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四十五

 二人が春宵高校に到着した時、大勢の警察官と赤い光を煌々と照らしているパトカーや救急車が校内と校外を行き来し、校門には立ち入り禁止の標識テープが張られていた。


 春宵高校付近には多数の野次馬が警察官やパトカーに視線を飛ばしながら、ひそひそと何かを口にしている姿が多く見られた。


 その群衆の中で悠然と佇む右目に眼帯をした女性を見つけ、二人は迷う事無く野次馬達を掻き分け、その女性の下へとたどり着いた。


 千達を見ても表情を変えることなく、綺麗な角度で頭を下げた女性は間違いなく先日死闘を演じた《累》だ。実際には《累》の妹である螺山傘である彼女は千達を商店街方面へと促すと先頭に立ち歩き出した。


 人混みを抜け、閑散とした商店街が視界の端に映った頃、傘は口を開いた。


「まずは鹿野華茄さん。私はあなたに謝罪しなければならない事があります」


 突然振り返り、華茄に向き直った傘は瞑目すると深々と頭を下げた。


「鷲羽梨乃さんが亡くなったのは私のミスです、申し訳ありませんでした」


「……どういう事ですか?」


 声の調子を落とす華茄は真っ直ぐに傘を見つめた。


「私が『轢き屋』に依頼した仕事は鹿野華茄さんを拉致し、私の下に生存した状態で引き渡すというものでした。ですが、何を勘違いしたのか『轢き屋』はその場にいた複数名の生徒を殺害してしまった。これは完全に私のミスです。申し訳ありませんでした」


「……ミスだろうが何だろうが、もう梨乃ちゃんは死んじゃったんです。謝られても困ります」


「そうですね、華茄さんのおっしゃる通りです。まるで子供の言い訳の様でした、申し訳ありません」


 顔を上げ、再び歩き出した傘の背に今度は千が言葉を投げ掛けた。


「お前、『轢き屋』を殺したジジイの事は知ってるか?」


「いえ、存じ上げません。私は鷲羽組の構成員が『轢き屋』を殺害したと知りましたが……」


「そうか、知らないならいい。じゃあ目的地に着く前に、お前がこんな馬鹿げた依頼を受けた理由を聞かせてもらおうか?」


 傘は顔だけを後ろに向け、千を僅かな時間だけ横目で見ると再び前を見て頤を上げた。


「その口ぶりだと既に向かっている場所を確信しているのですね」


「まあな」


 知ったのは昨日だけどな、と内心で思いながら千は不敵に微笑んだ。


「では時間もありませんので手短に説明いたします」


 千が目を細め、華茄が息を呑む。既に近しい位置に存在する商店街の入り口を示す看板が陽光に照らされて煌々と反射を繰り返す。


「私が依頼を引き受けた理由は《蒼》、あなたがこの街に引っ越してきたことを知ったからです」


「……へえ、それで?」


 千は少し言葉に詰まりながらも、動揺する事無く言葉を返した。


「一月前にあなたがこの街に越してきたことを知り、兄はあなたと再戦する事を強く望み、私はその準備のために奔走していました。そして半月が過ぎた頃に春宵高校では宍戸瑠璃が自殺するという事件が起きたのです」


 傘が言い終わるのと同時に三人は商店街に入り、二人は無言のまま傘が口を開くのを待った。


「この一人の生徒の自殺を機に、生徒達の中に明確な殺意を示した者と後悔の念を示した者が居ました。明確な殺意を示した者は何の偶然か《蒼》に依頼を出し、私はこの状況を利用できると思った。だから、もう一人の生徒に接触を図り、ある提案をしました」


「提案? それは何ですか?」


「あなたが犯した罪を私が断ち切ってあげます、と。その代わり、私の協力者になれと提案し、彼等はそれを受け入れた。そして、彼等も私が出した提案を飲む代わりにある条件を出してきました」


 傘はある店の前で立ち止まり、ゆっくりと店の景観を見定めた。その横顔は悲愴を感じさせ、愚者を見つめる様な瞳で看板に記された文字を眺めていた。


「私が全ての罪を断ち切った暁には自らの命を絶ち切ってくれ、とそう言われました」


 看板に記された文字は『高原精肉店』。


 千も華茄も知っている場所。店主とその息子とは会話した事すらある。親切にも千に春宵高校の居場所を教え、春宵高校が抱えていた問題を知らせてくれた人物。


 今となっては千に情報を漏らしたのが故意的だという事が分かる。《累》が言う様に華茄が千達に依頼をした事を知っていたとしたら、千を呼び止めた理由も納得がいく。


 千にあの画像を見せたのも、匿名メールが送られてきた詳細を知らせたのも、宍戸瑠璃に関するイジメを詳らかにしたのも全てがブラフ。黒幕ではないと千に思い込ませる為のハッタリだったのだ。


「全部お前が指示を出していたのか?」


「ええ。端的に《蒼》に接触し、私が送信した匿名メールと画像を見せろ、と。その結果、あなたはあまりにも簡単に高原樹と高原敦久を容疑の目から外した。その姿を見て、兄はかつてのあなたではなくなってしまったと悲観していました。他にも久保ゆきの拉致や、鳥居正樹と北山彰の殺害を率先して引き受けてくれていましたね」


 千は傘の言葉を鼻で笑い、シャッターが下ろされた高原精肉店を嘲るように眺めた。華茄は無言で鋭い目付きを高原精肉店にぶつけていた。それに気付いていながらも千と傘は真っ直ぐに歩き出し、高原精肉店の裏手に回り出す。


「そのお兄様はやけに大人しいじゃねえか。今日は呑気にお昼寝か?」


 千の皮肉に傘は動じることなく答えた。


「兄は異能が発現している時のみ、目覚める事が出来ます。《蒼》もご存知かと思いますが、異能は」


「分かってるっての。異能は私達の意思で起動させることは出来ないって言うんだろ?」


「私からも一つ質問いいですか?」


「ええ、構いませんよ」


「瑠璃が自殺した次の日に私に匿名メールを送ったのは螺山さんですか?」


「送信したのは私ですが、私に送信するよう指示を出したのは高原樹と敦久です。あなたに知らせようと思った理由は私には分かりかねますが、あなたにメールを送った理由は彼等の意思によるものです」


「ま、それは本人に直接聞けばいいだろ。正直、聞くだけの価値があるとは思えないが」


「私にメールを送った人間が誰か分かれば、別に理由はどうでもいいです。理由を知った所で現実は変わらない」


 三人は裏手に回り、裏口の前に立った。傘が裏口の扉を勝手に開き、堂々と玄関をくぐった。


「そうですね。では、行きましょうか」


「行くぞ、華茄」


「……はい」


 三人は玄関を抜け、入ってすぐに設置されたキッチンを越えると二階へ足音を消す事もなくズカズカと上がっていく。三人以外の足音が鳴る事はなく、咎める声が飛び交う事もない。


 二階に上がった三人は廊下を真っ直ぐに進み、扉が開かれたままの和室に向かっていく。


 その途中にある八畳ほどの和室を見て、千達は思わず歩みを止めた。開かれたままの和室には二つの布団が床に敷かれ、窓からは眩いほどに煌めく陽光が部屋に差し込み、一つの人影を床に映し出していた。


 そして、その人影が宙に浮かんでいる事はすぐに理解し、千はゆっくりと天井を見上げた。天井から伸びるロープは体格の良い女性の首を絞め、股間や鼻や口からは体液がポタポタと垂れ落ちていた。


 部屋から漏れる異臭に千が顔を歪めていると傘が冷静な声で言った。


「高原敦久の妻である高原正子ですね。一家心中のつもりでしょうか。それとも真実を知って生きる意味を見失ったか」


「こいつも関わってたのか?」


「いえ、彼女は無関係のはずです」


「迷惑な話だな、家族に生きる意味を剥奪されるってのは」


「あなたが言うと説得力が違いますね」


「口の利き方に気を付けろ。お前と私は敵同士だって事を忘れるな」


「すみません、では進みましょう」


 何も興味を示さない華茄を尻目に二人は奥に進み、扉が開いたままの和室へと足を踏み入れた。


 そこには二人の男性が確かに居た。


 高原樹と高原敦久。


 だが、高原敦久は端的に言えば既に死亡していた。


 飛び散った血液。敦久の首筋から絶え間なく流れている赤い血潮。樹が右手に持っているカッターナイフは鮮血に染まり、今も剣先からは血液が雫となって垂れ落ちている。


 血の海と化した部屋の中央に佇む樹は無言で部屋に進入した千達を捉え、カッターナイフを華茄の前に放り投げた。華茄の足下に転がり落ちたカッターナイフを華茄は手に取った。何も口にしないまま、剥き出しになっている刃を見つめる。


「まさか、お前達が黒幕だったなんてな。正直驚いたよ」


「もう全部聞いたの?」


「いや、まだだ。お前はどうして宍戸瑠璃を貶める様な真似をした?」


 樹は殺意と怒気が入り混じった様な視線を華茄にぶつけた。


「全部宍戸が悪いんだ。宍戸のせいで鹿野は僕の告白を受け入れてくれなかった。宍戸が居る限り鹿野は永久に僕の物にはならない。だから、宍戸を学校から排除してやろうと思ったんだ」


「その為に援助交際を装う様な写真を取って、久保ゆきに送ったってか? 父親すらも利用して」


 千は悠然と腕を組み、口角を上げた。嘲るように、思い切り馬鹿にするように。


「宍戸を排除する為だ。父親だろうが同級生だろうが利用するよ。僕には鹿野が必要なんだ……って思ってたんだけどね」


 樹は既に死んでいる父親を見下げながら、悲し気に微笑んだ。


「でも、宍戸が自殺しても鹿野が僕の気持ちを受け入れてくれる事なんて無かった。宍戸が死んで、やっと気付けたんだ。努力の仕方を間違えていたんだって」


 樹は華茄に視線を定め、一歩だけ前に足を進めた。


「鹿野、僕は君が好きだ。誰よりも君を愛してる」


「無理」


 華茄の口調は千と傘が思わず視線を即座に移動させてしまう程には冷酷だった。だが、その反応を見て樹は安穏と微笑み、傘に視線を向けた。


「やっぱりフラれたか。約束通り、殺してくれ《累》」


「その前にどうして父親を殺したのですか? 私が殺す事になっていたと思いますが?」


 少し苛立ち混じりに傘は言った。


「逃げようとしたから。だから、殺した」


「……お母さんは? 何でお母さんを殺したの?」


 冷たい口調で言った華茄の言葉に臆することなく樹は答えた。


「母さんを一人で残す訳にはいかないだろ?」


 その言葉を聞いた瞬間に華茄はカッターナイフを樹に向かって投げつけ、体を震わせた。鼻息は荒く、目が血走っている。すぐに体の震えの正体が怒りだと気付きながらも、千は彼女を止めようとはしなかった。


「ふざけんな! あんたの自分勝手な気持ちで未来を決めつけんな! 瑠璃が死んでやっと気付けた? 努力の仕方を間違えた? あんたが間違えたのは努力の仕方なんかじゃない! だってあんたはそもそも努力なんてしてなかった! 何にも努力なんてしてなかった! 私に好かれようとする努力なんて何一つしてこなかったのに、精いっぱい努力したみたいな言い方すんな!」


 大声で紡がれる怒声。吹き飛ぶ唾が光によって反射し、口端に溜まった泡が彼女の怒りをそのまま如実に表しているようだった。それでも彼女の震えは止まらず、眉間に寄った皺は深く刻み込まれ続けている。


「私には瑠璃が必要だった! ずっと隣で一緒に生きててほしかった! なんであんたがそれを奪うのよ! なんで私から瑠璃を奪ったのよ! 返して……。瑠璃を返してよ!」


 涙を零す華茄はそう言うと、その場にへたり込み何度も涙を拭っては嗚咽を漏らした。誰も彼女に駆け寄る事はしない。駆け寄れない。彼女が吐き出した剥き出しの感情は宍戸瑠璃が自殺してからずっと溜め込んでいた想い。


 その言葉を聞いて、千も傘も樹も茫然としてしまっていた。紛れもない彼女の本心を聞いて、三人は泣きじゃくる華茄を見つめている事しかできなかった。


 だが、この嗚咽が支配する部屋の中で真っ先に動きを見せたのは千だった。


「帰るぞ、華茄」


 そう言って千は華茄を引っ張り上げ、両腕で抱き抱えた。今度は涙で濡れる瞳で呆然と千を見つめる華茄は鼻を啜り、千の服を力強く握った。


「良いのですか? あなたが止めを刺さなくても」


「そんな奴の死に様に興味はない。それよりも依頼主様が泣いてる方が問題だ」


「そうですか。では、また近い内にお会いしましょう、《蒼》」


 傘の言葉を背で受け止めながら、千は部屋を出た。一階へと下り、店からもすぐに出る。そして、商店街もすぐに抜け、アパートまでの帰路に就くと千は華茄を下ろした。


 目に溜め込んだ涙を拭った華茄は鼻を啜ると、千に背を向け、先にアパートへと歩き出していく。必然的にその後を追う形となった千は華茄の後方を歩き続け、彼女が口を開くのを待った。


 だが、結局アパートに着くまでに華茄は一言も口を開く事は無かった。


 千がインターホンを鳴らし、鍵が開くまでに十秒ほど。そして、扉が開いたのがその二秒後。扉が開いた瞬間に現れた《青》を見て、華茄は再び大声で泣き始め、《青》の大きな胸元に飛び込んでいった。


 すぐに千は華茄と《青》を部屋に押し込み、扉を閉めた。鍵を締め、リビングへとさらに押し込んでいく。状況が分かっていない《青》と泣き続けている華茄をリビングに押し込んだ千が脱衣所に向かおうとすると、《青》と華茄をすり抜けて、千の下に向かう緋乃の姿があった。


 二人を見て、首をかしげる緋乃は千と共に脱衣所へと入った。


「……おつかれ、さま?」


「ああ、おつかれさまだ。これで仕事は終わりだよ」


 服から若干臭う異臭に顔を顰めながら、千は纏っていた衣服を次々と洗濯籠に放り込む。すると、何故か緋乃が両手を大きく広げて、無表情のまま千を見上げていた。


「何やってんだ、お前」


「……千ちゃんも充電、する?」


 抱き合っている様にも見える《青》と華茄を見て、緋乃は何か勘違いしている様だった。だが、緋乃は嘘偽りなく本気で千にそう言っている。本気で充電するか? とそう言っている。


 その姿を見て、千は大笑いした後に緋乃を抱き上げ、強く抱きしめた。


「ああ、する」


「……千ちゃん、くさい」


「だろ? 最悪な最終日だったよ。あ、そうだ。お前も一緒に風呂入るか?」


「……うん」


 小さく頷いた緋乃を見て、千は満足そうに微笑み、裸になった彼女と二人で千はバスルームへと消えていった。


 これでこの依頼は終わり。宍戸瑠璃のイジメに関わったほぼ全ての人間が《累》によって殺され、当初華茄が望んでいた殺害依頼とは大きく異なってしまったが、それでも鹿野華茄の復讐は間接的には終わりを告げた。


 だが、腑に落ちない点もある。


 あの老人は一体何者なのか……。


 虹彩が変わる瞳を持ち、未来、過去を正確に当てた謎に包まれたままの老人。


 それにもう一度《累》とは接触する必要がある。


 異能者同士が戦闘する事態、《累》が偶然千達の居場所を知る事になった経緯。


 こんな偶然が立て続けに起きるとは思えない。必ず誰かが故意に情報を流し、千と傘が戦闘せざるを得ない状況を作ろうとした。


 これらの情報を現状で一番持っていそうな人物の心当たりは残念ながら江ノ島慧のみ。


 まずは慧に話を聞くか……。


「緋乃、目閉じてろよ」


 無言で両目に両手を覆い被せる緋乃を見て、千は彼女の髪に付着したシャンプーをシャワーで洗い流していく。


 今はこの束の間の平穏を満喫しよう。彼女と過ごせるこの時間を今は大切に生きていこう。


 そう思いながら、千は彼女の美しい黒髪にトリートメントを付けていった。

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