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四十四

 シャワーを浴び、下着姿でリビングに戻った千は絵本を読んでいる緋乃以外に誰も居ないリビングを見て、視線を左右に泳がせた。キッチンには誰も居ない。キッチンの対面に位置する寝室の扉は閉ざされてはいるが、その奥から楽し気な会話が聞こえてくる事からも二人の居場所は考えなくとも分かる。


 千は絵本に夢中な緋乃を見下ろし、自然とその横に座った。


 互いに何を話す訳でもなく、沈黙のまま時が過ぎていく。華茄と《青》の笑い声が微かに漏れ聞こえ、絵本を捲る小さな音が嫌に大きく聞こえだす。


 千は頬を掻き、二度ほど咳払いをした。全く反応を見せない緋乃を横目に、千は首裏を掻き、奥歯を強く噛むのと同時に息を呑み込んだ。そして、最後に深呼吸をした後に、極小の声で呟いた。


「…………飯、美味かったぞ」


 目が見開き、素早く千に向けられる緋乃の緋色の瞳。手から絵本がこぼれ落ち、それを拾い上げる事もせずに緋乃は無表情で千を真っ直ぐに見つめていた。


 自然と緋乃から目を逸らした千はうなじを掻き、床に落ちていた団扇を拾い上げ、ゆっくりと火照った顔に風を送り始めた。直接見なくとも緋乃が自分を見ている事が分かる。張り付く様な視線を感じながら、千は団扇を扇ぐ速度を速めた。


 千はこの時、気付いていなかった。


 本当に少しだけ、緋乃の口角が上がっていたことに。


 彼女の無表情が少しだけ崩れたことを千は見事に見逃していた。


「……ありがと」


「……おう」


 団扇を扇ぎながら、緋乃を流し目で見やれば、彼女は相変わらずの無表情で拾い上げた絵本に視線を注いでいる。真剣なのかぼんやりと見ているのか分からない横顔を眺めながら、千は微笑み、微かな吐息を漏らした。


「そんなに面白いのか?」


 緋乃は無言で頷き、ページを進めた。


「……千ちゃんも一緒に見る?」


「いや、私は……」


 私はいい、とそう言おうとした瞬間に緋乃と視線が重なった。口にしようとしていた言葉を飲み込み、千は緋乃の頭に左手を乗せた。


「今はいい。この仕事が終わったら、ゆっくり見るさ。お前と一緒にな」


「……うん」


「じゃあ、さっさと仕事を片付けてくるとするか」


 千は数回緋乃の頭を撫で回すとその場を立ち上がり、寝室へと向かった。扉を勢いよく開け放ち、中へとずかずかと進入する。すると、下着姿の千を見た《青》と華茄は浮かべていた笑顔を瞬刻の内に消し、冷めた視線を千に同時に向けた。


「《青》さんが居なかったら、梅村さんはどうなってしまうんですかね?」


「あまり想像したくないわね、その未来は……」


 悲しみを多分に含ませた瞳は徐々に下がっていき、二人は静かに口を閉じた。


「どうもならねえよ。下らない妄想してないで、着替えが済んだならさっさとどけ」


 着替えを持っていないはずの華茄が何故か私服姿になっている事には見て見ぬフリをし、千はクローゼットからダウンジャケットと紺色のジーンズパンツを取り出し、粗雑に床に放り投げた。それから白いTシャツに袖を通す。


「あの、梅村さん」


「何だよ?」


 ジーンズパンツを穿きながら、千は言った。


「いっつもその服着てませんか?」


「昨日とは違う服だぞ、これ」


 千は袖を通した白Tシャツを軽く指で引っ張りながら言った。それを見て、《青》があからさまに溜息を吐く。


「千ちゃんはね。同じような服をたくさん持っているの。だから、一見いつも同じ服装している様に見えても、服は違うのよ。服自体はね……」


 再び大きな溜息を吐いた《青》を見て、千は首を傾げながらもジーンズパンツを穿いた。


「今から《累》に会うんだぞ。一番動きやすい格好で外出するのが一番良いに決まってる」


「普段も今と変わらないでしょうが」


「普段の服装はもう少しオシャレに気を配った方がいいんじゃないですか?」


「気を配ってどうすんだよ。誰に見せる訳でもないのに」


「緋乃は嬉しいと思うわよ? 前にちゃんと化粧した千ちゃん見て、嬉しそうにしてたし」


 それを聞いて、瞬時に華茄が右手を挙手した。


「それ私も見てみたいです。ちゃんと化粧した梅村さん」


「遊びに行く訳じゃないんだ。する訳ないだろ」


「普通のOLさん達は化粧をして仕事に行くのよ?」


「私はOLじゃないんだよ」


「いいじゃないですか、一回くらい」


「一回もクソもあるか。準備終わってんなら、もう行くぞ」


 千はダウンジャケットを羽織ると寝室を出た。絵本を読み続けている緋乃の頭を撫でた後に、ポケットにタクティカルナイフを突っ込んだ。そのままリビングを出て行く。


 扉を閉めようと手を伸ばした時に緋乃が姿を見せたことで千は微かに相好を崩し、緋乃を持ち上げた。抱き上げた瞬間に伝わる緋乃の温もりが血潮の様に全身に伝わっていく。


 緋乃の背を押し、自身の胸に顔を強引に押し付けた千は目を細め、静かに両手の力を強めた。


「……千ちゃん?」


「充電」


 たった一言、そう言い渡した千はさらに両手の力を強めた。緋乃も千のTシャツを力強く握り返す。


「……頑張ってね」


「ああ。行ってくる」


 千は緋乃を地面に下ろし、踵を返した。綺麗に揃えられた自身の靴を履き、数十秒後に現れた華茄と共に部屋を出た。鍵が閉められた音を確かに聞き終えると、千達は扉の前を離れた。


「行くぞ」


「はい」


 アパートを離れた二人は商店街を経由しないルートで春宵高校に向かった。

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