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三十九

「止まれ。こいつに何の用だ?」


 素直に立ち止まる男二人の内、目に傷がある男が懐から高級感漂う手拭に包まれた何かを取り出した。


「お前が鹿野華茄か?」


 その問いは千に投げ掛けられた問いではなく、真っ直ぐに華茄に向けて放たれた。華茄は無言で戸惑いながらも、首を縦に振った。すると、男達は手拭を開き、中に入っていた短刀を千達に見せた。鷲の紋章が絵に刻印されている淡い青色の鞘に納まった短刀。


 それは紛れもなく鷲羽組の家紋。華茄はすぐに男達の素性に気付き、頭を下げた。この二人は鷲羽組の人間なのだろう。千は華茄の態度を見て、大体の事情を察し、ナイフの柄から手を離した。


「これを受け取ってくれねえか? お嬢の母親の形見の短刀だ」


「い、いや、でも……」


「お嬢が一番慕ってたあんたに持っていてほしい、それが親父の願いだ」


 男達の表情が悲痛に歪み、喉に力を入れているのはすぐに分かった。


「お嬢は、俺達意外とは緊張してまともに喋れねえくらいに人見知りで、気が弱いお方だったんだ。だけど、あんたと知り合ってからは楽しそうに笑う様になって学校にも行きたがるようになったってのに……。なんで……なんでお嬢が……」


 言葉に詰まった男は喉に力を入れ、下唇を噛むと、頬を伝う涙を拭う事もせずに手に持った短刀を真っ直ぐに見下ろした。涙を零す男の肩を目に傷がある男が叩きながら、言った。


「あんたのおかげでお嬢は毎日楽しそうに笑う様になった。あんたが居なかったら、お嬢は学校に馴染めなかったかもしれねえ。それにあんたも、お嬢の仇を取ろうとしてくれたんだろ?」


 男は千を一瞥し、腰に携えたナイフを見て、確信した様にそう言った。


「え? あ……えっと」


「そうだ。仇は取れなかったけどな」


 口ごもった華茄を見て、千は即座に口を挟んだ。


「それなら問題ない。お嬢の仇は組の人間がもう始末したからな」


「そうかい」


 千はそっぽを向き、男達も千から華茄に視線を戻すと短刀を華茄へと差しだした。


「さあ、華茄さん。これを受け取ってくれ」


「私が持っていていいんでしょうか?」


「あんたに持っていてほしいんだよ」


 何故か、短刀を受け取る事を躊躇う華茄を見て、千と鷲羽組の二人は首を傾げた。


「何か受け取りたくない理由でもあるのか?」


 千がそう尋ねると華茄は短刀をじっと見つめ、言った。


「受け取りたくないわけじゃないです。梨乃ちゃんが私を慕ってくれていたのは本当に嬉しいと思ってるから。でも、これは梨乃ちゃんと梨乃ちゃんのお母さんを繋ぐ大切な物だと思うから、私の手元にあっていい物なのかなって」


「いいんじゃねえか?」


「え?」


 華茄が答えを求めて、千を見た。


「この短刀は鷲羽梨乃と母親を繋ぐ楔なのかもしれないが、鷲羽梨乃がお前に救われたのも事実だ。恩義を感じてるお前に持っていてほしいと、思ってるかもしれないだろ? 前にも言ったが」


「死者の考えは死んだ奴にしか分からない、ですよね」


 千は言葉を先回りされた事に若干の驚きを表しながらも、不敵に微笑んだ。


「そうだ。今度はこの小刀がお前と鷲羽梨乃を繋げる楔になる。そう思って、受け取っておけ。もし会えなかったら困るだろ?」


「そう……ですね。また梨乃ちゃんに会えるなら」


 華茄は短刀を手に取り、慈しむように大事に胸に抱えた。祈るように瞑目し、穏やかな呼吸を繰り返している。


「なあ、ベッピンさん。あんた何者だ? 普通の奴は俺達みたいなチンピラが近付くと自然と目を背けるもんだが、あんたは目を背けるどころか、堂々とナイフに手を伸ばすときた。どっかの組の人間か?」


「残念ながら暴力団とは縁もゆかりもない。私は依頼されて、仇を追ってただけだ」


 目に傷がある男は依頼されて、という言葉に反応して納得したように何度も頷いた。


「なるほど……あんた殺し屋か。どうりでそこの二人とは雰囲気が違う訳だ」


「見て分かるものなのですか?」


 笹木辺の質問に目に傷のある男は朗らかに答えた。


「何となくだけどな。あんた、俺達を見て、怖いって思っただろ?」


「はい……」


 申し訳なさそうに言う笹木辺を気にする事無く、男は続けて朗らかに言った。


「それと同じだ。俺達もこのベッピンさんを見て怖いと思った。荒事に慣れてくるとな、分かってくるんだ。こいつには絶対に手を出しちゃならねえってな」


「私にはそう見えないんですけど」


 千をまじまじと見つめる笹木辺はやはり納得できないと言った訝しむ様な表情を浮かべ、ずり落ちそうになっている息子を担ぎ直した。


「見えなくていいんだよ。こんな暴力団丸出しの格好してるこいつらと同じに見られるなんざ、たまったもんじゃない」


「言ってくれるねえ、ベッピンさん」


 どこか楽し気に言う男はまだ泣いてる男の背中を擦りながら、整い過ぎている歯を覗かせた。


「おら、お前いつまで泣いてんだ。そろそろ親父のところに帰るぞ」


「だってよお……」


「お嬢の小刀、大事にしてやってくだせえ。じゃあ、俺達はこれで」


「じゃあな」


 去っていく二人の背を眺めながら、三人も校門に向かって歩を進め、校門にたどり着いた所で三人は振り返った。死体が転がる校舎を漫然と眺望し、白い吐息を虚空に向かって吐き出す。


「こんなにも綺麗な校舎なのに、中には死体が転がっているんですよね?」


「ああ。高校ってのは恐ろしい所だな」


「他の高校に死体は転がってませんよ。分かりにくいボケはやめてください」


「ボケてるわけじゃねえ。どの高校も春宵高校と同じ未来を辿る可能性を持ってるって意味だよ。さすがに殺し屋が介入する事態にはならないと思うけどな」


「ですが、螺山さんが殺していたのは宍戸瑠璃さんのイジメにまつわる方々なのですよね?」


「久保ゆきの遺言が本当ならそうなるな」


「それを考えると一人の子の親としては、複雑な心境ですよ。もし、良太がイジメで殺されたと分かったら、私も華茄さんと同じように梅村さんに依頼するかもしれない。殺人はダメだと理解はしていても、現実論として、動かずにはいられないかもしれないですよね」


「子供ってのは心に傷を負った事が無い奴等ばかりだ。痛みを知らない奴は、人を簡単に傷付けられるし、ブレーキも効かない。まあ子供に限った話じゃないけどな」


「ですが、人生観が大きく変わるほどの出来事に、まだ十数年しか生きていない彼等が遭遇するのは難しいですよね」


 千は「まあな」と微笑んだ後に頤を下げ、ぼんやりと空を見上げている華茄へと視線を移行した。


「だから、お前はある意味ラッキーだな。親友を二人も失った事は辛い出来事になったが、お前は私のおかげで色んなことに気付けただろ?」


 千の言葉で緩やかに頤を下げた華茄は冷たい瞳で千を遠い目で見た。


「梅村さんのおかげで心の傷は広がるばかりですね。生首死体を見る羽目になるし、大切な後輩は目の前で撥ねられるし。梅村さんの目は蒼くなるし」


 冷ややかな口調で千を揶揄する華茄に、千は吹き出したように爆笑し、涙が目尻に溜まるほどの大きな笑声を上げた。突然の爆笑に華茄も笹木辺も若干の戸惑いを浮かべ、首を傾げている。


 そして、千は涙を拭うと、自然と下腹部に手を伸ばし、無意識に下腹部を撫でていた。自らが付けた一生消える事の無い傷を優しくなぞっていく。


「言うようになったな、お前。まあだが、心の傷は癒える事はあっても、消える事は無い。完全に消える事は絶対にないんだ。だから、受けた傷がぼやけるくらいに、大切だって思える何かを見つけられるといいのかもな」


 千の言葉で二人は視線を落とし、少しばかり逡巡した後に華茄が重い口を開いた。


「……梅村さんは見つけられたんですか?」


「どうだろうな。お前らには教えてやらねえよ」


「あーこれは見つけていますね」


 呆然としている華茄の隣で笑みを浮かべている笹木辺はからかう様な軽い口調で言った。それを聞いて、華茄が少しムッとした様な表情を浮かべる。


「せっかく心配して言ったのに、損した気分です」


「ほら、チビ。不細工な面してないで、さっさと帰るぞ」


「梅村さん!」


 顔を真っ赤にして千を睨み付ける華茄を置いて、千は校門に向かって歩き出した。笹木辺は穏やかに笑声を上げ、華茄と共に千を追い掛ける。


 校門で笹木辺と別れ、二人は信号を渡ると真っ直ぐに商店街方面へと歩き出した。


「これでもう、瑠璃を苦しめた人はいなくなったんですよね?」


「いや、まだだ」


「え?」


「まだ久保ゆきに写真を送った奴が残ってる」


 久保ゆきが脅迫に使った写真は彼女が自ら撮影した物ではない、と彼女自身が言っていた。他者から送られてきた写真だと。


 華茄もボイスレコーダーに録られていた音声を思い出したのか、すぐに口を半開きにし、間抜けな声を漏らした。


「あ……」


「まあそれは心配しなくても明日分かるだろ。《累》が思わせぶりなこと言って消えてったしな」


「そう……ですね。そうですよね……」


 千が背後を確認すると、華茄は宍戸瑠璃が飛び降りたビルを見上げながら暫し立ち止まり、右手に持っていた短刀を強く握り締めていた。


「どうかしたのか?」


 千もビルを見上げるが人影も物影も見つける事はできない。彼女が見ているものが分からず、千は首を傾げた。


「瑠璃が自殺した原因は……私なんだなって思って」


「お前も脅迫の道具に使われてたのは事実だな。だが、それと自殺した原因はまた別だろ」


「別……なんですかね?」


「別に決まってんだろ。むしろ逆だな。宍戸瑠璃がイジメに耐えられた理由はお前を守りたかったからだろ。お前を守る為なら自分が傷付いてもいいって思えたからじゃないのか?」


「……そんな優しさ、嬉しくないです」


 唇を引き絞り、震え声で言った華茄は視線を落とした。眉間に皺を寄せながら、地面を見つめている。


「そうだな……。言ってほしかったな……二度と会えなくなるくらいなら」


「死んだらもう二度と会えないんです。もう一緒に授業を受ける事も、ご飯を食べる事も出来なくなるんです」


 拳を握りしめる華茄の横に立ち、千は華茄の頭に手を乗せた。


「その日常を守りたかったのかもしれないな。お前と過ごす日々を壊されたくなくて、でもどうしたらいいのか分からなかったのかもしれない。必死だったんだろうよ、宍戸瑠璃も」


「でも……瑠璃は死んじゃいました。私の日常から瑠璃はもう消えちゃいました。もう瑠璃は……どこにもいないんです……」


 地面にぽつりぽつりとこぼれ落ちていく雫は地面に小さな斑点を作っていき、必死に押し殺された涙声は風に乗って、千の耳に運ばれていく。


「……」


 何を言っていいのか分からず、千は開きかけた口を閉じ、華茄の頭を優しく撫でた。絶え間なく零れる涙を尻目に、千は宍戸瑠璃が飛び降りたビルの屋上を見上げ、吹き続ける風に揺れる髪を押さえた。


 それから数分後に泣き止んだ華茄は頬を伝う涙痕を拭い、無理矢理に作った笑顔で千を見上げた。


「ごめんなさい、泣いたりして。もう大丈夫です」


 華茄の頭から手を離し、千は再び商店街に向かって歩き出した。


「なら、行くぞ。未成年はそろそろ家に帰らないとな」


「はい!」

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