黒揚羽
基本蝶が好きな私は、黒揚羽は子供の頃から“高貴”なものだと思っていた。
優雅な風貌は、他の蝶にはない威圧感を与えてくれる。
……そんな黒揚羽が吉兆の象徴と知ったのは、数年前の事。フォロワーさんが教えてくださった。
出現する場所でも様々な意味を持つとされているようだが、私がよく見かけるのはやはり神社。
もしくは、参拝後の帰路。
先日、某神社へ行って来た。
全国的に有名な神社(※ちなみに、S県にあり、以前から参拝したいと思っていた神社である。)より勧請と伝えられているそうだが、行くまで全く知らなかった。
というのも、この日の目的は別の神社だったのだ。
その日、お盆という事もあってお墓参りへ出掛け、久し振りにお寺の御朱印を戴いた。
……余談になるが、先日御朱印について本を読んでいたところ、お寺と神社で御朱印帖を分けた方が良いという一文を見かけた。神社によっては、混在していると断られる場合があるとの事。
私の御朱印帖は見事に混在している。
今更どうにもできないので、急遽お寺用の御朱印帖をこしらえたのが、数日前の事。
この日は、お寺用の記念すべき一枚目である。
今後、神社用とお寺用の二冊を持って旅に出掛ける事にしたわけだが、もう一つ気になる事が。
私は表裏に御朱印を頂いていたのだが、本を読んでいたところ「私は表のみ」という方が多かった。
滲みたらどうするんだろう、と不安ながらも、最初に『表裏使えます』という説明文を見てしまったので、使わねばならないものだと思っていた。
※実際、滲みているページが1枚あった為、そちらには書置きを貼った。
まさか途中でやめるわけにもいかないので、こちらは思い切って書置き専用の御朱印帖へ切り替えた。
二冊目以降は、私も表のみにしよう、と誓いつつ。
話を戻そう。
ともかく、お寺から目的の神社へ向かった。こちらは『その手』では有名な神社で、検索すれば一発で出てくる。
私が知ったのは、知人からの一言だった。数時間後、丁寧に調べてくれた彼女から詳細を伝えられ行く事にしたのである。
K府が有名だと思っていたが、意外に全国に存在するらしく、私が行く予定の神社は関東でもかなり効果が高い場所との事。
これがまた不思議な場所で、商店街の一角にぽつん、と鎮座している。
知らなければ通り過ぎてしまうような場所で、当然社務所など存在しない。ただし、ひっきりなしに人が来るため綺麗に清掃されている。また、御御籤はガチャぽんという斬新なもの。御御籤と共に、パワーストーン? が入っているそうだ。私が出向いた時、ガチャぽんは空だった。
さて、この神社。普通に参拝するだけでなく、絵馬に願いを書いて伝えることが良いらしい。ちなみに絵馬は、商店街のお店で購入する。お店によって購入不可曜日や時間帯が存在する為、事前に問い合わせねば無駄足になりかねない。
尚、絵馬と共に御守を頂く事が出来る。ちなみに、願いが成就されたらその御守にお礼を書いて再びこの地に参拝するのが礼儀な様子。至る所に礼が記載された御守が御御籤と一緒に縛ってあった。相当効果が高いようだ。
気になるようならば調べてみて欲しい……と言ったところで、“何に効果があるのか”を書いていなかった。先に述べたK府であるならば『安井金毘羅宮』が有名だろう。
ただ、今回参拝した神社は「暗い・怖い」といったイメージの神社ではない。それどころか、妙に清浄な雰囲気だった。調べたところによると、常に浄化されているパワースポットとのこと。納得である。
さて。
本題はこの神社ではない。
無事参拝し帰路につく予定だったが、途中気になるノボリが点々と存在した。町内会と思われる方々が、丁度設置中だったとある神社のノボリである。
どうしても気になっていたので、絵馬を購入したお蕎麦屋さんで訊ねてみた。すると、「ここから遠いところだよ」と。
それで納得だ、車に乗り込んでもナビに全く映らなかったのは、現在地から離れていたからである。何故そんな遠くの神社が、と思われるかもしれないが、先に参拝した神社と深い関係があるそうで。
行かねばならない気がしたので、ナビをセットして出向く事にした。
車で十分程度走っただろうか、住宅街に木々が見えて来た。
鳥居の正面に立つと、神聖な雰囲気に圧倒された。奥が薄暗く見え、肌がピリリと引き締まる。ひっそりとしていたが、地元の方と思われる参拝者が、帰っていったところだった。都内とは思えぬ神社だった。
大きな鳥居を一礼をしてくぐり、神域に入る。その日は涼しかったが、境内は周囲の木々が手伝ってさらに気温が下がっていた。
普段通りに参拝し、右隣りの摂末社へ出向く。稲荷神社では神拝詞(祓い給い 清め給え 守り給い 幸え給え)を三唱と書かれていたので、その通りにした。
唱え終えると、目の前で黒揚羽が舞っていた。
「わぁ、黒揚羽! 縁起がいいね!」
私がそう告げると、相方が顔を顰めた。
「……鳥居をくぐってから、ずっとついてきてた。俺もいるね、って言った。無視されたけど」
なんだって。
全く身に覚えがない、話しかけられた記憶すらない。
相方曰く、鳥居をくぐると前方で右へ左へ舞い飛んだ後、私の周囲をくるくるまわりながらついてきたそうだ。稲荷神社での参拝中も、目の前にいたそうだ。
なんだって。
普段なら、絶対気が付くはずだ。そんな馬鹿なと混乱していた私は、大鳥居まで黒揚羽に見送ってもらった。不思議な事に、左側をついてきてくれたのである。私が鳥居をくぐると、役目を果たしたとばかりに、蝶は御本殿のほうへと戻っていった。
私は、確かに境内を眺めていた。不思議な場所だな、と思いながら歩いていた。地面を見て歩いていたわけではない、しかし蝶がどうしても目に入らなかった。
常に、真っ先に蝶を見つけて来た私にとって、衝撃的な有り得ないことだったのである。
そして、ふと思った。
神拝詞により、私にまとわりついていた何かしら良くないものが祓われたから見える様になったのではないか、と。
実は、最初のお寺は私が足を踏み入れて良い場所なのかどうかわからず、躊躇っていた。その為車中で待っていたのだが、検索してお寺を調べるとお庭が素晴らしいという事と、御朱印が頂けるとのことで、戸惑いながらも参拝したのだ。
それが原因ではないと思うが(いや、しかし、やはりどうにもこうにも腑に落ちない)、最近神宮大麻にお参りをしていなかったことも手伝い、何かしらの神様からの伝言に思えた。
以前、困窮していた際に「神棚拝詞が良い」と某フォロワーさんが教えてくださったことがあった。(その節は大変お世話になりました……。他にも色々と教えて頂きました)唱えたところ、涙が溢れたわけですが、今回も似たような状況だったのかもしれないと。
今回、改めて調べてみたが、やはり神拝詞を唱えたことが原因としか思えない。
神社での黒揚羽は吉兆の象徴であり、神様が歓迎してくださっている。側にいてくださったのに、私が見えていなかった……という事を恥じた日だった。
今思い返しても、不思議としか言い表すことが出来ません。