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二十四

 コール音が鳴ったすぐ後に電話は繋がり、疲労感と睡魔に襲われている様なぼやけた女性の声が聞こえてくる。


「……どうしたんだい?」


「ごめんなさい夜分遅くに、今大丈夫かしら?」

 

「大丈夫だよ。昼に何度も電話くれていたみたいだけど、同じ用件かい?」


 慧が言う様に《青》は正午に一度も繋がる事はなかったが何度か慧に電話を掛けていた。


「ええ、一応ね」


「そうか、電話に出れなくてすまなかったね。それで用件はなにかな?」


「一つは画像に施されたモザイクの除去ね。簡単に言えばモザイクを綺麗に取り去ってほしいのよ。一応、私もやってみたんだけど、上手く画像を復元できなくて」


「それくらいなら写真を送ってくれればすぐに復元できると思う。後で送って置いてくれるかな? 次の用件はなんだい?」


 大きな欠伸を掻いた後に慧は眠そうな声で了承した。


「ありがと。二つ目は用件という程でもないんだけど、《白》の行方、知らないかしら?」


「どうして私が知っていると思うんだい?」


 電話の向こうで楽し気に言う慧に《青》も楽し気に微笑み返す。


「慧は私達と違って被験者じゃない。実験する側だった。だから、私達が知らない情報を持っていても何もおかしくはない。それに慧は数多くいた科学者の中で唯一《白》に信用されてたでしょ? 本当は何か知っているんじゃないかしら? と思って」


「信用されていたかは分からないけど、科学者の中で私が最も《白》と関わる機会が多かったのは事実だね。それ故に君達が知らない情報、国にあえて報告しなかった情報なんかも知っている。けれど、さすがに《白》の居場所までは分からないかな」


「そう。なら、梅村流水の居場所は?」


「梅村流水……行方不明になっている千の父親で合っているかな?」


「ええ。合っているわ」


 少しごめんね、と慧が言った後に紙が擦れる音がスマホのマイクから零れ出す。そして、紙の束が床に落下したかの様な音が電話の向こうで響いた後に慧は「おまたせ」と疲労感たっぷりの声と共に電話口に現れた。


「詳細な居場所という訳ではないんだけど、今は警察官をしている私の大学の後輩が、一年ほど前に右腕を失くした男性に職務質問したって話を思い出してね。年齢は推定五十前後。身長は百八十センチから百八十五センチ辺り。体型は細身で、だが痩せ過ぎてもいない。一応、特徴は一致するだろう?」


「一致はするけど……慧あなた、まだ連絡取ってる人間が私達以外にいたのね」


「……一人だけだよ。と言っても、直接は会ったりできないけどね。まあ私の話はいいよ。どうして急に千の父親の行方を? 千の為かい?」


「いえ、私の為よ。父親と千ちゃんの拗れた仲を取り成すつもりは一切ないし、過去に起きた問題ときちんと向き合って、千ちゃんに成長して欲しいわけでもない。ただ、一発ぶん殴ってやらないと私の気が済まないだけ」


 慧は「そうか」と一言だけ言った後に、大きく鼻息を吐いた。


「……千と梅村流水の間に何があったのか、聞いてもいいかい?」


「実験が終わってからは当然だけど、私も千ちゃんも別々の場所に帰ったじゃない? 私は慧達が用意してくれたアパートに、千ちゃんは実家に戻った。私が千ちゃんと再会したのは実験が終わった三年後、千ちゃんが十五歳になる年だったの」


「どこで、再会したんだい?」


 察しが良くて助かるわ、と内心で思いながら、《青》は紺碧の夜空を眺望した。


「病院のベッドの上よ。私は働いていたバーのママのお見舞いで病院に出向いたんだけど、偶然同じ病院に千ちゃんも入院してたの」


「稀有な体験だね。それに三年も経っていたのによく千だと分かったね?」


「あんなに綺麗な顔した子を早々忘れる訳ないじゃない。すぐに分かったわよ」


「十二歳とは思えない程に完成された容姿をしていたからね、千は。科学者の間でも噂になっていたよ。それで千はどういう名目で入院していたんだい?」


「腹部外傷よ。千ちゃんは自分の子宮を正確にナイフで刺したの」


 電話越しでも聞こえる慧の鼻息に《青》は苦笑を漏らした。すぐに慧は返事をせず、沈黙を貫いたまま三十秒ほどが経った後だ。慧は何かを啜った後に言葉を紡ぎ始めた。


「千は死ぬつもりだったのかな?」


「いえ、自殺するつもりはなかったみたい。椿さんが千ちゃんにした殺し屋としての英才教育が功を奏したのか、仇となったのか、千ちゃんは一命を取り留めた。子宮と引き換えにね」


 幾重にもナイフで貫かれた子宮は縫合も再生も見込めない程に損傷が激しく、後に千からも子宮を完全に壊すつもりで刺したと聞いている。


「損傷が激しかった子宮を調べていく内に千ちゃんがどうして子宮にナイフを突き刺したのかが分かったのよ」


「もう大体予想がつくけどね、そこまで聞けば」


 怜悧で聡明な頭脳を持つ慧でなくとも、ここまでの事情を聞けば、千が自傷行為に奔った理由を絞り込むことが出来る。当時の《青》もそうだった。梅村椿から聞き得た実際の状況と、ベッドに縛り付けられていた千が天井を見上げていた際に向けていた虚ろな瞳。それらを見聞きした瞬間に、漠然と確信した。


 梅村千が受けた屈辱的な仕打ちを。


 過酷な実験が続く日々を経て、半壊していた千の精神を唯一繋ぎ止めていたもの。


 両親への愛情でも、信頼でもない。それらは彼等が千を実験に参加させたことで完全に失われた。


 千が自我を保つために最も心の拠り所にしていたものは、自信だ。プライドと言ってもいい。


 親愛が薄れても、信頼が霞んでも、千は両親を尊敬していた。類稀なる戦闘技術を持つ両親に育てられたという自信。その二人に殺し屋としての矜持を学ぶ日々に不満を述べつつも、心の底では満足していたのだと、彼女は言っていた。


 その時の事を彼女は覚えていないだろうけれど、弱り切った彼女は一度だけ《青》に本音を溢した事がある。


『分からないんだ……もう何もかもが……。私が信じてきたものは全部壊れていく。私が手を伸ばそうとすれば全部が離れていく。《青》……。私はどうすればいい……。もう一人は嫌なのに……私は殺した。私を壊した存在を。私を助けてくれたかもしれない存在を。《青》……私はどうすればよかった? 私は……あの時どうすればよかったの?』


 泣きながら私に縋った千に私は答えを言ってあげられなかった。私自身、答えを持ち合わせていなかったから。


だから、私は側に居る事にした。


 鹿野華茄が宍戸瑠璃にそうした様に。私も梅村千の側に居る事に決めた。何も出来なくても、ただ彼女の側に居て、辛い時に支えてあげられる様に。彼女が受けた傷を癒すことが出来なくても、和らげてあげられる様に。


 私は彼女の側で彼女を守り続ける事を決めた。


 《青》は綺麗な星空に白息を吐き捨てた。


「千ちゃんが自ら壊した子宮の内膜から着床した受精卵が見つかったそうよ。千ちゃんと梅村流水の受精卵が」


 左手を思わず強く握り締める。半壊していた千の心を完全に壊した最大の要因。梅村流水は実の娘である千を強姦し、妻である椿によって利き腕を切断され、追放された。当時十四歳だった千もある程度の性の知識は持ち合わせていた。当然、子供が作られるメカニズムは知っており、自身に妊娠の可能性があった事も理解していた。


 千は妊娠していない可能性に縋ったのだろう。だが、現実は千の願いを無視し、辛い現実を千に与えた。停止する生理。変調を来たす肉体。千は自身が妊娠している事に気付き、そして壊した。


 それが、千が初めて殺した人間。彼女が自らの意思で手を下した最初の人間は自分の子供だった。


 名前も無い、性別も無い、まだ命を吹き込まれてすらいない存在を千は壊した。母になる権利と共に。


「蓮路が聞いたら、泣いて喜びそうな話だね」


 慧は穏やかな口調の中に怒りを覗かせた様な声色で言った。


「三年くらい前に《()()》って都市伝説が流行ったの覚えてる?」


「ああ、蒼い瞳をした鬼が夜な夜な人を斬り殺すって都市伝説だよね」


「その都市伝説は千ちゃんがモデルなのよ」


 病院を退院してからの彼女は本当に鬼の様だった。同業者から恐れられるほどの剣技を誇っていた殺し屋《累》を容易く惨殺し、表も裏も関係なく人を殺して回る日々。


 蒼い瞳を浮かべ、四本のナイフを巧みに操る若い殺し屋。梅村椿の再来とも呼ばれ、斬殺を繰り返す千のことを皆《蒼鬼(あお)》という蔑称で呼び、その異名は数ある都市伝説に並び称される程に畏怖され、世を恐怖の渦に陥れた。


 全てが、壊れた千の成した所業。溜め込んだ怒りを、嘆きをどこに向けていいのか分からなかった千が世界に対して行った八つ当たり。


 今回の依頼もそうだ。何だかんだと理由を付けたが、依頼を引き受けた本当の理由は千と似た境遇に陥った宍戸瑠璃を殺した男達に、千が八つ当たりできる環境を《青》が勝手に用意したかっただけ。その行いに意味があるとは思わない。


けれど、何かしたかった。


 今も千の中で疼き続けている傷を何とかして癒してあげたかった。生まれてから今までずっと泣き続けている彼女の涙を止めてあげたかった。


 けれど、最近の彼女を見ていると、その役目はもう私ではないのかもしれないと思う様になった。彼女は緋乃と出会ってから、自然な笑みを浮かべる様になった。人に嫌われる事を恐れる様になった。意識を前に向ける様になった。


 私が出来なかった事を、私の娘が叶えてくれている。悔しくもあり、嬉しくもある。そして、寂しくもある。手塩に掛けて育てた娘が自らの手を離れていく時の親の気持ちに近いのかもしれない。


「《蒼鬼》なんて呼ばれて恐れられてた子が、今は私と《白》の子を育ててるんだから、お笑い種よね」


「あー《白》の子供と言えば、君達がゴミ袋の中から見つけた住所があっただろう?」


「ええ。何か分かったの?」


 緋乃が入れられていたゴミ袋には宅配便を送る際に書く必要がある送り状が一緒に捨ててあった。そこには届け先と依頼人の住所が書かれており、そこに向かう前に《大蛇》に緋乃を攫われ、その対応や引っ越しなどで時間を取られ、結局《青》達は行けず仕舞いになっていた。


「送り状に書かれていた二つの住所を後輩に調べて貰ったんだが、依頼人の住所には今は誰も住んでいない空き家があるだけだったらしいよ。一応、前に住んでいた住人を調べてもらったが、その住所に住んでいたのはもう十年も前の事らしい。《白》の子供とは関係ない人物だろうね」


「届け先は?」


「届け先の住所も似た様なものだよ。十年以上前に潰れた廃工場があるだけだった」


「でも、写真に写ってた送り状って半年くらい前に新しくなったデザインと同じデザインだったわよね?」


 千が撮影した写真に写っていた送り状は全国的に規模を広げる大手宅配サービスが発行している送り状だ。そして、その送り状は半年前にデザインを一新し、以前のデザインとは一目で違いが分かるほどに変化を遂げている。


 そうなると、誰も住んでいない空き家の住人が、今は潰れている工場に何かを届けようとしたという事になる。おかしい、誰がどう見てもそう思わざるを得ない。


「そうなんだ。過去に使用した送り状を偶然捨てたのか、とも思ったがデザイン的にそれは有り得ない」


「でも、何のためにそんな事をする必要があるのかしら。身元を特定されたくなくて自分の住所を誤魔化そうとしたのなら分かるけど、届け先が廃工場ならそんな偽装工作必要ないわよね」


「どうだろうね。廃工場をあくまで荷物を受け取るためだけの中継点にしたと考えるのならば、意味はあるのかもしれない。まあこんな送り状が入っているゴミ袋に《白》の子供が入れられていたっていうのが最も不審な点ではあるんだけれどね」


「そうなのよね。ここまで来ると私達の住むアパートに捨てたのも意図的だったんじゃないかって疑いたくなるわよ」


「私は意図的だと思っているよ。君達が住むアパートに《白》の子供を偶然捨てるとは考えにくい。誰かが何かしらの思惑で君達の下に捨てたのは間違いないと私は思う」


「認めたくはないけど、その通りなのよね」と《青》は苦笑し、顎髭を擦った。千と《青》が住んでいるアパートに緋乃が入ったゴミ袋を捨てる確率は限りなく低い。誰かが意図的に捨てなければ、一生巡り合わせない確率だ。


 《青》達の素性を知り、緋乃の正体も知っている人物。その条件に当てはまる人間は《青》の知り得る限り、一人しかいない。


「《白》……じゃないわよね?」


 慧は匙を投げた様な乾いた笑い声を溢した。


「どうだろうね。現状で最も可能性が高いのは確かに《白》だけど、まだ結論を出すには時期尚早な気もするかな、私は」


「そうね。《白》の犯行だと思わせたいのかもしれないし、まだ結論を出すには早いわよね」


 瞑目しながら言った後に瞼を開けば、部屋の中では必死に千の肩を揺する緋乃の姿があった。渋々起床する千に緋乃は何かを告げ、それを聞いた千は驚愕と動揺を表面化し、すぐに飛び起きた。緋乃を抱え、脱兎の如くリビングを出て行く。


 呆然と部屋の光景を見ていた《青》はリビングから出て行った二人の姿を見て、ハッと我に返り、口を開いた。


「ごめん、慧。ちょっと緊急事態みたいだから電話切るわね」


「分かった。モザイク除去の件は写真を送ってくれれば、すぐにやっておくよ。何なら明後日にでも《白》の子供と一緒に家に」


 慧が全てを言い切る前に《青》は電話を切り、ベランダから部屋の中へと移動した。暖かい空気が全身を急激に包むと同時に上着を脱ぎ捨て、《青》もリビングを駆け足気味で出て行く。


 リビングを出て、短い廊下を進むと玄関の真横に設置されたトイレの扉前に千は立っていた。瞼は半分ほど閉じ、頭が何度も落ちそうになっている。《青》の接近に気付くと眠気眼を千は《青》に向け、大きな欠伸を漏らした。


「我が家のお姫様はトイレを所望らしい」


「間に合ったの?」


「ギリギリな」


 苦笑し、目尻に溜まった涙を拭う千は扉越しに聞こえてくる水が流れる排水音を聞いて、扉から少し距離を取った。《青》もそれにつられて彼女と共に距離を取る。


 そのすぐ後にトイレの扉が開き、少し肩を落とした様子の緋乃が姿を見せた。股が濡れている様子はない。どう見ても、間に合った様に見えるが緋乃は恐る恐ると言った様子で千を見上げた。


「どうした、緋乃。間に合わなかったのか?」


 からかう様に言った千の言葉に緋乃は首を横に振った。


「なら、どうした?」


「……千ちゃん、お仕事で疲れてるのに」


 千は俯いてしまった緋乃を抱き抱えるとトイレの電気を消した。


「今さらそんなの気にするな。私はお前をトイレに連れてったくらいで力尽きる様なやわな体力してると思うか?」


 緋乃は千の腕の中で頻りに首を横に振る。


「だろ。私はこんな事で倒れたりしないんだ。だから、もっと気軽に言ってこい。トイレくらい何回でも連れてってやるよ」


 緋乃の頬をつまみ柔い力で引っ張る千を無表情で見つめる緋乃だが、その頬は僅かに染まり、視線をすぐに外す様を見て、《青》はすぐに気付いた。それを言葉にはしない。言葉にするのはあまりにも残酷だから。


「さあ、早く戻って寝ましょ。ここは寒いわ」


 《青》は千が引っ張っていない方の緋乃の頬を優しく摘まんだ後に、リビングに向かって先に歩き出した。リビングに脱ぎ捨てた上着をクローゼットにしまい、千と共に布団に入った緋乃の頭を撫でる。それから《青》も自身の布団を敷き、そこに潜り込んだ。


「おやすみ、緋乃、千ちゃん」


「……おやすみ、前田」


 噴き出した千が笑いを堪えながら、《青》に視線を向けた。


「おやすみ、前田」


「明日、起こしてあげないわよ?」


「悪かった」


「早く寝なさい、明日から本格的に動きだすんでしょ?」


「ああ。明日も帰りが遅くなると思う」


「了解。気を付けてね」


「おやすみ、《青》」


「おやすみ、千ちゃん」


 《青》はリモコンを操作し、灯りを消した。瞼を下ろす。完全な暗闇の中で《青》は慧が何かを言い掛けていた事を思い出すも、すぐに忘却の彼方へと追いやり、意識を睡眠へと向けた。

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