22. the past
やがて車内アナウンスが終点到着を告げた。
開いたドアから、キャリーケースやビジネスバッグやニューヨーク・ヤンキースのロゴバッグがぞろぞろ出て行く。外にも同じようなカバン類がちらほら。
カルアはボストンバッグを担ぎ、陸は紙袋をさげてホームに降りた。
「うう……足が寒い」
陸がむきだしのふくらはぎをくっつけるようにして身をちぢめた。ダニエラに借りたアウトドア用のベンチコートを着込んでいるが、その下はバスローブのままなのだ。
「君の洋服借りちゃダメ?」
「さっさと家に帰りゃあいいだろ」
「うむ」
ボストンバッグのなかから黒猫が顔を出した。
「そのほうがよい」
「ふーん」
陸はじとっとした眼でカルアを見てから、黒猫の眼をのぞきこんだ。
「ナッツ、君の飼い主は誰?」
「カレンである」
「じゃあこの子は君の飼い主?」
「…………」
「黙るんじゃねえよ、この猫!」
カルアはひやひやした。
そのとき、向こうから陸を呼ぶ声がした。
「竜三っ?」
驚いている陸のもとに、詰め襟の学生がやってくる。昨日陸といっしょにいたやつだ、とカルアは気づいた。
シルエットが縦長で、表情や動作が硬い。なんとなくカルアは、童話に出てくるブリキ男を連想した。
「どうしてここにいるのっ? 学校は?」
「こっちの台詞だ。おまえと連絡つかないから、俺は」
彼はそこで言葉を切り、カルアをちらっと見た。
「もしかして、ななわまで行こうとしてたのっ? ぼくをさがしに?」
「まぁ……」
ブリキ・ボーイは認めたくなさそうだったが、いいわけしても無駄だと悟ったようにうなずいた。
「あははっ、君って本当……」
陸は最後まで言わず、カルアのほうに向いた。
「そうだ竜三、紹介するねっ。この子がぼくの」
「いいって」とカルアは止めた。
竜三はつくづくとカルアをながめてから、ぽつりと言った。
「おまえ、女だったのか」
「あぁ?」「はぁ?」
ふたりのリアクションが重なった。
「そんなの見ればわかるじゃないっ」
陸が謎の剣幕でたしなめると、竜三は何か言いたげな眼つきで陸の全身をつっついた。
「こ、この恰好は、理由があって」と陸はサングラスをはずして言い訳したが、たぶん食い違っている。
そこへ、また声が飛んできた。抜けた感じの女の声。
「あれー? もしかして、太刀花?」
電車に乗り込もうとしていた三人組が足を止め、こっちを見ている。
「やっほー、ミカだよー。おぼえてるぅ?」
声をかけてきた女は化粧が濃い。連れの男は眉毛がない。もうひとりの女は前髪とマスクで鼻しかない。
「華山もおるやん」「ウケる」
何が面白いのか、連中けたけたしている。
竜三が振り向くと、そいつらは黙った。
そのとき陸がいきなり立ち去った。すると竜三も三人組も何もなかったようにそれぞれ動き出した。
残されたカルアは何が何だか。
とりあえず陸のほうを追いかけると、のっぽの学ランがトイレの前にいた。
「幼馴染なんだってな」
眼が合った途端、竜三は前置きもなくそう声をかけてきた。不意をうたれてカルアが反応できずにいると、俺は小学校からの付き合いだと竜三は話を続けた。
「三年生のときにあいつはやってきた。はじめて学校に通うっていうからみんな驚いたよ。中学もいっしょだったけど……去年、あいつは私立に転校した」
それがどうした、という感想をカルアは眼に込める。しかし竜三は少しも動じないふうに視線を返してくる。
「その時期のこと、陸から何か聞いてないか?」
カルアは返事をせず、ますます訝る顔になる。
そうか、と竜三はひとり勝手にうなずいた。
「おまえの知ってる陸と、いまの陸、どこか違う感じがするとか……」
「知らねえよ」
そうか、とつぶやいて竜三は缶コーヒーを飲んだ。
そのもの憂げな表情を見ているうちカルアはピンときた。思わずにやりとする。
「やけに気にするじゃねえか。おめえ、陸に惚れてんのか?」
硬い表情がどうひび割れるかと思ったら、竜三は存外穏やかに頬をゆるめた。
「ある意味では、そうだ。陸の術師としての能力、そして力に対する向き合い方……」
「はぐらかすんじゃねーよ。おめえら付き合ってんの?」
「俺とあいつの関係は〝対等〟だ。それ以上でも以下でもない」
そう言ってコーヒーを飲みやがる。
こいつは陸と正反対のタイプかもしれないとカルアは思った。浮つきがない。無駄口を叩かない。
「つまんねえの」
カルアがちょっとそっぽを向いたあいだに、竜三は背を見せて歩き出していた。
おい、とカルアは思わず声をかけた。
「陸によろしく」
竜三は振り返らずに言った。
「いや……あいつをよろしくな」
ぽかんとカルアは突っ立っていた。すると背中をつつかれた。
陸だ。
「あ、てめ……。あの男行っちまったぞ」
あー、うんと陸はあいまいにうなずいた。知っていたような反応だ。
もしかして、トイレのなかからこっそり聞き耳をたてていたとか?
まさか、とカルアは打ち消すが、理解に苦しむ連中だとは思った。
「おめえ、あの男とガッコー違うんだな」
カルアがそれとなくうかがうと、陸は少し笑んでうなずいた。
「うん。だから制服違うんだ」
あっと何か気づいたように、
「君の学校は制服あった?」
「あん……?」
「海外って私服のとこ多いらしいけど、どうだったの?」
カルアは墓穴を掘ったことに気づいた。日常生活の質問は最も困る。カルアが知らないこと、語れないことばかりなのだ。
「あー……あっ、オレちゃんもトイレ!」
カルアは返事も待たずに引き返し、さっきのトイレに戻った。
個室に飛び込んだが、いま出せるものはため息しかない。もちろん「大」のほう。
「あんにゃろ……、オレちゃんを尋問する気か」
「ただの会話であろう」
あきれ声が聞こえ、便器のふたに置いたボストンバッグから黒猫が首を出した。
「あの程度かわせぬようでは先がおもいやられる。カレンが隠し通してきたものを台なしにするつもりか」
「つってもよーぉ」
カルアはヤンキー座りをして、壁に背をもたせた。
「学校のことなんて知らねえしっ! カレンが〝表に出てる〟ときぁ、オレちゃん、まわりのこと何もわかんなくなるんだからよ」
「それは我々も承知しておる。だがいまはカレンのふりをする必要はなかろうに」
「おめえ、わかってねえな」
カルアは半眼でにらんだ。
「オレちゃんがカレンじゃねえってバレたら、陸といっしょにいられなくなるだろうが」
ナッツはきょとんとしている。
「いや、そうだろ? オレちゃんとあのうんこ野郎は他人だ。カレンじゃないオレちゃんといっしょにいる理由が、あいつにはねえんだからよ」
「それほどまで、いっしょにおりたいと?」
「カレンがな。オレちゃんじゃねえ」
こちらの言いたいことが伝わっているのかどうかわからず、カルアはいらいらする。
ナッツは少し思案したあとで、まぁよいと言った。
「おまえに考えあってのことならの。だが核心に触れぬところでは、無理にごまかさんでもよいと思うのである。素直に答えてはどうだ、おまえ自身のことを」
「オレちゃんの……」
眼を閉じて、ひらくと、砂嵐のテレビ画面が見えた。まっさきに思い出したのがそれだった。あとは大量のメディアもある。映画と音楽、本とコミック。しかしどれも途中で切れ切れになったり、本物との違いがあったり。それでも全部百回は観たし聴いたのだ。
ぬいぐるみがそこらじゅうに置いてある。そのなかの一体が部屋の真ん中の椅子に座り、テレビ画面の灰色の光を浴びている。
布と綿でできたその手がゆっくりと持ち上がり、ただの飾りでしかない眼をおおい、そして――
「どうした、カルア」とナッツの声が聞こえた。
「……なんでもねえ」
カルアは顔から手を離した。まばたきするとボストンバッグを置いた便器がくっきりと見えはじめ、その白さになんだかほっとした。
刹那のあいだ、薄暗い気持ちがカルアの胸をおおっていた。
頭のなかのあの部屋――カレンとカルアだけの秘密の部屋――その扉が開かれ、なかの薄闇が洩れてきて、肌の内側に充満していくような感じだった。
「……カレンが凶弾に倒れてから、はや幾月」
つと視線を落としてナッツは言った。
「〝眠り姫〟となったカレンを救う手立ては、いまだ見つかっておらん」
(――いいや、オレちゃんは見つけたぜ)
昨夜の記憶がカルアの脳裏を駆け巡る。一時的とはいえカレンが眼を覚ました。加えて回復の道すじも見えたのだ。
(カレンを元気にするのはオレちゃんの役目だ……!)
そういった事情はまだ誰にも明かせない。
とくにバロンには、絶対。
「バロンも我々も手を尽くしておるが、何よりもおまえの協力が必要なのである。〝魂の双子〟であるおまえにしか――んん?」
カルアは立ち上がりざま、ボストンバッグを担いだ。
「これ、話は最後まで聞かんかっ」
無視して個室を出た。




