表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/32

第三話 蝶翼の悲劇の予言可能性

 「とにかくだ、実験は成功、現状はより明瞭になった」

 僕は満面の笑みで宣言するようにそう言った。

 「何が実験だか。何が成功だか」

 「あれ? まだ怒ってらっしゃる? しつこい男は嫌われるぜ?」

 「女です!」

 宇野ゆかりさんの怒りはもっともだが、しかし実験が成功したのも事実ではある。

 彼女が言うには、彼女はやはり昨日の夜、時間遡行して来たらしい。実験と称して煙草を吸った僕は、その日から徐々に存在自体が曖昧になり、存在を感知され辛くなるばかりか僕に関する記憶さえ周囲の人間から消えていって、ついには僕の存在自体消えて無くなったらしく、そんな世界をやり直すために彼女は時間遡行して来て、僕が煙草を吸うのを防いだのだとか。

 さらに詳しく聞けば、どうも煙草を吸った直後から何やらおかしなことが自分の体に起こっていることを僕は察知していたにもかかわらず、情報を集めるために僕が消えて無くなるまで彼女の時間遡行を許さなかったらしい。我ながら見上げた実験屋根性であるが、彼女からすれば確かにはた迷惑な話だっただろう。

 「まぁ、怪我の功名というやつだよ。いろんなことが分かった」

 「自分から怪我しといて、白々しい……」

 「そう言うなって。まず、だ。やっぱりこの世界は創作物の中の世界である可能性が高いな」

 今回分かった事柄として、まず神が僕たちのことを見ているということがある。加えて、恐らく僕に煙草を吸われると神にとって都合が悪いということ。この二つのことを鑑みるに、この世界が創作物の中である可能性はかなり高くなったと言わざるを得ない。まぁ別に言いたくないわけではないのだけれど。

 「それから、やはりこの世界で犯罪を犯すのはまずいらしいこと」

 宇野さんがわざと馬鹿にしたような溜息を吐いた。「自分でやっといて何言ってんだか」とでも言いたげだ。僕はそんな彼女の様子をちょっと微笑ましく思って、わくわくした心地で眺める。

 「とはいえこれはブラフである可能性もあるから注意するように」

 僕としては「ブラフ?」と聞き返してもらった方が会話の流れをスムーズに展開できて助かったのだけど、あいにく彼女はふてくされたようにそっぽを向いていた。そのくせ僕の言うことにはしっかり耳を立てているのが分かる。

 「ブラフというのはつまり、本当は神にとって俺が煙草を吸おうが吸うまいがどうでもいいけれど、わざと俺たちに勘違いさせるために茶番を繰り広げた可能性があるってこと。まぁそうだとしても大した違いはないけどね、次もう一回やったって、いや仮にやったとしてだよ、やるつもりは無い、もちろん。で、仮にやったとしてもまたブラフで消されるだけだろうしね。結局の結果には違いは無い」

 「……あのさ、気付いてないなら言わせてもらうけど、私はこの時間に帰ってくるまでに散々君の講義に付き合ったんだよ。君が自分が死ぬまで時間遡行するなって言ったおかげでね」

 「うわお、皮肉たっぷり」

 「うるさい。だからそういう話はもう全部聞いたの。何度も同じ話を聞かせないでくれる?」

 「宇野さん」

 「うのっち」

 「宇野さん、そういう態度はいけない」僕は気持ち真剣な表情を作って、宇野さんに呼びかけた。「確かに未来の俺もそんな風なことは既に語っただろう。与えられた情報はほとんど同じで、与えられた人間はどちらも俺なんだから同じようなことを語るであろうことはもはや疑う余地も無く明白だ。しかし」

 そう、例えば、今この会話である。彼女がふてくされて「何度も同じ話を聞かせるな」と言ったからこそ発生したこの会話が、果たして彼女がやってきた未来において発生しただろうか?

 「しかしそうは言っても若干の条件の差はあるんだ。語る時間も違うだろうし宇野さんがさっき言ったように「既に一回話した」という新たな条件が加わってる。体調やその日の天気や出来事で左右される俺たちの感情の変遷が会話の内容どころか出てくる発想にさえ影響を与えてしまう可能性がある。つまり、本当に似たような条件ではあるけれどほんの少しは違うために、違う結果を生んでしまう可能性がある。未来の俺が思いつかなかったことを今の俺が思いつく可能性があるし、その逆もまた然りなんだ。例えば、そう、ちょうどの話だ。宇野さん、未来の俺はバタフライ効果については語ったかな?」

 宇野さんは黙ってこちらを見つめている。疑うような目。一体今の僕のどこに疑うべき点があるのか知らないけど、そんな目をしたくなることはなんとなくわかる。

 「……語ってない」

 「そうでしょ、しかし俺たちにとってこれは非常に重要で重大な話なんだ。話すきっかけが無かったとはいえこれを語らなかったのは完全に未来の俺の落ち度だな。未来の俺の馬鹿! アホ野郎!」自分自身を罵倒することほど爽快なことはない。「バタフライ効果っていうのはね、カオス理論とかいう理論の――まぁ俺も難しいことは分からないんだけどね――要するに喩え話で、その内容はこうさ」

 「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」

 「あれ、知ってるの?」

 どうやら、未来の僕は語らなかったけれど、語るまでもなく彼女は知っていたようだった。それを勿体ぶって得意げに語ろうとしていた僕は、もう完全にピエロである。忘れていた、学力においては彼女の方が断然上であることを。

 「……まぁ知ってるなら話は早いよ。とにかくそういうわけだ。小さな初期条件の違いが時として結果に大きな違いをもたらす。基本的に予言可能性に対する問題で、普通の人間が普通に生きる上ではそれほど知る必要のない話だけど、時間を遡行できる宇野さんにとっては無視できない話だよ。時間の遡行は未来予知と通じるところがある能力だからね」

 言うなれば、「未来既知」だろうか。未来を体験し過去に戻ることができるために、戻った後の時間遡行者にとって未来は過去であり既に体験した物語であり、既知なのだ。しかし実際はそれが正しくない場合があって、それこそ「未来を既知」であるという少しの条件の違いが既に体験したはずの未来の姿を変えてしまうことが大いにあり得るのだ。いやむしろ、時間遡行者が時間を遡行した目的を考えれば未来は変わると考えた方が合っているだろう。

 「また消し去られかねないから詳しいことは言えないけど、まさにバタフライ効果エフェクトの名を冠した映画や、最近だとバタフライ効果を題材にしたゲームがあったりする。アニメ化もしたね。そしてそれらの物語の題材をさらに詳しく言うならば「時間遡行が生んだ悲劇」だ」

 「悲劇」

 「そう、もちろん物語でありエンターテイメントである性質上、悲劇たるべくして悲劇たらしめられたという感じはあるけど――いや、むしろそれこそ問題だよな。何せ俺たちも物語の登場人物である可能性が濃厚なんだか……ら」

 僕は自分でそう言いながら、ぶるるっと震えた。奇妙な、悲しげな笑みがこぼれてくる。そう、そうなのだ。ここは物語の中かも知れなくて、だから、だから……いや、これは、もしかしたら――恐ろしいぞ。

 「物語と時間遡行。この二つのキーワードが組み合わさったとき、否応が無く悲劇という言葉が浮き出てくる。実際まだこの世界が物語の中の世界だと決まったわけではない以上悲観しすぎる必要はないが、つまり――」僕は躊躇いがちに言葉を紡ぐ。「この世界の神は俺たちを今からすでに悲劇に陥れようと考えを巡らしている、かもしれない……」

 流石に、ショックだったのだろう、宇野さんは驚きに表情を強張らせ、その蒼白の頬には恐怖の色が深く刻まれている。

 今までは、そうは言っても気楽なものだった。時間遡行という能力はあまりに壮大で且つ強大で、僕等の日常はそれに呑まれかねない気配はあったものの、僕達に能力を悪用する意思はそれほどなく、結局のところ和やかに過ごせるとどこかで楽観していた。

 それが、俄かに現れた可能性に、僕たちは完全に打ちのめされた。

 少なくとも、僕を簡単に消失させてしまえるほど強大な力を持った神が、というよりむしろそれだけの力である筈がない神が、僕達にあるいは無邪気と言えるほどの悪意を抱いているのかもしれない――いや、それこそ悪意ですらない可能性だってある――そんな色濃い絶望が僕達を包んでる、囲んでいる。

 「いや、まだ、まだそうと決まったわけではもちろんない。まだだ。だいたい、これから悲劇に遭わせるつもりなら、そのことを登場人物に悟らせるか? たとえ物語の……この世界が物語の中であったとしても、既に状況は異常だ。時間遡行だけじゃない。そう、時間遡行だけじゃないんだ。俺がいたせいで、物語は変な方向に進んでいる、その筈だ……」

 僕は脂汗をかきながら、憔悴し切ったように蒼白になりながら、ふらふらと危うい思考をたどたどしいながらも歩ませる。もがくように。

 「物語の自覚。それが第三のキーワードだ。二つのキーワードによって導き出された悲劇は、この第三のキーワードによって掻き消される……可能性がある」そう言いながらも僕は、「悲劇」と「自覚」という二つの言葉のあまりに残酷な親和性を感じ、嫌な顔をする。「俺達はこの世界が物語の中の世界である可能性を認識している。悲劇の可能性だってそうだ。少なくとも、状況は違う……悲劇たるべくして悲劇たらしめられた俺の知る作品たちとは、状況が違う。いや――」

 そこで僕は冷や汗の冷たさに心臓を浸しながらも、笑った。

 「ふふ、違う。状況の違い、じゃない……」それは僕には勝利宣言のように思えた。「少しの・・・違いだ。状況の少しの違い。初期条件の、境界条件の微小の違いだ。蝶の……羽ばたきなんだ……」

 宇野さんは未だに蒼白な顔を伏せている。いや、だが、どうしてそんな風にする必要がある?

 キーワードは揃ったんだ。物語、時間遡行、悲劇、自覚、そして、蝶の羽ばたき。もう心配はない。そうだろう?

 さぁ、怖がるのはもうやめるんだ、心配は必要ない。悲劇は悲劇を呼ぶ。そんな言葉が僕の脳裏を貫いた。恐怖もそうだ。僕達は呼び込まないよう、行動しなくてはならない。

 あちらのカードは「物語」「悲劇」。こちらのカードは「時間遡行」「自覚」「蝶の羽ばたき」。

 面白いじゃないか。

 やってやるとも。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ