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三十三

 老人と別れた約一時間後に二人を乗せたタクシーは春宵高校前に到着した。料金を支払い、二人はタクシーを降りると、そのまま校門を越え、校舎に向かって歩き出した。


 高校前の横断歩道に付着していた血痕や肉片は片付けられており、既に見る影もない。交通も問題なく再開されている。まるで今朝は何事もなかったかのような普段の日常が送られている。


 それから千は『轢き屋』に撥ねられた生徒を思い浮かべながら、言った。


「撥ねられた生徒の中に、暴力団関係者はいたか?」


「……一人。鷲羽組っていう暴力団を仕切ってる鷲羽五郎の娘で、鷲羽梨乃っていう一年生の子が、あの場に居ました」


「そうか。だから、ここも見張ってるって訳か……」


 千は背後に視線を配り、高校前のビルの三階から千達を見ている男二人を捉えた。


 春宵高校と鹿野天が通う中学の旧校舎を見張っていたのは鷲羽組の構成員で間違いないだろう。老人が殺した七三分けの男の口ぶりから考えれば彼等が『お嬢』と呼ばれている女性の仇討ちの為に動いていた事は間違いない。


 故にビルの三階で千達を見つめている彼等にも時期に連絡が入るだろう。仇討ちは成功した、と。現場に残った人を撥ねたトラックに息絶えた青年。そして、成人男性の遺体が二つ。あの二人の遺体を調べれば、すぐに身元は判明する。


 そこまで考えれば、あの老人がトラックと青年を現場に残して消えていった理由を何となく察することが出来る。あの老人がトラックと青年を現場に残したのは鷲羽組が『轢き屋』を殺害したのだと偽装するため。構成員二人を殺した理由は偽装を完璧にする為だろう。あの二人が生きていては偽装が露呈する。


 復讐は自らの手で遂げなければ、意味はない。憎しみを一時的にでも完全に払拭させるには鷲羽組の人間に殺害させる必要があった。だから、老人が『轢き屋』を殺し、その遺体を持ち帰っても意味がない。


 鷲羽組構成員が『轢き屋』を命と引き換えに討った。老人はこの状況を生み出したかったのだろう。


 もしくは彼にしか分からない思惑があったのかもしれないが、千には関係無い。


「唯一後輩で仲が良い子だったんですけどね……」


 下唇を噛み、両手を握り締める華茄を尻目に、千は今朝の状況を脳裏に浮かべた。


 確かに華茄は信号待ちの間に誰かに手を振っていた。綺麗な顔立ちをした大和撫子然とした少女に。淑やかで落ち着いた雰囲気から、千は勝手に上級生だと思っていたが、どうやら華茄の口ぶりから高校一年生という事らしい。


「あーお前が手振ってたあいつか……。お前よりも年上に見えたが、後輩なんだな」


「そうなんですよ。見えないですよね、高校一年生に」


「……お前も高校二年生には見えないけどな」


 十七歳の平均から見て華茄は身長が低く、容姿も幼く見える。髪型や薄く施した化粧などで大人びて見える努力はしている様だが、それを踏まえても幼いという印象は拭えていない。


「私のことはいいんです。ほら、行きますよ」


 二人は下駄箱が連なる正面玄関を抜け、校舎内へと進入した。当然ながら校舎内の灯りは消えており、非常口と書かれた誘導灯の緑色の光が奇妙な雰囲気を演出している。


 千は特に訝しむ事なく廊下を進み、階段を上がっていくが、華茄は少し違った。暗すぎる校舎内を見て、首を傾げ、窓から外を懐疑的に見つめてはまた首を傾げている。


 階段の踊り場に到着し、その先を見上げながら、千は一度立ち止まった。


「何か気になる事でもあるのか?」


 スマートフォンをコートのポケットから取り出し、時刻が表示されたディスプレイを一瞥した華茄は千に視線を移動させた。スマートフォンをポケットにしまう。


「この時間に誰も居ないのがおかしいなって思って」


 千も携帯を開き、時刻を確認。現在午後八時十一分。時刻を確かに確認すると千は携帯を上着のポケットにしまった。


「さすがの教師達も今日は早く帰ったんじゃないか?」


「梅村さんが来る前に春高のホームページを確認したんですけど、今日定時制の授業は通常通りあるみたいなんですよ。だから、教師も生徒もいるはずなんです」


「ふーん。定時制の生徒ってのはどこで授業を受けてるんだ」


「一階の下駄箱を右に真っ直ぐ行った先にある教室です。この時間は授業中のはずなので灯りが点いてないとおかしいんです」


 千は一瞬視線を逡巡させた後に、華茄を横目に見た。


「行ってみるか?」


「いいですか?」


「私は別に構わんが……ここに《累》が居るってんなら、灯りが点いてない理由はおそらく」


 千の言葉を遮るように華茄は笑顔を浮かべ、言った。


「分かってます。それでも、私は現実をちゃんと見なくちゃいけない義務があると思うんです。私が居なければ、死なずに済んだかもしれないんですから」


 千は無言で階段を下り始め、華茄も千に続いた。階段を下り切った所で千は右に曲がり、タクティカルナイフを左手に持った。グリップから刃を解き放つ。


「他の奴が死んでいくのは別にお前のせいじゃない。悪いのは全て、命を奪った側の奴だ。殺し屋も殺人鬼も関係ない。一人でも殺した奴は全員無条件で罪人だ。だから、お前のせいじゃない」


「ありがとう……ございます」


 俯き、震えた声で口にした華茄の額を軽く弾きながら、千は灯りが点いていない廊下を進み始める。


「私が居なければ、なんて考えは捨てとけ。それを言ったらイジメてた奴がいなければ、宍戸瑠璃が死ぬこともなかった。お前が悩む事じゃないんだよ。それにな、お前が居てくれた事で救いになった奴も少なからずいたんじゃないか?」


「だったら……嬉しいです」


「暴力団組長の娘ってだけで謂れなき誹謗中傷を受けたりするだろうし、それだけで距離を置く奴だっている。宍戸瑠璃も同じだ。本当に辛い時に差し伸べられた手は、それだけで救いになる。お前にとっては大した意味を持たなくても、受け取る側は意外と恩義を感じてるかも知れないぜ?」


 千が《青》に救ってもらった様に。気の利いた言葉ではなくても、拙くても、誰かが自分を想って掛けてくれた言葉はそれだけで傷付いた心には染み渡る。それは心の傷を癒す特効薬に成り得る。


 千が歩く速度を落とし、周囲を警戒しながら進んでいると、背後から緊張感のない穏やかな笑声が聞こえてくる。その笑声は間違いなく華茄の声。千は背後をを振り向き、華茄を怪訝に見た。


「なんだよ?」


「なんか素直に慰めてくれる梅村さん、気持ち悪いなあって思って」


「お前な……そろそろ緊張感持て」


「はい」


 頷き、笑顔から真剣な表情に切り替わった華茄を見て、千も無言で頷き、再び廊下を前進。壁に貼られた校内通信や新聞には目も暮れず、美術室、化学準備室、数学準備室、家庭科準備室を越え、『クラス1』と書かれた室名札の教室の扉前で二人は立ち止まった。


 教室内の灯りが点いていない事は一目瞭然で、若干扉が開いている事から、鍵が掛かっていない事は明々白々の事実。千はタクティカルナイフを右手に持ち替え、左手で扉に付いているグリップを握った。


 華茄を一瞥すれば、覚悟は出来てる、と言わんばかりの力強い眼差しを千に返し、厳かに頷いた。それを見て、千は迷う事無く、扉を全開まで開いた。ナイフを構え、教室内に進入する。


 カーテンが全て閉められているせいで月光すらも一切入らない真っ暗な教室に入った瞬間に気付く。常人より優れた五感が、第六感が自身の足下すらも見えない程に暗い教室内に蔓延している異常を即座に感じ取る。


 ポタポタと地面に律動的に落下する水滴の音。鼻腔を刺激する生臭い香り。教室の中央に一歩足を進める度に、足裏から柔らかい感触が全身に伝わってくる。


 色が識別できなくとも、床に落ちている物体が認識できなくとも、臭いの正体を判別できなくとも、分かる。ここまでの状況に踏み込めば、千でなくとも分かる。


「おい、鹿野華茄。灯り点くか、確かめてくれるか」


「は、はい。分かりました」


 教室の入り口付近で立ち止まっていた華茄がスマートフォンのライトを使用して、すぐさまスイッチの前に移動し、「点けます」と恐る恐る口にした後にスイッチを押した。


 蛍光灯に電気が流れ、白色の光を宿していく。眩い光に目を細めながらも、千は自身が立っている場所が教室の中央だという事を確認する。そのすぐ後に口元を押さえた華茄が壁に背中から激突し、ずるずると壁を伝いながら尻餅を着いたのが見えた。


 驚くのも無理はない。さすがの千も面食らっているのだから。あまりの驚きに乾いた笑声が零れ、上がった口角が震えているのが分かる。


 教室内に置かれた勉強机、椅子は全部で二十三台。それらは測定具で距離を計測したのかと思う程に全て綺麗に並べられており、大きな損傷は見られない。が、机も椅子もどちらも、元の色を失ってしまうほどに滴り落ち続ける鮮血によって赤く染まってしまっていた。


 鮮血を流している生物。それらは椅子に着席し、何も描かれていない黒板に身体を向けている。


 並べられた二十三台の机には二十三人の生徒が背筋を真っ直ぐに伸ばし、座っていた。


 首から上が切り離された状態で。


 二十三人全ての生徒の首が切断され、そこから絶え間なく流れている血液が床に落下し続け、床本来の木色は赤で染まりつつあった。


 背後で華茄が嘔吐した音が聞こえてくる。胃の内容物が床を弾ける決して心地良いとは言えない落下音。華茄が嘔吐した理由は首無し死体を見たから、だけではない。


 問題は机の上に置いてある物だ。


 千ですら、思わず顔を顰めた光景。物。


 机の上に置かれているのは首から先。人間の頭部。二十三人分の頭部が机に置かれ、そのどれもが目を見開き、光を失った瞳で黒板を見つめている。


 瞬きをする事もない、発言する事もない、授業中に居眠る事もない。永遠に授業を聞き続ける事を義務付けられた生徒達は悲しむことも、喜ぶ事もなく辛く険しい現実を諦観し、空虚な黒板を見つめている、様に見える。


 その死体と生首が並ぶ教室内で、千は一つだけ異質な遺体を見つけた。


 定時制の生徒に制服は存在しない。服装は自由であり、それ故に定時制の生徒達は私服で出席する者がほとんどだ。現に二十三人中、二十二人の生徒が私服で席についている。


 だが、一人だけ服装が私服ではない者が居た。


 春宵高校の制服を身に纏い、唯一黒板を見ていない生徒。


 久保ゆき。


 行方不明になっていた久保ゆきが窓際の最後尾の席に座り、机の上に置かれたボイスレコーダーを見つめている姿を千は漫然と見つめた。

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