004 人魚と吸血鬼
とある海の底で、三人の乙女の談笑。一見微笑ましき光景、実際は誇り高き月の兎を手垢で穢すような悪意に満ち溢れていた。彼女たちの微笑みは果たして綺麗、だろうか?
「あー満喫した! ちょっと今幸せな気分」
「玉兎と戯れる機会が訪れるとは夢にも思いませんでした」
「それは重畳」
「よし、お礼をしなきゃな」
「必要ない。私はちょっと魔力を使っただけさ」
「貰いなよ。私が渡したいんだ。ちょっと今嬉しい気分だから」
「そう言われちゃ、受け取らないわけにはいかない。何が貰えるんだ?」
「大したものじゃないけど……」
奥の方に消えるアンナ。五分経たないうちに戻って来たと思ったら、服を持っている。
「私たちは人魚だから、地上で人になってもやっぱりその特徴が残るんだ。それを隠すために身体全体を隠す服にしたというのがこの衣装の始まりだよ」
「伝統衣装なのか?」
「そういうこと。でも今はそんなに人気がなくてね…………着てるのはセーレくらい。だったら人間さんに渡した方がいいと私は思う」
「……早速着替えさせてくれ」
セーレとはあの蒼のことなのだろう。防具も初期装備だ、特に攻撃を喰らっていないから着っぱなしだがいずれ変えたいと思っていたもの。耐久度も無限ではないし、早めに変えた方がいい。
「うん、セーレみたいに綺麗だ。見込み通り」
着た感じ、アオザイに似ていると思う。特徴としては生地が染められていて、深い青――つまり蒼であるということか。本来地面に触れる程度まで長い丈は、気遣いにより足首程度に抑えられている。着ていて気持ちのいい服だ。
「その服のことを訊いてきた人が居たら、この店のこと宣伝してね」
「それは構わないが……ここは隠れ里じゃないのか?」
「じゃあ場所は教えないで。何処かにある秘密の店として」
「分かった。そろそろ行くよ」
「また来てね」
「さて、次は何処へ行くか。お薦めの場所はあるか?」
「そうですね……広」
ブラブラ歩いていると、声が聞こえて来た。歌声か?
「あ、アルル。丁度いいところに。ちょっと決めてよ」
「? 何をですか?」
「どっちが上手いか。今歌のコンテストをやっているのだけど、審査員が来れなくなって。代理で審査員をやって」
「それはちょっと、無茶振りなのではないかと。それに今、セーレからの仕事を」
「そこの人? 人間だ。この人を見ているんだね」
「そういうことだ。…………因みに、審査員は二人でもいいか?」
「多い方がいいと思う。多すぎると困るけど」
「なら私と、アルルが審査員だ」
「えっ……」
飛び入り参加上等。ちょっと人魚の歌というのも聴いてみたい。
「アイラブユー」
「あの人はもう来ない」
「海の煌めきに」
「涙を流しました」
「人魚には人魚の採点基準というのがあるのか?」
「そういうものは特に。バッサリ言ってもらっても」
「じゃ、発表する。優勝者は無しだ」
「「「えーー」」」
「確かに歌声は綺麗だったが、それだけだ。歌詞が乗ってない。なまじ高い声が出せるとか、綺麗だとか、そういうものに自惚れて、この中から歌姫とやらを決めるのなら、一番ちゃっちい奴を選ぶのが妥当だろうよ。そんなことは私の主義に反する」
「なら唄ってみてよー」
「後悔しても知らんぞ(笑) では一曲」
我は海の子白波の…………
「――――海の国」
チョイスが古臭いな。でも流行りの歌も知らんし、海の中だからこれでも間違いではないだろ。
「なんか、私たちと違う」
「これが地上の唄?」
「力強い」
「適当に歌いすぎなんだよ。歌詞の意味を理解するんだ、言葉を垂れ流しては歌じゃない」
人魚はボーカロイドではないと信じている。どうも最近、人の限界を感じるんだ。全てが機械に代わるような、今世の中に溢れている音楽は何%人が歌っているのだろう。代打が増えた。ペーパーカンパニー、ペット、アンドロイド、ビタミン剤、冷凍食品、電脳少女、仮想空間。全てが代理化されていくなかで、人間が機械のように生きたらおしまいだとつくづく思う。それが身勝手な物でも、私は尊重したい。
「もう貴女が優勝でいいです」
そんなこんなで勝手にやっていたら、私が優勝した。意味が解らない。
「優勝の景品として髪飾りです」
「貰うのは彼女たちに悪い……」
「貴女に触発されて、皆家に帰って歌の練習を始めてしまいました」
「……そうか」
「それに人魚なら皆持ってるものです。記念にどうぞ」
渡されたのは法螺貝だった。渋い。
「人魚の証にもなります。他の人魚に逢った時はこれを見せるといいです」
「ん……? ああ」
「それで、用は済みましたか?」
「ああ、満喫させてもらった。良い街だな」
「…………ええ」
再びあの蒼、おそらくはセーレに会う。長く滞在しないのが約束だ、こんなもんでいいだろう。
「もしも気に入ったのなら、また来てください」
「どうやってだ?」
「また砂に埋まっていればいいかと。人魚たちから歓迎されたなら、また会えますよ」
ゴボボボボ、ブクブクブクブク……。
「死ぬかと思った」
ログイン。
「さて、今日は何処へ向かうか」
武器も装備も手に入れたことだし、村には戻らず、このまま放浪するのがゲームらしいか。
『【歩行】を習得しました』
歩く。海沿いを歩き、人の気配を辿って、探す。陸続きなのだから何処かで何かには出会えるだろう。まさか、世界の壁にぶつかることもないだろうし。風の音に耳を傾けながら歩いていると、ふと人の声。
「…………か…………ろ」
「下に何か居るのか?」
今は春ではない。冬眠した動物たちが地面から出てくるわけでもなく、夏じゃないから蝉でもない。
「はて……」
コンコンと地面を剣で叩く。応答なし。少しだけ待って……音沙汰が無かったから先へ進んだ。
「召喚」
折角歩くのだから一人ではなくて二人(拘るなら一人と一匹)でもよかろう。実にややこしいが、月夜見は召喚獣でありながら調教獣でもある。連れまわすことも可能だ。兎の歩調に合わせてやる義理もないので、淡々と進む。次第に月夜見と距離が離れる。勿論置いて行かれるのは私だ、兎の速さは尋常でない。
「心に余裕を持って歩くんだよ」
最初で間違えたか。ちょっと育成が厳しすぎた、もっと賢い、間違っても戦闘マシーンのような兎にしてはならない。場合によって行動を変えるという基本を教え込ませなけりゃならん。この気まぐれな主人であるからには特に。
「今度こそ何かあるな」
前方を注視する。直感が反応しているし、月夜見も何か感じている。それと、暗い。意識せねば気付けないとは思うが、10時と12時に空間が分断されているような明るさのチグハグさ。
剣を持ちながら歩く。前に進むほど暗くなる空、次第に真っ黒。日の光というものがどんどん消えていった。月夜見は私の傍に居る、本当にはぐれかねない闇へと突入しようとしているからだ。
やがて、月が見えた。
「異空間か?」
これはもう、そういう空間だと割り切ろう。問題はどういう性質なのか、おおよそ当たりというものは付けているが外れる可能性も。しかし確かめようがない、前に進めば分かることだ。そうやって闇を進んでいった結果、一人の老人と遭遇する。人ならざる者の気配がした。
「おやおや、お嬢さん。こんな所で何を?」
「何も。当てもなくぶらついていたら、来ちまった」
「そう簡単に迷い込むはずがないと思いますが、特に貴女のような方は」
「何、簡単な事さ。行く先に迷っていて――道が二つ。一つはとても平坦で、安全な道。歩いていけばいつかは人里かなんかに着くことは分かってる。もう一つは危険な道、先は見えない、一寸先は闇、何処へ続いているのかも分からない」
「それだと、平坦な道を行くべきでは?」
「何をおっしゃっているのか。人間ってのはね、危険な物が大好きなんだ。私は男が女を愛するのはそれがもっとも危険な遊びだからというニーチェの言葉が好きなんだよ。いやはや勿論、真実の愛やらそういう類のものを否定するつもりは毛頭ないけれど、兎に角私にはそういう考えの方が性に合ってる。友人にはギャンブラーよりの人間って呼ばれたぜ」
「ほう、ニーチェ」
「そう、ニーチェ。偉大な哲学者さ」
「どのような方で?」
「クソッタレで最高な妹を持ち超批判的なマゾヒスト的(?)超人を目指した(定義した)狂人」
「は?」
「人間賛歌な人って適当に覚えておけばいいです、多分。良くも悪くも人間的だったので」
下手なことを言うもんじゃない、ボロが出る。
「それで、貴方のほうはこんな所で何を?」
「ちょっとした散歩ですよ」
「散歩」
「ここに私たちの庭ですから」
「私有地? となると私は侵入者かね」
「ええ。ですが私は紳士なので…………一緒にお茶でもしませんか? 正直侵入者は珍しいのですよ」
「だろうな」
自分で紳士と名乗る奴が本当に紳士だったことを知らない。正義を語る人間を信用してはならないのと一緒、ニーチェもそんなようなこと言ってた。だが断る理由もない。侵入者なのはこちらであり、曲がりなりにも歓迎である。
「こちらです」
「城か、豪勢だな」
「こんな古びた城を見て、豪勢ですか」
「腐っても鯛」
ギギギ……。城門の開閉音、ゆっくりと扉が開き私を招いている。案内されたのは城だ、西洋風の。しかし何年も経って、古びた、だからか逆に品の良い静かな城。これは彼らの住居なのだろうか? 王族が今も住んでいるのか? そういう疑問を一切合切切り捨てて、私は奥へ奥へと進んでいく。扉が閉まった。
「案内します」
やけに丁寧な自称紳士、慣れた様子で私を導いていく。コツコツと二人分の足音を立てながら長い廊下を歩いていくと、人の声。
「今日の提供は終わりです」
「………………」
囚人を彷彿させる、男がこちらを見ている。その眼差しからは憐れみの同情、諦めを感じさせる。無気力人間。機械のように管理された。何を提供しているのだろう。誇り?
「同郷の方をお連れしました」
そう言って、いやに恭しく去る自称紳士。連れてこられたそこは、三人居た。同郷と言う言葉から考えるに、同じプレイヤー。地味に初遭遇か。
「誰だ? 吸血鬼じゃないだろ?」
「朧だ。種族は咎人」
「咎人!? 私らと同じマイナー種族か…………だからドラキュラが招いたのかも」
「ドラキュラというのはさっきの吸血鬼です。彼、名乗らないんで」
アルビノっぽい白く赤い目をした少女、いかにも元気のなさそうな若い男、少し目つきが鋭い三十代くらいの男。
「吸血鬼のプレイヤーはこの3人だけか?」
「正確にはもっと居たけど、残ってるって意味ならこの三人だけでオッケーだよ」
「名前は?」
「俺はダンだ」
「僕はウト」
「私はビビ」
「知り合い?」
「同じオカルト研究部に所属している」
カタカナ二文字なのに覚えづらい。しかし、監視されているのだろうか、てっきり血袋か何かとして連れてこられたものかと思ったのだが、試されているのか? それはどちらのこと? どうでもいいと吐き捨てて、現状把握。最短距離を爆走するっきゃない。
「問おう。私を連れて来た意味とは?」
「面白いからじゃないの?」
「そもそも入れるのがおかしいって。ここは結界があるはずだから」
「朧さんは拉致でもされたの?」
「いや? あくまで招待の形だった。結界らしきものに心当たりはあるが、すり抜けたぞ」
「咎人だからかな? 私にはそれしか思いつかない」
「咎人の血って不味いかな?」
「こういう類のはとんでもなく美味いか凄い不味いかの二択だろ。俺はリスクを回避する派」
「試してみないと分からないね」
「私は、お前らに血を提供せねばならんのか?」
「物は試しということで」
牙を伸ばし右腕に噛みつこうとする少女に対し、ひらりとステップで対処。
「望むのは敵対か?」
「三対一ですよ」
「自信家なんだよ、これ以上強引に迫るなら戦闘だ」
「…………これは、ドラキュラの試練かもな。餌に嘗められんなってな!」
いきなりやることが協力プレイではなくPKというのは悲しいが、仕方がない。もとより戦闘するつもりで暗闇の中を進んだんだ。一番の難点は、こいつらではなくその後のドラキュラと呼ばれし自称紳士。どう考えても格上で、勝てない。
「囲むぞ」
今月夜見は出せない。闇の中では特定のアライメントを持たないと弱体化するらしく、召喚コストが増大していて払えなくなりいつの間にか消えてしまった。一人であしらうということだが、まあ問題はないだろう。装備も新調した、狭い部屋というのが唯一の気がかりな点だがそれ以外は特に問題を感じない。相手は三人の吸血鬼、恐らくダンという男がリーダー。武器は大剣・槍・ナイフ。一番厄介そうなナイフを持っている若い男から潰すと決定。ステップから跳躍に変更し、初期装備の服を取り出して少女の上で広げる。狭まる視界、そこからの攻撃を警戒させて後ろから攻撃しようと狙っている若い男に鷹の目の連続使用で振り向いて短刀で突き刺す。反撃が来ないうちにそのまま蹴って距離を離す。後ろから少女の槍を避け脇で挟みそのままステップをすることで揺らす。前から切りかかってくる男の大剣に、こちらも前へ進み片手剣での鍔迫り合い。勿論直ぐに放棄し素手で近づいて投げる。地面に叩きつけたら首を踏みつけつつ後ろに下がり、新たに武器を出して投擲。それに怯んだ隙を利用して片手剣を拾い、そのまま斬りつける。そのままナイフと対峙し、武器を意識させてからの蹴りで沈める。
「ふうー……」
「お見事です」
「やっぱ見てたのか。で、目的は?」
「彼らの言う通りですよ、面白そうだから。それに、結界があるので、貴女のような咎人でないとそう簡単にここへは近寄れないのでね。結果的に彼らの刺激になったのだから悪くない」
「なあ、咎人の罪って何なんだ?」
「大昔から引き継がれるものとだけ答えておきましょう」
それは答えになっていない。
「それで、私はこれから何をすればいいんだ?」
「ですから、お茶会ですよ」
そういやこっちではまだ一回も食事を摂っていない。かれこれ何日間食べていない? 食べなくてもいい身体に甘えて食べないのは、良くないのだけれど。食べることは生きることだよな。
「紅茶、好きですか?」
「嫌いだな。私は一般的な女子が好みそうなスイーツ(笑)が大嫌いなんだ、よって紅茶も好きじゃない」
「残念な舌ですね」
「同情される覚えはないね。お茶会じゃなくて晩餐会に変えてくれないか? 五日間くらい絶食しているんだ。食べなくても問題はないが、食べたい」
「いいでしょう、紅茶が飲めない方とお茶を飲んでも仕方がありません」
一つの部屋がある。まずドラキュラは机と椅子を出し、テーブルクロスを出し、食器を出し、食事を出した。最後には蓄音機。椅子は勿論二脚、ドラキュラと私が向かい合う形で座る。
「何が好きですか?」
「クラシックジャズ、あんまり喧しいのは控えてくれ」
針ではなく魔力光でレコードが回り、音楽が始まる。それを聴きながら、私たちは食事をするわけだ。吸血鬼の料理だから血が入っているとかそんなことはなく、美味しい。勿論ニンニク料理なんてものもない。
「朧さんはここにどうやって来たのですか?」
「徒歩だ。歩いていたら辿り着いた」
「その衣装は」
「人魚の伝統衣装だ、その反応からすると知っているな?」
「ええ。人が着ているのは見たことがなかったので」
「人魚には会ったことが有るってわけか。咎人について他に知ってることがあったら教えてほしい」
「そうですね……咎人は亜人ではないなどのことでしょうか?」
「となると、人種。それが咎人たる由縁に関連すると?」
「そういうことにもなります」
「先祖は特定の職業だったのか?」
「どうでしょう。ただ、遥か昔には咎人という括りは存在しません」
「分かった。これ以上は自分で考える」
「それがいいでしょう」
「んじゃごちそうさん、美味かったよ」
「光栄です」
ささっと全てが片づけられ、両者向かい合う形。さて、これからどうするか。城の中を見物したいところだが、はたして。
「朧さんは夜の住人ではありません、そろそろ帰っていただかないと」
「ああ、分かった」
「お送りします」
結局私は夜になる前に闇の中から出された。どうやらこの世界はあまり長居するような場所じゃないらしい。人である限り。
「左に行けば森があります。そこを目指すといいでしょう」
「森か」
「因みに普通の旅人なら右の道を選ぶべきです、そちらの方が安全ですから。森には化け物が沢山います、まともな神経をしている人間は入らないでしょうね。友好的な種族も存在しますが、それを見分けるのは難しい」
「何から何までありがとさん。それじゃ、私は森へ向かうよ」
次の目的地まで指定されたので、足早に向かう。森の前でログアウトした。
「土曜日になったから始めるよ」
「別に伝えなくていいのに」
「それで、今何処にいるの? 名前は朧だよね」
「その通りだが。場所については説明できん、森の前としか」
「咎人の?」
「うんにゃ、違う。ふぁああー。まあ頑張って探せ」
「僕独りでやるの?」
「お前は強い子だ、出来る。元々は黒瀬に贈られたんだろ?」
「君に譲ったけどね」
「正直、合流しようがないんだ。今放浪の旅の真っ最中だからな、今向かおうとしている森の名前も分からん。森を抜けたら多分何かあると思うから合流出来たら合流しよう。……死んだら多分咎人の村に復活だから、その場合はその近くだ。咎人の村の位置探しとけ」
「ああ、うん。頑張ってね」
そういや黒瀬もやるんだっけ、忘れていた。記憶力にムラがあるのは仕方がないことだ。まあこの森を抜ければ街か何かがあるらしいから、取りあえず抜けよう。それを終えて、初めて合流を考えることが可能になる。
「召喚」
月夜見を呼んで、森の奥へと進む。さあ何が来るか? デカさからして咎人の森とは違う。異様な雰囲気に森全体が覆われている。具体的に言うなら、何か出そう。何にも遭わないのはあり得ないようなおどろおどろしい、森。
【回避】回避という動作に補正を加える(具体的にいえば速度上昇など)
【奇襲】奇襲という動作に補正を加える(具体的にいえば威力上昇など)
【幸運】運に補正を加える。朧にも幸運が加わる(具体的なことは不明)
【高揚】精神に高揚を与え、能力を高める。朧などの他者に効果は与えられない。(具体的なことは不明)
【歩行】歩くという動作に補正を加える(具体的にいえば疲労減少など)