二十七
「目が赤い……」
千と《青》が同時に華茄を横目で見た。
「……だれ?」
絞り出したように紡いだ、緋乃のか弱い声に華茄は何度も瞬き、表情を緩ませた。
「かわいい……」
華茄の感想を聞いた千と《青》は相好を崩し、若干怯えた様子の緋乃に二人は近寄っていく。千の右足に抱き着いた緋乃を千は抱き上げ、背中を柔い力で擦る。
「大丈夫だ、緋乃。こいつは悪い奴じゃない。ほら、自己紹介してみろ」
緋乃は千の上着を力一杯に掴みながらも華茄を見て、震える唇を動かした。
「……緋乃」
たった一言だけだが、緋乃にとっては初めての自己紹介。上々の出来だろう。千と《青》は「初めてにしては上出来だな」「そうね」と緋乃をべた褒めし、頭を撫で、頬をつまみ、背中を擦った。
二人が赤い瞳の子を抱え、微笑んでいる光景を見て、呆然としていた華茄はすぐに現実に戻り、緋乃に微笑みかけた。
「は、初めまして、緋乃ちゃん。私は鹿野華茄って言います。えーっと、梅村さんと《青》さんとはお仕事で知り合って」
緋乃は首を傾げ「……梅村さん? 《青》さん?」とぼやきながら、千を見上げた。
「私と前田のことだ」
《青》が憎悪を滲ませた様な恨みがましい視線を千に向ける中、緋乃は納得する様に口を半開きにし、首を縦に振った。
「……千ちゃんと前田のお友達なの?」
「え? 友達というか」
救いを求める様に千と《青》をチラチラと見る華茄に千は「まあそんな感じだ」と助け船を出しつつ、華茄に一歩近寄った。
「そ、そうだよ。私は二人の友達だよ、緋乃ちゃん」
「……ほんとう?」
《青》を見上げる緋乃の頭を撫で、《青》は笑顔を浮かべながら言った。華茄が苦笑する。
「本当よ、緋乃。華茄ちゃんと私達は友達」
その次に緋乃は再び千を見上げ、千が小さく頷くと、最後に華茄に視線を移した。誰もが緋乃の動向を見守る中、緋乃は淡々と言った。
「……よろしくね、華茄ちゃん」
緋乃の言葉に満面の笑みを浮かべると華茄は緋乃と強引に握手した。華茄の勢いに少し引き気味の緋乃だったが、悪意はないと感じ取ったのか千達に助けを求める事はしない。千達も表情が緩みまくった、かなり気持ち悪い華茄を止めはしなかった。
緋乃は千達以外の人間と関わった事がほとんどない。記憶を失う前は分からないが、それでも千達の下にやって来てからは、千達以外に関わった人物は皆無。本人の正体や千達の素性によって、これからも千達以外に誰かと関わっていく事はほとんど無い。
故に、この少女との邂逅は千達にとっては有り難い。場合によっては華茄を危険に晒してしまう可能性があると分かっていても、閉ざされた人間関係を歩み続けなければならない緋乃にとって、表と裏の中間に存在する華茄は稀少な存在だ。
「このために華茄ちゃんを連れてきたの?」
こっそりと耳打ちをする《青》に千は微笑みかけ、緋乃を床に下ろした。華茄と二人で開かれたままのテキストに向かって行く姿を眺めながら、千は口を開く。
「私達は真っ当な生き方を緋乃に教える事は出来ない。……だから、もしも私達が緋乃に真っ当な未来を残せたとしたら、少しだけでも信用できる奴を緋乃の側に残しておきたい」
「そうね……」
二人は華茄と一緒にカタカナを書いている緋乃の変わらない表情を眺め、安穏と微笑んだ。
いつか私達は緋乃と別れる時が来る。逃れられない死の運命を、私達はきっと覆すことが出来ない。でも、その過酷な運命に緋乃を巻き込むつもりはない。
私達が居なくなっても、誰かが緋乃の側に居てやって欲しい。守ってくれなくていい。緋乃が寂しくて泣かない様に、私達のことを思い出す暇がないくらいに楽しい思い出で満たしてやってほしい。
その幸福な時間があまりにも短かったとしても。
いつか、再会する日が来た時に緋乃が笑顔で私達の名を呼べるように。




