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20. 決裂



 斜陽の色を飲んだしずくが、血のしたたるように石枠の窓にはねる。

 夕焼けは灰雲を千々に灼き、室内にも入り込み、窓辺に立つ女魔術師を燃え上がらせている。

 だが、そのつめたい唇がとけることはありそうもない。


「こういうのはどう」とバロンは言った。「あなたがたが、あの子を引き取るの」


 テーブルについた夜卿ロードたちは、虚をつかれたのだろう、カンケルとヴァルゴは眼を剥き、レオは顔色こそ変えなかったものの、三者ともに言葉をなくした。


「大丈夫よ」

 バロンは振り向き、肩をすくめた。

「おとなしい子じゃないけど、かみつきはしないわ」


「取引しようというのかね?」とレオは言った。


「そうよ。あの子を渡す。そのかわり、あたしに干渉するのはやめてちょうだい。自由を奪われるのも、命令されるのも御免だわ」


「君に対してそんなことを?」

 レオは眉をひそめた。

「それは無理がある。物理的に」


「〝物理的に〟?」

 バロンは腹をくすぐられたような笑みを洩らした。

「そう考えているならなおのこと、子どもをそちらの手元に置いておけばいいじゃない」


「人質か」

 カンケルは怪訝そうに眼をすがめた。

「貴様はそれでいいのか」


「籠とエサをやる人間が変わるだけよ」


「ばか言ってんじゃないよ」とヴァルゴは吐き捨てた。


「曲がりなりにも親たる人間の言葉とは思えんな」とカンケル卿は言った。


「意見が一致してきたわね」

 バロンはテーブルに歩み寄る。


「貴様、はじめからそのつもりだったのか」


「そちらの出方を見ると言ったでしょう? 今度はちゃんとつれてくるわ」


「勘違いするな」

 カンケル卿は勢い込んで立ち上がった。


「我々は〝太陽〟など欲しくはない。もちろん貴様もだ。無用の長物どころか、疫病神でしかない。もし貴様らを迎えれば、《天文台》ひいては英国が余分な力をつけたとみなされ、国際社会の総非難を浴びる。そんなリスクを抱え込むなど」


 バロンはくわえていた煙草を口からぱっと離した。

「残念だわ。あたしの〝太陽〟をどう扱うか見てみたかったのに」


「そうやって我々の立場をはかろうというのだろう」


「敵でも味方でもない、としか言えんのだがな」

 レオは悩ましげに首を振った。

「我々が望むのは世界の均衡、《天文台》はそのための調停者であるからして、すべてをまるくおさめたいと考えている」


「あたしもよ」

 バロンはテーブルに手をついた。

「でも、妨げになるものがあるわよね」


「それが貴様だ」とカンケル卿は指を向けた。


「こっちは被害者なんだけど?」


「しかし君が、アネッドにおくれをとることはあるまい」とレオは言った。


「そうね」

 バロンは座った。

「もし次の襲撃があれば、あたしはあのじいさんを殺すわ」


 カンケルとヴァルゴの眼つきが、剣のような鋭さを帯びた。


「それでいい」とレオは言った。「彼も闘いを望んでいる」


「本人と会ったのね?」


「レオ卿」

 かに座の男は諫めるように言ったが、しし座の老人は手で遮った。


「もういいじゃない」とバロンは言った。「跡継ぎの彼はいないんだし」


 レオはうなずいた。

「君も同意するだろうが、アネッドは卑劣な男ではない。しかしいまの彼は、自分の意思どおりに動くことができんのだ」


 ――禁忌制約ゲッシュ、とバロンはつぶやいた。


 何らかの犠牲を払うことで行使できる、強力な術がある。そういう仕組みが魔術にはある。


「そう。彼は力を取り戻すことと引き換えに、〝獣の十二巣ゾディアック〟の使命を果たすことを余儀なくされている」


「でも、あのレベルの優れた幻術遣いなら、自己催眠で、ゲッシュの縛りを緩和できるんじゃないの?」


「むろんだな。実際そうしているだろう。しかし――逆説的だが――アネッドはまるっきりゲッシュに縛られているわけではなくてな。その行動の根底には彼自身の意思がある。そう、矜持というやつだな」


 ふっとバロンは煙をふいた。

「くだらない」


「彼は息子(ブルーノ)を巻き込みたくないとも思っている。そこはわかってくれるな?」


「要求ばかりするのね。見返りは?」


「我々は君に、何もしない」


 バロンは煙草を揉み消した。


〝太陽〟を守りたければ老シリウスを殺せ。いかな結果になろうと我々は関知しない。彼らが言っているのはそういうことだ。


「むろん、君がどうするかは自由だがね」


 選択肢をじょじょに奪っていきながら、平穏無事な顔でそうのたまう。獅子夜卿ロード・レオはきわめつきの英国紳士だ。


 そのとき、煙ののぼる灰皿の上にホロ・ウィンドウが現れた。


 監視カメラの映像らしい。通路を逃げ惑う人々が映っている。

 そこへ人の流れに逆らって、ひとりの女の子が走り込んできた。


 リボン。さらさらの赤い髪。

 カレン。


「貴様の子だな」


「違うわ」


「そのへんにしな、バロン」


 にらむヴァルゴに、バロンは薄笑みを向けた。


「ケリー、あんたがあの子を見たのは十年以上も前でしょう?」


「ああ、まるで昨日のことのようさ。親に似ず、可愛い子だと思ったよ。けど、そこに映っている娘はどうだい、え? まぶしいくらいの強いまなざし――あの〝世界災厄〟に立ち向かった女とうりふたつじゃないか。こいつはまぎれもなく、アンタの子だね」


 バロンは押し黙る。


「アメリカ人たちがこの映像を調べたとき、娘の姿は映っていなかった」

 カンケルは自分の眼の前の画面をつついた。

「手の込んだ護符魔術チャームで痕跡を消していたようだが、残念だったな」


 デジタル魔術マギによる、周辺カメラへのリアルタイム・ハッキングだ。下等使い魔の群れがデジカメやスマホ、監視カメラなどの機器に手当たり次第に潜り込み、保護対象者の姿が映った途端、そのデータを消し去る。


 フィルムカメラに対しても似たような防御術式があるし、人の眼を避ける心得も一人前の術師なら誰しも身に着けているものだ。


 古今、魔術の世界では、隠ぺいの術が盛んに研究されてきた。《天文台》は、その分野で先端をいく。


 彼らの眼の届くところに出ていけば、どんな細工をしても、見つかるリスクはあった。


「……隠れ続けることはできないわ」

 バロンは自分の胸にささやくように言った。


(そんな運命、わたしは受け入れない――)

 あの日そう言ったときの震えた声。


(そんな人生のために……わたしは生まれてきたんじゃない!)

 カレンがあんな強い声を発したのは、あれがはじめてだったかもしれない。


 陽は昇る。昇ってしまうのだ。好むと好まざるとに関わらず――


「心配せずとも」とレオは言った。「我々は復元したこの映像を、外部の誰にも渡していない」


「まだ、な」

 カンケルはじっとバロンを見据えた。

「仮に三大国なんぞが関わってきたなら、貴様にも手が負えんだろう。米中露やつらが〝国家のグレートゲーム〟をしかければ、この地球ほしに貴様の居場所はなくなる」


「それが?」


「わかっているはずだ。〝太陽〟の情報が洩れれば、娘も同じ道を辿ることになるぞ」


 バロンはふっと鼻で笑った。あきれとあきらめをブレンドしたように。


「まだ、何か要求する気?」


「監視と命令を」とレオは言った。「君にはのんでもらわねばならない」


「これは《天文台われわれ》の求めではない」とカンケルは続けた。「国際社会からの要求だ。貴様には以前から何度も勧告してきた」


「あなたがたはいつから国連のメッセンジャーになったのかしら?」


「あと一度しか言わんぞ」

 カンケルは語気を強めた。

「世界のもとにくだり、監視と命令を受け入れろ、バロン」


「……〝太陽〟はどうするの」


「貴様の返答次第だ。話はそれからだ」


 煙草の先端で崩れた灰が、テーブルの上にぽとりと落ちた。


「いいこと考えた」

 バロンの唇がつり上がった。

「ブルーノにあの子を迎えに行かせるの。彼なら女の子を危ない目にはあわせないでしょう……。たとえ襲ってくる相手が、自分の父親だとしても」


「バロン……!」

 ヴァルゴが怒気を含んで立ち上がった。


「でも最終幕はここがいいわ。役者のみなさんで、血で血を洗いましょうよ」


「それでも構わん」

 カンケルは言った。ぎょろ眼が硬い光を帯びている。

「むしろこちらはその場合に備えていた。舞台を整え、筋をはっきりさせてやろう。生き残るのは、我らと我らの掟か、貴様と貴様の〝太陽〟か」


「まさか。君はそんなことはしない」とレオは穏やかに言った。「できない、と確信している。なぜなら、君にも矜持が」


 突如、天井から巨大な円柱が下りてきてテーブルを圧し潰した。

 ホログラム通信機は破壊され、三人の夜卿ロードの通信映像はたちどころに消え失せる。



 その様を見ることなく、バロンはすでに席を立っていた。



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