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十三

 三人が食堂に着くと、十人程度の生徒が無駄に広い食堂にまばらに座り、昼食を取っていた。中には食事を取りながら、教科書やノートを広げ、勉強している器用な者まで居る。


 千達は券売機でオムライスの食券を買うと、厨房で暇そうに虚空を見つめているシェフに食券を渡し、代わりに番号札を受け取った。その番号札を手に持ちながら、窓際の席を確保すると、セルフサービスの水を紙コップに注ぎ、千達は真新しいパイプ椅子に腰を落ち着けた。


 水を一口含み、千は辺りを一周。生徒が数十人しかいないせいか、広すぎる食堂がより空虚に感じられる。潰れる前の商店街にも似た寂れた雰囲気を埋める様に頭上からはヒーリング系の音楽が流れていた。ピアノとバイオリンが交互に主旋律を弾き、ウッドベースが奏でる荘厳かつ滑らかなバッキングは主旋律を引き立たせるのに一役買っている様に思えた。


 その心落ち着かせる音楽に漫然と耳を傾けていると、千はふと千達が座るテーブルに視線が集まっている事に気付いた。まばらに座っている生徒達が堂々とは言わないものの、チラチラと千達へ目配せしている事は間違いない。男子も女子も平等に千達を見ている。


「あいつら、何こっちチラチラ見てんだ?」


 笹木辺と華茄は「え?」とほぼ同時に口を揃えて言った。それから、笹木辺がにこやかに言う。


「梅村さんを見ているんだと思いますよ」


「何で?」


「美人だからだと思いますけど。何ですか? 自慢ですか?」


 冷たい視線が向けられると同時に放たれた冷めた言葉に、千は毅然と返答する。


「ま、顔は良いからな」


「腹立つ……」


「そこまでハッキリ言われると、いっそ清々しいですね」


 睨む様に千を見た華茄と苦笑している笹木辺を見た後、千は目を細めながら水を一口だけ口に含んだ。


「顔以外はゴミ、ともよく言われるけどな」


 他にも、女としては不合格、斬る以外に能が無い、デリカシーを切り裂いた女、男に生まれてくれば良かったわね、などと散々な事を《青》に言われてきた千だ。顔以外の女性としての魅力パラメーターが著しく欠如している事は十二分に理解している。別にそれを苦だと思ったことは無い。


「あー午前中の仕事ぶりを見る限り、掃除の仕方が乱雑でしたもんね。普段から掃除とかしない人なんだなっていうのはすぐに分かりました」


 うんうん、と頻りに首を縦に振る笹木辺はにこやかに陽気な声色で言った。それを聞いた華茄が何故か納得した様に「あー」と声を上げた。


「なんか髪の縛り方とかも雑ですもんね。髪が可哀想」


 髪を染色してる奴が言うな、と思いながら、千は鼻を鳴らした。


「私の頭に生えてこられた事を誇りに思ってるだろうよ」


 千の言葉に笹木辺が苦笑し、華茄が真顔で千を見つめた。冷淡な瞳が千を射抜くが、千は素知らぬ顔で携帯を開いた。メールが一件届いている。メールを開き、送信者を確認。送信者は《青》になっているが、書かれている内容は彼らしくない幼い文章が綴られていた。


 このメールを送ったのが《青》では無い事は一目瞭然で、小さな手を一生懸命に動かして文章を書いている姿を想像すると、それだけで口角が緩んでいく。事実、千は自身でも気付かぬ内に優しく微笑んでいた。


『千ちゃん。おしごとがんばってね。けんかしちゃだめだよ。  緋乃』


 メールに書かれていたのはたったそれだけ。それだけだが、胸の内に温かな何かが降り注ぐ感覚があった。緊張の糸を少しだけ弛緩させる優しい何かが、胸の内を満たしていく。


 千は帰りが遅くなることと、『寂しくて泣くなよ』と書いた後に絵文字を付けるか付けないかで悩んだ末に結局、絵文字を付けたメールを《青》の携帯に返信した。


 携帯をポケットにしまい、視線を眼前に座る二人に戻すと二人が瞠若し、瞬きを連続で繰り返しているのを訝しむ様に見て、千は首を傾げた。


「何だよ?」


「梅村さんもそんな優しい顔するんですね」


 笹木辺が口にした言葉の意味が分からず、千は眉根を寄せた。


「どういう意味だそれ」


「梅村さん、笑ってましたよ。すっごい優しい笑顔で携帯の画面見てました」


 華茄の言葉に目を丸くし、言葉を失いながらも、千は口元を手で隠した。そして、すぐに話題を切り替える為に口を開く。


「……そういやあんた、息子がいるのか? いくつなんだ?」


「今年で八歳になります。元気すぎるくらい元気なので、毎日叱ってばかりですよ」


「あんたみたいな奴でも叱ったりするのか?」


 いや、と千は内心で自身の発言を否定した。《青》も基本的には優しく緋乃に接しているが、叱る時は叱っている。駄目な事は駄目だとちゃんと言葉や態度で示している。それが大人の定めだからと。


「そりゃそうですよ。子供は良いことも悪いことも何もかもを知らない状態で生まれてきますから。親である私達が最初に教えなければならないんです。悪いことをしたら全力で叱って、善いことをしたら全力で褒めてあげる。社会のルールを子供に教えるのは親の義務ですから」


「義務……」


 千は感慨深く頷き、笹木辺の言葉を脳内で反芻した。千も《青》も、子育てをした経験など皆無だ。ましてや、他人の子供を預かったという経験も無い。子育てに関しては全くの素人である千にとって、笹木辺の言葉は教科書にも似た説得力に満ちていた。


「子供は親を選べません。ましてや、生んでくれと頼んでもいません。私達大人の我儘で子供は生まれてくるんですから、子供が生まれた時点で私達の人生は子供に捧げるべきなんですよ。それが新たな命を身勝手に作った大人が負うべき責任ではないでしょうか」


 笹木辺がどこか悲しそうに微笑み、華茄が視線を僅かに落とす。千も華茄同様に視線を落とし、脳内で緋乃の出生を聞いた時の記憶に思いを馳せていた。


 《白》が子供を望み、その望みを聞いた慧が《青》の精子を用いて作られたのが緋乃という存在。実験者同士を交配し、出来た子供にどんな影響が出るか調査する、という国の思惑もあったが、《白》が子供を欲していたのは間違いないだろう。


 そうまでして子供を欲していたというのに、どうして《白》は子供を手放し、自らは姿を全く見せないのか。その理由が皆目見当つかない。邪魔になったのか、理想と現実の齟齬に絶望したのか、どれだけ考えても下らない憶測にしか千は辿り着けない。


 全身痣だらけでゴミ袋に入れて捨てられていた緋乃を《白》が見たら、彼女はどうするのだろうか。怒るだろうか、泣くだろうか。辛かったね、と同情するのだろうか。それとも何も語り掛ける事はないのか。


「綺麗事だと笑ってもいいんですよ?」


 気まずくなった雰囲気に笑いを落とそうとしたのか、笹木辺が無駄に陽気に言った。


「……あんたの育児が正解なのかは知らないが、私はあんたの考え方、嫌いじゃない。だから、笑わねえよ」


「私も笑ったりしません。真面目に子育てしてる人のこと笑えないです」


 生まれ持った親次第で子供の人生は容易く変化する。善と悪を白と黒で例えるならば、赤子は透明の状態で生まれてくる。白も黒も持ち合わせていない純粋な透明として。


 当然、その透明な器に最初に色を入れるのは親だ。最初の色を何色に変化させるのかは子供が掴み取った色によって色取り取りに変化する為、一概には言えないが、一つだけ言えることは存在する。


 最初に黒を入れられた子供は、違う色に変色する事はできない。黒は永遠に黒であり続け、あらゆる色を施しても濃くなるか、薄まるかの違いにしかならない。白色になる事はもうできない。


 私はあの子にどんな色を与えてやることが出来ただろうか。


記憶を失い、色を失ったあの子の器にどんな色を与えてやれたのだろうか。


「そう言ってもらえると嬉しいです」


 その数分後に千達の持つ番号札と同じ番号を叫ぶシェフの声が食堂内に響き渡り、千達は遅めの昼食を取る事になった。

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