十五
千と華茄が図書室に向かうと、入り口の無駄に荘厳なガラス張りの扉の前で笹木辺は呆然と立ち尽くしていた。千達がやや駆け足で近付いていき、二人の接近に気付いた笹木辺が嬉しそうに表情を緩めた。
「どうした? もう終わらせたのか?」
笹木辺は大袈裟に首を横に振る。
「違います。中を覗けば分かるのですが、会議に使うから掃除は後にしてくれ、と言われてしまいまして」
笹木辺に言われるがままに、千と華茄は図書室を覗き込んだ。確かに大人達が机と椅子を並べて、会議している様には見える。
「会議室とかあるんじゃないのかよ、普通。仮にも私立高校だろ」
「今は教育委員会の方達が来ているみたいですから、そちらに使っているんじゃないでしょうか。他にも客人が来ているのかもしれませんし」
「かもしれないな。にしても、大人数で集まってるな。何の話してるんだ?」
一目見ただけでも二十人は間違いなくいる。全員がコピー用紙をホッチキスで止めただけの簡易的な書類を手に持って、真面目な顔でスーツを着た七三分けの男性の話を聞いていた。
「梅村さん、唇の動きとかで分からないんですか? 読唇術てきな」
何故か目を輝かせながら言った華茄の額に全力のデコピンを放つ。その横で笹木辺も若干期待を含ませた様な視線を送っていたことには触れず、千は再び図書室内を見渡した。
「お前、私が何でもできると思うなよ」
涙目で額を押さえる華茄は唇を尖らせ、睨む様に千を見ていたが、千は一切無視。見向きもしなかった。
「あ、そういえば、体操着はどうしましたか?」
「えっと……」
「こいつの勘違いだった。勉強用具と一緒に持ち帰った事忘れてたんだとよ」
驚いたように目を丸くしている華茄を見て、千は溜息を吐いた。
「そうですか、丁度良かったです。今日はもう切り上げようと思っていたので」
意気揚々と言った笹木辺を千は首を傾げながら見た。
「他の場所は掃除しなくていいのか?」
「後は職員室と事務室だけなんですが、どちらも梅村さんが来る前に終わらせてしまったので、今日はやる事が無いんです」
あははは、と乾いた笑声を溢した笹木辺に華茄が苦笑を浮かべ、千は図書室内を凝視していた。見ているのは教師達がめくっている資料。真っ白な紙に記された文字の羅列と添付されたカラーの画像。教師達が持っている資料に添付された画像と、《青》が作成した依頼書に添付されていた画像は間違いなく同じ物だ。
宍戸瑠璃を囲む数人の男子生徒。鳥居正樹と北山彰も映っている強姦後の写真であり、宍戸瑠璃が受けた凌辱の一片。
やはり、学校側はイジメの存在を既に知っている。イジメの域を超えた幼稚で醜悪な生徒達の暴挙を彼等は知っているのだ。
どうするつもりなのだろうか。もう、イジメを隠し通す事は出来ない、と教師達も分かっているはずだ。外部に情報が洩れるのは時間の問題だという事も。
それに今はSNSなどで簡単に誰でも世界に情報を発信する事が出来る。イジメとは無関係の生徒が面白半分で画像を投稿する可能性は十分に高いと言える。一度画像が投稿されれば、もうなす術はない。画像は世界中に拡散され、保存される。
もし、そうなれば宍戸瑠璃が受けた恥辱は世界に晒され、家族までもがマスコミの餌食になる。マスコミは遠慮などしてはくれない。残された家族がどれだけの苦痛に見舞われようが、面白おかしく記事を書いて、世に発表する。それが彼等の仕事であり、そこまでが彼等の仕事だ。その後の事は彼等の管轄外。知った事ではないのだろう。
ああ、だからか……。
だから、学校側も発表する情報は慎重にならざるを得ない。イジメの有無を確定させるのか、イジメに関わった生徒達は判明したのか、主犯は判明したのか、学校側はイジメに気付かなかったのか、どれだけの情報を開示するのか、学校側は慎重に精査しなければならない。発表の仕方次第で、学校も、加害者も、遺族も、共に滅ぶ可能性を多分に孕んでいる。
「それで先生達は一体何のお話をしているのでしょうか?」
視線だけを動かし、呑気にそんな事を言った笹木辺を千は横目で見た。
「おそらく自殺した生徒に関してだろうな。あんたもここで働いてるんだ。少しは耳に挟んだことはあるんじゃないか?」
「いえ、私はテレビで見た情報くらいしか知らないです。綺麗な顔立ちの生徒さんだなって思ったくらいで。あ、でもまだ調査中なんですよね、確か」
「私と同じだな。私もその程度しか知らない」
おそらくは笹木辺が口にした言葉が、宍戸瑠璃の自殺に対する世間の認識と捉えても問題ないだろう。自殺に至るまでの内情を知っているのは春宵高校の生徒と教師のみ。その範囲内で収まっている内に行動に移す必要がある。
情報が世に拡散されてからでは動きにくくなる。イジメがあったと公表した後では、宍戸瑠璃と関係性が深い誰かによる復讐だと捉えられても不思議ではなくなってしまう。
動くならば、今しかない。
「やる事ないなら、帰ろうぜ」
「あ、そうだ。さっき事務の螺山さんが、仕事が終わったら事務室に立ち寄ってください、と言っていました。なので、すぐに着替えて向かいましょう」
「螺山? 誰だそいつ?」
「ほら、私と一緒に居た綺麗な女性の方ですよ。真面目そうな」
「あーあの女か。堅物そうな」
「評価ってやっぱり人によって差が出るんですね。参考になります」
「私みたいな面接官に当たるといいな」
「……そうですね。対策練っておきます」
くすくす、と千と華茄のやり取りを見て、微笑んでいる笹木辺に何だよ、と視線を送ると彼女は「さあ、行きましょう」と二人の背を押し、三人は図書室から離れ、用務員室に戻っていった。




