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二十五

 朝の六時。六時三十分にセットされた《青》の目覚ましよりも早く鳴りだしたスマートフォンのけたたましい着信音によって、千達三人は目を覚ました。緋乃に至っては驚きのあまり、勢いよく千に抱き着いてしまっている。


 枕元に置かれたスマートフォンを《青》は手に取ると眠気眼で表示された画面を見た。


「華茄ちゃんからだわ。何かしら」


「送迎ならしないぞ。緋乃、大丈夫だ」


 千は、抱き着いたまま体を震わせている緋乃の背を優しく擦りながら言った。通話ボタンを押し、スマートフォンを耳に押し当てている《青》を横目に千は自身の携帯電話を開き、時刻を確認した。午前六時八分。本来なら、まだ起床しなくてもいい時間だが、千は携帯を閉じ、そのまま起床する事に決めた。


「緋乃、トイレ大丈夫か?」


「……あんまり大丈夫じゃない。でも、怖い」


「そうかい。なら、一緒に行くか? 私もトイレ行きたいしな」


「……うん」


 千は緋乃を抱えながら、器用に起き上がった。電話中の《青》を踏み越え、リビングに置いてある石油ファンヒーターの運転ボタンを押しながら、トイレまで一直線に進んだ。


 トイレの電気を点け、緋乃を床に下ろす。


「先に済ませてこい。私は後でいいから」


「……そこから動かないでね」


 千のTシャツを掴み、懇願する様に見上げる緋乃の頭を柔く撫でると千は彼女の背中を押した。


「ちゃんとここにいるから早く行ってこい」


 首を縦に振った緋乃がトイレに入ったのを見送った後、千は扉を閉めた。壁にもたれ掛かり、緋乃の帰還を待つ。一分ほどで緋乃は用を足し終え、千もすぐに用を足し終えた。二人はキッチンで手を洗い、ファンヒーターの前に移動。轟々と温風を吐き出している温風噴き出し口の前に二人は手をかざした。


「《青》が見たら怒るだろうが、まあいいか」


 《青》がこの場に居たら間違いなく「火傷するからやめなさい」と注意されるが、《青》は今も華茄と通話中。こちらに見向きもしない程に会話に集中している様だった。


 千はファンヒーターの前からキッチンに移動し、二つグラスを取り出すと、そこに冷たい牛乳を注いだ。牛乳を一気に飲み干し、グラスをシンクに置くと、千はファンヒーターの前に座っている緋乃にグラスを手渡した。「……ありがとう」と礼を告げる緋乃の頭を撫でた後に、千はクローゼットから緋乃用の半纏を引っ張り出すとリビングに戻った。


「緋乃、手広げろ」


 緋乃は千が手に持っている犬の絵が刺繍された半纏を見て千の言葉の意図を理解したのか、手を顔の高さにまで上げた。慣れた手付きで緋乃の腕に袖を通し、腹部の前で紐を結ぶ。しっかりと着られた事を確認すると、千と緋乃は再びファンヒーターの前に居座った。


 そして、その五分後に《青》は電話を切り、リビングへと重苦しい表情を浮かべながら現れた。彼は何も語らず、視線だけで「ファンヒーターの前には座るなって言っただろ?」と千と緋乃を戦慄させ、二人を机の前に誘導した。


 移動した千の前に腰を下ろした《青》はスマートフォンを机に置くと、口を開いた。


「昨日、華茄ちゃんを追い回した生徒が五人いたと思うんだけど、覚えてる?」


「ああ、覚えてるけど」


「全員殺されたそうよ」


「は?」


 自然と冷たい口調になった千を《青》は鋭い視線で見返した。


「それとイジメの主犯だった鳥居正樹は今朝ジョギング中にトラックに撥ねられて死亡。北山彰は部屋で首を吊って自殺。久保ゆきは現在行方不明だそうよ」


「鹿野華茄がそう言ったのか?」


 《青》は真面目な表情を浮かべ、首を縦に振った。


「華茄ちゃんの従姉妹が警察官でこっそり教えてくれたらしいわ」


「鹿野華茄を追い掛けてた五人はどうやって殺されたんだ?」


 誰が彼等を殺したのかは、既に見当がついていた。確信している。脳裏にちらつく鴉の仮面が鮮明に浮かび上がる。


「斬首。千ちゃんが《累》を殺した方法と同じ」


「殺したのは《累》で間違いないだろうな。だが、主犯の三人の殺し方が奴らしくない。奴は止めを刺す時、必ず刀で斬り殺す事にこだわりを見せていた。わざわざ首を斬ったのは私へのあてつけだろうが、主犯の三人を自殺に見せかけて殺したってのが引っ掛かるな。いや、一人は行方不明だったか」


 千は上唇を指でなぞる様に触れ、長考に入った。


 主犯の内の二人、鳥居正樹と北山彰は事故死と自殺に見せた殺人で間違いないだろう。この状況下で事故死と自殺が同時発生するとは思えないし、《累》が千達の前に現れた翌日に起きたという事は《累》が関わっている事は間違いない。


 だが、腑に落ちない点が千にはあった。


 《累》が当時から見せていた斬殺への執着は千から見ても異常だった様に思う。自らの剣技に心酔し、過信し過ぎていた故に死んだ愚かな剣士。それが《累》に対する千の認識。そんな死ぬ間際ですら剣を手放さなかった剣依存症の男が斬殺以外の殺害手段を取った事に千は内心で驚きを隠せなかった。


「……もしかしたら、鳥居正樹と北山彰を殺したのは別の人間かも知れないわね」


「かもな。何にせよ、一夜にして私の仕事が無くなったわけだが」


「まだ久保ゆきが残ってるわ。それに華茄ちゃんの護衛もあるんだから。今日は掃除のおばちゃんとして高校に行って来なさい」


「久保ゆきはもう死んでるんじゃねえか? 久保ゆきを生かしておくメリットが見当たらない」


「そうかもしれないけど、千ちゃんは華茄ちゃんに依頼された目標を一人も殺してないんだから、本来なら依頼失敗で片付けられてもおかしくないのよ? それを華茄ちゃんが護衛してくれるなら依頼料は払うって言ってくれたから何とかなったけど」


「さっきまでそんな会話してたのかよ」


 やたらと長電話だったのはそれか、と思いながら千は丸机に肩肘を着いた。


「って事で千ちゃんが毎日華茄ちゃんを学校まで送迎する事になったからよろしくね」


「よろしくね、じゃねえよ。面倒な仕事まで引き受けやがって」


「もう決まった事だから、つべこべ言わないの。さ、緋乃。朝食作るから手伝ってくれる?」


「……うん」


 キッチンに消えていく緋乃と《青》を尻目に、千は《青》のスマートフォンで時刻を確認し、洗面台に移動。着用していた衣服を全て脱ぎ、洗濯籠に放り込むと、そのままバスルームへと移動。素早くシャワーを浴び、十分もしない内にバスルームを退出。タオルで豪快に体を拭いた。


 そして、下着姿のままリビングに入り《青》に注意されながら、千はクローゼットを開けた。


 白い無地の長袖Tシャツを着て、淡い紺色のジーンズパンツを穿き、上着を片手に持つと千はクローゼットを閉めた。リビングへと移動し、そのままキッチンに移動。使わなくなった大鍋に乗り、小さな手で味噌汁を掻き混ぜている緋乃の背中を眺めながら、千はグラスに水道水を入れ、一気に飲み干した。


「もう少しで出来上がるから、座って待ってていいわよ」


「ん? ああ、そうだな」


 千はグラスに水を再び入れ、机の前に腰を下ろした。その五分後に食卓には味噌汁と卵焼き、鮭の塩焼きが並び、全員が机を囲む様に腰を下ろした。手を合わせ「いただきます」と全員が言った後に千達は食事を開始する。


 千は味噌汁を一口啜り、穏やかに微笑んだ。


「美味い……」


「今日の朝食は全部緋乃が作ったのよ。良かったわね、緋乃。この女はね、自分は一切家事をしないくせに味にはうるさいのよ?」


 笑顔で千への愚痴を緋乃に零す《青》を無視して、千はもう一口、味噌汁を啜った。


「……千ちゃん、美味しい?」


「ああ、美味いぞ。上達したな」


 緋乃の頭を撫でた後に、千は金色に輝く卵焼きを箸で一口大に切り、口に入れた。絶妙な甘さと卵の風味が口に広がり、自然と二口目に箸を伸ばしていた。美味しい、と内心で思っていると、緋乃が卵焼きの感想を求めてか箸を止め、千を見ている事に気付き、千は卵焼きを飲み込んだ後に口を開いた。


「ちゃんと美味いから、お前も早く食べろ」


 少しだけ期待外れ、と言った様な、落胆した様な微妙な反応を見せた緋乃は止まっていた箸を動かし、食事を再開。それを見ていた《青》がすぐに溜息を溢した。


「何でそんな言い方しちゃうのかしらね、この女は」


「ちゃんと美味しいって言っただろ」


「そんな適当な言い方されて嬉しい訳ないでしょう?」


「はあ? なら……緋乃、美味しかったぞ」


 一度咳払いをした後に千は声を作り、大袈裟に言った。が、緋乃の表情は変わらず、無言のまま十秒が経過。無表情で千を見つめる緋乃から視線を逸らし、不満顔で千は《青》を見た。


「おい、全然嬉しそうじゃねえぞ」


「戸惑ってるだけでしょ、そんな急に言われて」


「そんなもんかね」


「そんなものよ」


 二人は緋乃の耳が真っ赤に染まっている事に気付かないまま食事を終了し、千は歯磨きを、緋乃と《青》は食器を洗い始めた。五分程で歯を磨き終えた千はリビングに戻り、財布と携帯を上着のポケットに突っ込んだ。


「じゃあ、私はそろそろ行くかな」


「駅までは車で送ろうか?」


 玄関に移動し、靴を履きながら、千は首を横に振った。


「いや、いい。まだ時間に余裕はあるし……」


 お前には家事全般任せてるからな、と言い掛けて、結局言うのを止めた。爪先を数回叩き、靴の履き心地を微調整する。それから扉の鍵を開け、千は扉を開けた。開いた瞬間に流れ込む冷たい空気に千は体を震わせるも、そのまま外へ出た。


「じゃ、行ってくる」


「……いってらっしゃい」


「おう、良い子で待ってろよ」


 少しだけ寂し気に言った緋乃の頬を千は両手で包み込み、上下に擦った。大きな瞳が千を真っ直ぐに捉え、そこに映る千は安穏とした笑みを浮かべている。


「気を付けてね。何かあったらすぐに電話してよ?」


「分かってるって」


 緋乃の頬から手を離し、次に頭を撫でると千は二人に背を向け、歩き出した。背後で扉が閉まる音と鍵が掛けられた音がほぼ同時に鳴ったのを小耳に、千は階段を下りていく。


 スーツを着たサラリーマンや学生と時折すれ違いながら、千は閑寂な商店街に入った。居れば声を掛けようと思っていた高原精肉店はシャッターが降りており、開店の兆しが皆無だったため、千は素通りし、あっという間に商店街を抜けた。


 そのまま春宵高校の前も通り過ぎ、駅方面へと寄り道せずに向かう千はコンビニに立ち寄り、ミネラルウォーターを一本購入。ミネラルウォーターを片手にコンビニを出た千は丁度、商店街方面へと歩いていた高原敦久と樹に鉢合わせた。

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