十七 ニセゴルゴ
午前十時を二分前に控えたIXA設置室。
キャプチャースーツに着替えた俺達美都桜の面々は、大型ディスプレイを全面に向かえ、一列に並んで通信を受けた。
回線が開かれると同時に、白いキャプチャースーツに身を包んだ面々がディスプレイに映る。條庄学園IXA部の連中だ。竹仲さんに聞くところによると、條庄のスーツはどこかの有名デザイナー渾身の作品だとか。女子はともかく、男子のスーツ姿も、中々に知性の高さを伺わせるいいデザインだ。
しかしながら、竹仲さん以上に純白のスーツ姿が似合っている女子生徒は見受けられない。まあ当然と言えば当然だな。
そんな條庄学園の生徒の列から一歩進み出た位置に、金持ちのアホぼん特有のにやけた顔の茶髪ツンツン頭が立っている。奴こそ條庄学園IXA部部長、ニセゴルゴこと最東隆夫だ。話では勝つための手段は選ばないという、悪役にはうってつけの性格らしい。
そんな性格を現すかのように、第一声から中々パンチの効いた挨拶をよこしてきた。
「竹仲ぁ、うちから逃げてそんな弱小貧乏高校に都落ちするなんて、正直驚いたよ」
いやぁ、見ていて清々するような小悪党っぷりだ。
待て待て騒ぐなモヒカン共。今『うちの学校の、そしてうちの総大将の悪口を言うのはそこまでにしてもらおうか!』と俺がバシッと一言決めて、かっこいいところを見せてやるから。
「うちの――」
『きぃー! うちの高校が弱小貧乏ですって! 何を言ってらっしゃいますのこのたわけもの!』
『痛い! いたいよ、朱池! ちょっとやめろって! ひぃー!』
ディスプレイ内で、朱池先輩の手刀がニセゴルゴをビシバシと容赦なく襲う。すいません、俺の振り上げられた拳はどうすればいいのでしょうか?
『ハァハァ……と、とにかくこれから開始いたします。よろしくって?』
「あ、ああ」
あっけに取られてた部長が小さく同意を零す。
「そ、それじゃあ一同、礼!」
「『よろしくお願いしまーす!!』」
かくて美都桜高校IXA部と、條庄学園IXA部の合戦の幕は切って落とされた。
我らのIXA部が生まれ変わって、初めての合戦。初勝利を飾れるのか、それとも生まれてすぐに廃部という運命をたどるのか。という運命の選択はこの際置いとこう。
どうか、せめてまともな戦いになりますように!
IXAシステムが作り上げるヴァーチャルリアリティー空間内の陣幕の内。
五分間の軍議タイムを有効に使うべく、皆が速やかに卓を埋めた。
上座に控えるのは勿論竹仲さんだ。そのすぐ近く、上手の右に陣取る部長が皆の着席を機に立ち上がり、一言告げる。
「静聴! これより総大将の言葉を頂く! 竹仲、開始にあたり決意でも述べてくれ」
総大将を中心に、右に五名、左に四名の部員達が、一斉に彼女へと視線を移した。
それを受けた竹仲さんが甲冑姿もりりしく立ち上がり、一礼をし、皆の顔を見渡してから口を開く。
「皆さん、本日の一番は我ら美都桜高校IXA部において、大切な一戦です。そんな重要な合戦を、私のような若輩者に預けてくださる事は、大変恐縮であり責任を痛感しています」
「おう、かめへんかめへん! リラックスしていこや」
金盛先輩がまるで合いの手を入れるように言った言葉に、皆が相槌を打って答える。
きっと皆、気持ちは一つなんだ。『とっとと條庄の奴らをぶっ飛ばして、さっさと帰ろう!』と。
「では取り決め通り本陣を要として鶴翼の陣を敷き、右先鋒に金盛・枝畑隊、右中備えに鉢州家・織田隊、左先鋒に山内・多岐川隊、左中備えに朝野・真江田隊という布陣で臨みます。そして肝心な事ですが――」
『肝心な事』彼女の言葉に、皆の身が引き締まる。
「物見の報告によれば、敵方は横陣を敷き、馬防柵や塹壕を配備しているところを見ると、やはり何かしらの誘いをかけ、こちらを誘き寄せ、兵力と士気を弱めるつもりでしょう。おそらく……いえ、相手はきっと酷い挑発を仕掛けてきます。ですが皆さん、そんな手には乗らずに、相手が痺れを切らして動くまで我慢なさって下さい。大丈夫、待っていれば部長と仲の良くない数人が、向こうから抜け駆けの単独行動に出て来て、自滅する公算が高いですから」
「「御意ッ!」」
「特に部長、朱池隊との因縁対決などと言う言葉に乗らないよう、お願いします」
「ううむ。そうだな、気をつけよう」
部長が眉をひそめ、腕組してなにやら思案している表情になった。うんうん、気持ちは分かるよ。だがねー部長、皆の足ぃ引っ張るようなこ事しちゃだめっスよぉ~? ほらほらモヒカン達、お前らもビビッてないで言ってやれ。流石に脳内の言葉までは聞こえないんだから――
「おい橋場、今何か言ったか?」
「い、いえ。何も言ってないっスよ!」
部長の目がギロリとこちらを射抜く。だから俺の心の中を覗かないで!
「それでは皆さん、力の限り戦いましょう……えっと……お、おーっ!」
竹仲さんが小さく拳を突き上げ、すっごく恥ずかしそうに鬨の声を上げた。その意外さとあまりものかわいらしさに意表を突かれた俺達。
そして少し遅れて、こみ上げてくる熱気に突き動かされ、皆も盛大に続けて叫んだ。
「「おおおおおおおおーーーー!!」」
さあ、時は満ちた。いよいよ勝負の時だ!
どこまでも晴れ渡った青空に、見渡す限り緑の平原というコントラストが広がる中、整然と居並ぶ武者集団が実によく映える。現実世界ではお目にかかれないようなロケーションだ。
俺は些かの緊張はあるものの、落ち着いて周囲を見渡せる余裕すらある。これも竹仲さんのそばにいると言う効果の賜物だろう。もはや彼女が居てこその俺だ。
だが俺が今ここにいるのは、暴走を止めてもらうためじゃない。ましてや彼女にいいところを見せるためでもない。どんな事があっても、我等のお屋形様を守るためなんだ。
と、そんな時だった。
「敵が動き出しましたね」
竹仲さんの声を聞いて、俺に緊張が走った。ふと見ると、敵方総大将陣営から三騎のNPCと思われる騎馬武者がこちらに粛々とやってくるのが見えた。
どうやら使者口上のためのNPCのようだ。なんだか猛烈に嫌な予感がするよ。
「敵方総大将、竹仲殿へ述べたき義あり!」
使者が俺達の部隊から少し距離を置いた位置で止まり、次いで味方全員をイラッとさせる声が響き渡った。
『竹仲ぁ! よくもまぁお前みたいな戦下手が総大将になれたもんだよなぁ! あ、そうか! 元々美都桜に人は居なかったっけかぁ?』
使者のNPCを通して、敵方総大将の最東隆夫の声が大音量で響き渡った。
その声が聞こえた途端に、俺の怒りのボルテージがイエローゾーンへと一気に跳ね上がる。いけない! 竹仲さんを見てクールダウンだ!
『でもよぉ、お前が居なくなって皆清々してるよ! ありがとうな、転校してくれて!』
ああだめだ! 俺の血管が! 俺の理性が! モヒカン達が! い、急いで竹仲さんを拝むんだ!
だが、俺は一瞬で血の気が引いた。
目に飛び込んできた竹仲さんの悲しげな顔。俺は何てバカなんだ! 俺が怒りに我を忘れたからって彼女を頼ってどうする! 竹仲さんはもっと辛いんだぞ、落ち着けよ、俺!
『お前さぁ、気付いてた? 皆から嫌われてたの。すっごいウザかったんだ、存在自体がさ』
竹仲さんが俯き黙り耐えている姿を見るのは、心が張り裂けそうだ。
ちくしょう、とうとう彼女の瞳が潤み始めたぞ!
「あいつら、ゆるさねぇ! 馬引けっ!」
俺はたまらず近侍に馬を使わせるよう命じた。だが、そんな俺を竹仲さんは気丈にも優しく諌めてくれた。
「は、橋場さん。今出て行ってはいけません。お願いですから留まってください」
「ぐぬぬ! ……う……うん。分かった。ごめんよ竹仲さん」
どうにか踏み留まる事が出来た。が、まさかここまで酷い挑発だなんて思ってもみなかったな。次も我慢できる自信はないよ。
「これが相手の誘い、敵の罠なんです。迂闊に攻めに走れば、堀と場防柵に阻まれたこちらが不利。もう少し、もう少し我慢してください。そうすれば相手方の部長と反目している短気な性格の武将、比音野や因幡が、痺れを切らして突っ込んできます」
その言葉はもう懇願に近かった。
でもこれ以上我慢できそうに無いし、ならせめてあの雑音を放つ使者を叩き切らせてくれ!
「御使者を切るのは無礼行為です。後の官位昇格に響きます。今は我慢ですよ、橋場さん」
「あ、ああ。官位なんて関係ないけど、竹仲さんがそう言うなら我慢するよ」
俺はありったけの顔筋を総動員させて、なんとか小さな微笑を作って見せた。いや、引きつった変な笑いかな?
だけどそんな俺の努力は、一瞬で無駄になった。またあの胸糞の悪い声が響いたからだ。
『竹仲よぉー、お前なんで嫌われてたか自覚してたか? お前のその腐女子全開の歴女っぷりが、皆からキモがられてたんだぜ? IXAを分かって無いくせにしゃしゃり出てくるし、歴女でキモいし、最悪――』
突然、その声を妨げるように、荒々しい女性の声が響いた。朱池会長の声だ。
『最東! 何を言ってらっしゃるのですか! いくら作戦とはいえ、竹仲さんをそこまで言う必要はありませんでしょ! あなたの誹謗中傷は度が過ぎていますわ!』
使い番越しの声だろう。その言葉には、竹仲さんを思いやる気持ちが見え隠れしているような、そんな様子が伺えた。
『今すぐ竹仲さんにお詫び――プチッ――』
だけどその声も、途中で遮られてしまった。きっとニセゴルゴが会長の通信を強制的に遮断したのだろう。
『チッ! うっせーな。俺は真実を述べてるんだ。謝る筋合いはねぇよ! それとついでだからいっとくぞ、お前の官位の事だ! お前は正当な手段で手に入れたって言ってたけどよ、俺達ぁ知ってんだぜ? 金で手に入れたって事をさ』
「野郎! 言うに事欠いてなんてことを!」
俺は竹仲さんの顔を見た。彼女は俺の視線に気付き、ただ首をふるふると振るうだけだった。それは俺に早まるなと言ってるのか、それとも自分の官位はお金で買ったものじゃないと言ってるのか。
勿論後者は考える余地すらないさ!
『何でお前みたいな奴がうちでレギュラー張れたと思う? 顧問の都木先生が言ってたぜ? 大金持ちのご両親の口添えがあったってよ。だからお前を贔屓してレギュラーにしたんだってさ。もしかしてそっちでもパパに頼んで総大将の地位を買って貰ったんじゃないのか? ぎゃはははは!』
――ぷちんっ――
俺の脳内で、モヒカン頭達の長男・モヒカン一郎が、静かにそう一言零した。そいつは最後の最後、かろうじて一人だけ残っていた、俺の理性だった。
「あの野郎! ぶち殺す!」
手綱を持ち、鐙に足をかけた俺の耳に、竹仲さんの悲壮な叫びにも似た声が届いた。
「橋場さん駄目ですってば! 留まってください、お願いですから!」
「ごめん竹仲さん、もう無理だ! これ以上黙ってられない!」
「私はぜんぜん気にしていません! それに今勝手に出れば、独断出陣の汚名を付けられる事になります!」
「汚名なんて、官位なんてそんなの関係ないさ! 俺達の大事な人が屈辱を受けてるんだ! そっちの方が百万倍大事なんだ! いくぞ者共! 三千の兵は俺に――」
と言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。いや、驚いて絶句したんだ。
突然響き渡った地鳴りと喚声、更には攻め太鼓と法螺貝の音。
それは俺達を包み込むように、音の津波となって周囲から押し寄せてきた。
「な、何? 何が起きたんだ?」
そう。俺達の居る本陣以外の部隊の全てが、一斉に突撃を敢行した音だ!
俺も竹仲さんも顔を見合わせ、呆然となった。その直後、部長のキューティー・ポーが、先輩のノブトラが、皆の使い番が一斉に現れ、俺に言った。
『橋場よ! お前はそこを動かず、竹仲を絶対に死守しろ! 分かったな!』
『ケーイチ、お屋形様は任せたぞ』
『ごめんねー、ちょっと行ってあいつころしてくるー』
『ケーイチすまんけどな、竹仲に独断出撃謝っといて!』
『なぁに心配すんなって、また俺があのアホを瞬殺してやるさ』
皆、なに勝手な事言ってるんだよ……そいつは俺の専売特許だろ?
そう考えながら、溜息に似た呼吸を一つ吐いた。そして静かに手綱を放し、鐙に乗せた右足を地に付ける。
俺の中の怒りは一気に収束し、無意識に笑いがこぼれた。今気が付いたよ。うちのチームは皆、似たもの同士なんだな。
「み、皆さん何をなさってるんですか! すぐに戻って下さい!」
竹仲さんが俺の元へと駆け寄り、居並ぶ使い番たちに向かって叫ぶ。
『ごめんなー竹仲ー! あいつぶっ飛ばしたらすぐ帰ってきて、土下座でも何でもするからー』
リョータの一言に、竹仲さんは次の言葉が出せないでいる。
『とりあえず皆さんのお手伝いをしてくるのですー』
温厚なほがらかちゃんまでが動いていた。これはもはや事件と呼べる域の出来事だ。
『……以上』
そして省吾の一言で、一斉に使い番達がその姿を消す。残された俺達は、ただ皆が突撃する様を見送る他無かった。
「皆さん……なんで私の言う事を聞いてくださらないんですか……今出て行けば、敵の誘いに乗って不利な戦いを強いられるというのに……下手をすれば負け戦になってしまうかもしれないのに」
掌で顔を覆い、肩を震わせながら呟く竹仲さん。そんな彼女に、気の利いた台詞でも言ってあげたい。でも俺はバカだから思い付いた事しか口に出来なかった。
「竹仲さん。皆の無断出撃はさ、君のためを思っての事なんだ。我等のお屋形様が辱めを受けたんだ、黙ってやり過ごすなんて出来ないよ」
俺の言葉は、皆を、この美都桜のIXA部を勝たせたいと願う竹仲さんの気持ちを、無視した発言かもしれない。
「でも時にはさ、何をおいても守らなきゃいけないものがあると思うんだ。かっこつけた言い方だけど、仲間ってやつをさ」
彼女の肩の震えが止まり、ゆっくりと顔を覆っていた手が離れていく。涙に潤んだその瞳は、俺の言葉を一つ一つ読み取っているかの様に見えた。
「入部以来、さんざ皆の足を引っ張った俺だから判るんだ。俺がバカやって突出した時も、誰かがフォローしてくれた。部のお荷物だった俺を、見限ったりせずに今まで面倒見てくれた。そんな時、いつも先輩が言ってたよ。『仲間だから当然だろ?』って」
言ってて恥ずかしかった。十年後、俺の封印されし黒歴史語録集のトップを飾れる程の名言だ。
「……でも負ければ、我々が負ければ、廃部になってしまうんですよ……」
しばらくして、竹仲さんが泣き疲れたようなかすかな声で、小さく呟く。
「うん、でもね。皆にとってたぶんそれは、部の存続よりもっと大事な事だと思うんだ」
「存続よりも、大切?」
「うん。あとで後悔するより、よっぽどいいだろ? なんであの時、仲間の窮地を見てみぬ振りしたんだろうってさ」
美都桜IXA部の伝統、仲間の絆。うちの「弱さ」の秘密は、まさにそこなんだ! ……威張って言う事じゃないな。
「それに……」
一呼吸置いて、俺は満面の笑顔で言った。
「部長の事だ、もし負けちゃっても、廃部云々は笑って誤魔化すんじゃないかな?」
少しあっけに取られたような顔を見せる竹仲さん。けどその表情からは、少しずつ強張りが解け出し、零れ落ちていた涙も、いつしかその流れを止めていた。
「ほら、見てみなよ竹仲さん! 合戦場の中央、部長と朱池会長の因縁の対決が始まったぜ?」
遠く戦いが繰り広げられている戦場中央に向け、俺は指を差して言った。
「私怨にまみれた戦いはしちゃ駄目だって言われたのにさ、まったく織田君はダミダネー」
肩をすくめて首を振り、訛ったおっさん上司の口ぶりで、俺は部長の行為を茶化した。竹仲さんは、ちょっとだけ笑顔を見せてくれた。
「にしてもさ、朱池会長もよく真っ向勝負してるよね?」
そう。部長と朱池会長の直接対決は、真正面からのガチ勝負だった。もっと姑息な手段に打って出て来るかと思ったけど、なかなかどうして正々堂々としたバトルスタイルじゃないか。
「朱池先輩も、元々はパワーアタッカーでしたから……卑怯が売りのですが」
なるほど、じゃあ高校になって織田部長とかぶるから、自らのスタイルを変えたのか。百パーセント卑怯主義に。
「そういえば……真江田先輩に聞いたんだ。本当はさ、部長は朱池会長の事をすごく認めていたんだって」
部長達の合戦状況を眺めながら、俺はぽつりと言った。
「部長はあの人の事だって、辞めていった腐歴女部員達の事だって、大事な仲間だと思ってた筈なんだ。彼女らが辞めていったその日から暫く、時折考え込む仕草を見せる事があってさ。真江田先輩が言ってたよ、仲間を失って傷ついてるんだって。辞めてくれて清々したとか言ってたけど、本心じゃないんだよ」
竹仲さんが俺の言葉を聞き終え、改めて部長達の合戦に目を移した。
「だから私が入部する時、あんなにも拒否されたんですね。もう、仲間を失うような事はしたくないから……」
「かもね」
そう一言呟いて、俺は彼女を見た。そこにさっきまでの泣き崩れていた少女は居ない。ただ、戦況を観察し状況把握を行う、一人の美少女指揮官が、どんな状況にも対応できるよう目を輝かせていた。
ニセゴルゴのあまりの非道な戦いぶりに、遂に竹仲の何かがはじけた! 非情なまでの策を弄し、橋場に断言する。「どんな事があっても、この戦、勝たせていただきます!」
次回 「歴女軍師の真価」
この章を最後まで読んでいただいて、まことにありがとうございました。




