紫陽花の花園
枯渇していた。
大した時間も経たず、舞とマグナムはガーデンと呼ばれる場所に到着した。だが、彼らを迎えるのはーー。
「こりゃ…ひでえ…」
枯れた花で一面染められた花畑であった。
「…………」
舞の方を覗くと、橙色の傘の影で手前の花びらに優しく手をさしのべている。彼女の与える優しさも、そよ風に煽られては儚く散っていく。
「…期待してたのと違ったな」
「うん…」
黙りこんでしまった舞に、出来る限りの優しさを向けた。彼女はそれを拾い上げては、力の抜けた言葉を返す。
「舞、進もうぜ。もしかしたら、奥には花が咲いているかもしれないだろ?」
「うん…」
いつも喜びに満ち溢れていた声が、すっかり失われている。
今の舞が、どれほどの悲しみを抱いているかは自分にはわからない。ただ、そのわからない感覚でこっちも悲しくなってくる。
マグナムは舞の手を引いた。
霧に包まれながら、奥へと伸びる土の道を踏みしめていると、色鮮やかな壁に気がついた。それは、視界を乗っ取るほどに大層なものだった。
「紫陽花のーー壁?」
「ふおぉぉぉぉぉぉ!!!おはなーーーー!!!」
舞はすっかり元気を取り戻し、様々な彩りを持つそれに近寄った。
横一列に長く伸びた紫陽花の垣。自分の背丈よりは低いのだが、奥行きもあるせいで先の様子は伺えない。
葉は緑単色だが、花はそれぞれに色を持ち輝いて見える。しかし、あくまでも紫陽花の色でしかない。他の花は加わることなく、ただ手前で影として暗い色を咲かすだけ。
なんか、不公平だな。
「マグナムさん!みち!」
「ん?」
少女の感嘆の声がはっきりとした言葉に変換されたと思えば、花の壁に埋もれる一筋の道を指で差していた。そこで本来の目的を思い出した。
「この奥に…人がいるのか?」
マグナムは、人が歩くには十分なその一本道を、舞を背中に進んでいく。
次第に視線の先が開け、周囲は日が当たっているかのように明るみを帯びてくる。男も少女もいつの間にか早足になっていった。
行き着いたその場所は、手前にあったのと同様の紫陽花の生垣で囲われていた。小柄な一軒家が隅に建ち、そばには灰色のガーデンパラソル。その下に、4つの白い椅子が丸テーブルを囲うように均等に置かれてある。
「あ…お客さん…」
家の入り口にいた女性が、こちらに気付いては近寄ってきた。紫の傘で顔半分を隠し、濃い緑のワンピースを身に纏うその姿は、そのまま紫陽花の花のようだ。傘の下からは銀色の髪が伸びている。
男はすぐにポケットの横に手を置いた。
「珍しいですね…こんな辺境の町に人が来るなんて…。旅の方ですか?」
大人しく、更には心落ち着く声色。
「え?あ、ええと…」
久しぶりの女性との会話に言葉を詰まらせた。
「伝達屋の旅に同行しているマグナムと申します。伝達屋についてはご存知でしょうか…?」
「……!ええ知ってますよ。伝書鳩さんのことですね」
「伝書鳩?」
「おとぎ話ですが、鳩という鳥の獣が紙に添えた言の葉を遠くの地へと届ける、というものがあるのです。似ているでしょう」
「へえ…」
彼女は傘の下で小さな笑いをたてる。男も自然と笑顔になっていた。
「あ、すみません!立ち話もなんです、向こうの椅子にでも座ってゆっくりお話しませんか?私、紅茶注いできますね」
話のペースをすっかり握った彼女は、軽い足取りでそそくさと家に戻る。
話のペースをすっかり握られたマグナムは、舞とともにテーブルに傘を引っ掻けては腰を置いた。彼が待ち望んでいた休憩の時間だ。
「マグナムさん」
黙っていた舞が体を椅子ごとマグナムに寄せた。
「どうした舞。女性は嫌いか?なんてなーー」
「あのひと…こわい」
「…………」
近頃男勝りになっていた舞が、急にそんな発言をするものだから、酷い衝撃を受けた。
どこで女性に対して恐怖心を感じてしまう教育をしてしまったのだろうか。いや、男2人と少女1人というこの旅そのものが、彼女を男の道へと導いてしまっていたのか?
「おばけ…」
「え?」
「お待たせしました。淹れたての美味しい紅茶です」
器用に片手で傘を持ち、もう片方でトレーを持ちながら女性は戻ってきた。彼女はトレーをテーブルに置いては、2人にティーカップに入った紅茶を差し出す。顔半分はやはり見えない。
すると、舞が警戒心を全面に見せるように、マグナムの背中へと隠れた。
「私の名前はアジサイです。ええと、娘さんのお名前は…?」
「娘??!違います違います!私はただ保護者というだけで血縁関係は無いです!」
どうも娘と勘違いされるのは気分が悪い。本部長に始まり、もう何度も言われてきた。
「名前は舞です。今ちょっと恥ずかしいみたいで…」
「舞ちゃん…女の子らしくて、可愛い名前ですね」
それを聞いた舞は、男の背中を離れて、アジサイと名乗る彼女を上目遣いで覗く。
「それでは、何からお話しましょうか。お答え出来る範囲であれば、この町についてでもお話しします。おそらく私が、この町で会った最初の住人だと思いますし」
「とりあえず……アジサイさんは座らないんですか?」
彼女は傘をさしたまま、数秒だけ2人に背中を向ける。
「私のことは気にしないでください。雨が…好きなんです」
「…では、まずあなたが言伝の受取手か調べます。改めてお名前と、年齢もお願いします」
「はい。名前はアジサイ、年齢は27歳ですね」
……5歳上か。
ノートを確認したものの、そもそも受取手に27歳の人物はおらず、アジサイという名前も無い。顔はーー確認出来ないが構わないだろう。
「以上で終了します。受取手とは判定されませんでした」
「そうですか…確認と言っても短いのですね」
「最小限で済ませてますので。必要な情報は依頼人の方から沢山戴いていますし。時間も惜しいので」
「時間……あ、すみません!時間が無いのに勝手に引き止めてしまって……紅茶は残しておいても構いません…!」
「え?いや、旅には休息も情報収集も大事です!気にしないでください!」
何も考えず定型文を口にした自分を叩きたくなった。
主に休息が欲しいんです。
変に気を使わせたくなかったため、目の前の紅茶を少量喉に通した。
「お…美味しい!」
本当は料理の味については全くもって関心は無いが、思わず強情を張った。
「うまい…!」
ただ、舞は目の前の紅茶に心から感動しているようだ。
「お二人とも、気に入ってくださったみたいですね」
「はっ…!」
素直になったと思えば、舞は再び背中に顔を隠す。
「この町に来るとき、箱に飲み込まれたのですが…ここは一体どういった場所なのですか」
「ここは“箱庭”という特殊な空間になっています。この町も、雨も、紫陽花も…言ってしまえば偽物です。生きては…いません」
ここまではシモンの推測通りだ。しかしーー。
「アメノマチと名付けているこの町ですが、住人は私ともう1人だけです」
「住人が…2人だけ?」
これはおかしい。シモンの話を聞くに、5人はいるはずだ。残り3人が旅人となれば辻褄は合うが、今まで半月歩いても誰とも会わなかったことを踏まえると、なかなか考えにくい。
「はい。ここに住んでいるのは2人だけです」
「ではーー何故、あなたはこの町に住んでいるのですか?」
「え?」
「あっいや…すみません!!2人だけの集落では大変なことも多いのではないかと思いまして…!」
ついつい口が滑ってしまった。
「なるほど……」
ただ、彼女は素直に答えをくれた。
「ここが、私の理想郷だからです」
酷く苦い香りがした。
ーーはずだった。
「アジサイさん!!」
不意をつく舞の雄叫びが、彼の耳元であがる。この少女はシリアスに対して何か恨みでもあるのだろうか。
「おなまえおしえて!!」
そして、この質問である。7歳児とはこう言うものなのだろうか。
女性はどう答えればいいか困惑している。
「なかよくなるの!!!」
「うふふ、舞ちゃん、私のこともう一度呼んでみて」
「アジサイさ………はっ」
やっと気づいたようだ。
空気が穏やかになる。警戒していた手ももう解けて、呑気にカップの持ち手に添えられていた。
女性が混じり気のない笑みを浮かべる。その表情を見ると、さらに安堵した。
この人は悪人じゃない。そう本能が言っている。
〈集合地点に来い。休んでいるのであれば尚更だ〉
しばらくしてシモンからの呼び出しがかかり、2人はガーデンから離れた。空のコーヒーカップを2つ残して。




