α
「もう死んじゃうの?」
「ごめん」
自然と涙がこぼれていた。
彼は力の入らない手で私の頬をなでる。
「ごめん、私のせいで。ごめんね」
私と彼には特殊な血が流れている。他には存在しない血液型。α型。
私と彼はいつでも一緒だった。一緒にいないといけなかった。いつなにが起こるかわからない。何かが起こったとき、助けられる人は彼しかいない。それは彼も同様で彼を助けられるのは私だけだ。
「何も悪くないよ、一人にしてしまってごめん」
「いいよ、私ももう死ぬよ」
私はなぜか月に一度は大量に血を吐いた。それによって私は輸血を必要とする。もちろんその血を提供してくれるのは彼だ。
私もなるべく体調のいい時は自分から血を抜くようにしているが、それでもやはり足りない。
「死ぬな、それだけはやめてくれ。僕が死ぬ意味がなくなる」
「だって、もう生きる意味がわからないもの」
私たちの日々はゆっくりと進みながら、どんどんどんどんゴールへと向かっていった。
「覚えてる? 春に雨が降った日。初めて出会った日」
霧のような雨が降る中で私たちは会ったんだよね。私はお母さんに連れられて、彼はとても綺麗なお姉さんに連れられて。
お母さんは言った。この人が私の双子のお兄さんなんだよ、と。
彼は優しく笑った。よろしくね、と。
私は彼が出した手を優しく握った。
それから私たちは親元を離れて施設に入った。
ある一種の実験台になったのだ。
世界で二人にしか流れていない血液。大人が放っておくわけがない。
世話係の朱里さんと、羽柴さん。二人とも優しい人だ。
「はじめまして、これから二人のお世話係りになりました。朱里といいます」
朱里さんは茶色い長い髪が綺麗なお姉さんだ。
私が我が儘を言うと眉を下げて困った顔をしながら、私をなだめた。
「覚えてるよ、びっくりした。急に妹がいるって言われたんだから」
羽柴さんが眼鏡をかけて、あまり話さない男の人。
でも本当はすごく優しい。私が辛い時一番最初に気付いてくれた。
「私は嬉しかったよ、すごく」
施設に入ってから一ヶ月は毎日検査された。採血されたり、よくわからない機械の中に入ったり。体中を調べられた。
「うん、僕も嬉しかった。最初の一ヶ月は毎日泣くから、なかなか寝れなかった」
「それはごめんね、でも怖かったの」
お母さんに会えず、よくわからない大人に囲まれるだけの日々で私が安心できたのは兄が、彼が隣にいてくれたときだけだった。
夜になればお母さんのことを思い出し涙が止まらなかった。
それに気付いた彼が毎日私の背中をさすってくれた。それだけで安心できた。
「僕も実は怖かったよ、でも兄だからしっかりしなきゃって思ってた」
初めて聞いた。彼の本音。私と彼はほんの少しの年の差しかない。それは当たり前のことだ。
「初めての夏、朱里さんに我が儘言ってお祭り行ったね」
施設に入ってから数年は私の体は健康で、吐血することも一切なかった。
怪我をすれば心配されたけれどそれ以外ではそれなりに自由だった。
でも、祭りとなれば人が多い。なにが起こるかわからない。最初に朱里さんに祭りに行きたいと行ったときはだめだと即答された。
彼が初めて朱里さんに歯向かったできごとだった。
朱里さんは私とは違いいい子だった彼に目を丸くしていた。今でも覚えている。
私だってびっくりしたのだから。
その日を境に彼はいい子ではなくなった。もちろんやってはいけないことはやらなかったし、検査だってきちんと受けた。でも、自分がやつ必要がないと思ったことはやろうとしなくなった。
「金魚すくい全然うまくいかなくてへそ曲げたな」
「懐かしいね。初めて浴衣を着たの」
朱里さんが浴衣を着せてくれた。ピンク色の可愛い柄の浴衣だった。
朱里さんと羽柴さんと彼と一緒に花火を見た。
花火の音が大きくて彼の手をぎゅっと握ったら、彼がぎゅうと握り返してくれた。
「秋は施設から少しづつ色づく庭の木の葉っぱを一緒に見たね」
黄色、朱色、赤色、綺麗に色づいていく葉っぱを見て、私は毎日のように絵を描いた。
「公園でこけて、血がたくさん出て朱里さんの顔が真っ青になったな」
「うん、そうだね。二人でずっと走ってたら私が躓いてこけちゃって。思ってたよりも血が出ちゃって朱里さん泣きそうだったね」
施設で過ごす秋が終わり冬になり始めた頃、私たちは定期的に採血し、輸血用に献血するようになった。
毎日鉄分の多い食材を食べるようにもなった。私はレバーは苦手だったけど、食べないと羽柴さんに怒られるので目をつぶって食べた。
「レバー、好きじゃなかったなあ」
「うん、いつも嫌だ嫌だって駄々こねてたね」
「でもそれ以外は全部食べたよ」
「うん、マイはいい子だね」
彼は私の頭をゆっくりと撫でる。
「やだ、やめてよ。もう子供じゃないんだよ」
毎晩毎晩泣いていた頃とは違う。
「カナタのほうが、もっともっといい子だったよ」
「そうかな? 僕はそこまでではないと思うけど」
本格的に寒くなり、施設で過ごす初めての冬が来た。彼と初めて過ごした冬。
雪が降った日、私ははしゃいで勝手に外に出た。朱里さんではなく彼に怒られた。風邪を引いたらどうするのだと。私が彼に初めて怒られた日だった。
あの頃お気に入りだったコートを着て、耳あてと手袋をつけて、ブーツを履いて。
外は身が凍るほど冷たくて、飛び出した時には感じなかった寒さを感じ、彼が心配して怒ってくれたんだとわかった。
「雪が降った日は雪だるま作ったね」
「うん」
いつも私が途中で飽きてしまい彼に全てを任してしまっていたのだけれど。彼は器用にバランスのいい雪だるまを作ってくれた、
「マイがいっつも溶けていく雪だるまを見て泣くから、僕が何個も何個も作ることになったんだよ」
「いつも色んなことさせてばっかりだったね。ごめんね。私も何かすればよかった」
私は彼に何をしたんだろう。いつもいつも迷惑をかけてばかりだった。
「別にいいんだよそれで」
彼は優しすぎて。いつも甘えすぎた。
最初の方は飲まなかった薬もだんだん飲むようになっていった。
朱里さんはその薬がどんなものかを説明してくれたけど私はよくわからなかったし、わかろうとも思わなかった。自分の体にどんな薬が入っていくのかなんて知りたくなかった。
最初は二粒ぐらいだった薬は今では十粒以上飲んでいる。それがどんな薬なのかは全く知らない。
十歳を超えた頃から私はたまに血を吐くようになった。
ただ咳が出ているだけだと思っていたら、手には血がついていた。びっくりしてすぐに彼に言った。彼が朱里さんの元へ行った。
私はすぐに検査された。施設に入った時のような検査や今までにしたことのないような検査も。
検査結果は異常なし。体のどこを検査しても何も異常はなかった。
「マイが初めて血を吐いたとき本当にどうしようかと思ったよ」
「怖かった。このまま血を吐いて死ぬんじゃないかなって思った」
それから三年ぐらいは半年に一回吐血するぐらいで収まった。
でも私に生理が始まった時から、私は二ヶ月に一回は吐血するようになった。
生理と一緒にと吐血するので、私は常に貧血になってしまう。半年に一度は輸血をしなければやってはいけないほどになっていた。
何度か検査もしたけれど異常なし。
月に一週間はふらふらとするので彼にはずっと心配をかけた。
「修学旅行一回も行けなくてごめんね」
私の体調がよくなくて結局一度も修学旅行には行けなかった。
「でも羽柴さんに言って二人で修学旅行に行けたから別によかったよ」
違う。私は彼には友達と行ってほしかった。私とではなく、彼の友達と修学旅行に行ってほしかった。
私の体調がよくないせいで彼はたくさん我慢することになってしまった。
私さえいなければと何度も思った。でもそのたびに彼は私がいなければ自分に何かがあったときどうするのかと言った。
「ごめんね、私のせいで。全部全部私のせいだよ」
「もう謝らないで。僕の最後はマイが笑った顔を見ていたいよ」
何度涙を拭っても涙は止まることを知らなくて。
「二人での修学旅行楽しかったよ」
「私も楽しかった。朱里さんすごい高そうなホテル取っててすごいびっくりしたね」
「うん、朱里さんたまにそういうところずれてるよね」
小学校の時の修学旅行は広島に。広島で泊まったホテルが小学生が修学旅行で宿泊するとは思えないようなホテルだったのだ。朱里さんは普通だと言ったのだけれど。
修学旅行は初めて彼と行った旅行だった。
初めて乗った新幹線、初めて見たものばっかりだった。
「平和って何なんだろうね」
「わからない」
何もかもが安心していられる世界。そんな世界があれば彼は生きていられたのだろうか。私と彼の血液型も普通のものになったのだろうか。
「中学校の修学旅行は東京」
「うん、人が多くてマイが迷子になったな」
「東京って規模が違うね。ぼーん、ぼーんって人が固まりみたいにいるの」
新幹線を出てから彼の後ろをついてあるいたはずなのに、気がつけば違う人の後ろをついて歩いていた。どこに行けばいいのかもわからずその場所でぼうっと突っ立っていたら、彼が走って迎えにきてくれた。何をしていたのかと少しだけ怒られた。
私はすぐに迷子になってしまうので、それから私は彼と手をつないで行動した。
「朱里さんにカップルみたいですよって言われたな」
「うん、びっくりしちゃった。私たち兄弟なのにね」
双子の兄と双子の妹。
「初めてのディズニーランド、楽しかったな」
「うん、私はしゃぎすぎちゃってまた迷子になりかけちゃったね」
人生初のディズニーランド、原宿、浅草、二人で東京の色んなところを回った。
あの頃はあれが最後の旅行だんて思ってもみなかった。
もっともっと他の場所に二人で行ってみたかった。朱里さんには無理だって言われたけれど外国にだって行ってみたかった。
「カナタと手を繋いで出かけるの大好きだったよ」
知ってるかな、彼は。兄だってわかってはいたけれど彼と手を繋いだ時少しだけどきっとしたことを。いつも一緒にいるけれど手を繋いだことはなくて。私と一歳しか違わないけれど手の大きさも全然違って柔らかさも違った。
ただそれだけのことなのに思い出したらまた涙は流れる。
浅草で外国の人に声をかけられてあたふたしたこと、原宿でクレープを買ってアイスを落としかけたこと。全部全部覚えているよ。
「低学年ぐらいの時には施設の庭でビニールプールに入ったね」
「うん」
羽柴さんにプールを膨らませてもらって、一緒に入ったね。私が好きなピンク色の水着。水鉄砲で撃ち合ったね。びしょびしょのまま中に入ろうとして朱里さんに怒られたり。
「ねえ、死なないでよ。お願い。私の血をいくらでもあげるから。ねえ、お願い」
「もうその話はやめようよ。もう無理だよ。マイのために血を抜いたんだから。そんなこと言われたら辛いよ」
彼は私のために体内の致死量ぎりぎりまで血を抜いた。
彼はあと数日もてばいい方だと言われた。あと数日。彼はもうふらふらでベッドの上で寝ていることしかできない。
私は手術後すぐに朱里さんと羽柴さんに止められたけれど彼の病室に行った。もうそこには手術前の彼ではない彼がいて。それだけでたくさん泣いてしまった。手術前にはこうなるとは思ってはいなかったのに。本当はこんなことになるはずじゃなかったのに。私のせいだとまた自分を責めた。
「今まで楽しかった?」
「うん、もちろん。マイがいてくれたから。大切な妹がいてくれたから」
「うっとおしくなかった?」
今までたくさん迷惑かけてごめんね。うっとおしかったよね。同じ血を持っているだけでこんなことになって。
「うっとおしかったら一緒になんていないよ」
「そっか、そっか。ありがとう。桜綺麗だったね」
「うん」
施設の近くの河川敷にお花見に毎年行った。
私と朱里さんでお弁当作って。最初の方はほとんど朱里さんに任せっきりだったけれど、最近は私がほとんどの料理を作ってたんだよ。
彼が美味しいって言って食べてくれるのが本当に嬉しくて、毎年少しでもよくなるようにって頑張った。
「一緒にケーキ食べに行ったね」
「うん、マイが急にこれが食べたいって雑誌を見て言ったんだよね」
「ラズベリーのタルト。すっごい美味しかった……」
店員さんにカップルですかって言われた。二人で出かけるとそう言われる確率は高かった。
「去年の夏は久しぶりにプール行ったね」
「うん。一年ぶりだっけ。マイの体調がよかったからね」
一昨年の夏はずっとバテてしまってプールに行けるような体調ではなかった。だからプールに行けたのはかなり嬉しかった。
朱里さんと一緒に水着を買いに行って。一年ぶりに着た水着。
「そのまま帰ってから庭で水風船作って投げ合ったな。マイ作るの下手すぎて全然進まなかったし」
「カナタ上手かったよね。私たちどっちかができないことはどっちかができてどっちかができないことはどっちかができてバランスよかったね」
私のほうが出来ること少ないって怒られそうだけど。
一緒に施設の部屋から見た花火。本当は見に行きたかったけど今年の夏も体調がよくなかったし外にいける体ではなかった。
初めて花火を見たときはその音の大きさに驚いて彼に抱きついてしまった。
「プールに行った後二週間後ぐらいだったけ。人生最大の喧嘩だったね」
突然朱里さんが真剣な顔をして私と彼を呼んだ。
「お二人に話があります」
今までに聞いたことのない朱里さんの声。自然と背筋が伸びだ。
「これから言う事で怒ると思います。でも、どうか最後まで話を聞いてください」
「はい」
朱里さんは少し躊躇うように口を開けた。
「お二人の子供がほしいんです」
「どういうことですか」
彼の声は間違いなく怒っていた。でも私は意味がわからなくて何も言えなかった。私たちの子供?
「ご存知のようにα型はお二人しかいません。日本政府、いや世界中があなたたちを欲しがっているのです。どのようにしてα型が生まれたのか。しかしわからないことが多すぎます。ですから」
「だからって、そんなこと言っていいと思っているんですか」
「本当に申し訳ありません。誰もがこんなことはしたくはないんです。でも」
気がつけば私の手は震えていた。それに気がついた彼が私の手を握ってくれた。
「私は、絶対に嫌……。どんな理由があったとしても」
「ですがそれによってお二人も普通の血液型になることができるかもしれませんよ」
「そんなこと誰にもわからないでしょ。それにこんな思いをするのは私とカナタだけでいい。他の人には絶対にさせない」
「お願いします」
「その子はどうするつもりなんですか。実験漬けにするつもりですか」
「いえ、お二人と同じような状況になるかと」
私たちと同じ状況。薬を飲み、献血をし、検査をされるということ。
「でも同じ血液型になるとは限らないですよね?」
「ええ、その場合もあります」
私と彼の遺伝子を受け継いだといってα型になるとは限らない。
表現し難い感情が心のそこから溢れてしかたがなかった。
「もしその子がα型ではなかった場合はどうするんですか」
「その場合はまだ決まっていません。どうしてなのかを検査するかもしれないし、しないかもしれない」
「もしその子がα型じゃなかった場合検査をしないという条件を飲めますか」
「検査をしない、ですか……。ええ、そう約束しましょう」
「なんでそんなこと」
「マイ、ごめん。でも僕はマイが元気になれる方法が知りたい。それが知れるなら」
「嫌だ、絶対に。嫌。もしその子が同じαだったら私たちみたいな思いをしないといけないんだよ」
今までそんなことになったことはなかった。少し方向性が違っても話せばすぐに解決できた。でもあの時は違った。一週間は口を利かなかった。
私は自分の部屋で考え続けた。自分の子供を産むことは正しいのか。兄との間に子供を作ることは正しいのか。その子がα型だったとき検査されることを私は耐えられるのか。
喧嘩をしてから一週間が超えたころ彼が私の部屋にやってきた。少し話さなかっただけなのにとても久しぶりに思えた。
「マイはどうしたい?」
「私は嫌だ。変わってないよ」
「うん、僕も変わってない。僕も最初は嫌だと思った。でもマイの症状が少しはよくなるかもしれない」
「でもならないかもしれない。そんなわからないことのために私は一人の人の人生を狂わせたくない」
それから二時間ぐらい話し合った。私はかなり怒ったし泣いた。自分でもあんな行動が取れるのかと驚いた。
結局私は彼に負けた。いつもそうなのだ。
自分が選択したことが正しかったのかは今でもわからない。
私はほんの数日前に女の子を出産した。まだ何型なのかはわからない。
でも、その出産中に私は死にかけた。予想以上の出血量。いく輸血をしても足りなかった。そこで彼が言ったらしい。自分の血を抜いてほしいと。
きちんとそこからまた体の器官が働けばよかったのだけれど、彼の体はそう上手くは働いてはくれなかった。
そして今に至る。
「α型かな、違うかな」
「わかんない。どうなんだろうね」
「どんな型でも元気に育ってほしい」
「うん」
「マイごめん。勝手なことして。でも全部僕のわがままだったから。嫌だって言ったマイを説得したのは僕だから。全部全部僕が選択したことだから」
「違うよ。最後に決めたのは私。だから血なんか抜かなくてよかったのに」
私の世界には彼しかいなかった。
友達だって朱里さんだって羽柴さんだっていた。でも彼は特別だった。
雨が降る春の日に出会ってから十年以上が経った。
どうしてこんな最後になってしまったんだろう。
私はこの感情の名前を知らなくて。ずっとずっと。
「カナタさえいればよかったよ。私は。最高のお兄ちゃんだよ。カナタは」
「うん、僕にとっても最高の妹だよ」
この感情の名前をもっと早く知っていれば少しは違ったのかな。
彼はゆっくりと笑う。
私は叫ぶ。
「ずっとずっと、大好きだったよ」




