十一 鬼夜叉姫の恐怖
全てが竹仲さんの立てた作戦通りだ。俺を殲滅しようと動いた隙を狙っての、一年生全軍の突撃。それに対し、咄嗟の対応を迫られる二年生達。
先輩達はこう考えるだろう。『この全軍突撃は、暴走した橋場隊を逃がすためのフェイクだ』と。
たかだか俺の部隊を逃がすために全軍突撃なんて、普通に考えればそんなリスクは割に合わないだろうからね。でも一年生達の速度は落ちない。疑心に苛まれながらも応戦の構えで対応し、そして槍を交えたところで、先輩達は気付くだろう。俺の部隊はなっから暴走なんてしていなかったのだ、と。一年生の全軍突撃も、俺を別働隊に昇華させるための行動の一つだったと。
お陰で俺は、以降一切の妨害を受ける事無く、敵本陣の背後を突けると言う訳だ。
ここで最大の懸念となるのは、敵方本陣には八千もの兵と、『あの鬼夜叉姫』が御家来衆としていると言う事だ。
無論、その辺りも我等がお屋形様には抜かりなしだ。冷静沈着にして豪胆。一度食らい付いたら離さない、すっぽんの……いや、闘犬ような慎吾の足軽部隊が敵方本陣に正面から噛み付き、部長の動きをけん制してくれているんだ。
これにより俺は、真江田先輩の背後を何度も突きまくってやれると言う訳なのだ! と、昨日の軍議の際にそんな事を言うと、竹仲さんがうっとりとしたような眼差しで、何処かにトリップしていたような気がしたんだけど……あれはなんだったのかな?
そんな事はさておきだ。少し時間は食ったが、俺の部隊は大きく迂回する進路を取る事により、敵本陣の背後に位置する事ができた。遠くに望むは、小高い丘の上に陣取る敵総大将の陣所と、それを取り巻く後方守備兵約二千強。我が隊は約三千強。勝機が見えたぞ!
俺は自部隊に魚燐の陣形の指示を与え、一つ深呼吸をしてから、突撃の声を上げた。
「それ! 敵陣の背後を急襲だ、皆後れを取るなよ!」
『『オオオオオオオオオぉ!!』』
大丈夫、焦りは無い。緊張も無い。ただ馬を敵陣めがけて疾駆させ、敵をなぎ倒す事だけ考える。颯爽と風を切る音も、遠くで聞こえる喧騒も、しっかりと区別して聞こえる。今まではとにかく突き進み、周囲の音すら耳に入ってこない状態だったんだ。こいつが生まれて初めて、身体で感じる『突撃』と言うものなんだな。
「先輩いいいい、覚悟おおおお!!」
思った通り、部長の部隊は出てこない。それにより、俺の部隊が敵方の本陣守備隊に苛烈な一撃を加える事ができた。
前方慎吾の部隊が、果敢にも部長へと攻撃を仕掛けてくれているお陰で、ガードががら空きになっているからこそ成し得た事だ。もうちょっと耐えてくれアイスマン!
「よし! 一旦引け! 陣形を建て直し、再度突入だ」
踵を返し、なだらかな坂道を駆け降りる。再度距離を置き、陣形を整え、一度目よりも一気呵成に小高い丘の上を目指して駆け上がる。雑兵共を蹴散らし陣所まであと少し。だが流石に真江田先輩の長槍部隊だ。俺の渾身の突撃を受け止め、勢いを削いでくる。やっぱり先輩だ、中々に手ごわいよ。
それでも後一押し、恐らくは後一押しくらいだ! それで敵方の本陣に風穴が開き、先輩の舞台は混乱する筈だ。
「あと少しだ! 再度引くぞ!」
更にもう一度の撤退を指示し、敵陣を見渡せる程度の距離を保って、三度目となる陣形を整える。
さあ、この突撃が勝敗の鍵を握る筈だ。なんだかいつもとは違うドキドキがこみ上げてくる。緊張はあるものの、それが今心地よく感じる。焦りなんて微塵も感じない。よし、これで最後だ、行くぞ! 全軍突撃開始だ!!
が、そう声を張ろうと思った瞬間だった。俺の元にギャースが不意に現れ、リョータが思っても見なかった言葉を伝えてきた!
『大変だケーイチ! シンゴが強制終了ちまった!』
「な、なんだと!」
『今そっちに部長の部隊が向かった、気をつけろ!』
言い終わらないうちに現実世界との通信用のディスプレイが開き、青ざめた顔つきの慎吾を映し出した。
『皆、すまん! 実はさっき、クラスの奴等から逃げる時、足首がグキッ! ってなった。騙し騙しやってきたが、部長の一撃を受け踏ん張った時に激痛が走って、それで強制終了てしまったようだ』
「足首グキッ? えっと…………それってもしかして俺のせい?」
『は? 何言ってる』
「あー……いや、なんでもない。それよりコタロー、とにかく竹仲さんに連絡だ!」
『はい、聞きました。皆さん落ち着いてください、勝利はあと少しです。山内さん』
『はいー』
『出来れば壁となって、多岐川隊と枝畑隊の二部隊の攻撃を支えてください』
『了解なのですー』
『八州家さん』
『おう!』
『八州家さんは敵方本陣へ!』
『まかしとけ!』
『そして橋場さんは……』
「……」
『橋場さん?』
俺は声が出なかった。目の前に広がるスロープを、禍々しいオーラをまとった集団が駆けて来るのが見えたからだ。
久しぶりに見た織田部長の本気、最も得意な戦スタイル。あの人が鬼夜叉姫と呼ばれるのは、言動や性格がおっかないからなんかじゃない。
俺と同じく、いや! 俺なんかより数段容赦の無い、力に任せた戦。守りには些か弱いが、突撃や殲滅戦にこそその真価を発揮するパワープレイ。その戦いぶりこそが、鬼夜叉姫と呼ばれる所以なんだ。最近では、総大将と言う迂闊に動けない立場にいる事が多くなって、ずいぶんストレスが溜まっているという事を洩らしていたけれど……今まさに、その封印が解かれたという訳だ。
そんな生きた物騒が、殺気を放ちながらやって来るのが見えたんだ。誰だって肝が縮み上がるってもんだろ?
「ご、ごめん! 災厄がこっち向かってくる! 通信終わり!」
さあ困った! 目の前にはそばに寄られるだけで即死する系の悪魔、その向こうには天国への扉。どうしたらいい? 戦うか? いくらパワーバトル同士の戦いと言っても、断然向こうの方が破壊力が上だ。やってみなきゃわからない? そんなのやった後で後悔するだけだって! 陣形を変えるか? いや、そんな次元の問題じゃないぞ。どうしようか……どうしたらいい? どうする? どうするんだよ、俺!
「どうするって? そんなの決まってるじゃないか」
考えるより先に、身体が動いていた。馬を操り、踵を返させ、俺は大声で叫んだ。
「退却ー! 退却だー!」
脱兎の如く全軍が駆け出した。とにかく距離を置き、とにかく遠くへ。俺は死に物狂いで馬を駆り、全身全霊で逃げた。中学校の時から幾度となく見てきた恐怖が、条件反射的にそうさせたようだ。
どのくらい駆けたのか自分でも判らないほど、草原を駆け抜けた。
ふと振り返ると、部長の部隊がその進撃を止め、まるで野良犬でも追い散らしたかのように悠々と引き上げる姿が見えた。恐らくその数は三千弱。俺の部隊とほぼ互角だ。
ちょっとまて。と言う事は、今の敵本陣守備には多くても約三千程……いや、俺の突撃が効いていれば二千弱程の兵しか残っていないと言う訳だ。俺は急いで部長の背後を急襲せんと、全軍に指示を出した。しかし向こうが相手をしてやろうという素振りを見せたら、その途端に逃げるという準備も怠らなかった。
そう、今戻られたら困るんだ。部長は俺が足止めをしてなきゃだめなんだよ。その間にリョータの騎馬隊が、必ず敵本陣に切り込んでくれる筈だ。
見るとこちらを威嚇していた部長が、まるで全く興味が無くなったかのように背を向け、部隊を駆けさせた。
「おっと部長、もうちょっと構ってくださいよ」
俺はコタローに、部長への回線を開くよう命じた。
「鬼夜叉姫~、もうお帰りですかー? 俺の生き血を啜りに来たらどうですー?」
『フンッ! そんな子供だましの挑発に乗るか!』
「何言ってるんですか部長、俺はただ部長とサシで勝負したいだけなんですよー?」
『悪いな、お前に構ってる暇は無いんだ。それとついでだから教えてやろう。何故私がわざわざ出てきたか判るか? 無論貴様を追い払い、うちの総大将を守るためでもあるが……フフフ、じゃあな!』
そう言うと部長の隊は急に進路を変え、速度を速めた。その先にあるのは……しまった、金盛隊と交戦中の竹仲さんの部隊だ!
「ちょ、ちょっとまってください部長! いや、えっと……まてこの鬼姫! 悪魔! 女男のあずお!」
『…………』
俺は思い付く限りの敵愾心を煽る言葉を、部長へと投げかけた。だがそのいずれにも、部長は反応を見せなかった。流石は部長だ。俺とは違って全く心がブレないんだ。
「えっと、えっと……た、竹仲さんにおっぱいの大きさ負けた人!」
途端、部長の部隊の動きが止まった。空耳だろうか?
『ゴゴゴゴゴゴ』と言う地鳴りにも似た低い唸りが部長周辺から聞こえてくる。と同時に、彼女から立ち上る、先程よりももっと禍々しい程の殺意を含む妖気。あ、もしかしてこれって地雷踏んだ?
『橋場よ、いいだろう。その挑発、受けて立ってやる……』
「へ? いやその、無理にとは言いませんよ。部長も竹仲さんの部隊を急襲しなきゃいけないでしょうし……」
『そう遠慮するな……今ここで死ね!』
「さ、さっきのは冗談ですよ部長! うわわ! ご、ごめんなさいいいい!!」
『問答無用だ!!』
一瞬の出来事だった。部長の部隊が進路をこちらに返し、怒涛の如く攻めてきた。
「た、退却! たいきゃくだぁ~!」
みんな知ってるかい、こういう事を『逆鱗に触れる』って言うんだぜ? いやきっと触れるだけじゃなくて、油性のマジックでひげとか肉とか落書きしちゃったくらいかもしれないな。
おっと、パニックのあまり脳内にいるモヒカン頭達に、豆知識を披露してる場合じゃない。
さらにはまた間の悪い事に、目の前にはこのフィールドの行き止まりを示す巨大スクリーンがある。そこから先は、見えない壁が行く手を阻み、先へは進めない筈だ。やばい、追い詰められる!
『観念しろ橋場、これ以上逃げると八つ裂きにするぞ!』
「逃げなくても八つ裂きにするつもりでしょ!」
『いや、ここで覚悟を決めれば四つ裂きくらいで勘弁してやる』
「どっちも変わんねぇー!」
突然、そんな先輩後輩の微笑ましい会話を邪魔する、良くない知らせが入ってきた。
それを聞いて俺は、目の前に絶望と言う文字が浮かんだ。流石に今だけはこの人の、デジタルボイスのお姉さんの声を聞きたくなかったよ。
『山内隊壊滅! 山内笑顔殿は存命。以後、八州家隊にて戦闘続行。なお、山内隊の残存兵力の約三十パーセントが八州家隊に合併吸収されました』
流石は生存率九十パーセントのほがらかちゃんだ。またのらりくらりと敵をかわして生き延びたんだろう。だがもうこれで終わりかもしれない。ここは潔く部長と渡り合って、微かな望みを――
「残念だったな、橋場」
「ひえぇぇ! ぶ、部長いつの間に!」
気付けばいつの間にか真後ろに、怒りの業火に身を焼く部長の姿があった。
「戦場のど真ん中で立ち尽くすとはいい度胸だ。それとも山内隊が敗れて気が抜けたか?」
「ち、違いますよ! これから部長と勝負して、堂々と勝ち名乗りを上げてやろうと――」
――ヒュンッ!――
突然、俺のわき腹あたりを何かが駆け抜けた。途端に俺のライフゲージが緊急表示され、赤く点滅を繰り返し、危険を知らせる警告音がけたたましく鳴り響く。見るとさっきまで八割方残っていたであろうライフゲージが、既に三割を切っている。一体何が起こった?
「アホが。グダグダ言ってる暇があるなら、逃げるか攻めるかしろ。ここは戦場だぞ」
部長の手元から俺のわき腹へと伸びる、朱色の一線。個人戦闘成績優秀者へのお上からの賜り物、織田梓愛用の十文字朱槍……そう、そいつは部長の容赦ない槍での一撃だった。油断していたとはいえ、繰り出す素振りも、その動きさえも全く見えなかった。実際なら致命傷だ!
そして恐怖に固まる俺を見て、部長がうっすらと笑みを浮かべた。
ゆっくりと槍を上段へ構え、まるで弄るかのように間を取りながら狙いを定めている。もうだめだ、ごめん竹仲さん!
「終わりだ、死ね」
その時、部長の一言と同時に、重厚な法螺貝の音がフィールド内を駆け巡った。こいつは合戦終了の合図だ!
俺は防御の姿勢をゆっくりと解き、おそるおそる終了時間を見た。まだあと十分弱程残っている。と言う事は、どちらかの総大将が討ち取られたか、それとも部隊が瓦解したかだ。一体どっちだ、勝ったのは俺達か? それとも……。
『美都桜高校一年生対二年生の紅白戦は、赤方二年生の総大将部隊の瓦解により、白方一年生勝利とないました』
「やった! 勝った! 勝ちましたよ部長! 俺達一年生の勝利です」
それでも上段に構えたままの姿勢を保っている部長。急に合戦が終わっちゃったから、混乱しているのかな?
「部長、合戦はもう終了ですよ?」
そんな俺の問いかけに、部長はにっこりと微笑んで言った。
「ごめん、聞こえない」
「ちょ、ちょっと! 部長!」
兜の陰に隠れたその表情に、ただ切れ長の瞳だけが、死の輝きを放っている。
――ヴゥンッ!!――
まるで空間を断裂させるような音が響き、部長の手と、持たれていた槍が姿を消す。思わず俺は、恐怖のあまり目を閉じて身構える事しかできなかった。
「ひいいいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいい!」
こつん。兜にごく小さな衝撃が伝わる。ゆっくりと目を開けると、満面の笑みの部長が、槍の穂先で俺の兜を優しく小突いているのが見えた。
「良くやったなお前等。天晴れだ」
「え……? ふ、ふへぇ~力が抜けたよ……あ、ありがとうございます部長……」
へなへなと脱力感が俺の身体全体を襲い、思わず馬上から崩れ落ちそうになった。
そんな俺を見て、部長が笑いながら去っていく。そこで初めて実感がわいた。死神の魔の手から助かったのだと。
『みなさん! やりましたよ! 敵方総大将の部隊は瓦解して四散しました! 我々の勝利です』
マサカドさんが現れ、主の声を伝える。かなえちゃんやギャース、そして慎吾の映るディスプレイが現れ、皆の喜びの声が響き渡った。けれど俺は安堵の表情を浮かべ、にへらと力なく笑うのが精一杯だった。
一年生方の勝利で幕を閉じた紅白戦。その反省会の中、部長からある一つの重大事項が伝えられた。
次回 「そのとき歴史が動いた」
この章の最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。




