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藤野家で住むようになって数日が経った。
その間家族や自衛隊基地からの連絡は無く、僕たちは知識の集積に努めている。
家族の安否が気になるのだろう、気が付くとスマホを弄りだす。
だけどインスタもツイッターもラインもメールも反応が無い。
夜になると寝室から嗚咽が聞こえる。
人が正気で居られるのは一日が限界と僕は言ったが、もしあのまま学校に居たら本当にそうなっていたかも知れない。
何とかなっているのは仲の良い、これから一緒に頑張ろうと少人数だけで集まって、仲間の家で安心して眠れるからだ。
予想通りに警察や消防、自衛隊の救出活動は行われていない。
それどころかやっぱり暴動が起きたのだろう、駅の方で大きな爆発が起きて煙が上がったのを二階の窓から見えた。
遠い場所でも同様の事が起きているのか見渡すと所々に煙が上がっている。
あれほど聞こえていたサイレンも聞こえなくなったし、そろそろ警察や消防が組織立って活動できない、壊滅状態に陥っていると思われる。
それを裏付ける様にテレビから流れる政府の緊急放送で、暴徒とゾンビによる暴動や襲撃に対して国民自ら自衛をするように発表された。
この様な状況だと人間はどれだけ生き残っているのだろうか?
全体で言えば半分ぐらいだろうか?
都市部に至っては三分の一以下になっている可能性が高い。
今、政府はどこにあるのだろうか?
首都である東京にあるとは思えない。
何故なら人口が多過ぎて、ゾンビの被害が一番多いと予想されるからだ。
東京方面を見ると空をヘリと思われる何かが飛んでいるのが遠目に見える。
この県にある二つの自衛隊基地はどうなっているのだろうか?
僕たちが向かう予定の射留間駐屯地は既にゾンビどもに蹂躙されているのだろうか?
あれだけ偉そうに言いながらも、僕もそろそろ精神的に辛くなってきていた。
「やっぱり灯りが殆どない。近所はほぼ無人と」
「八雲君、眠れないの?」
「やあ、こんばんは安藤さん。眠るには早いと言うか、気分転換に状況確認でもね」
僕たちはそれぞれ部屋毎に分かれて眠るようにしている。
二階にある四部屋の内、大部屋が僕たち男子三人が、藤野さんの私室は藤野さんと横山さんが、兄の部屋は安藤さんと坂井さんが寝室としていた。
一人で寝ないようにしているのには理由がある。
暗い部屋で一人で居ると精神的に持たないから。
何かあった場合に一人だと危ないから。
集団生活に慣れる必要があるから。
そんな言い訳をして部屋分けをした。
実際には一人では寂しいからだな。
「さて、知識の転記も最低限済んだし、そろそろ次のステップだね。保存の効くもの以外の食料が危なくなって来たし」
藤野家では食料を大量に買い込んで貯め置くと言う台所事情だったようで、冷蔵庫には七人でも一週間は持つ量の食材が詰め込まれていた。
おそらくゾンビパニックになる直前に買い物をしてくれていたのだろう、そう言う意味でも藤野さんの両親には感謝した。
なお、日持ちする冷凍商品や小麦粉、米などは大量に備蓄されており、これらだけでも一ヶ月は持つかも知れない。
流石警備員をしている父親なのだろう、災害時の危機意識が強かったと思われる。
最初はここを基地にする案は否定していたけど、今ではかなりその案を支持したくなってきていた。
とは言え食料は絶対に枯渇する。
現在、一日三食ではなく二食に制限して今後に備えているとは言え、確定した未来だから。
「それって自衛隊基地に行くって事?」
「その前にゾンビ狩り体験」
「やっぱりやらないとダメなの?」
「一人で最後までとは言わないよ。身動き取れなくなったやつに止めを刺すのはしてもらう。きつい言い方になるけど何かを殺す行為を体験していないとこれからは生き残れない」
「ゾンビじゃなくって動物とかで」
「それもいずれは体験してもらうよ。いや、僕も未経験だから他人事じゃないか。だけどゾンビは必須」
「どうして? だって元人なんだよ? それを殺すだなんて」
まあ、それが普通の感性だろうね。
でもそれは以前の話でこれからはそれではダメだ。
「明日皆に話す予定だったけどさ、ゾンビって本当に死体なんだよ」
「え?」
「ネット動画からの情報とかじゃなく、僕が確かめた、この目で」
「どう言う事?」
「ゾンビの背骨を砕き、首裏も砕くと顔から上以外動かなくなるんだ。それでもゾンビは死なない。いや、首から上だけ動き続ける」
「そんな事までやってたの?」
「それだけじゃなく、首にある動脈とかも切断してみた。生きている人間にそうすると血が噴き出すらしい。でもゾンビは血がゆっくり流れでるだけだった」
「や、八雲君?」
「背骨を潰し、肩を完全に潰してほとんど身動き取れなくしてから抑え込んで胸を切り開いた。そうしたらどうだったと思う?」
相手がゾンビだからと言ってもそんな猟奇的な事を同級生が、目の前の少年がやっていたとは信じられない。
信じられないから安藤さんは僕に恐怖した。
「心臓がさ、動いてないんだよ。止まったまま。生きている人間にそんな事をしたらショック死すると思うけど、麻酔とかしてたら心臓は動いているはずだし。だからゾンビは動く死体と僕は思ってる」
勿論、これは僕だけじゃなく、世界中のネット馬鹿がやってみた動画で配信されていた事だ。
「ゾンビは心臓が動いていないから温かくない。蛇とかと同じ変温なんだよ。人間って心臓が動いてて血が流れてるから腐らない、多分。でもゾンビは血が流れてなくても腐らない」
生きている人間が腐らない理由なんて知らないし、調べたくもない。
ただ、医学的にも心理的にも心臓さえ動いていれば人間は生きている。
だからゾンビは死体なんだ。
心がどれだけ冷たくても、体が温かいなら生きているんだ。
僕はそう思う。
「だからゾンビを狩ると言う行為は迷い出た死体を墓に返すようなもの、そう思ってる。流石に元人間を正体不明のモンスターとは思えないからね」
「八雲君。もしかして私たちの為に?」
「いやいや、それは勘違いだよ。これから生きて行くために、知らないよりも知っていた方が良かった事だからやったんだよ。だからこれも自衛」
「ごめんね、八雲君にばっかり」
「僕は知識を安藤さんたちより早く集めていただけだよ。だからそれを披露しているだけ。そうすれば僕も楽が出来るようになるからね」
「ありがとう、八雲君」
涙を流しながら僕の胸に額を押し付ける安藤さん。
これってそう言う雰囲気にしか見えないんだけど、やっぱり誤解されちゃうんだろうなぁ。
と、僕はベランダの入り口から覗き込む藤野さんの視線を気にしないようにした。
だからラブコメは必要では無い。
僕は目の前に置かれた焦げ過ぎた焼き魚を見つつ、溜息を吐いた。
何故か今朝の料理当番補助に入った藤野さんが魚を一匹だけ焦がしまくったのだ。
普通だったら自分で処理すると思うのだが、何故か僕の席にそれは用意され、無言で見つめると無言で見つめ返された。
椅子に座っていたからこっちの方が頭が低く、見降ろされながらだからちょっと怖かった。
多分これは昨日の情事、と彼女が思っている光景を目の当たりにして先日言った事と違うじゃない、と言う彼女なりの抗議なのだろう。
かなりオブラートに包んでの表現で。
ラブコメだったら意識している男の子に嫉妬のあまり、なんだろうけど違うと思いたい。
何せ今はそんな事をしている場合じゃないし、もしそうなったら内部崩壊の危機だからだ。
だから甘んじて焼き魚に箸をつけ、苦みが酷い朝食をお代わりした。
「えっと、皆に話があるんだけど良いかな?」
「お? なんだ? もう書き取り問題は終了か? やっと解放なのか? もう腱鞘炎の心配はしなくて良いのか?」
「確かに今日の知識の収集は中止だね」
「「「「「おー!」」」」」
僕の発言に、安藤さん以外の五人が歓声を上げた。
流石にここ数日、藤野家に滞在するようになってから学校以上に勉強していたからか、開放される喜びが大きかったようだ。
だけど解放宣言ではなく、闘争宣言なのだが。
「今日は皆にゾンビ狩りをしてもらいます」
「「「「「え?」」」」」
ここ数日の共同生活で連帯感が高まったのか、唱和のシンクロ率がかなり高かった。
「実は最低限の知識は書き写し終えたからね。そして昨日の夜なんだけど大きな暴動が起きたようなんだ。ちょっとテレビを見てみよう」
僕はテレビのスイッチを入れてニュースを見ようとするが、画面は青かった。
チャンネルを回すとキー局の内幾つかが映らず、この県の地方局も同じく映っていなかった。
唯一真面に動いていたのは国民放送と富士テレビだけだった。
しかも流している映像は全く同じ。
政府高官である官房長官が話し続けているだけの映像。
リアルタイムではなく同じ映像を流し続けているだけに見えた。
「昨日夕方から夜半にかけて全国で起こった大きな暴動は鎮圧出来ずに警察及び消防は活動機能を停止しました。国民の皆様は自分の身をご自身で守ってください。繰り返します、昨夜夕方から」
「なっ、マジかよ」
「本当に、八雲の言う通りになりやがった」
「そ、そんな」
警察や消防の機能停止、壊滅と言うニュースに呆然としている皆を後目に僕はリモコンのスイッチを切り、テレビを消した。
ゾンビパニックから四日での壊滅は予想内の出来事だ。
そして次に起きる事も予想出来ている。
「このニュースをどれだけの人が見ているかは分からない。ただ言える事は早くて明日、少なくとも数日中に隠れていた人たちが出て来て略奪が始まる」
「りゃ、略奪って」
「女は奪え、男は殺せ、みたいな世紀末な感じになるかも知れないけど、それはもうちょっと先かな。ただ一部の馬鹿がそうするかも知れない」
「ほ、本当に?」
「ただ、まず最初に狙うのは安全な隠れ家と食糧だろうね。そろそろ避難所になっていた場所の備蓄も無くなってくるはずだし」
「え? でも備蓄って結構あるんじゃあ?」
「緊急避難所に指定された場所に備蓄されているのは想定された人数の四食分弱しかないらしいんだ。食料追加が見込めない場合は一日一食や二食で配給されるだろうね」
「じゃあ、もうなくなってるはずだよね?」
「それは想定された人数全員の場合だね。今回の場合は生きている人が少ないはずだから想定よりも人数は少ないとみてよいかな。だから四日から五日は持つ計算だね」
「じゃあ、八雲君の言う通り、そろそろ切れちゃうと」
「うん。ゾンビパニックじゃなって災害だったら町中を歩いて食料の補充を直にしていただろうけど、今回はほとんどの人は動いていないはずだよ」
「ゾンビが防波堤って、何だかなぁ」
「避難所になっている場所だったらテレビもあるだろうし、このニュースは見たはず。そうなると助けはやっぱり来ないと知れ渡るはず」
「それだったら今日から動くんじゃないの?」
「動き始めるのは今日だろうね。多分、昼過ぎから。さて、一斉ではないけど人が活動し始めたらどうなると思う?」
「あ、それが略奪?」
「いや、まだその時じゃないよ。まずはゾンビが集まってくる、だね。だからゾンビ狩りを経験していないとこれからは動きづらくなる」
「そ、そこでかぁ。あれ、それだと略奪って?」
「人が食料を求めて活動しだすと、人に動きが生まれる。そうなると隠れていた人と人が出会う。もしくは動いた痕跡を見つける。そして知る事となる。近場に俺の食料を狙うやつの存在を」
「獲物のバッティングが起きて争う事になると。ああ、それで略奪か」
「そう言う事。そんな危険な略奪者から僕たちはどう身を守ろうか?」
「戦うしかないだろうな」
「戦うとなったら武道経験とか武器の有無で戦果が変わってくるね」
「だから体裁きを身に付けるのね」
「それもあるけど、人と人の戦いで一番物を言うのは殺意の有無だと思うよ。でも人相手に殺意なんて抱けるかな? ああ、奪われた後なら持てるか」
「流石に人相手にバールは振りたくないな。ゾンビは、まあ、ちょっと慣れたけど」
「そう、それだよ。田中は喧嘩する時に以前だったらバールを人の頭に振ろうなんて考えたか?」
「いや、間違いなく手で殴ったり蹴る程度かな。そもそも喧嘩とかした事ない」
「ゾンビを狩る、殺す行為を体験する事で、他者を攻撃すると言う心の枷を少しだけ外せるんだ。殺意を持てとは言わないけど、戦う事に躊躇するのは無くなっていくはずだよ」
そう、ゾンビ狩りを経験するのは何もゾンビを排除するのに慣れる為だけじゃない。
これから敵になるであろう略奪者となった人間と戦う心構えを持つ為でもあるんだ。
だから僕は仲間たちに強要する。
無理やり覚悟を決めさせた僕は安藤さんたちを外に連れ出した。
事前に確認してあった通り、藤野家の前に通る道にはゾンビが五体ほど屯していた。
全員大人の女性で、多分近所のご婦人たちなのだろう。
藤野さんに確認を取ったところ、知っている人が居なかったのは幸いだった。
もし混じっていたらそれらを殺せとは流石に言えなかったからな。
僕は一人だけ門を出てゾンビたちと立ち向かう。
ゾンビの集団と対峙するのはこれが初めてだが、今まで見て来た感じからすると割と簡単に倒せそうだ。
右手に持った樫の棒を何となく一振りして近寄ってくるマダムゾンビたちに歩み寄った。
最初に攻撃したのは一番手前のゾンビで、右足を外側から殴る。
そうするとバランス崩して倒れ込み、それに巻き込まれて他のゾンビたちが倒れた。
一体だけ巻き込まれなかったのが居たので即座に背後に回り込み、棒を左手に持ち替え、右手で鉈を抜いて首筋に叩き込んだ。
一撃で首の骨と神経を破壊したのか倒れ込むように崩れ、僕は他の立ち上がろうともがくゾンビたちの処理に掛かった。
そして五体の動けないマダムゾンビを作り上げ、俯せで並べる。
服を捲り上げて頭に被せれば、初心者セットの出来上がりだ。
僕は改めて周りを見渡してゾンビが近寄ってこないかを確認し、藤野家に戻った。
「さて、準備完了だよ」
「ちょ、八雲凄過ぎ」
田中が皆の考えを代表するように語りだしたが煩いので黙らせた。
何せ騒げばゾンビが集まってくるし、それでなくてもこれからその危険性が高い事をするんだから。
「静かに。それじゃあ一人ずつやるよ。誰からにする? あ、田中と山根は道路を監視してゾンビがきたら教えてくれよ」
五体ものゾンビを簡単に倒して見せたのに、何時も通りな僕に唖然としているようで皆中々動かない。
僕は態とらしく咳払いし、もう一度呼びかけると坂井さんが手を上げた。
「坂井さんからか。ハンマー、バール、警棒、木のバット、どれが良い?」
ハンマーと警棒や木製バットは藤野家の物置に有ったものだ。
滞在中に家探ししていた時に見つけたもので、他に幾つか護身道具があったりする。
対人で使える物が盛り沢山だから非常に助かった。
「じゃあ、ハンマーで」
ここで一番柄の短い武器を選ぶとは、やっぱり坂井さんも変人だな。
そして門を躊躇なく出た坂井さんはゆっくりとゾンビたちに近寄り、一番端を殴ろうと構えた。
「本来だとここまで近寄るのは危険だよ。今回みたいにまずは動けなくしていたら別だけど。慣れたらもっと柄の長い武器を使う事をお勧めするかな」
「解った。でも、ハンマーは骨を砕くので使った事があるし」
なるほど、豚骨や鶏骨を砕いた経験があるんだね。
それは本当に頼もしい事だった。
「んっ」
小さく息を吐くような声を出し、ハンマーを頭部に向けて打ち付ける。
ゴッと言う音が鳴り、流石の坂井さんも動きが止まった。
もしかしたら吐くかなと思ったけど直に持ち直し、それから何度も打ち付ける。
何度も打ち付けて疲れたのか、荒い息を吸う坂井さんは動きを止めた。
「お疲れ様。えっと、うん、完全に動きが止まってるね。ハンマー持とうか?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁー、ふう。大丈夫、自分で持って行く」
「そっか」
ふらついて真面に歩けない坂井さんを支えながら藤野家に戻り、次が誰なのか声を掛けた。
「さて、次は誰がする? 坂井さんはハンマーを使ったけどあまりお勧めはしないかな。叩きやすい道具ではあるけどね」
「私がやるよ。木製バットが一番使い易いのかな?」
「横山さんだね。バットだと振り下ろして叩く事になるけどあまり振り被らない方が良いかな。当てるのが難しいからね。肩の高さから落とす感じで慣れていくのをお勧めする」
「あ、余り慣れたくないなぁ。でも、うん、がんばるよ」
「おう、頑張れ」
次の横山さんはへっぴり腰、と言う言葉がぴったりなバット捌きを披露して、一撃目は頭に当てれず、二撃目で頭を掠め、三撃目で真面に当たった。
そしてやっぱりと言うかバットを落として座り込み、嗚咽を漏らす。
吐く事は無かったけど涙を流してしばらく動けなかった。
大きな音を鳴らすのは良くないし、落下するバットは受け止め、座り込んだ横山さんには羽織っていたシャツを脱いで頭から被せた。
何となしに藤野家を見ると心配そうな安藤さんたちの顔と、僕を睨むように見つめる田中と山根の姿が。
僕は溜息を吐いて手を振って道路の監視をするように手で合図した。
時間を図っていないが五分ほど経ったあたりで横山さんは復活し、弱弱しくだがバットを振り上げた。
「そこまで上げると当て難いよ?」
「だ、大丈夫。何となくコツは掴んだから。昔鍬で畑を耕した事があるし」
「な、なるほど。そう言えば、農民の一揆では鍬が立派な武器だったね」
「はは、何時の時代の話だよ。もう」
こんな馬鹿な会話で気分転換になったのか、そこからの横山さんの振り下ろしは力強いものとなった。
「ストップ。ストップだよ、横山さん。これだけやれば十分だ。お疲れ様」
「ふぅ、はぁ、ふぅ、はぁ。えっと、頑張りました」
「おう」
弱弱しい笑みを浮かべる横山さんに僕は右手を上げ、それを見た彼女は僕の手を叩いた。
そして次にゾンビ狩りを経験するのは藤野さんだった。
「ふーん。八雲君って八方美人だよね。ナンパだよね。ハーレムでも狙ってるの?」
「何を訳の分からない事を言ってるんだよ、藤野さんは」
「好きって言った癖に、好きって言った癖に」
「いやいやいや。あれはそう言う。えっと、それで武器は何を使う?」
「酷い誤魔化し方だね。私はこれを使ってみるよ」
腰に下げていた警棒、金属製の特殊警戒棒を振って準備する藤野さん。
どこまで本気なのか分からないが、坂井さんの次に彼女は余裕があるようだ。
それにしても特殊警棒とか他の防犯グッズだけど、凶器になりそうなアイテムが藤野家には沢山あった。
こう言うのって警察だかに届け出を出さないと所持できない犯罪行為だった気がするんだけど、自分の事を棚に上げて言うけど。
世が世なら、僕たちは間違いなく凶器準備集合罪とかそんなので警察に捕まっていただろうな。
さて、藤野さんの初体験。
ダメだ、藤野さんの言動に僕は毒され始めているようだ、気持ちを取り直そう。
彼女は初めての撲殺劇でも眉を顰めて動きを止める事はしたけど、割と直に復活して警棒を振り続けた。
父親から訓練を受けていたからだろうか、藤野さんの警棒捌きは中々堂の入ったもので、無駄な動きが少なかった。
これはもしかしたら田中や山根よりも戦力になるかも知れない、そう思わせる動きだった。
「はぁ、はぁ。えっと、これぐらいで大丈夫だよね?」
「えっと、うん、そうだね。流石です、姫。見事な警棒捌きでした」
「ぷっ、何それー? 出来れば私も美紗みたいに慰めて欲しかったんだけど?」
「そうだったんだ」
余裕そうに笑みを見せる藤野さんだけど、やっぱり顔色は良くなくて、体もふらふらしている。
僕たちは軽口を叩きつつ、藤野さんの体を支えて移動した。
「えっと、八雲。俺が変わろうか?」
「いや、俺が変わるよ?」
「田中も山根も何を言い出すんだ? それよりも警戒をしててくれと言ったのに、見てないじゃないか。藤野さんは中に入ってて」
「え、うん」
流石にこれだけ騒いでいたらゾンビも近寄ってきたようで、道路の両方からゾンビが近寄って来ていた。
まずは近い方から片づけるべく鉈を抜いて走り寄り、相手が横を向くよりも早く首筋に振り抜く。
結果をちゃんと確かめずに後ろに下がり、そこでどうなったかを見ればバランスを崩して倒れるも、左側はまだ動きを見せていた。
同じ方向から寄って来ていたゾンビも近寄って来たので背後に回り込んで首筋を叩き、蹴り倒す。
後は動きが悪くなった二体の首に鉈を振り下ろして動きを完全に止めた。
さあ、もう一方のと思って顔を上げたら道路には安藤さんが立っているのが見えた。
「何をやってるんだ、安藤!」
僕は慌てて彼女に駆け寄るが、距離が離れていたのでゾンビの方が先に到着する。
まだ一度もゾンビと相対した事の無い安藤さんがやられる、そう思ったのだが彼女は腕を振り上げた。
「えい!」
持っていたのは樫の棒で、両手持ちにしたそれは綺麗に頭部へと決まり、ゾンビの動きが止まる。
予想外な出来事に足が止まりそうになるがそのまま駆け寄り、動きが止まった藤野さんとゾンビの間に割り込んだ。
「このっ、倒れろ!」
走り込んだ勢いを乗せた僕の蹴りはゾンビのバランスを崩して跳ね飛ばす。
そのまま近寄って首筋に鉈を何度も叩き込み、動きを止めた。
軽く周りを見回しても新しいゾンビは近寄って来ていないので、僕は安藤さんの手を掴むと強引に藤野家の門をくぐった。
「ふぅ、何を考えてるんだ、安藤さん?」
門を閉めて鍵を掛け、振り向いたと同時に静かにそう言い放つ。
多分僕は相当怖い顔をしているのだろう、誰も僕と真面に目を合わそうとしない。
安藤さんは下を向いていて表情が窺えないが、肩が震えているから恐怖を感じているに違いない。
だけどここはちゃんと話を付けるべきなんだ。
そうじゃないと今後絶対に死んでしまう。
「もう一度言うけど、何を考えているんだ?」
「八雲君、明日菜はその」
「藤野さん?」
「君が心配だからって飛び出したんだよ? 八雲君だけに任せるなんて出来ないって」
「いずれ僕も頼らせてもらうし、別の事でなら今だって」
「そうじゃないよ、八雲君」
「そ、そうだぞ八雲。俺が言うのも何だけど、八雲は一人で抱え込み過ぎだ」
「俺も八雲みたいに動けるとは思ってないけど一体ぐらいなら何とかなる」
「そ、そうですよ、八雲君。私たちをもうちょっと頼ってください」
「頼るって。今でも頼ってるよ、十分」
「殆ど八雲から教えてもらった事。それを私たちがやってるだけ。それって頼っていると言う?」
僕は仲間と生き残ろうとして、皆を頼っている。
料理や洗濯なんて女性陣に頼ってるし、重要な警戒とかも田中と山根に任せてる。
「八雲君、頑張り過ぎだよ」
「安藤さん」
「ごめんね、八雲君。あの時からずっと八雲君に頼ってきた。物知りで、用意周到で、ゾンビと戦うのも凄いから、ずっと頼ってた」
「だからそれはお互い様で」
「でも、これからは私たちにも頑張らせて。八雲君が頑張ってる分も私たちに頑張らせて。そうじゃないと、そうじゃないと」
閑静な住宅地に男女の嗚咽が響く。
本当なら避けるべき行為なんだろうけど誰も止めない。
何故なら僕以外の全員が泣いているのだから。
そして僕はその光景に衝撃を受けているのだから。
唐突に僕は理解した。
あの動画を見てから今日まで生き残ろうと、自衛しようと走り続けてきた。
気が付けば仲間が増えていた。
それなのに足並みを揃えようとせず、僕はそのまま走り続けてきたんだ、先頭に立って。
僕は何を焦っていたんだろう?
僕は何故焦らせていたんだろう?
自他共に認める変人な僕だけど、やっぱりこの状況に精神的に追い詰められていたようだ。
僕は友達が少ない。
だから人付き合いが得意じゃない、なんてのはただの言い訳だ。
僕は仲間と生き抜くと宣言していたのに、ただの付いて来いと引っ張っていただけだった。
それに気付いた僕は大きく息を吸い込み、吐き出した。
「ごめん、皆。僕が間違ってた」
「解ってくれたなら良いよ、八雲君」
「そうだぜ、八雲」
「これからはがんがん頼ってくれ。あ、でも美味しい所だけ回してくれると助かる」
「それってどう言う意味なの、山根君?」
「うえ!? いや、その」
「同じ食材だから贔屓は出来ないかな?」
「解った。山根には特別に骨を多めにしておく」
「何故!?」
「はははははは。えっと、八雲君。これからもよろしくね」
「ああ、こちらこそだよ、安藤さん。それじゃあ早速頼らせてもらおうかな。外のゾンビに止めを刺して来てよ、皆で」
「「「「「「えー!?」」」」」」
さて、空気をブレイクするのは僕の十八番だ。
だからこんな良い雰囲気でもぶち壊す魔法を唱えてやった。
ほらほら、早くしないとゾンビの追加がやってくるぞー。
僕は渋々門から出て行く皆を笑みを浮かべて眺めていた。
でも、最後に彼女が肩に手を掛けた。
「ところで八雲君」
「何、藤野さん?」
「明日菜を呼び捨てにしてたけど、本命は明日菜って事なの? 言ってる事が違い過ぎて私分からないよ。好きって言った癖に、好きって言った癖に」
「何故、そうなるんだよ!?」
だからラブコメは要らないんだよ、僕らには。