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三十一

 《青》と入れ替わりで家を出た千が華茄の家に着いたのは時刻で言えば午後四時頃。空で言えば、澄明な青空はオレンジ色に染まり、世界は夕暮れに支配される時間帯。


 冷たい夕暮れに包まれながら、千は鹿野家のインターホンを押した。玄関前で待つこと数秒、インターホンから「あ、梅村さん、ちょっと待っててください」と華茄の声がマイクを通して響く。


 千が壁に背を預け、腕を組んだ数十秒後に扉は開き、全身白ジャージの上に茶色のダッフルコートを身に纏った華茄が姿を現した。華茄が着ているそれは学校指定のジャージではなく、千ですら知っている様な有名メーカーのロゴが刺繍されたジャージだった。


「お前、なんで全身ジャージなんだよ」


「動きやすい服の方が良いと思ったので」


 華茄の主張を千は鼻で笑った。


「今なんで鼻で笑ったんですか……」


「お前が動きやすい服を着た所で、お前の足は速くならないぞ」


「知ってますよ。馬鹿にしてるんですか」


 千は壁から背を離し、開いたままの扉の奥で千を見つめている女性二人に視線を送り、胡乱に微笑んだ。二人は素早く千から視線を外し、逃げる様に部屋へと消えていく。


 扉の奥で「マジで綺麗な人じゃん。お姉ちゃん、大丈夫かな……食べられちゃうんじゃ」「あらあら、華茄ちゃんもとうとう大人の階段上っちゃうのね。ちゃんと避妊具持ってるかしら」「いらないでしょ、女同士なんだし」と二人の会話が漏れ聞こえ、その会話を聞いた華茄は恥ずかしそうに俯き、視線を落とした。


「……すみません、母と妹が」


「別に構わん。お前が問題ならもう行くが、大丈夫か?」


 華茄は扉を閉め、鍵を締めた。


「大丈夫です。ちゃんと生きて帰るので」


「そうかい。なら、行くぞ」


 華茄は小さく頷き、先を歩き出した千の後をついて行く。黄昏時の藍色と赤色のコントラストが映える空が先の道を薄暗く照らし、点灯し始める街灯は夜の受け入れを始めていく。


 寒冷を増す冬の冷風を浴びると同時にコートの袖を手で握りながら、華茄は千の背に声を投げ掛けた。


「梅村さん、どこに向かうつもりなんですか?」


「人気がなくて、戦いやすい場所」


「え? 《累》って殺し屋を釣りに行くんじゃないんですか?」


「だから、《累》を釣れそうな場所で待機するんだ。奴も馬鹿じゃない。人目につくような場所に刀を引っ提げて現れはしない」


「確かに……。でも、来ますかね?」


「断定は出来ないが、《累》は私達の行動を何かしらの方法で監視してる。私達が朝に合流して、学校まで一緒に向かう事を知っていたのは私達と《青》だけだからな。《累》が知ってるとは思えない。が、奴はすぐにお前が私と一緒に居る事に気付き、お前を殺す為に動いた。どこかで見てたとしか思えないだろ?」


「だから、今もどこかで見てるって事ですか?」


 千は首を縦に振る。


 《青》と一緒に帰宅した時は《累》や他の殺し屋に狙われる様な事にはならなかった。つまり、《累》は華茄が千と共に居ない事を確認ができる場所に身を潜めていたか、もしくはその時間は監視できない状況だった、と考えるのが自然。


 そして、昨日《累》と鉢合わせたのが夕方過ぎ。それは宵と呼ばれる時間帯。現在の時刻とほぼ重なる。もう《累》本人が動きだしていると考えていた方がいい。


「ああ、そうだ。まあ何にせよ、《青》を一緒に行かせたのは不幸中の幸いだったな。久保ゆきの母親が昼間に来て、暴れたんだろ?」


「暴れたって言っても、《青》さんが平和的に対処してくれたので何も問題は無かったんですけどね。ほんと、警察沙汰にならなくて良かったですよ。《青》さん様様です」


「ある意味残酷ではあるけどな……」


 《青》は真実を知る機会を先延ばしにしただけ。これだけ宍戸瑠璃のイジメに関わってきた生徒達が死亡しているのだ。真実は近い内に必ず露呈する。


 その瞬間に、久保ゆきの母親だけでなく、イジメに関わった生徒の親達への認識は被害者から加害者へと変わるだろう。また、世間は面白い情報だけを記憶し、大袈裟に事実を改変する。


 《青》が直接手を下さなかったのは彼が優しかったからではなく、知っていたからだ。これから容赦なく世間から鉄鎚が落とされる事を。


《青》は死よりも辛い苦痛を久保ゆきの母親に与えることを選んだのだ。


「残酷……ですか?」


「私から見たらな。世の中には死んだ方が楽だったって思える状況が無数にあるもんだが、《青》は結構そういう手段を取るんだ。時間をたっぷり掛けて、粘着質に目標を追い詰めて。私はさっさと終わらせたいからすぐに手を下すけど」


 千は華茄の横へ移動し、突き当りを右に曲がりながら、ぶっきらぼうに言った。


「なんか意外ですね……。梅村さんはイメージそのままですけど」


「……まあ、今の《青》しか見たことないお前はそう思うかもな。けど、《青》も元々は私と同じ、殺す側だからな。歪で、狂った側面も持ってるって事だよ」


「《累》って人もですか?」


「お前、あんなのと私達を一緒にするなよ。私も《青》も狂ってた時期は確かにあるが、あんな変態じゃなかった。絶対にあんなのと一緒にするな。いいな?」


 自然と語気が強くなった千の言葉を聞いて、華茄の肩が小さく震え上がった。


「は、はい。なんで怒られたみたいになってるの……?」


 華茄が泣き言を漏らし、唇を尖らせながら俯く中、千達は目的地へとたどり着いた。俯いていた華茄も千が立ち止まった事で顔を上げ、眼前に佇む建築物を視界に収める。


「ここって天が通ってる中学校……」


 黄色と黒が交互に織り交ぜられた立ち入り禁止テープが校門に貼られ、よく見れば校舎にも同じテープが張られている建築物は鹿野華茄の妹、鹿野天が通っている中学校。


既に現場検証は終わっているのか、新旧共に学校の敷地内外に警察の姿は見られない。また、どちらの校舎も灯りは点いておらず、人の気配もない、様には見える。


 いるな……。


 校舎の中ではない。千から見て左側の校舎を囲むコンクリートの壁に隠れている人物が一人。もしくは二人。


 千は視線だけを左側へ僅かに動かし、体は微動だにしないまま、校門前に立ち続けた。立ち入り禁止テープをぼんやりと眺めながら、千が動かない理由が分からずに校門と千を交互に見ては首を傾げている華茄の腕を自然に掴んだ。


「早速ジャージが役に立つ時が来たぞ」


「え? それってどういう……」


「走るってことだよ!」


 千は華茄の腕を強引に引っ張り、右側に向かって全力で走り出した。急に走り出したせいで足元がおぼつかず、盛大に転びそうになった華茄を腋に抱えると、千は辻を右に曲がった。


 曲がる瞬間に右に視線を向けると、街灯に照らされて鮮明に浮き彫りになる二つのシルエット。どちらも男性。黒いスーツの上にコートを羽織り、整髪剤で固められた七三分けの黒髪とスキンヘッドが街灯の光で反射する。


 また、ほぼ全ての指に銀色に煌めく重厚な指輪がはめられている中、七三分けの右手の小指と薬指には指輪がはめられていなかった。


 千が一瞬で捉えた男達の特徴はそれだけ。


 だが、すぐに千は気付いた。七三分けの小指と薬指に指輪がはめられていない理由を。七三分けは指輪を故意にはめていないのではない、指輪をはめる指が無いのだ。


「警察……じゃねえな……」


 千達を追い掛けている二人が、今朝発見された殺人事件を追っている刑事の可能性も零ではないが、その可能性は限りなく低いだろう、と千は感じていた。彼等には警察官にはない荒々しさがある。人を殺し、傷付けてきた人間特有の研ぎ澄まされた刃の様な鋭さを感じさせられる。


「誰か追って来てますよ!」


 華茄が吠える様に大声を出し、背後を覗く。


「分かってるっての。顔覚えられると面倒だから、あんまり後ろ向くなよ」


 冷静に対応しつつも、千は差し掛かった十字路を越えると黒いワゴン車の横で立ち止まった。華茄を地面に下ろし、コートに付いているフードを目深に被せる。それから、駐車違反のシールが貼られた黒いワゴン車の前に華茄を座らせた。


 千は腰ベルトに括り付けてあるシースから幅広の刀身が特徴の和式ナイフを引き抜くと、それを右手で順手に持った。さらにポケットから折り畳み式のタクティカルナイフを取り出し、グリップからブラックコーティングが施された黒い短刀の様な刀身を露わにさせ、それを左手に逆手で持つ。


「お前はそこに隠れてろ。私がいいって言うまで絶対に顔出すなよ」


「梅村さんはどうするんですか?」


 焦りと緊張が多分に含まれた華茄の声に千は口角を歪に上げた。


「私は少し話を聞きに行ってくるだけだ。安心しろ、すぐに終わる」


 《累》に関わる者か、警察組織の人間か、それとも裏社会に準ずる人間か。


 千は二歩前に出ると、右手を僅かに前に突き出し、左手を自身の体に重なる様に後方に回した。黒い刀身を持つタクティカルナイフは街灯の光に反射する事は無く、刀身は夜闇に同化し消えていく。


 銀色の刀身を持つ和式ナイフを街灯の光に故意に反射させ、全速力で向かって来ている男二人の視線が和式ナイフに固定されるように誘導していく。何度も光を刀身に当て、反射させつつ、千は腰を僅かに落とした。息を吐き、脱力。


 どっちに聞くべきか……。


 千と男達の距離は約十五メートル。千は瞳から熱を殺し、冷静沈着にナイフの切っ先を七三分けの男に向けた。小指から順にナイフを握り直し、最後に親指に力を入れ直す。牙を研ぎ澄ます様に息を吐き、千は十メートル程までに接近してきている男達に向けて笑みを溢す。


 銀色に煌めく和式ナイフを視界に入れた男達は、慣れた手付きで懐から拳銃を取り出し、それを千に向けた。銃口が正確に千に向けられ、人差し指が素早く引き金に添えられる。


 分かる。あの引き金を引けば、真っ直ぐに弾丸は千に激突する。拳銃の持ち方、視線、立ち方、呼吸、全てにおいて迷いが見られない。あの男達は拳銃を使い慣れている。いや、人に向けて撃つ事に慣れ過ぎている。


 拳銃を向けた瞬間にじりじりと千に近付き始めた男達は十字路に差し掛かり、一歩進む度に街灯が二人を鮮明に照らし出していく。


 そして、男達が千の容姿をまともに捉えた瞬間に精悍で威圧的にも感じられた真顔が、下卑た笑みに変わる。追っていた人物が女だと知って、明らかに二人から隙が生まれたのを千は如実に感じ取っていた。


 千に向けられていた銃身が脱力したかのようにゆっくりと下がっていく。拍子抜けだ、と言わんばかりに二人は顔を見合わせ、懐に拳銃を戻した。


 このまま何事もなく、この場を立ち去ってくれるならば、千もナイフを下げようと思っていた。だが、男達は一向に立ち去らない。そればかりか、ナイフを構えたままの千に丸腰で近寄っていく。


 千は右手を下げ、朗らかな笑顔を即時に作り、浮かべた。和式ナイフをシースにしまう。


 千がナイフをシースに戻した事で男達は更に警戒心を薄め、十字路のほぼ中心まで進んだ。


 その瞬間だった。

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