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 全てが止まった世界。いや、視界と呼ぶべきか。


 眼前を飛ぶ蝿の翅すらもこの蒼色の瞳は鮮明に映し出し、気味が悪い六本の足が少しずつ左右に広がっていく様を私に延々と見せ付ける。訥々と落下していたはずの点滴の雫は宙に停滞し、隣に接地されている心電図モニターは電池が切れた玩具の様に変化を見失っている。


 視界は何もかもが停止した。


 なのに、蝿が紡ぎ出す翅音は正常に耳にまで運ばれてくる。聴覚は至って正常なのだ。だから、薬の副作用によってもがき苦しんでいる二人の被験者の荒々しい雄叫びと吐息が正常な速度で伝わっていた。


 苛立ちが募る。蝿の翅音にも、視覚と聴覚の齟齬にも、隣で苦しむ二人の叫び声にも。何もかもに腹が立つ。この部屋に入ろうとしている白衣の集団にこの苛立ちをぶつけたら、少しはこの状況も変化するだろうか。


 いや、変化などしない。私が本当の意味で苛立っているのは、こんな下らない要素なんかじゃない。私が本当に苛立つのは蝿でも、この訳の分からない視界でも、隣人の叫び声でもない。


 私が憎んでいるのは……。


 射殺す様に蝿に視線を飛ばしていると、止まっていた視界が急速に動きだした。世界に電気が走ったかのように私の視界は命を取り戻していく。


 そして、その蝿はパソコンの前に立ち、白く光るディスプレイを凝視している白衣を着た男性の背中に飛びついた。


 それとほぼ同時に男性は二つ折りの携帯を取り出し、誰かに電話を掛けた。その相手は分かっている。考えなくても分かる。何度も奴に電話を掛けては指示を仰いでいるのを私は幾度となく見てきた。


「被験ナンバー03、ステージ2の解放に成功。引き続きステージ3の解放に移ろうと思うのですが、投薬の指示をお願いします」


 数秒後に何度も相槌を打つ白衣の男は「ありがとうございます」と一言だけ述べた後に電話を切り、携帯を白衣のポケットにしまった。それから棚に入っていた小瓶を取り出すとラベルを確認。私が知らない言語が記されたラベルを見てまた頷いていた。


「千、やっとステージ2なんだ? 遅れてるねえ」


 隣でもがき苦しみ、苦痛に彩られた声を上げていた整った顔をしている女性が私の顔を見て、無邪気に笑っていた。その女性の瞳は冬に降り注ぐ雪の様に真っ白だった。それを綺麗だとは思わない。むしろ、腹が立つ。浮かべている笑顔にすらも腹が立つ。私は横目で睨む様に白い瞳をした女性を見た。


「怖い怖い、怖いよ。相変わらずの反抗期だねえ、千は。そんなんじゃ男にモテないぞ」


「気持ち悪いこと言ってんじゃねえ。ここを出たらお前は真っ先に殺してやる」


 私がそう言うと、白い瞳の女性は口角を狂気のままに歪ませたように見えた。私の言葉に喜んでいるかのように口角が弓形に吊り上がる。


「待ってるよ、千。千がボクを殺しに来るのを」


 白い瞳が私を真っ直ぐに射抜き、何かを口にしたのと同時に蝿が宙を再び舞ったのを私は捉えた。

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