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あるいみ、魔王城   作者: 団楽
6/6

BLOODY MARY

男爵。

10人に問えば10人が頷くだろう。


黒いシルクハットに黒いスーツ。胸ポケットにハンカチーフをさし、両の手を滑らかな手袋が覆う。

右手にはアンティークな懐中時計、左手には黒檀のステッキ。

まさに男爵。


そして、陰気な。

彼を見た人々に彼を体現する形容詞はと問えば、100人いれば100人間違いなく、そう答えるであろう。


青い顔に落ち窪んだ眼。ひょろりとした体躯に、猫背の手本のような曲がった背中。

まさに陰気。


彼は現代世界にまるで馴染まない、下手をすれば職務質問を受けかねない、

まさに、「陰気な男爵」だった。


ただ残念なことに。あるいは、幸運なことに・・・。


このネオンきらめく夜の街で彼を見つける人はない

なぜなら彼は人非ざるものだから。

思念の世界の住人だから。

彼を思考しない人の目に、彼が映ることはない。


だから、陰気な男爵は背中を丸めて俯きがちに、悠々と人々の行きかう表通りを歩きすぎ、ある路地に目を止めると、こそこそと、誰にも気が付かれないままにひょいと路地へと身を滑り込ませた。


そして、お馴染みのあのバーの扉を開かれる。

カラン、カラァン


さかのぼること数秒前

今日も閑古鳥が巣をつくるこのバーで、独り店番をしていた使い魔エイは、似合わぬもの憂げな表情で芝居じみたため息ついていた。


客が来なければ売り上げはあがらず、売り上げがなければ、エイの給料も発生しない。

働いた分だけ給料が発生する資本主義社会であるはずなのに、このバーでは別の社会体制となっているような気がしてならないエイである。


エイがもう一度溜息をつこうとしたとき、カウベルが来客を告げた。


カラン、カラァン


エイははっと顔をあげた。

お客様、お金様の来店にエイの心はあっという間に浮上する。


「へぃ、らっしゃいませ!」と、夜のバーにはいささか不釣り合いで、日本語としてもかなり怪しい、陽気な言葉がその口から飛び出て客を迎えた。


一方、今宵のお客様、お金様である男爵は、びくりと飛び上がると、「うひゃぁ」と奇妙な声をあげ、怪しげなポーズをとった。


「昨今はそのような応えの仕方が流行っているのですか?」


男爵の不思議ポーズを首をかしげつつまねるエイに、男爵は決まりわるそうに咳ばらいをすると、居住まいをただし、エイをぎろりと睨み付けた。


「君ねぇ、仮にもここはバーなんでしょう。『へぃ、らっしゃいませ!』は無いでしょうに。驚くでしょうが。どこぞの居酒屋ですか。」


男爵の低くもそもそとした声に、エイはちょこんとおでこを叩いておどけて見せる。


「あぁ、これは、大変失礼いたしました。驚きのポーズでしたか。いや、驚きました。」


エイはそういうと、いそいそと男爵のステッキをあずかり、席に案内する。


「実はですねぇ、なんですかぁ、時代劇っていうのですかぁ。最近、ご主人さまが、はまっておられまして。

一緒に見ていた私めも、ついつい口調がうつったというか。

黄門さまに桃さん、金さんとくりゃ、暴れん坊。

あの、単純なまでの勧善懲悪ぶりがお気に召したそうです。

はい。」


「闇の王なのに?」

男爵は呆れながらバースツールに腰をおろした。スツールがぎしりと軋み、男爵は不安そうに、少しだけ腰を浮かす。


エイはやや空気椅子感のある男爵と、その訴えかけるような視線、震える太ももを華麗に無視すると、主のいささか己の存在意義を揺るがしかねないような昨今のマイブームについて、仕えるものとしての不安を吐露した。


「はい。闇の王なのにぃ?でございます。

我が主はどちらかと言えば西洋風ではございますが、和風に換言するなば、お立場上、主は校門様に退治される悪漢、金さんになぎ倒される金貸し、将軍様に「せいばいっ」とか言われて、御庭番ぽい人にやられちゃう大名ですのに。


まぁ、はぁ。お気に召しているようですし、いわゆるフィクションというものですし、諌めるのもおかしな話かとは思いますが、正義の人に憧れを抱かれても、ふと我に返った時に己の存在について思い悩みはしないかと、それだけが不安で。」


「君も気苦労が絶えないねぇ。」と、男爵はエイをねぎらうと、不在の主を探すように小さな店内をぐるりと見回した。


「で、その闇の王さまはいかがされた。」

「なんたら犯科帳というのをご鑑賞中です。客もこぬから、良いだろうと。」

「良くはないでしょうに。こうして、客が来ているのだから。」


そこに店主が陰鬱な顔で、エプロンの腰ひもを結びながら姿をあらわした。

スツールに腰掛ける男爵をみると、顎に手を当てて考え込んだ。


「やぁ、男爵ではないですか。以前にもまして、お顔の色が・・・。青いと言うか灰色と言うか・・・。何色っていうですかね?キモチワル色?」

新しい色の名前を開発しようとする主に、男爵は思い切り顔をしかめて見せた。


「開口早々、失礼な男だねぇ。それより、時代劇鑑賞は良いのかね。」

主はカクテルの準備を始めながら、眉間にしわをよせる。


「えぇ。今度のは、後味が悪くって。わたしは、ぴっちり、きっちり、ぴったり、かっきり、悪は悪。善は善、45分ですっきり解決を期待していたんですがねぇ。だから、鑑賞はとりやめて、気分治しに働こうと。」


「“気分治しに働こう”って。世の勤労者が聞いたら、怒られそうな台詞だね。」

男爵の言葉に主は小馬鹿にしたように鼻をならした。


「“何のために働くのか”。哲学あるいは社会科学の命題としてあげられそうなお題目ですがね。

“何”を自分以外に持ってくる人間は愚鈍で子狡いと言うのが私の持論です。家族の為?年老いた両親の為?社会の為?


確かに聞こえはいいですが、働くことによって犠牲にしたもろもろを容易に責任転嫁する言葉でもある。

メタボの体も、流行おくれの服、やりたかった趣味。

家族の為、年老いた両親の為、社会の為に、犠牲にしたのだと、一方で簡単に言えてしまう。

だから、私は私のために働くのです。私が生きていく中で、私が今働きたいから、働く。

気分直しだろうが、暇つぶしだろうが、今月ちょっとDVDボックス買っちゃって苦しいからだろうが、全部私のため。」

主はそう言い切ると、コトンとカクテルを男爵の前に置いた。

どろりとした赤が透明なカクテルグラスを侵食している。


「Bloody Mary でございます。」


男爵はふっと目を細めると、カクテルを一口飲んで「うむ」と満足げに吐息をこぼした。


「男爵、こんなものばかり飲んでいないで、いい加減に本物をお飲みなさいよ。

先ほども言いましたが、お顔の色が青いをとおりこして、白いをとおりこして、灰紫と言うかなんというか・・・

キミワル色?

とにかく、歩くゲテモノになっています。

化け物ではございませんよ。ゲテモノです。」


悪口と織り交ぜながら心配してくる店主に男爵は苦笑した。


「つくづく、失礼な男だねぇ。

しかし、飲んでも変わらんと思うよ。

数少ない同胞が最近こぼしていたのだけれど、昨今のあれは、“塩分と食品添加物をふんだんに使い、環境ホルモンを隠し味に入れた。

どろどろとした食感が新しいなにか”らしいよ。

“聖水飲んで灰になるならまだしも、人の血飲んで、こうも体が害されようとは”って、言いながらふらふらしていたよ。

まぁ、よくも人は生きてられるものだね。我らをあんなにも損なうものを体中にめぐらしながら。」


「人の驚異的な適応能力と生命力に脱帽ですね。

あなた方も見習って、適応なさいな。」

主の言葉に男爵は乾いた笑い声をあげた。


「君は先ほど“何のために働くのか”と言ったけれど、私はその命題を“何のために食すのか”と変えて、私の見解を述べさせていただくよ。

それは君と同じように“わたしのため”だ。

私が生きていくために、例えこの身が滅びようとも、私は私の食したいものを食す。

そして、私の食したいものが無いのであれば、似て非なる代用物でこの身を繋ぐことを望みたくはない。

例え、傲慢だと言われようがね。

彼女と出会ったときに、私が食したいものは彼女でしかなくなり、彼女がいなくなったとしてもそれはかわらず。

彼女の不在の世界の中で、名を冠したこのカクテルを飲み、微かに酔いながら、彼女を思うことを私は望む。


あぁ。

彼女は我が人生最高のひとだった。

外側も内側も、真っ赤に染め上げ。

あまりに美しくて、あまりに悲しくて、触れることも叶わなかったけれど。

彼女の血もきっと、こんなふうに甘くて苦くて、微かに苦い味がしたのかもしれないね。」

男爵はそう言うと、愛しい恋人の血を飲むようにカクテルを飲み干すと、空気椅子で若干震える膝を叱咤しながら立ち上がった。


「それでは、再びまみえる機会があれば、その時に。」


男爵はハットをかぶりなおすと、少しだけ背筋を伸ばし、主と会釈をしてから店を後にした。


エイはその後ろ姿にを深いお辞儀で見送ると、「さらば、貧血吸血鬼男爵。」と告げてから、くるりと主を振り返った。


「ところで、どっこい、ご主人さま。男爵の“あのひと”とは誰ですか?」エイは小指をぴっと立てると、「やっぱり、男爵のいいひとですかねぇ。」、にやりと笑う。


「お前は、本当に無学で鈍感で情緒がありませんねぇ。カクテル、ブラッディー・メアリーの名称の由来ともいわれる、イングランド王女、メアリー1世。少しは勉強なさいね。」


呆れた主の声もなんのその、エイは両手を胸の前で組むと感嘆の声をあげた。


「王女さま!男であれば、一度はあこがれる高嶺のお人。

ストイックで有名な男爵が恋するにはふさわしい。

いったい、どんなお人だったので?深い知識をお持ちの主様であれば当然ご存知でありましょう。

このエイめにも、是非ご教示くださいませ。 」

知識をひけらかすのが大好きな店主はエイのよっこいしょに簡単に得意げになると、軽く咳払いをしてから話はじめた。


「血のメアリー嬢。王女として生まれたはずが、父の離婚再婚劇で、一転庶子へ。

かつては、父からそそがれた愛は、父その人に否定され。愛されない哀しみから生まれた憎しみよりも、一度愛されたからこそ、その愛が否定された故の哀しみが生み出した憎しみの方が激しく人の心を染め上げる。

憎しみ心を染め上げたメアリー嬢は、政略、策略の限りをつくし女王に返り咲き。失った愛を取り戻そうとした。けれど、失われた愛は、代用物では埋められない。哀しさはいやまし、憎しみ深まり、いつしか、行きどころを失い、父の代わりに殺した人の数はおよそ300。」


「300人!それは、まさに、血まみれでございますなぁ。」エイは目を丸くする。

「ええ。そうですが。メアリーを染めた血はそれだけでは無いのですよ。」

「と、申しますと?」

「悲しみから生まれた憎しみは、外へ向かうばかりかメアリーの内へも向かいました。メアリーが憎しみを募らせ膨れ上がらせるほどに、メアリーの心もまた傷つき、血を流したのです。

本人も気が付かぬ間にね。だから、メアリーは外側も内側もまっかっか。」


エイは成程と頷いた。「まさに、血まみれ。随分な女性を男爵は愛したものです。私なんぞは、恐ろしくて手も出せそうもありませんわ。 」


「そう、男爵も手が出せなかったのです。あまりに、凄くて。あまりに、焦がれすぎて。当時は寝食忘れて、気色の悪いお顔の色で、ずっとメアリー嬢を見ていたものです。

それはもう、偏執的に。男爵はストイックなんかじゃありませんよ。ただ、もんもんと、ずっとメアリー嬢に恋しているだけです。かれこれ、500年近く。」

「500年!新しい恋もせずに?」、エイの驚きの声に主は深く頷く。

「えぇ。できないのです。男爵は、メアリー嬢に触れられなかったから。想いは醒めようにも醒められない。ずっとメアリー嬢にとらわれつづける。」


「それは、随分と苦しいですねぇ。」、エイは腕を組むと沈痛な面持ちで何度もうなずく。

「それは、どうでしょうか。存外、幸せそうではありませんでしたか?

男爵は、メアリー嬢を手に入れなかった代わりに、一生分の恋を手に入れたのですから。

そして、メアリー嬢も彼女の預かりしらぬところで幸福なのでしょう。

この身滅びても君しかいらぬ、と300人殺した憎しみも裸足気逃げ出すほどの、ストーカーチックな愛を500年も注がれているのですから。」


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