005
木々がざわめく。それはなんてことのない、風の残り香であるはずなのに、ザワッと。森が揺れる。生きているかのように脈動する。まあ、外見は普通の森。風車に挑んだドンキホーテになることを恐れるのならば、何も考えずに進むべし。
「猪か」
でも、入った直後でこれだ。のっそのっそと、その巨体を揺らしながら向かってくる一体の獣。猪が最弱とは考えづらい、いきなりこんな浅いところで猪に遭遇するとは驚き。片手剣を出す。まず私が駆ける、猪は馬鹿正直に突進。直進であるから横に移動出来れば回避は簡単なのだが速い。速度からしてUターンすることはないだろうと跳躍して回避。猪はそのまま木に激突、だが意に介せず再びこちらの方に姿勢を合わせてもう一回突撃。これを再び跳躍で回避。木にぶつかっても大したダメージがないことから(少なくとも頭は)硬い、すれ違いざまにダメージを与えてもいいが迂遠だ。相討つなんて馬鹿げた手段を除外するのならば、取れる手は。
「月夜見!」
召喚獣の活用、草陰に潜んでいた月夜見の奇襲。ちゃんと勢いが木にぶつかって減衰した瞬間を狙ったあたり、上出来だ。とはいえ巨体、不意を突いたはいいものの少しぐらつくだけで致命傷にはなり得ない。だがチャンス、当然見逃すわけはなく疾走してふらついた巨体に蹴り。遂にバタッと横に倒れる、巨体故に起き上がるのは困難。暴走列車でいられるのは走っている時のみだ。倒れてしまえば起き上がれない。
『レベルが上昇しました』
『月夜見のレベルが上昇しました』
朧LV12 咎人 スキル【片手剣8】【蹴り8】【跳躍4】【調教6】【召喚3】【疾走6】【博徒5】【直感4】【ステップ4】【歩行4】
控え【鷹の目3】【大物食い2】【短刀7】【掴み5】【投擲4】【二刀流3】【暗殺10】
月夜見LV8 玉兎 【蹴り10】【跳躍6】【回避6】【奇襲4】【幸運5】【高揚3】
「ふう……」
ドロップは無し、猪肉が取れるんじゃないかと期待したんだが。そんなこと言ったら熊にも同じことが言える。実はブラウンベアから一つ熊肉がドロップしているのだが、料理スキルを持たない私には無用の長物だ。売れたらいいがそんな相手は居ない。
「進むか」
その後も大型の敵が出没した。一番小さいので大型犬だったような気がするから、大きいのが普通と言う事だろう。生態系から考えたらどうなってんのかという話だが。一方が気を引き、もう一方が奇襲もしくは暗殺補正の掛かった攻撃。森という姿を隠しやすい環境、一対二で戦えることが多く距離は中々稼げなかったが敵は倒せていた。だが、そんなもんは序の口だった。倒した敵は誰かの餌でしかない。
「……」
直感、私は足を止めた。月夜見の幸運も作用したのかもしれない。私は数秒間、足を止めた。直感と言うより、予感だった。何かが来る。迫りくるあまりにも獰猛な足音。
「ウォアォオォオオッッ!!!」
狂乱の巨人! 理性をこれっぽっちも感じることの出来ない、野蛮としか言い表せない暴風が木々をなぎ倒していく。巨人は棍棒を持っている。意味もなく振り回される兇器が偶々近くにいた猪に触れる。丈夫なはずの猪は、軽く掠っただけで吹き飛ばされ、泡を吹いて倒れた。毒? 違う、暴力だ! 突然の超弩級エネミーの出現、まさしく魔境。
「悪い」
主人の指示により高揚、そして特攻する兎月夜見。哀れにもほんの一秒も稼げずあっけなく倒れてしまうが、その隙に主人が巨人の脇の下をスライディング。危なげながらも巨人を潜り抜けた。
「ふう…………ああ」
間一髪危機はからは逃れたが、月夜見という手札を失ったが。それ自体は仕方のないことなので悲しんだりはしない、だがこんなようなことが二度も三度もあったら面倒だ。
「早めに抜けるしかないか」
というより安全地帯を探したい。あんな災害が来ない場所を見つけなければ。どうせ一日では越えられないから森で一泊するんだ、木上は安全だろうか? 気を引き締め、月夜見が居なくなった分より周囲を警戒しながら歩む。全神経を過敏化させ、鳥のさえずりを聞き分ける。そうして聞こえるのは、物音。迷いながらも、その方向へ近づいていく。友好的であることを祈っておこうか。
周囲の風景が変わった。少しずつ、我先にとでも争っているような木々の密集が抑えられ、開けている。確実に何者かの手が入っている証。鬼が出るか蛇が出るか、迷ったら進め。
「誰かいますかーってか居ますよねー」
遂には村っぽいところに辿りつく。だが、シン……としていて応答なし、中に入るも異常なほど静か、出払っている?
「いや、違うな」
家に明かりが灯っている。ノックを5回して返事なし、ドアノブに手を掛けるとすんなりと開いた。影? 出くわしたのはゴブリンだった。一瞬家主かと思ったが、手に武器を持っている。ひょっとしてこれは、侵入者? そういや強盗ゴブリンというのも存在するらしい。
「あー……。排除だなこれは」
襲い掛かってきたので家主だとしても関係ない、始末する。突発的な戦闘であるため武器を持っているわけもなく、バールようなものを刃物の如く振り回してきたので屋内から脱出する。それで、武器を取り出そうかと思ったら背後からの切りかかり、ステップで足払いを絡めつつ回避。地面に倒したゴブリンに対し片手剣を取り出してザクリ、ドロップがあったけどそんなもん拾ってる暇はなかった。
「多いな…………」
村から湧き出るゴブリン、軽く20匹以上。取りあえず外に出てきたさっきのゴブリンに蹴撃を加えつつスキル入れ替えを実行し、臨戦態勢。跳躍して屋根に飛び移り、数を制限する。上ってくるゴブリンたちを待ち構えた後は、蹴落としていく。落ちたゴブリンは地上のゴブリンに激突、暗殺補正でも働いたのか共倒れ。まあ、上ってくる数が増えてくると処理しきれずやがて囲まれるわけだ。それで、ステップなんかを駆使して躱していたが……遂には刃が服に当たる。布が地面にひらひらと落ちた。
「少しお行儀よく戦いすぎかね!」
片手剣二刀流。正直これはあまり好きじゃないんだが、防御寄りで。お気に入りは片手剣+短刀の組み合わせなんだよ。というか、武器を変えたくらいでどうにかなるくらいなら最初からどうにかなっている訳で。そんな風に凌いでいると、一つの解決策を思いついた。
「調教だ」
そういや調教師であった。月夜見が居ないから完璧に忘れていた、不覚だ。即座に調教を開始し、三匹の調教に成功する。さっきまで仲間だったゴブリンが敵になって大混乱、その混乱の最中にバッサバッサ切り倒す。どいつを仲間にしたか分からない、敵も味方もお構いなしに斬る。お蔭でこちら側のゴブリンも混乱して、しっちゃかめっちゃかな騒ぎである。そんなこんなでやっていたから、ここが何者かによって作られた村で、おそらくゴブリンは住人でない……つまり住人たちが帰って来る可能性を失念していた訳だ。やっと倒したと腰を下ろした頃には、奇異な目で見られる始末。村の中に居た血塗れの女性ってかなり怖いな。幸いにも敵対する様子はない。
「敵じゃないぞ」
相手から話してくるのを待っている間、淡々黙々とドロップを回収する。まさか村で戦ったから村の住人のものなんて理屈はあるまい、もしそうだったら退散か敵対しかないぞ。回収にゴブリンを使用しようかとも思ったが、面倒なことになるリスクを考えたら却下一択。結局解約した。
それで、いつになっても話しかけてこないわけだから困ってしまった。このまま立ち去るか? いや、ここを拠点として活用出来れば助かるんだが。駄目だったらその時はその時。
「お客人は何用でここに?」
「ぶらりと立ち寄った村が、ゴブリンに襲われていて、戦闘になった。用はない」
「ふむ……」
単なる長老待ちだったらしい。偉そうに髭を伸ばした小人が私を一瞥する。
「迷惑なら出るぞ」
「いえ、扉を開けっ放しにして出て行った私たちも不用心でした。何せ急に巨人が出たので」
「……巨人か」
「ええ、どうにはなりましたが」
「ここに滞在することは?」
「難しいですね」
「森を抜けるためにここで休憩していきたかったんだが、出来ないならしょうがない。行くよ」
「森を抜けたいのですか?」
「反対側の方に、少し用事があるんだ」
「…………そのくらいなら」
長老は自分が滞在することは許さないが、森を抜ける手伝いはすると言う。どうやって? というか、巨人をどうにか出来るならゴブリン程度の駆除はまったくもって必要なかったわけだ。で、肝心の森を抜ける手段だが、鳥だった。フラミンゴというか、エミューというか。ダチョウが一番近いか?
「これを使えばお姉ちゃんは夜までに森を抜けられると思うよ」
「そりゃ有難い。でも、小人用だろ? 私なんか載せられるのか? 乗りこなす自信もない」
「大丈夫、荷台でいいよね?」
「荷台?」
小人は鳥を移動手段として用いている、鳥は森の中を馬と違って容易に駆け抜ける。だがあくまで小人用の足であって人間を運ぶには小さい。足りないなら数を増やせばいい、私は荷車に載せられて二匹の鳥に運ばれる。森は必ずしも道に適していない、揺れる荷車。夜までの方がいいと急いでいるから、揺れも大きくなる。載っているだけでいい、但し必死にしがみつく必要がある。でないと、落ちる。はっきり言って、酔った。心配する小人に投げやりな感謝だけ伝えて、私は森の外で倒れつつログアウトした。
ログイン。
「で、ここは何処なのか」
黒瀬のいる場所には大分近づいたと思うが。そもそも会ってどうする? 自分は街に入れない、結局会ったところで買い物係を頼むくらいか。少し歩くと平原が広がっている、夕日が輝いて平原全体も光っていた。
月夜見を召喚して歩く。
「大丈夫……だな」
兎は平原を歩く狐に渾身の一撃を与える。この頃理不尽な事ばかり起きていたので多分八つ当たりも入っていた。
「そこまで強くないようだし、全部潰してけ」
兎は鬱憤を晴らすように、敵を次々と葬っていった。月夜見は玉兎であるから基本的にそこいらの魔物よりは格上である。だから主人の命とはいえ、雑な扱いをされているのが多少の不満であり、そんな自分が魔物を一蹴しているというのは、自らの格を再確認するには有効な行為だった。即ち、体のいい露払いとして使われていることに気付かない。
「…………数が多い、月夜見は背後に回り込め」
だが戦力として買われているのは確かだった。遠慮なく捨て駒として使われるだけであって。主人が敵と相対している間に、兎は後ろへ回り込む。所詮召喚獣でも倒せるような魔物の集まり、数が多かろうと二方面から襲えばアドバンテージは消滅し、個々の戦いとなってしまえば敵ではない。
「よし、月夜見よくやった」
兎は主人に撫でられる。主人にモフモフだとかそういう趣味は無いが、ここ最近扱いが酷いことを考えたのか、せめてもの優しさであった。無論、光栄なことなので抵抗せず受け入れる。
「ああ、駄目だ。気分が悪くなる……獣に長時間触れ合うもんじゃないな」
すぐ送還されたが。主人はアレルギーでこそないが、動物との触れ合いを好まない。適当に探索してログアウトした。
「森は抜けたぞ、今は平原だ」
「平原? だったら……あそこだ」
「知ってるなら直ぐ会えるだろうが……会ってどうする?」
「え?」
「誘ったのは私だがな、考えてみると咎人であるから同じ町に滞在することも出来ない。となると、黒瀬が住む街の近くで野宿でもして、一緒にパーティ組むのか? 何だか馬鹿馬鹿しくなった」
「会わないの?」
「いんや、会うよ。ゲームの中の朧さんは有言実行だからね。それからどうするかという話だ」
「会ってからでいいと思うけど」
「いかんね、答えを先延ばしをするのは。現実主義とその場しのぎはまるで違う」
黒瀬は趣味の範囲内でユートピアを楽しむだろうが、決してライフワークにはなり得ない。私とはレベルが違う。だから、一緒に楽しむというのは不可能ではないが、限定的な行為であってやる必要があるかと問われれば首をかしげてしまう。
「平原、近いからそこに居て。僕が会いに行く」
「分かった」
ログイン。
「さて、黒瀬はいつ来るかね」
五分前行動というのは私が口を酸っぱくして教えた事柄の一つではあるが。平原の隅っこに寝転がっていた私は起き上がり、人影がないか見渡す。
「しかし眩しいな」
今日も太陽が照り輝いて、平原も光っている。昼はとうに過ぎているというのに。ふと漠然とした違和感を感じ始める、何がおかしい? 光の強さ。そういう地形と片づけてもいいが、何が原因だ? ヒカリゴケ、違う。地質? 発光源なんて限られているだろう。そして光は強さを増し、違和感というだけで片づけられないレベルまで上昇。右側からの光だった。振り向くと、光を漂わせながら飛ぶ一匹の鳥。
「烏……」
滑空して迫って来る、当然回避。ここは逃げ一択、レアだろうがここで死んだら咎人の森へ逆戻り。私はいいとしても黒瀬に申し訳ない。逃げたが烏は追ってこなかった。
「ああ、黒瀬。そちらの方は?」
「この人が咎人さんですか。私はシルビアです」
「黒瀬って呼ばないでよ」
「じゃあこっちでの名前を教えろ、私は知らんのだが」
「ノワール」
「腹黒くもない癖に傍ら痛し。どうせ黒ならクロちゃんとでも名乗っとけ」
黒瀬は一人の女性を連れてここまで来ていた。黒瀬が種族選択したのはエルフ、であるから付き添いの女性もまたエルフ。シルビアさんというらしいが、黒瀬は何を思って連れてきたのだろう?
「NPCだろ? どうして連れて来た。私は咎人だ」
「シルビアさんはそんなことで人を差別しないよ」
「そうか? とてもそうは思えんがね。何か便宜を図ってくれるとは考え難い」
「私は……」
「それとも、何か条件でも付けたか? そうとしか思えない。吐け」
「あの、玉兎を見せてください!」
玉兎への好奇心>咎人への忌避感という不等式。月夜見は相当な拾い物だったらしい……ひょっとして幸運の効果も入っているのか? だとしたら大したものだ。断る理由もないので月夜見を召喚し、彼女の腕で抱かせる。相変わらず月夜見は嫌そうな顔をしていた。誇り高いというのも難儀である。
「感動です」
「そりゃよかったが…………エルフが持つ咎人への忌避感だったり排斥感情というのは、どのくらいのものかね?」
「そもそも数が少ないですからね、ノワールさんの言葉を借りれば少数民族。わざわざ滅ぼす意味もなく、かつて同じように少数民族でありながら多数派となったエルフからしたらあまり関係のない存在です。でも、だからといって街に入れるかといえば入れません。同じくして、入れる意味がない」
言葉にはほんの少し棘が有ったが、まあいい。咎人はコミュティから疎外されているということか。絶対数が少ないから無視される。人権思想なんてものが在るかどうかは分からない、何にせよ人々はこの件に関して無関心。
「ねえ、シルビアさん。どうしてそんなことするのかな、嫌いじゃないんでしょ?」
「さあ? 伝統ですから」
「…………」
「人間に失望したか? こんなもんだよ」
「人間じゃなくてエルフです」
「そうか、それはすまんな」
「…………」
「それで、入れる意味がないこの咎人をシルビアさんはどうするのかね。ここでお別れか?」
「いえ、恩には報います。玉兎ともっと触れあいたいですし」
「ほう」
「密入国のお手伝いをしましょう」
「……密入国って悪いことだよね」
「なんだ、今更な事を言うな。言っとくけど私は既に三人殺したからな」
「ええー……」
という訳で、謎の烏を名残惜しくは思うものの私はエルフの町へ密入国……正確には街だが。
「このフードで顔を隠してください。その衣装はただでさえ目立ちます」
「分かった」
「軽い認識阻害の効果があります。それから眼鏡、いざという時の対策として軽い変装も」
「入った後はどうするんだ?」
「私の家に滞在してください」
まあ密入国といっても咎人と発覚しなければいいだけのこと。門番が私の顔を凝視する。認識阻害も訳あってのこと、疚しい理由ではありませんよと顔を見せる。門番は特に問題なしと三人組を素通りさせた。
「そういやノワールとどういう関係なんだ?」
「魔法の先生です」
「魔法か」
有効な手札の一つになり得るだろうが、私の魔力は月夜見を召喚するだけで消える。魔法に回す魔力が無いから、暫くはお預けだろう。そして、その頃には新しい召喚獣が増えていてもおかしくない。そっちに魔力が取られて魔法がいつまで経っても使えない。ありえそうだから困る。
「何が使えるんだ」
「水と風」
「毒でも使うのか?」
「え?」
「いや何でもない」
シルビアの家は予想を裏切らずそれなりの家だった。黒瀬の家並みはありえないにしても、そんじょそこらの一軒家よりは豪華。黒瀬で慣れているから驚くようなことではない。
「一人暮らしか?」
「ええ。時々ノワールには雑用を頼んでいますが、基本的には一人で全部済ませます。魔法を極めるとはそういうことです」
「それは欲しいな」
「習いますか? いいですよ」
「生憎召喚に魔力を取られて魔法なんか使えそうもない」
「そうですか」
風で紅茶が運ばれてくる。茶菓子も出されたので食べつつ、今後の予定を考える。
「朧さん……でしたっけ? 一週間ほどここに居てくれると助かります」
「一週間か」
「この家に缶詰になるので、出来るだけ退屈させないよう努力しますが……」
「ならこの家の本を読ませてくれ。それから庭、スキルレベル上げのために鍛錬がしたい」
「分かりました、戦闘用の人形も貸し出しましょう」
「ところでノワールは?」
「いつも通り、私の家に来て魔法の練習ですね」
それから転移ポータルの登録だけ行わせて、シルビアは家を後にした。自分が死んだら咎人の村に転送されるが、これを登録しておくと転移ポータルのある場所に変更される。但しアイテムを必要とし、一回使ったら登録は消えるので再登録する必要がある。そして登録出来るのは一か所のみ。一応上書きは可。