第十八話 ラブプラスの魔
「輝耶ちゃんは漫画とか好きかな?」
「え? はっ、はい!好きです♪」
「例えば何が好きかな」
「なんでも好きですよ♪ ジョジョとかハンターハンターとかエアマスターとかよつばととか――」
「わー……僕と好みがほとんど一緒だ……」
「私達、気が合いますね♪」
誠がこちらを見てくる。その視線が言いたげにしている通り、あまり女性が挙げる漫画として一般的でない感じのするそれらの漫画が誠の好みだと教えたのは僕だ。漫画以外にもアニメやライトノベルなど、いろいろ教えたのでそれらが披露される日も近いだろう。
「まぁ気が合うかどうかは別として……それらの漫画に――よつばとはちょっと微妙かな――だいたい入っている要素がある」
「バトルですか」
「あ、うん、バトルもそうだね。ただ他にも――いや、ごめん、ナシだ。これはちょっと無かった。無かったことにしてくれ」
恐らく、輝耶の挙げたラインナップが予想外だったのだろう。もうちょっとこう、女の子っぽい漫画を挙げてもらえると期待していたらしい。
「さっきの漫画にはあまり入ってないが……いや、エアマスターはむしろ結構あるな……まぁいいや、とにかく」かなりペースを乱されながらも誠は軌道修正した。「漫画に限らずあらゆる物語に欠かせない重要な要素が一つある」
「恋愛ですね♪ラヴですね♪」
「……う、うん」
どうも、かなりやりにくいようだ、輝耶の相手は。
「それで、一体どんな恋の手ほどきをしてくれるんですか? 誠先輩♪」
「いや……たいしたものじゃないよ」大いに表情を引き攣らせながら、誠は続ける。「この世界が本当は物語の中だってことは、もう知ってるよね」
「はい! あ、わかった! だから物語であるこの世界には恋愛があふれているべきだし、登場人物かもしれない私たちは進んで恋愛するべきだって言いたいんですね?」
「いや、違う」そこで誠は核心に触れつつあるという自覚に表情を引き締めた。「僕が言いたいのは、そういう風にこの世界の作者が考えているかもしれないってことだよ」
「この世界の作者が……そういう風に……?」
誠は頷く。
「つまり、この世界の作者は、僕達に恋愛をさせようとしているかもしれない」
輝耶は首を傾げる。いまいち、誠の言っていることの意味が掴めないのだろう。恋愛をさせようとする、ということの意味するところが。
「簡単に言えば、マインドコントロールだね」
そこで、輝耶にもピンと来たようだった。突然立ち上がり、悲痛な声を上げる。
「そんな! それじゃあ先輩は、私のこの気持ちが本当のものじゃなくて、この世界の作者に操られた結果だって言いたいんですか?」
「その可能性もある……ということだよ」
輝耶は腕を組んで座り、黙った。その面には怒りが見て取れる。そして尚も誠は続ける。
「全く否定できない可能性だ。特に輝耶ちゃんは物語の重要な登場人物かもしれない一樹の妹で、しかも君の僕への好意が発覚したのは僕が宇野さんの周辺に出現した後になってからだからね」
「ずっと前から好きでした」
「証拠はない、でしょ?」誠は少し苦しげに輝耶を見つめる。これから口にすることについて、気が引けるのだろう。「輝耶ちゃん、一回冷静になって考えるんだ。これは単純な可能性の問題だ。そして可能性として、輝耶ちゃんが本当は全然別の人のことが好きで、だけどこの世界の作者の都合で好きな人を書き換えられた、ということも考えられる」
「待って下さい。そんな可能性はありません」
「何故そう言えるのかな」
「本当にずっと前から好きなんです。中学のころからです、信じて下さい。なんなら宇野先輩に頼んで過去に――」
「信じたとしても、やっぱりそれは反証にならないよ。作者は過去に遡って設定を書き換えられるかもしれない。いや、それ以前に――」
「もともと誠先輩のことが好きなキャラクターとして設定された可能性がある、ですか?」輝耶の言葉に、誠は頷く。「それなら私の気持ちは本物じゃないですか!」
「だが、それでもやっぱり誰かの思惑でそうなったことに変わりはない。それを利用するわけには……いかない」
「そんな! じゃあどうすればいいんですか? どうすれば私の気持ちは本当で、誰にも操られてないって示せるんですか」
「それは」誠はテーブルの一点を見つめている。「……わからない。いや、恐らく方法はないだろう」
「おかしいですよそんなの!」
輝耶が思い切りテーブルを叩いた。周囲の視線が集まる。
「輝耶」僕はようやく声を出した。なだめるような声を。「仕方のないことだし仕様のないことだ。誠自身どうこう出来る問題でもない。誠が一度自覚してしまった以上、この問題はもう振り払えない」
「そんなのわかってる! でも……」
輝耶は少し目を潤ませる。無理もないのかもしれない。こんなに悔しいことは、そう無いだろう。
「お兄ちゃん、いつもの実験でどうにかならないの?」
「ひとつ……いまのところ一つだけ思いついていることがあるが……」
「何?」
「結構ろくなものじゃないぞ」
「いいから」
「じゃあ言うが」僕は気が進まないながらも話し始めた。「他に好きな人を見つける。極力宇野さん周辺の物語に関わりそうもない奴をな……おい、睨むなよ」
「続けて」
「……わかった」僕は溜息した。「お前が他の誰かを好きになった時、それがこの世界の神にとって不都合で、しかもその気持ちを修正できる力が神にあったなら、お前の気持ちを再度書き換える筈だ。逆に言えば、お前の誠への気持ちが別に神の都合によらないもので、あるいは神にお前の気持ちを書き換える力が無かったなら、お前は他の誰かを好きになったままだろう」
「そんなの」輝耶は僕を睨みつける。「意味無いよ」
「だから言っただろ、ろくなもんじゃない。しかし、他の誰かが相手なら、今度はこの問題に悩まされずに済むぞ。相手はこの世界が偽物であることすら知らないだろうからな」
「嫌。私は誠先輩と――」
「輝耶、その先を言うなら自覚しろ。さっき誠が言ったように、お前はもともと他の誰かが好きで、神に書き換えられて誠のことを好きになった可能性がある。その場合、他の誰かと誠の立場は逆だ。これから好きになる誠以外の誰かと結ばれるのが嫌だと言うなら、それは誠と結ばれるのが嫌だということとイコールになる可能性もある」
「でも私、誠先輩以外の人を好きになんて絶対なれない」
「そこが一番の問題だな」僕は席に寄り掛かり、天井を見上げた。「まぁ実際可能か不可能かはやってみないことには分からんが。少なくとも簡単なことではないだろう。やはりろくでもない実験だ」
「誠先輩の方はどうなんですか? こんな問題がなければ、私のこと好きになってくれますか?」
誠は考え込むように再びテーブルに視線を落とす。しばらく沈思黙考し、躊躇いがちに口を開いた。
「ごめん、わからない」声は低く、しかし真摯な眼差しを輝耶に向け、誠は言った。「僕も混乱しているようだ。すまないが……わからない」
「そう……ですか」
そして輝耶は不意ににっこりと笑った。
「もう、こんなときに限って正直なんだから」明るく言い放たれたその言葉には、しかし少しだけ涙が染み込んでいる感じがした。「でもそんなところが好きです」