第一話
ぎょっとした。
森を切り拓いた交易路を歩いていると、騒音と馬の悲鳴が聞こえてきた。
「おいおい、嘘だろ……」
カーブの先へ駆け込んで見れば、やはり。スカーフで顔を隠した六人ほどの野盗が馬車を包囲している。
馬車では白いドレスに鍔広帽子をかぶった線の細い女性が立ちすくんでいた。掘られた落とし穴に車輪を取られたようだ。
「おいやめろ、やめろ!」
思わず叫んで、後悔した。野盗の一人が俺を見て目を見開く。
「でかいのが来たぞ」
でかくて悪かったな……!
もう逃げられない。馬車のお嬢様もキラキラした目で俺を見ている。野盗たちも、革鎧で要所を固めた剣士の姿に気色ばんでいた。
忌々しい思いとともに担いでいた荷物を捨てて、剣を抜く。
「やっぱ戦争始まるとダメだな、どこも物騒だ!」
剣を構えてにじり寄る俺を、野盗たちはそろって見上げている。そうだろう。俺は俺より大きい人間を今まで見たことがない。
腕は野太く、肩は厚く、手のひらは大きい。両手で握る普通の長剣は柄が足りないほどだ。
「さぁ、来るのか! 来ないのか!」
野盗は舌打ちした。
互いに目配せを交わし、そうかと思った次の瞬間には風が引くように立ち去っていく。
「………………ほんとに逃げたのか?」
俺はしばらく剣を構えて耳を澄まし、本当にいなくなったのかどうか念入りに確認した。影から覗う気配がない。どこにもいない。
大きくため息をついて肩の力を抜く。
「ありがとう」
「うわァ!?」
いきなり隣で声がした。
見れば、上から下まで真っ白い上品な女性が、おっとりした顔に微笑をたたえて俺を見上げている。
「ありがとう、勇敢な剣士さん。おかげで助かりましたわ」
「あ、あぁ……いや、たまたまだ。戦いにならなくてよかった」
心からそう思う。
あの野盗たちは異様に統制が取れていた。おそらくステータスも鍛えているだろう。全員と同時に戦っていたら、勝てたかどうか。
剣を鞘に収める。もう一度息をついた。
剣を帯びるようになってだいぶ経つが、剣の重さにまだ慣れない。
「怪我はないか? ひとりか?」
「平気です。護衛を雇っていたのですが、見捨てられてしまいました」
「あぁ……運がなかったな」
たまにいるのだ。護衛を「一緒に歩く」程度にしか考えていない輩が。
捨てた荷物の土を払って、お嬢様の馬車を見上げる。
一頭で牽く小さな馬車だが、しっかりした作りで重そうだ。野盗から走って逃げていたところを嵌められたのに、壊れていない。
馬も足や体を痛めた様子はなかった。足首も太くがっしりとして、いい馬だ。
「馬車は捨てていこう。馬に載せられるだけ荷物を移して、あとは諦めろ。近くの街まででよければ送っていく」
「まぁご親切に、ありがとうございます。ですが」女性は困り顔で馬車を振り返った。「馬車を置いていくのは困ります。お父様からの預かり物なので……」
まあそうだろうな。
馬車は頑丈に、そして設計を測って作るため金がかかる。喪失は避けたいはずだ。
「そうは言っても、車輪がしっかり嵌っちまってる。馬車を持ち上げでもしない限り、こいつを運ぶのは無理だ」
言って、傾いた馬車の下端に手をかけた。渾身の力を込めて持ち上げる。
ビクともしない。
わかっていたことだ。
はあっと息をついて、じんわり痛む手を振る。
「ほら、見ただろ。諦めなって」
「わたくしもやってみますね」
女性はおっとりと馬車に歩み寄ると、見よう見まね、という手つきで馬車の下端をつかんだ。
「お、おいおい止めとけ。手を痛めるぞ」
「平気です。わたくし、よく分からないんですけど――」
ふん、と女性が力を込めると。
馬車が軋みを上げて持ち上がった。
「は?」
俺の前にいるのは、紛れもなく今の女性だ。
彼女のほっそりした腕が馬車をつかんで、白いドレスに馬車の泥が落ちて汚れる。
彼女は馬車を担いだまま数歩動いて車輪を穴から外し、ゆっくりと馬車を下ろした。
車軸が重たく悲鳴をあげて、馬車に押された馬が迷惑そうにいななく。
「は?」
ふぅ、と上品に息をついた女性は優雅に振り向いて儚げに微笑んだ。
「わたくし、なんでも筋力のステータスがとても高いみたいですの」
「…………高いって」
「16ですわ」
「ゴリラじゃん」
ローランドゴリラの筋力ステータスが14から20だ。人類という種の限界が18と言われている。
「ゴリラじゃん……」
微笑んだまま小首を傾げる女性は、ゴリラ並みの筋力を持っていた。