四十六
宍戸瑠璃が自殺してから二週間が経とうとしていた頃、華茄の携帯には匿名メールが一件送信されていた。
華茄ちゃんへ。
私はずっと華茄ちゃんに守られてきた。
私は弱いから、ずっと華茄ちゃんの優しさに甘えていたんだって今なら分かるよ。
私と一緒にいる事で華茄ちゃんが悪口を言われてる事も、物を隠されたり壊されたりしてた事も知ってる。
でも、華茄ちゃんはずっと私の隣で楽しそうに笑ってくれる。
それがずっと苦しかった。全部私のせいなのに、何もしてあげられない私の弱さがずっと嫌いだった。
だからね、華茄ちゃんの為なら、私はどんな痛みや苦しみも耐えられた。
レイプされても、お金を要求されても、援助交際を強要されても、華茄ちゃんを守れるなら平気だったんだ。
おかしいって華茄ちゃんは思うかもしれないけど、嬉しかったの。初めて華茄ちゃんを守れる事が。華茄ちゃんの為に私が出来ることは何一つないから、本当に嬉しかった。
でも、華茄ちゃんに守ってもらうのもこれで終わり。
私は先に天国で待ってるね。最後に一生分の勇気を振り絞って頑張ったから、天国に行けると思うんだ。
だから、華茄ちゃんも悪いことはしないようにね? 約束だよ?
最後にもう一つ。
華茄ちゃんと出会ってからの一年は本当に楽しかったです。幸せでした。
ありがとう。またね。
瑠璃
華茄は完成した子供服を畳みながら、何度も涙を拭った。嗚咽を噛み殺し、鼻を何度も啜る。
潤んだ視界の中で瑠璃が幸せそうな笑顔を浮かべ、華茄を見ている。手を振って、華茄に背を向ける瑠璃の後ろ姿を見送りながら、華茄は目を静かに閉じた。
「ありがとう、瑠璃。まだそっちには行けないけど、必ずまた会いに行くから。待ってて」
静かな部屋に落とされた独白は風に乗って、青く輝く快晴の蒼天に向かって飛んでいく。雲を越えた先に居るはずの親友に向かって、真っ直ぐと。
春宵高校、校長室。
そこに対面する様に置かれた二つの高級ソファ。その二つのソファに座り、対面している一人の老人と青年。そして、右手に義手を装着している長髪の男。
老人は机に札束が幾重にも入った茶封筒を置き、二人の前までそれを流す様に置いた。
「感謝する。あなた方のおかげで貴重なデータを取る事が出来た」
青年は茶封筒を受け取ると中に入っている札束を取り出し、笑みを浮かべながら札束を何度も撫でる様に触れた。
「そうかよ。つっても、俺達はただ情報を流しただけで何かした訳じゃないがな」
「それでも、あなた方のおかげである事に変わりはない」
「まあ俺達も良いもの見させてもらったよ。異能者同士の戦闘なんてレアなイベント、そうそう拝めないからな」
「あなた方の目から見て、どうだった?」
「異能を戦闘に組み込み、使いこなしているところは、さすがは梅村千と螺山傘って所だな」
「なるほど。使い道はまだありそうか?」
「いや、所詮は対人戦闘に特化した異能であることに間違いはない。他の異能がどれだけあるのか知らねえが、この程度の異能なら必要はないかもな」
「そうか……」
見るからに落胆する老人を見て、今まで沈黙を貫いていた隻腕の男性が口を開いた。
「それはまだ時期尚早ではないか? これが初の異能者同士の戦闘なのだろう?」
「旦那、あんたが庇いたい理由は分からないでもないが……」
「未知の力だ。未知の発展も期待できる、そうは思わないか?」
「……そうだな。廃棄するにしても十分にデータを取ってからでも遅くはない、か。あんたもそれでいいか、蓮路」
蓮路と呼ばれた老人は首を縦に振り、笑みを浮かべた。並びの悪い歯が剥き出しになり、顔中に刻まれた皺が浮き彫りになる。
「ああ、私はそれで構わない。引き続き頼むぞ、阿水、流水」
それだけ言うと蓮路は校長室を出ていき、扉が閉まるのと同時に青年はソファに思い切り背を預けた。
「旦那、娘に負い目があるのは分かるが、私情を挟むのはよしてくれねえか?」
「分かっている。だが、俺も私情で言った訳ではない。単に可能性の話をしただけだ」
「まあそうだが……。次からはよしてくれよ?」
「ああ、分かっている」
「本当に分かってんのかね」
そう言いながら青年は立ち上がり、欠伸を掻くと校長室を出ていった。それに続いて隻腕の男性も校長室を退出した。
校長室の扉が閉まると同時に扉に固定されていたロープが引き千切れ、一人の男性が床に頭から落下した。リノリウムの床に出来上がっていた血溜りが落下の衝撃で激しく周囲に飛び散っていく。
切断された右腕が口の中に無理矢理入れられ、引きずり出された腸によって右腕が口から抜けない様に雁字搦めに固定されていた。
そして、男性が落下した衝撃で壁に飾られていた額縁が勢いよく落下し、男性の真横に並ぶように静止した。
その写真に写っている男性は春宵高校校長、伊野幸太郎。地面に転がっている男性もまた伊野幸太郎。
急速に血で赤く染まっていく額縁と校長の亡骸を見下ろすは一人の老人。杖を突き、桔梗の花の様な青みを帯びた紫色の瞳で、惨たらしく殺された校長の姿を確かに捉えていた。
「人という生き物は惨い事をする……」
一人の老人が独り言を漏らすと、突然現れる一人の若い青年。
「頭領、そろそろ戻りましょう」
「よく見ておけ、加須羅。人は人自身の手によって、必ず滅ぶ。これがその象徴とも言える光景だ」
「我等と同じ……ですね」
「……そうだな」
「頭領はどうなさるおつもりなのですか?」
「……儂等にはどうする事も出来ぬ。ただ王の覚醒を待つばかりよ」
「そう……ですね」
「さあ、戻るとしよう。我が同胞の下へ」
「はい」
室内だというのに巻き起こった一陣の風が二人を包み込み、旋風の様に渦状へと変化していく。その中心で妖しく光る紫と桃色の瞳。激しさを増す暴風は二つの光輝を捻じ曲げ、幻想的に光を周囲に散りばめていく。
「蒼き瞳の鬼、穢れなき白、碧き修羅、金色の夜叉、そして、緋王。この五人が邂逅する日は近い。楽しみだ……」
その呟きは激しく吹き荒れる旋風によって掻き消され、風が収まると同時に、二人の姿すらも跡形もなく掻き消された。




