表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異邦人  作者: 住友
14/15

決闘――3――


 兄は今や空中要塞と呼べる威容を誇っている。

その頭は天を衝き、燃える硫黄の滴とガスを

地上に雨あられと降らせる。

その無数の足は大地を割って

今この瞬間もなお成長している。

まさに兄の破壊願望の集大成、

生きた災厄そのものだ。


「明朝君、貴方も早く! 

今度こそ逃げるんです!」


キサメを背負って距離を取っていると

唐突に現れた生徒会長に瞬間移動で攫われた。

僕も足を怪我していたので助かったが、

生徒会長の言う通りにする訳にはいかない。


「会長さん、その能力使って

大丈夫なんですか?」

「気づかいは無用です。

歩くよりは楽です……」

「じゃあ他の怪我した人のこと頼めませんか。

まだたくさん取り残されてますから。」


僕は兄を追う。


「明朝君一体何をするつもりですか!? 

まさかあの隆己さんを

どうにかしようというんじゃ……」

「兄さんは僕が倒す!」

「無謀です! 死ぬ気ですか!?」

「ここで逃げる訳にはいかないんです! 

会長さんはみんなと一緒に離れて! 

キサメのことも頼みます!」

「明朝君……隆己さん……」


生徒会長が言葉を詰まらせている間に

僕はできるだけ早く駆け出した。


「ハルカタ、あなたは生き返る……

あなたはこの運命に選ばれたが故に正しい……」


そんなキサメの声もはたりと止んだところで

僕は改めて兄の全体像を注視する。

あまりに大きくあまりにゆっくりなので

どの方向へ動いているのかすぐに分からない。

あせらされる思いと

らされる思いを同時に味わいながら

注意深く観察していると、

兄は小高い坂の向こうへ

進んでいるのが分かった。

坂の向こうにあるのは

郊外の団地と田園、そして街だ。

よりたくさんの人間を死に至らしめようという

唯一の行動原理に従っているらしい。

最早学校も僕のことも目に入らないようだ。

僕は硫黄の足の爪先を見つける。

足は大木の根のようにアスファルトを貫いて

這い回り、空にある兄の体を引っぱっている。

僕は硫黄の足に乗りかかり、

しがみつくような体勢で兄の足の上を這っていく。

目指すは兄の本体、その頭部の頂点だ。

しかし足の動きは意外と激しく

みるみる間に傾斜がついて

垂直に近づき、高度が上がる。

まるで上下左右に勝手に動く吊り橋のようだ。

掴まるものはない。

自分の義肢を力づくで硫黄に食い込ませるしかない。

自分の足元が動くと

つい情けない声をあげそうになる。

いつの間にか体育館の屋上と並ぶ高さまで来ている。

学校の敷地内が見渡せる。

人々が小さく見える。

今までに経験したことのない緊張を覚える。

強い揺れで指がずれ、暑さを忘れて冷や汗をかく。

視線を移すと第三校舎の

最上階の様子がよく見える。

一瞬、暗がりの中に人影のようなものが

ずらりと並んでいるのも見えた気がする。


「みんなも見てるのか……」


兄は残っていた黒煙の幕を引き裂きつつ前進し、

学校を囲む丘に差し掛かった。

もう兄からは街の向こうの海まで

見えているかもしれない。

僕の生身の部分の手の平や膝が

ひりひりと痛む。火傷しているらしい。

得体のしれない湯気や硫黄の悪臭が

強烈なガス圧となって鼻も口も塞いでくる。

目は染みるし、砂が入ったような

煩わしい違和感もする。

そういえば生徒会長がくれた防塵マスクが

あるのを忘れていた。

簡易なものだがないよりはましだろう。

つけてみると自分の呼吸音がよく聞こえる。

落ち着かないったらありゃしない。

早く登りきらなければならない。

下るように傾斜がついてきたのに合わせて

一か八かで滑り降りてみる。

そうして足の根元までくると

足が束ねられて形成された

幹ともいうべき部分に行き着く。

幹もやはり硫黄でできており、

完全に垂直の壁で、

表面は亀裂や稜線が走っており

岩肌をさらす山そのものだ。

上の方では火を噴いている所もある。

揺れと共に硫黄の欠片も落ちてくる。

活火山の断崖絶壁といった様相を呈している。

間違いなく僕の人生で立ち寄ってきた

あらゆる場所の中で最も危険な場所だ。

だが後にはもう戻れない。


「為すべくして為す……

望むからする……」


命綱はない。足場もない。

義肢の右手と左足を交互に壁に突き立てて

昇っていく。義肢だけはまだまだ元気だ。

落ちてくる破片を浴び、

噴き出した火炎で腹や胸を焼かれても

絶対に手を離すことだけはない。

体の痛くない部分はもう義肢だけだ。

今まで被ったどんな事故や拷問と比べても苦しい。

自分でも生きているのが不思議だと思える。


「終わりだ……」


頂上の縁に最後の力を込めて指を食い込ませる。

その先を覗くと平らな頂上が見える。

体全体を引き上げて登りきると

大きな脱力感がやってくる。

それに耐えきれず僕は仰向きに

大の字になって横たわる。

辺りはすっかり晴れていて

日が大分沈んでいるのがよく見える。

息切れが煩わしく、

腕の力も使いきって動かせないので

硫黄の床になすりつけるようにして

マスクを外してすっきりする。

すっきりすると街の色んな音がよく聞こえる。

サイレン、放送、自動車の走行音も

クラクションもよく聞こえる。

そしてそのどれとも違う単調に連続する

爆音が近づいてくる。ヘリコプターだ。

高速で移動するヘリは

疲れて動けない僕の視界に少し映り込み、

すぐに通り過ぎる。

落ち着いてきた僕は体を起こし

改めて辺りを見回す。

硫黄の怪獣の頭がある方を見ると

そこに人が立っている。

元の姿の兄だ。

呼んでみるつもりはない。

兄の背後まで歩み寄り、一気に片を着ける。

僕は歩き出したが

気配を消すだけの余力がもうない。

義肢の扱いも完全に力任せだ。

足を投げ出すように歩くので

豪快な足音がたつ。

僕を知る者ならこの音だけで

僕がいると分かるだろう。

相手が兄なら尚更だ。


「もうこんなに日が暮れている……」


僕に背を向けたまま兄が力なくつぶやく。


「街に放った火もみんな消されている……

僕の負けだ、僕の夢は潰えた……」


それを聞いて僕は歩みを止め、拳を解いた。


「こんな、なけなしの平野を占めてるだけの

小さい故郷くにすら制圧できなかった。

僕は弱かったんだ……僕はもう戦えない。

ガス欠だよ……疲れたんだ。

眠たい、眠たすぎる……」


兄の隣まで行って同じ方向を見てみる。

住宅街やビル街は整然と明かりを灯して

佇んでいて、凝集した星空のようだ。

ヘッドライトをつけた大量の自動車も

活発な天体のようによく動き蠢いている。

街はまさに何事もないといった様子で、

火の手も上がっていなければ

『赤鬼』の行列もない。

兄が上げたと言っていた狼煙は一つもない。

目立って煙を上げているのは

平常運転する工場団地や発電所だけだ。

現実社会は巨大な怪物としての威厳を

全く損なっていない。

兄の夢は完全に醒めてきっている。

あちこちで緊急車両のランプが

点滅していなければ

兄の起こした大騒ぎなど

口から出まかせなのではないかとさえ

思えてくる。


「当然だ兄さん……こんなやり方で

現実に勝てる訳がない。

自殺した時点ですでに負けていたんだ。」


兄の戦意がないことに付け込む訳ではないが、

率直に意見してみる。

兄の横顔に涙が一筋流れている。


「……そうだね。その通りだ。

僕は最後の最後まで負けていた……

僕は無価値な人間だった……

生きる意味も資格もなかった……」


にわかに風の向きが変わり、

真正面から吹かれた僕は顔をしかめた。

その一瞬、僕が目を離した少しの間に、

兄は日の沈んだ方角へ歩き出していた。


「もうこんなに暗い……

眠らなきゃいけないな……やっと眠れるんだ……

僕にはもう明日はない。明日はお前のものだ。」


見返りながら兄は灰となって消えていっていた。

僕が声をかけかけた時にはもう跡形もなかった。

最期の兄の表情は暗いようで、

明るいようでもあった。


「僕は祈ろう、お前が勝ち続けられるように……」


静かな声でそう言い残した。



 兄がいなくなると僕は開かれた世界へ目を向けた。

太陽が沈んで暗くなりかけた空は深い紫と、

ほんの少しの真鍮色で彩られている。

雲は日なたを飛ぶ虫の羽に似た金色から

夜風に揺れる白地のカーテンのような色になって

夜の来る方角に向かって岩間を流れる水のような、

燃える炎のような形をして広がっている。

雲と空の更なる向こう側には時間も

エネルギーも超越した

無限の宇宙空間が透けて見える。

黒く大きく物静かに広がる東の海。

街を囲むように列をなしてそびえる

山脈やまなみの濃密な闇。

この高みから目の届く限りまで、

山脈には森が、海には夜空が、

それぞれ果てしなく続く。

活動し出した繁華街や郊外のテーマパーク。

冷たい風となって海から夕焼けへと、

闇から光へと、僕へ向かって吹いてくる夜気。

本当の夜が来た。

今日というこの日はもう終わる。

はたして、今日とは何だったのだろう。

今日とそれ以外の時間の違いとは何だろう。

今日までの時間は何だったのだろう。

未来とは何だろう。

僕の人生とそれ以外のものとの

違いとは何だろう。僕とは何だろう。


「僕は人生をやり直す。」


どれもこれも分かったような気もするし、

よく分からないような気もする。

自分で感じた事やキサメの言っていたことも

理解できているようでいないような気がする。

空や大地が遠いようで、

近いようでもあるように。

今ここが暗いようで、

明るいようでもあるように。


「誰も兄さんを、

僕たちを悲しむ権利はない……」


兄の体は意思を失っても

まだ街を目指しているようだ。

緩慢とは言えこれだけの巨体なので

制動もそうやすやすとはかからないのだろう。

しかも間の悪いことに

丁度今坂を下り始めたところのようだ。

自然に止まるのを待っていては

街に入ってしまう。

僕はまた街を見ようとして

武器を満載した戦闘ヘリが空中に静止し

睨みつけてきているのに気づく。

武器を向けてくる以上いつまでも

通せんぼしているだけということはないはずだ。

攻撃してくる可能性は充分にある。

ヘリからは私の姿も確認できるはずだが、

街を守るためなら僕一人の犠牲くらいは

いとわないかもしれない。


僕は足元にかがみ左手の掌を置いた。

触れてみると兄の体内の呟くような

脈拍が直に伝わってきて、

精神の消え失せた兄の体が

なおも動き続けているのを実感する。


「この硫黄の塊に火器で

攻撃させるのはまずい……

それに決着は僕がつけるんだ……」


僕は自分の力の由来を今一度思い返す。

自分と一つ一つの義肢との出会いを、

その知識と可能性を思い出す。

右腕の義手には切り札となる最後の力がある。

それは、義手自体はおろか僕の体や

周囲の安全すらも無視した

自爆同然の最大出力での稼働だ。

それを引き出すのに必要な暗証番号を

解除したのはもう大昔の話だ。

単に暗証番号を解くこと自体を

一つのゲームとして楽しんだのが

きっかけだった。

その当時から今までずっと

力を使う機会もなかったし、

力になど何の関心も寄せてこなかった。

寄せないふりをしていた。

だが今は違う。

今僕は右手を振り上げる。

手を強く握る感覚が、生身の時と同じ感覚だ。

それは義手になってからは

ずっと失われていた感覚。

加えて、産声のようにめでたい金属の軋み。


「僕は願いを叶える。

今こそ安らぎを得なければ……」


僕は世界の無知無関心に心を開いた。

揃うべきものは揃った。

力への恐怖は完全になくなった。

僕は未来を守る。今が未来なのだ。

僕は僕の未来で生きて死ぬのだ。

僕は人々の前で砕け散る。

それを望む。

そうした処刑こそ嘘のない真の正義なのだ。


拳を振り下ろすと

未来の予感が脳裏によぎって、

そして全てが空に、

無に還った。









 次話でこの部は終わり! どうぞ最後までお付き合いください! 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ