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第三話 一

 《青》が車にクーラーボックスと手提げ鞄をトランクに乗せている横で、千は緋乃を腕に抱えながら、《青》の作業を眺めていた。当初は、千も手伝う予定だったのだが、緋乃が離そうとしないために、千は待機を命じられているのだ。「それだけ辛い思いをしたのよね」と《青》は悲しそうに笑っていた。千もそう同じ意見だ。


 ばたん、と静かにトランクが閉まる音がした。気を遣っている様だ。


「行きましょうか。出発よ!」


「ああ」


 千は運転席、ではなく、その後ろの後部座席に乗った。緋乃を抱えたままでは助手席に行くことは出来ない。元々、助手席に乗るつもりはなかったので、丁度良いと言えば丁度良かった。


 運転席に《青》が乗り込み、シートベルトを締めると、すぐさまエンジンを掛けた。けたたましいエンジンの起動音と、振動を体に感じながら窓の外を見た。


「安全運転で頼むよ、ペーパードライバーさん?」


「よ、余裕よ」


 ミラー越しに見える《青》の顔にはじんわりと汗が浮かんでいる。


「落ち着けよ……」


「お、お、落ち着いてるわよ。私はミハエル・シューマッハ。私はミハエル・シューマッハ」


「何キロで街道を走ろうとしてるんだよ」


「千ちゃんは黙ってて! 行くわよ」


 車はゆっくりと発進して、道路に進入した。規定速度の四十キロまですぐに到達し、それ以上は上がることは無かった。


 千は窓を少しだけ開けた。季節は晩秋。窓から入る冷気を帯びた風が、孟冬を感じさせる。


「緋乃、寒くないか?」


「……大丈夫」


 千の胸に顔を埋めたまま緋乃は言った。車は赤信号で止まり、横断歩道を歩く人々の中に気になる集団を見つけ、千は緋乃の背中を軽く叩いた。


「緋乃。外見てみろ」


 歩道を歩く、犬の群れ。犬に繋がれた紐を手に持つ年齢層がバラバラの大人が十人弱。犬種は様々で、緋乃の体の二倍ほどの体躯を持つ大型犬もいれば、手の平の上に乗せれそうな小型犬もいる。横断歩道を渡り切った彼らは、千達が乗る車の横を通り過ぎていく。


 顔を上げた緋乃は犬を見て目を輝かせた。感嘆の声を漏らし、窓側に身を乗り出す。千は緋乃が窓から体を乗り出さないように気を付けながら、窓を開けた。


「……ワンちゃんだ」


 前から「犬ですら、ちゃん付け……」と聞こえてきた気がするが、無視。


「ああ、手を振ってみたらどうだ?」


「……うん」


 緋乃は彼らに手を振った。小さな手で小さく振っていた。さすがに、犬は手を振ってくれないが、飼い主達の誰もが快く手を振り返してくれた。それが嬉しかったのか、緋乃は嬉しそうな顔で手の振り幅を少しだけ大きいものに変える。


 信号が変わり、車が進みだす。犬も飼い主も見えなくなり、千が窓を閉めていると、緋乃は千の膝の上から降りて、千の隣に腰掛けた。


「……もう大丈夫」


 緋乃の顔には既に恐怖の色は無い。本当に落ち着いた様だ。


「そうか」


「千ちゃんフラれちゃったわね」


「おい、前田。あまり調子に乗っていると、お前の過去を緋乃にばらすぞ?」


「ごめんなさい」


 謝罪は韋駄天の様に早かった。千は身を傾けてきた緋乃の温もりを感じながら、視線を窓の外に向けた。速度が変わらない車から見える景色は緩やかで、眠気を誘ってくる。瞼が落ちそうだ。


「千ちゃん寝ないでよ」


「……ん? ああ」


 そう言いつつも、千の瞼は川の下流の様に緩やかに落ちていく。ペーパードライバーの運転は恐ろしくて寝れたものじゃない、と聞いていたが意外と寝られるじゃないか。


 薄れゆく意識の中で、最後に見た景色はミラー越しに映る《青》の姿。慌てた様子の彼を見ながら、千は目を閉じた。


「ちょっと千ちゃん、緋乃。私を一人にしないで」


 《青》の悲鳴を聞く者は、誰もいなかった。

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