十三 七人の覗き
この高校のIXA部に入部してからというもの、度重なる無実の刑罰により、モップがけだけは誰よりも上手くなった。そう言えば
、真江田先輩が言ってたっけ。『モップを持つ時は雑巾を捻る様にして持て。こいつは槍や刀を持つ時の鍛錬に通じる』って。
そんなアドバイスをくれた優しい先輩に、今なら言える……うっそでぇー! そんなんで槍捌きが上達するんなら、皆で掃除やればいいじゃないかー!
そうこう考えているうちに半時ほど過ぎ、既に半分程の面積をモップで塗り上げていた。それにしても、改めて見渡すとやっぱ広いな。俺に超能力があるんなら、このだだっ広い設置室を半分ぐらいに出来ないもんかね?
「設置室よせまくなぁれぇ~! やぁー!」
広い広い筐体設置室は、どんなに念を込めても狭くはならなかった。
「くそっ! 俺にはそんな超能力は無いのか! それとも皆の地球を救いたいと言う想いが足りないのか!」
何を言ってるんだろう。アホか俺は。
「あ、あの……橋場さん?」
「ウヒァエェーヱ○▲?□$%*!!」
だ、誰だ! 俺の呪われし黒魔術発動の儀式を覗き見た奴は! 恥ずかしいから一思いに殺して!
「あの橋場さん、いらっしゃいますか?」
「そ、その声は竹仲さん! 早かったね、今帰ってきたの?」
設置室入り口付近、戸惑うような仕草で中を伺う彼女の姿が見えた。もしかして俺の奇行が見られちゃったか?
「あ、あのー、いつからここに?」
「あ、はい。つい今です。大丈夫ですよ、何も聞こえてきたりしてませんから」
しっかり聞こえましたって事ですね。ありがとうございます。
「おっと、そんな事より慎吾は?」
「はい。軽い捻挫らしく、明日にでも痛みは引くとの事です。一応先生に送ってもらって帰られました」
「そっかー、よかった」
俺はほっと胸を撫で下ろし、自然に安堵の笑みが零れた。俺のせいじゃないにしろ、流石に心配だったもんな。
「そう、それじゃあ部室に行ってきなよ。皆待ってるだろうしさ。俺はまだ掃除が残ってるから、悪いけど皆に先帰ってくれって言っといて」
「いえ、もう部室には行きました。で、設置室に橋場さんがいらっしゃるというので朝野さんの事を伝えにと……」
「そうなんだ、わざわざありがとう!」
「それと、一人で大変そうだから……お掃除お手伝いしようかと」
な、何と言う僥倖だ! こいつはビルとビルの間に掛けられた電流鉄骨を見事渡りきってやったぜってどころの幸運じゃないぞ! おいおい、早まるな脳内のモヒカン頭達よ、コングラッチュレーションの拍手は後回しだ!
とりあえず落ち着け俺! ここは人間性を大きく見せるため、一度は遠慮をしてみせるんだ。
「そ、そんな悪いよ。竹仲さんに迷惑がかかっちゃう」
「全然いいんです。前にも言いましたよね? 私はお掃除が好きなんですって」
俺は今、感動に打ち震えている! 素直に掃除してて、本当に良かった! 人生苦あれば楽あり。良くない事の後には、必ず良い事が控えているんだよ!
「あ、ありがとう! じゃあ一緒にモップがけしようか」
「はい!」
俺は掃除用具入れのロッカーから、なるべく汚れの少ないモップを取り出し、竹仲さんに手渡した。彼女の綺麗な手がばっちくなっちゃかわいそうだからね。
「そうだ、竹仲さん。もう聞いたかな? 君がこれから我が部の総大将になるって事!」
「はい、伺いました。微力ながら精一杯がんばります!」
モップをローラーで絞りながら、彼女が笑顔で言う。おお、なんとも前向きな答えだ。やはりこの子は心が強い子なんだ。
そう思ってふと見た竹仲さんの瞳は……どことなく伏目がちだった。もしかしたら、今の言葉はカラ元気なのかもしれない。やはり無理をしてるんじゃないかな? どうにかして自信を付けさせてあげたいもんだよな。
「俺は引き続き御家来衆のままだけどさ、どんな事があってもお屋形様である竹仲さんの命令には背かないし、命をかけて君を守ってみせるよ!」
「すごく嬉しいです。橋場さん、これからもよろしくお願いしますね」
「ああ、もちろん! えっと、それとさ。皆、竹仲さんの総大将には大賛成なんだよ。勿論俺も!」
俺がそう言い終ってすぐ。ふと、彼女の床を拭く音が止まる。
この時、彼女の表情に気付けなかった自分が、少し悔やまれるよ。
「今までさ、皆自分勝手な合戦をしてきたんだ。作戦なんてあってないようなもんだったんだ。無論、俺の足手まといもあったせいで、結果は連敗続き。あ、部員同士は結構仲がいいんだよ。でも有能な指揮官が居なければ、いくら個々の能力が高くったって勝てないよね」
俺は彼女の方を見ずに続けた。彼女を勇気付けてあげようと、自信を持たせてあげようと、モップがけをしながら調子に乗って喋っていたせいだ。
「そんな中、天才軍師の登場だ! 今日の合戦でその実力は折り紙付きと実証されたんだぜ? なんかさぁ、俺まで嬉しくなってきちゃったよ」
「橋場……さん」
「つーかさ、俺この高校に入って、始めて活躍らしい活躍したんだぜ! へへへ、ちょっと言ってて情けないけどさ。でもこれも皆、竹仲さんのお陰なんだよな。本当に感謝してるよ!」
自然に、嘘偽りの無い言葉が出た。そして照れ隠しの笑いと共に振り返って彼女を見た。
途端、生涯感じた事のない程の痛みが、俺の胸に突き刺さったんだ。
「ど、どうしたのさ、竹仲さん!」
俺は持っていたモップを投げ捨て、彼女に駆け寄った。
彼女の頬を伝う、一筋の輝き。肩の小刻みな震えは、まるで心細げな子猫のようだ。
そう、竹仲さんが泣いていたんだ!
「すいません……すいません橋場さん……」
どうしよう。女の子が泣いてるとこなんて、妹以外で見た事無いよ!
俺は慌てて自分のズボンやブレザーのポケットの中を探った。あーちくしょう! 良く考えたら中学校以来、ハンカチなんて気の利いた物持った覚えは無いや!
どうする? 指で涙を止めてあげるか? あほ! そんなん恋人同士じゃあるまいし! いや、そこは二人の距離を近づけるために敢えて指で! 待て待て、そんな事して嫌がられたらどうするんだよ! おい、モヒカン共! こんな時だけ高見の見物決め込みやがって! 何かいい考えは無いのか! 何? いきなりキスしてやれだと? 死ね! いい考えだけど死ね! 是非やってみたいけど死ね!
「ごめんなさい、橋場さん。急に泣いたりして……」
「いや、その……気に障ること言っちゃったかな? 俺、バカだから人の気持ちとか考えずに何でも喋っちゃうからさ……もし竹仲さんを傷付ける事言ってたらごめんよ!」
俺の言葉を受けて、彼女は静かに首を振り、気丈にも小さな笑みを見せてくれた。
「私、すごく不安だったんです。皆さんの期待を裏切らないようにと、不信感を抱かれないようにと、無理して虚勢を張ってたんです。でも本当はすごく心細くて、本当に皆さん私なんかを受け入れてくださるのかなって。とても不安だったんです」
小さな沈黙が俺達二人を包んだ。どうしていいか分からない俺は、彼女の震える両肩にそっと手を置いた。何も出来ない俺が、今唯一できる事だろうと思ったからだ。
すると小刻みに揺れる肩が次第に強張りを解き、ゆっくりと落ち着きを取り戻しはじめた。
そしてひと時の後、リラックスした彼女が、俺に涙の根幹を語ってくれたんだ。
「私ね、向こうで――條庄学園で、部員の皆に嫌われていたんです。新人の下級生の癖に官位が皆さんより高かったり、つい部長や上級生の人に意見具申したり。それですごく煙たがられたです。生意気だって……その官位も、お金で不正に手に入れたんじゃないかって……勿論そんなことは無いです。でも條庄の皆さんは、どうもそういう行為が常識の範疇らしくて。気がつけば部員皆から無視されるようになって、その噂が学園中に広まっちゃって。それが孤独で……怖くて……逃げ出して。学校が変わってからも、その思いがいつまでも付きまとっていたんです」
そう言ってから、深呼吸にも似た大きな溜息を一つ吐き、彼女は続けた。
「でも今、橋場さんの言葉を聞いて、その不安が消えていきました。今は本当にすっきりした気分です。橋場さん。本当に、本当にありがとうございます!」
「そうなんだ……辛かったんだね、竹仲さん」
これ程の重くシリアスな空気の時に、こんな事は考えちゃいけない。いけないんだ。でも、生涯に一度ある無いかの出来事だ。すまないが是非言わせてくれ!
これって、俺達良いムードって奴だろ!?
今なら、そう今ならできるかもしれない! 人差し指で、彼女の白い頬を伝う涙を拭い――小さな顎を優しく引き寄せ――瞳を閉じて――そう、大人の階段に一歩足を!
と考えただけで、実際は何も出来なかった。何故なら……
(むう。橋場の奴、意外とやるな)
(何してるよケーイチ! 強引に行け!)
(あー、なんだか可愛い弟が取られちゃう気分~)
(あいつ後でしばいたる!)
(いいぞ橋場! 後でいろいろと教えてやるからな)
(うわー、橋場くんも竹仲さんも大胆なのですー)
「くっそーケーイチの奴、いーなー!」
(あ、アホリョータ! 大きい声出すなや!)
ひそひそ声と共に、入り口付近に七つの頭が見え隠れしていたからだ。
…………あんたら何やってんスか?
次回予告
「ついに決まりましたわよ!あなたたちを屠る高校が!」
完全に忘れていたことを蒸し返すように、朱池会長が現れた。そして彼女から伝えられた高校名に、竹仲は一人愕然となる。
次回 「先輩と後輩(キンカン頭と竹仲さん)」
この章に最後まで目を通していただいて、まことにありがとうございました。




