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第五話

 千の予想通りに、アパートまでの到着時間は約一時間。駐車場に行儀良く止める事もせず、すぐに発進出来るよう道路脇に停車させる。千はヒールを脱ぎ、後部座席に投げ捨てた。


 車の扉を開くと同時に、外へと飛び出た。共用階段まで全力疾走で駆け、階段も二段飛ばしで駆け上がる。二階に到着した千はそのまま直進。千は二〇五号室の扉の前に立った。


 上着のポケットに入った鍵は取り出さなかった。乱れる呼吸と共に、乾いた笑いがこぼれる。右手で乱暴に前髪を掻き毟った。廊下を吹き抜ける風にすら怒りが沸いてくる。切れ掛かった照明を叩き割ってやりたい気持ちに駆られる。


 千は目の前の扉だった物を弱弱しく殴った。


 扉は壁にもたれ掛かる様に立っていた。ドアノブは破壊され、その残骸が廊下に転がっている。ドアクローザーが天井で振り子の様に揺れ、チェーンロックが玄関に落ちていた。力任せに扉をこじ開けた様だ。


 部屋の中へと入った。玄関の照明を点ける。オレンジ色の光で照らされた床には、洗濯機の蓋が転がっていた。千は蓋を蹴り飛ばし、脱衣所へと放り込んだ。一歩一歩進みながら、中の状況を確認していく。廊下を進み、照明を点けた。白色の床に付着した赤い斑点の上を、千は歩いた。


 居間に入ると、全ての照明を点けた。居間の惨状が照らし出される。千は力一杯に手を握った。手の平に生じた痛みが現実を常に意識させてくれる。空想に逃げる事は今、許されない。手の痛みがそれを許さない。目の前の惨状、一つずつに視線を移していく。


 足の折れた食卓机。引き裂かれた絨毯、カーテン。床に倒れた食器だな。その周りには、食器の破片が無数に散らばっていた。緋乃と千が一緒に使用していた布団。緋乃が粗相をし、三人でタオルを使って、水気を取る事に必死になった布団。緋乃がスプレーを嬉しそうに噴射させていた光景が浮かび上がる。


 その思い出の布団は、切り裂かれていた。鋭利な刃物で切り裂かれていた。布団に付着した赤は、暴力を振るわれた証。緋乃が理不尽な暴力に晒された証明。


 それらを見た後に、千は最後に部屋の中央に視線を移した。


 赤い果実を貫くナイフが、床に突き刺さっていた。赤い果実が林檎だと気付く。そして、これが何を意味しているのかもすぐに気付いた。赤い心臓に突き刺さる牙。指示に従わなければ緋乃を殺す、そう言いたいのだろう。千はナイフに近付き、ナイフの柄に手を掛けた。


 ナイフを床から引き抜き、林檎からナイフを引き抜いた。左手に持ったナイフをゴミ箱に捨てる。


 右手に持った林檎に力を入れた。ミシミシと音を立て、縦に歪んでいく。亀裂が入り、一秒にも満たない時間の後、林檎は粉々に砕け散った。果実の破片が床に頃がった。右手は果汁でベトベトになり、引き裂かれたカーテンで手を拭いた。


 《青》が軽やかな足音と共に、居間へと入ってくる。部屋の惨状を見て、一瞬動揺していたが、すぐに彼はクローゼットに向かった。千もクローゼットに詰め寄る。クローゼットの中も案の定、滅茶苦茶になっていた。上着には穴が開き、ズボンはダメージ加工が施された様に見える。下着が入ったプラスチックで出来たケースを開くと、千の下着だけが減っていた。煩悩に忠実な様だ。


 ハンガーに掛けられた無数の服を次々、床に置いていく。全ての服をクローゼットから取り出し、木肌が剥きだしの壁が露わになると、《青》は勢いよく腕を振りかぶった。勢いよく壁を殴り、殴られた壁は綺麗に穴が開いた。《青》が力任せに穴を広げていく。


 壁の向こう側に、空洞を作っていたのだ。大人一人入るのが限界の、狭い空洞を。大家の許可は当然取っていない。部屋を改造したいなどと、大家に切り出せば何を言われるか分かったものでは無いし、許可も下りないだろう。


 小さな子供ぐらいなら入れそうな大穴を開けると、《青》はそこから、木箱を二つ取り出した。木箱の一つを千に渡す。それを受け取った千は、床に無造作に置いてある服の上に、木箱を乗せた。留め具を外し、木箱を開く。


 木箱の中身は十二本のナイフだった。六本は全く同じ形状のナイフ。もう六本は全て形状も長さも違うナイフだった。ナイフの形に沿って仕切りが分けられており、仕切りの数は全部で十三本。仕切りは一つ空いていた。その一本は、ゴミ箱に捨てたナイフではなく、とある人物に貸出中で手元には無い。


 同じ形状のナイフ六本は千が元々持っていた物、形状が違うナイフ六本は他者から譲り受けた物だ。同じ形状の刃渡り二十センチのファイティングナイフ二本を手に取り、専用のナイフシースに入れる。ベルトでそれらを太股に固定し、丁度良い高さを見極める様にナイフの柄に手を触れる。手足の長さは把握している。四苦八苦する事も無く、ナイフの位置は決まった。千は再び、木箱に手を伸ばす。


 形状の違うナイフ、ファイティングナイフよりも刃渡りが十センチ長いサバイバルナイフと、包丁の様な見た目の刃渡り二十センチの和式ナイフを手に取った。どちらも専用のナイフシーフに入れ、腰にしているベルトに括り付ける。計四本のナイフを体に括り付け、千は木箱を閉じた。


「準備できたぞ」


 《青》の方を見やる。彼も準備を終えている様で、むしろ、千を待ってくれていた様だ。千の太股、腰に付いたナイフを見て、呆れた様な笑みを浮かべていた。


「相変わらずナイフの数多くない? そんなにいるの?」


「予備だよ」


 嘘だ。ナイフを四本持つ理由はある。だが、それを口に出す事はしたくない。口に出してしまえば、千の矜持が大きく崩れる様な気がしてならない。


 特に《青》には言えない。絶対に《青》には言えないのだ。ナイフを四本持つ理由が、実の母親の戦い方を真似ているから、などと。


 認めたくはないが、戦闘において千の母親は完璧と言っていい。刃物の扱い、刃物に頼らない格闘センス、冷静かつ的確な状況判断、私情を挟むことのない冷徹な精神。全てが千を上回っている。勝てると思った事など、一度も無い。


 理想なのだ。最も近くて、最も遠い存在が。一度の愛も与えてくれなかったあの人こそが、千が思う理想の戦士なのだ。


「行くぞ」


「ええ」


 二人の声は緋乃の居ない空虚な部屋によく響いた。声の反響が静まり返らない内に、二人は部屋を後にした。



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