第三話
ようやく街に着いた頃には日が傾いていた。
コーネリアは、お父様の馬車とやらをメインストリートの一等地に荷揚げ場を構える大商会に預けに行った。
つまり彼女はとんでもないお嬢様だったらしい。
汗と垢にまみれた小間使いにも愛想よく笑って馬車を預ける横顔は、活気と荒っぽさで賑々しい荷揚げ場に不思議なくらい調和していた。野盗に囲まれても取り乱さない芯の強さがにじみ出ているせいだろう。
「トール様、お助けいただき本当にありがとうございました」
コーネリアはわざわざ俺の前まで戻ってきて、改まって頭を下げた。
「礼なんかよしてくれ。相手が勝手に逃げただけだ。俺は何もしていない」
「ふふ。優しいんですね」
優しくないって言ったんだが、伝わらなかった。
コーネリアは濡らしたタオルでドレスの泥を拭いながら、白い首を曲げて俺を見上げる。
「トール様はこの後どうされるおつもりですか?」
「隣町まで小包の届け物があったんだが、今から出たんじゃ夜になる。今日は適当に時間つぶして明日出直すよ」
んー、と小鳥のような声を漏らして思案した彼女は、ふと悪戯っぽい微笑を見せた。ちらと荷揚げ場の奥に目を向けて、すぐ俺を見上げる。
「……では」
と言って、俺の手首をつかんだ。
「少し、散策しましょう。みんなには内緒で」
「内緒って、なんで……うわっ?」
「ほら行きましょう。見つかってしまいますわ。見つかったら、味気ない言葉とお金をお礼とされてしまいます。そんなんじゃ、わたくしの感謝が伝わりません」
俺を引いて歩きだしてしまう。
柔らかくつかんでいるようで、溶接されているかのように彼女の指はビクともしない。抗おうとしたら肩が抜けそう。
「どうかお礼をさせてくださいまし。命を助けてくださったばかりか、わたくしに……恥ずかしいことをお教えくださったのですから」
頬を赤らめて意味深に。
俺がなにを言った?! と叫ぼうとして思い出す。
ステータスのことだ。人前で言うことじゃないって教えたからボカしたらしい。
「さあ、行きましょう! この街は素敵な場所がたくさんあるんです」
まるで踊るように手を取り合って、石畳のうえでステップを踏む。
腕力に負けて振り回される。
ハイヒールを履いているくせに、ずいぶん足取りが軽いものだ。
「トール様。魚の刺し身はお食べになったことありますかしら? 内地では珍しい料理なんですよ。なんと生で切り身を食すんです。食感が柔らかく肉質が解けるようで……ぜひ一度お試しになってくださいませ」
そう言って氷漬けの魚を受け取って微笑んで見せ、
「トール様、豚肉の串揚げ! 絶品なんですのよ。森のそばで畜産される黒豚はたいへん上質で、地元だけに新鮮でお安くいただけるんです」
薄く衣のついた串揚げを手にはしゃぎ、
「トール様、果物の絞り汁はお飲みになられますか? 甘みと酸味が疲れた体に沁みますよ」
街角の屋台を指して俺の顔色を覗き込み、
「トール様、ソフトクリームはご存知? 甘くて冷たくてふわふわで……」
「トール様、あちらのパン屋、ちょうど焼き立てみたいです……」
「トール様」
「トール様!」
「トール様……」
目が回りそうだ。
「トール様、お疲れですか?」
木でできたコップを手に、ベンチに座る俺の顔を覗き込んでくるコーネリア。果物のジュースを持ってきたらしい。
すっかり日が暮れて、街はオレンジ色に染まっていた。商店はどこも店を畳み、入れ替わるように一日の終わりを労う酒屋と飯屋が店を広げ始めている。
そんな混沌とした活気のある街並みを、やや外れた丘の展望台から一望できた。
「……コーネリア」
「はい」
名を呼ばれるだけで嬉しそうに微笑む。
「……もらうよ。ありがとう」
受け取ったジュースを飲んでみて驚いた。
ただオレンジを絞っただけだと思ったが、違う。少しだけ水で延ばして砂糖を加えている。果物も一種類じゃない。甘くて爽やかで、心なしか体が軽くなるようだ。
「美味いな」
「お口に合いましたか? よかったです」
心の底から喜ぶように頬をほころばせる。
コーネリアはいつでも愛想がよく、純朴で、なによりも誠実だ。紹介するものはすべて彼女の心からの称賛がともなっていた。
お嬢様だなんて、とんでもない。
彼女は人々に愛されて信頼される、立派な女商人だった。
「コーネリアお前、ただ街に出て遊びたかっただけだろ」
「……すみません。ちょっぴり、お礼のついでにと思っていました」
照れ笑い。
驚いた。こんな茶目っ気のある可愛らしい笑みも見せられるのか。
コーネリアはベンチに背中を預けて街を見下ろす。頬に自覚のなさそうな微笑を浮かべて。
「ひとりで出かけることを許されたのは、久々なんです。みんな元気で安心しました。最近、どこもぴりぴりしていて」
そうだろうな。実際、野盗に襲われた。
彼女の商会が驚くべき早さで売上げを伸ばしているのは間違いない。見て回った店はほとんどすべて、彼女の商会が何らかの形で関わっていた。それだけに目もつけられやすいだろう。
「だから、精一杯お礼をしたくて……トール様。なにかご興味のあることはございませんか?」
人の親切に甘えながら、同時進行でお礼をするとは強かだ。
「お前にいちばん興味があるよ」
「わたくし……ですか?」
目を丸くしたコーネリアは、急にもぞもぞと自分の手をこすり合わせて戸惑った。
「そんな急に、困ります。い、いえ! 困りましません、嬉しいです! ただ、わ、わたくしにご興味をいただけるなんて思っておりませんでしたから……と、トール様が望まれるのなら、わたくし……! あ、でも経験もない身体に満足いただけるか、わかりませんけれど……」
「コーネリアの身の上話でも聞かせてくれ、世間話をしよう」
膝に手を突いて、勢いをつけて立ち上がる。
コーネリアに手を差し伸べた。
「帰る道すがらにさ」
コーネリアは俺の分厚い手のひらを見て、寂しそうに眉尻を下げる。
「もう帰ってしまいますの?」
「今日なにがあったか忘れたのか? お父上さんも心配しているだろう。早く帰ってやるんだ」
「……わかりました」
ちょっと拗ねたように口を尖らせて、コーネリアは俺の手を取って立ち上がった。
彼女の体は、俺の力でも支えられるくらい細い。