
カレンが嫌がることは、カルアにとっても嫌なのだ。だからぶち壊しにしてやったし、これからもそうするつもりだ。
それがカルアの役目なのだ。その自覚は強い。
しかしカレンには伝わっていないらしい。この片割れにこそ、カルアの気持ちをいちばんわかってもらいたいのに。
「――カレン!」
【……言わ、なきゃ……】
カルアはぎょっとした。
眼の前のカレンとは全然違うところから声が【わたしが……】意識に混信してくる。
【自分で、リンちゃんに……】
声が頭上からだと気づいたとき、降り注ぐ光量がいや増した。
白に染まる視界。その遥か向こうにうっすらと見えたのは――眠り姫?
「カレン……!? なんで……」
そこにいたはず、と思って振り向くと、さっきまでのカレンの姿はなかった。
かすれた影だけがそこに横たわっていた。




