第五話 二枚目の切り札(ジョーカー)
夕日差す放課後の教室に4人の男女がいた。
古杣誠、竹見一樹、宇野ゆかり、それから――宇野ゆかり。
二人の宇野ゆかりを一人ずつ一瞥して後、僕は古杣誠に事の経緯を話し始めた。
「というわけで、我が校きっての美男子である古杣誠君に主人公気分を味わって貰ったわけだけど、いかがでした?」
「まぁ、悪くなかったよ。しかし驚いたなあ、宇野さんに双子の姉妹がいたとは知らなかった」
「双子でも姉妹でもないよ」
「え? どういうこと?」
「二人は二人とも正真正銘宇野ゆかりさん。同一人物なんだよ」
誠は一瞬目を丸くして黙った後、ふっと笑い、呆れたような表情を浮かべた。
「あのな一樹、いい加減しつこいぜ、ドッキリはもうお終いだ」
「それがドッキリじゃないんだな。宇野さん、ちょうどいいから戻ってくれ」
僕はドッペルゲンガー役を演じていた方の宇野さんにそう呼びかけた。宇野さんは黙って頷き、目を閉じる。
「おい一体何を――」
そのとき、突然あたりが光に包まれた。少し眩しいくらいの柔らかな光が宇野さんの全身から放出されている。誠は目を見張る。僕も見るのは初めてだった。
光に包まれた宇野さんが何かぶつぶつと呟くように口走ったかと思うと、周囲の景色がわずかに歪み、宇野さんの像が一点に凝縮し、宙に消えた。宇野さんが消えた跡には何も残ってはいなかった。
見ると誠は絶句している。まったくもって無理もないと言えるだろう。
誠が茫然としているうちに僕は残ったもう一人の宇野さんを見た。
先程の宇野さんがタイムスリップした先はもちろんドッキリの途中のひとときであり、ちょうど校舎の外からの宇野さんの呼びかけに誠が窓の外へ向かっているとき、僕がその後姿を眺めているところに肩に触れたのが時間遡行した後の彼女だった。
その後彼女はドッペルゲンガーがどうとか誠に吹き込み、一度その場から離れ、再び舞い戻って能力執行者として過去の自分であるドッペルゲンガーと対峙するわけだが、その彼女が、つまり今僕の目の前に居る宇野さんということになるわけだ。
「あ……あのさ、説明してもらえるかな」
困惑に満ちた面持ちで誠が助けを求めるような視線を寄越してきたので、僕は宇野さんを見遣る。宇野さんは頷き、数日前、ちょうどこの時間帯ちょうどこの教室で僕も聞いたその台詞を口にした。
「私、未来から来たの」
「……なるほど」
そろそろ夕日も落ちかけるという頃、僕達はまだ教室に居座っていた。
誠は随分憔悴したような目をしている。無理もない。話の内容の奇抜さ、唐突さ、突拍子の無さ、複雑さなど、どれをとってもかなりのものであった筈だ。むしろたったこれだけの短時間で事の経緯をある程度まで理解したらしい彼を僕は称賛するべきだろう。
「つまり、この世界は……漫画だか小説だか映画だかは分からないが、とにかく物語の中の世界だと」
「まだ可能性の話だがな」
とはいえ可能性は高いと今や僕は考えている。
「だとしたら――いや、だとしなくても十分にだが――物凄い話だな」
「まぁな、人によっちゃ絶望そのものだ」
「僕としちゃ天国だけどね」
それはそうだろう、なにしろこいつはオタクなんだから。
「そう、だからこそお前を選んだ」
「選んだってのはつまり……登場人物にってことかい?」
「そのとおり」
そこで宇野さんが身を乗り出した。
「あ、それ聞きたかったの。なんで古杣君を急に仲間に入れようと思ったのかなって」
誠を宇野さんの能力と世界の秘密を共有する仲間に迎え入れようと提案したのは僕だった。当の能力者である宇野さんとしては仲間に引き入れた理由は何としても知りたかっただろうが、今まで僕はのらりくらりとはぐらかして説明していなかった。今このタイミングで説明するのがベストだと踏んだからだ。
「理由はいくつかある」
僕は話し始める。
理由はいくつかあった。ひとつは、さっき誠にも言った通り、この世界に対する現実を快く受け入れることができる彼の性質である。この世界が虚構の中の世界で、虚構の中の世界でしかないなどということは恐らく多くの人々にとって受け入れがたいことだろう。不用意に教えるべきでない人間に教えて面倒くさい騒ぎになったらかなわない。仲間に入れる上でこの条件は必須だった。
次に、彼の創作物に対する知識量である。何度も言うように誠はオタクだ。ジャンルとしては多分に偏りがあるが、こちら側の事情の方でも実のところ偏りがある。宇野さんの能力、時間遡行が出て来うるフィクションのジャンルとなると限られてくるのだ。それにこの世界の僕達の物語を悲劇にしないためには猶更、誠の得意分野に展開を寄せて行く必要があると僕は見たのである。
それは次の理由にも繋がる事柄で、即ち次の理由とは彼の性格である。誠と僕はよく気が合う。それはつまり僕と似たような偏屈さや理屈っぽさを彼も持っているということであり、それらが彼の他の特徴である「オタク」「イケメン」と合わさると実際かなり厄介なものになる。彼はクラスの人気者ではあるものの、それはほとんど彼自身の日々の弛まぬ努力の成果ともいうべきものであり、即ち彼は僕以外のほとんどの人間には自身の本性をうまい具合に隠している。隠しているのはほんの少しだが、そこが実に厄介なのだ。そしてその厄介さこそが鍵となるのである。
彼の本質が「オタク」か「イケメン」かと聞かれれば、僕は迷わずオタクであると答える。そんな彼は自分の顔の良さを専ら道具のように扱っていて、ともすればその姿はオタクを正当化しているようであり礼賛しているようであり、オタク以外の人間から見れば不愉快に映りかねない。だからこそ彼はそんな自分の姿を隠しているのだが、そんな彼を物語の舞台上に引っ張り出せば一体どうなるだろうか?
当然のことながら、彼は観客に対してまで自分の本性を隠し通すことなどできはしないだろうし、しようとさえしないに違いない。なにしろ彼が隠すのはただ単に利害を考慮したうえでのことなので観客の目はそこには含まれないのである。またそれ以前に、自分が物語の登場人物となり、またそんな自覚が芽生えた彼が、もはや本当の自分をせめて世界の観客に披露するということを果たして我慢できるだろうか? 出来る筈がない。
そして、そんな彼の本性が否応なく物語の舞台上にさらけ出されたなら。そんなところに悲劇は起こりうるだろうか?
そもそも、彼の存在自体観客には不興の種となりかねない。となれば物語の作者は選ばねばならなくなる、つまり、観客をだ。
彼の存在を目障りと思わぬような観客、もしそれが約束されたなら、その時点でその後の物語が悲劇に陥る確率は格段に下がると僕は見る。
なぜならそこは既に彼の、古杣誠の場だからである。
これはある種の賭けだ。例えばこの世界の本当の姿が舞台演劇であったなら、その舞台演劇はまず間違いなく不興を買うだろう。例えば小説の中でも純文学というジャンルにあったなら、まず間違いなく売れないだろうし、世に出されるかどうかすら怪しい。そしてそんな事態に陥った時、この世界がどうなるか、それは分からない。そういう意味で非常に恐ろしい賭けだ。
だが、もしこの世界がそんな世界で、つまり格式高くて高尚で非常にシリアスな、並はずれて真剣なものであった場合、そんな世界にはもうほとんどすでに悲劇が約束されたようなものであると僕は思う。
もちろんこれはただの偏見である。だが、無視できる偏見ではない。
僕達に必要なのはハッピーエンドだ。「時間遡行」や「物語」、あるいは「自覚」「蝶の羽ばたき」を明るく、ある種軽々しく扱い、最終的にお気楽なハッピーエンドへと向かわせることのできる場である。
それに最も適した場を考えた結果、僕は誠の得意分野がそれであると結論を出した。そしてそう結論を出したからには世界をその方向へ向ける努力が僕には必要だったのである。
それが賭けである。僕達は結局のところこの世界の存在様式が全然分かっていない。その存在様式を知るのが悲劇を避ける上で最も重要なことだし、もしかしたらその存在様式自体、今の内なら僕達の手で動かすこともできるかもしれないのである。少なくともそれが可能な世界のモデルを僕はひそかに考えている。
「長々と語ってしまったが、結局のところはそれだ。俺達がこれから目下のところしなければならないこと、目指すべき方角はズバリ、「ハッピーエンド」だ」
そしてさらに言うなら、エンドだけではなく途中経過もすべて含めての「ハッピー」である。
僕達は幸せを目指さなければならない。
「あと最後に、最後の理由はお前の顔だよ」
「顔?」
「物語には美男子がつきものだ。漫画やアニメならなおさらな」
そう、世の中結局顔なのである。