プロローグ~関ヶ原
慶長五年九月十五日早朝。
その日の関ヶ原は、深夜から立ち込めた濃い霧のせいで、全く視界が利かない状況にあった。
目前に広がる光景たるや鬱陶しい事この上なしで、馬上から見渡しても、辺り一面が真っ白な霧、霧、霧の中。これじゃどこに敵がいて、どこに味方がいるのか、全然わかりゃしないってもんだ。
おまけに甲冑の擦れ合う音と、馬たちの嘶きだけしか聞こえないこの不気味さが、より一層俺を緊張へと駆り立てる。
これ程までの激しい心拍数の上昇は、三日前に道端で拾ったエッチな本を家に持ち帰る道中以来だよ。
それはそうとさっき放った物見の報告では、既に両軍共に布陣を終了させ、いつ戦いの火蓋が切られてもおかしくない状態にあるという。
しかし日も昇って、もうそろそろ辰の刻(朝の八時)だというのに、未だ開戦合図の音沙汰はまーったく無い。この霧のせいで、合戦開始時間がだいぶズレ込んでるのだろう。
お陰で俺は緊張に加え、苛立ちと焦りと恐怖心からくる心と体の震えに、ぐっと奥歯をかんで耐えているという状態にいる。今すぐ誰かがちょいと突付けば、俺の心臓はパーン! と大きな音を立てて破裂してしまいそう――
「パーーン!!」
「はぅあっ!!」
それはまさに、俺の心臓が破裂したかのような音だった。空を切り裂くような乾いた音が一発鳴ったかと思うと、続けて数限り無いほどの同音が、不均一な間隔で遥か前方から鳴り響いたのだ。
よかった、俺はまだ生きている。今のは俺の心臓が破裂した音じゃなかったんだ。と言う事は……。
「鉄砲の音! は、始まった? 始まったのかっ?」
あわてて辺りを見回したが、未だ霧は晴れきっていない。どこで何が起こったのか、全く判断できない状態だ。更には追い討ちをかけるように、不安と恐怖がタッグを組んで、俺の心臓をフルボッコにしてやんよと言わんばかりに叩きまくってやがる。
どうしよう、どうする俺? 現状は? 敵は? 味方に損害は? つーか敵も味方もドコにいんだよ! どうする? どうするよ? どうするのさ、俺!
と言う訳で、俺の取った行動は唯一つ。毎度毎度の悪い癖だった。
「ええいっ、もういい! と、と、突撃だぁー!」
『『オオオオオオオオオぉ!!』』
現在俺の脳内は、マッチョなモヒカン頭が「ヒャッハー! ここは通さねぇぜ!」と思考や情報を通せんぼして、さながら世紀末の地球のような有様だ。
そりゃあ、こんな状況だもの。たかだか十六歳の少年に、落ち着いて状況把握と情報処理をやれって方がおかしいのさ。
「うおおおおおおおーー! 者どもぉぉぉ突っ込めぇぇぇ!」
俺の率いる部隊千と五百が、唸りを上げて突き進む! ちょっとかっこいい。
「うおおおおおおおーー! 敵は何処にありや! 尋常に勝負ぅぅぅ!」
どうやら俺は、そんな状況に酔っているみたいだ。知らずに、言葉もそれっぽい言いまわしになっている。
「うおおおおおおおーー! 西方武将、橋場飛騨守慶一郎推参んんんっ! どこからでもかかってこいいいいいっ!」
少し霧が晴れ、敵の槍衾が見えた! あんな所に居やがったか。全員まとめてあの世に送ってやるぜ!
と、そんなここ一番と言う大事な時に、耳元で誰かの携帯回線用ホログラムアバター、所謂〈使い番〉が現れる音がした。
人の顔程の大きさの立体映像であるコイツは、一年先輩である真江田功オリジナルの、擬人化猫の鎧武者をデフォルメした〈ノブトラ〉という名のアバターだ。
『おいケーイチ。判ってるだろうが、今の発砲音は敵さんの誘い罠だ。その場を動くなよ』
「うおおおおおおおぉぉ…………お?」
『……遅かったか』
うん、遅かったよ……真江田先輩。
『そうか、散り際だけは清くな』
「そりゃないっスよ〜先輩! とりあえずどうしよう? どうしたらいい?」
『そうだな、メガンテでも唱えてみちゃどうだ?』
「レッツ玉砕って事っスか!? あーもう判ったよ! こうなったら一人で何とかしてやるさ!」
『そうか、がんばれ』
そう一言残して、ノブトラは姿を消した。いつもながら放任主義の先輩だ。
まあやっちゃったものは仕方が無い。勢いに任せ、本日初めて敵との槍が交わされた。
一番槍の誉れを頂くチャンスでもあるけれど、如何せん独断行動と敵陣のど真ん中に突っ込んでしまったという馬鹿をやってしまったからには、お屋形様にこっぴどく絞られるに違いない。まぁそれ以前に、きっと生きては戻れないだろうな。
そんな予想通り、気が付けば俺の預かる部隊は、合戦舞台中央部の敵陣深く入り込みすぎて、既に蟻の子一匹出られないほど包囲されてしまっている。
馬上から幾度と無く槍を繰り出し、雑兵たちの執拗な攻撃を防いでいたが、何せ数が数だけに、もう流石にそれも厳しくなってきた。
「コ、コタロー! 真江田先輩を呼び出せ!」
俺は自分の使い番である、兜を被った犬のゆるキャラ〈コタロー〉を呼び、真江田先輩への通信を命じた。
「やっぱたっけてー真江田先輩〜!」
使い番越しに先輩へと助勢を求めたが、返って来た言葉は『無理』の一言だった。
そりゃあ真江田先輩の部隊は、いつ裏切るやも知れない小早川秀秋に睨みを利かせるって、大事な役目があるのは知ってるさ。だけどかわいい幼馴染の後輩が、死地で窮してんだ。せめて助けるポーズくらい見せてくれても良いんじゃないかな?
『ぶつぶつ言うな。俺は無理だが、リョータの隊を左側面から向かわせた。もうちょっと持ちこたえろ』
「ほんと? 流石はいさ兄ちゃん! 頼りになるよ」
『いさ兄ちゃんって言うな。小学生か』
真江田先輩との通信が切れ、次いで俺と同じ一年で、C組のリョータ――八州家亮太の声がする。
『ケーイチ生きてっかー? 今行くからあとでアイス奢れよー』
リョータの、悪魔をイメージした使い番である〈ギャース〉が不意に現れ、言いたい事だけ言って消えてしまった。どうやら俺の拒否権は認めないらしい。最も、自分で招いたミスだから、チューチュー一本奢るくらいは良しとしよう。
だが、それも生き延びる事が出来ればの話だ。なにせ俺のライフゲージは、もう目盛り半分以下なのだ。おまけに疲れてへとへとときた。
こんな時に敵将に出会ったりしたら、俺は間違いなくイチ乙確定――つまり一番最初にお疲れさんと言われる人物になるだろう。
どうか神様仏様、援軍が退路を切り開いてくれるまで、今しばらくのご猶予を――
「そこの敵将! 我は岡崎高校二年、本田刑部少丞浩介なり! いざ尋常に勝負勝負!!」
はいはい。おわりおわり……っと。
次回予告
一乙して現実世界に強制連行された橋場。そんな彼に織田梓部長の激しい叱咤が飛ぶ!
次回 「VRBSLG IXA」
最後まで読んでいただき、まことにありがとうございました!