第十六話 意識のハードプロブレム
唯物論。
詳しく語ろうとすればまったくきりが無いこの思想について、かなりざっくりとした解説を入れるとするなら、「この世のすべては物質である」という考え方、というところだろうか。
僕自身よく知っているというわけでもない。なにしろ一介の高校生でしかないのだし、せいぜいがところネットでちょっと検索して手軽に得られる程度の知識しか持っていない。ただ、それでも僕は、少し以前の僕は、自分がそうかそうでないかと問われれば、自分はどちらかと言えば唯物論者だと答えていただろう。
例えば僕は神や幽霊や魂の実在を信じていなかったし、自分の中に確かにある心や意識に関しても僕を構成する物質による物理現象の表れとしか考えていなかった。いや、今だってたいして変わってはいない。
僕は中学3年生くらいまで自分がヒーローになれると信じていた。超常的な現象を生む能力を駆使して悪を駆逐する運命にあるのだと、何故だか信じていた。そしてそんな馬鹿な考えの馬鹿さ加減に気付いた時、やはりその反動は大きかった。中学3年生から大人になる過程で僕があるいくつかの考え、結論を手に入れたというのは既に宇野さんに話した事柄だが、唯物論的な考え方もその一つだった。
いや、そもそも宇野さん周辺の物語が今の形になったのも恐らく僕の唯物論あってこそだ。神や幽霊や魂その他、超常的なものを否定しないなら、そもそもこの世が偽物で創作物の中の世界だと考えたりする必要はない。宇野さんの能力にしたって「その時不思議なことに、あの力が加わり……」で済ませればいい話だ。この世界が偽物でも、その外側の外側の外側というように次々と世界の外側を辿って行き、行きつく先に必ず唯物的な世界があり、それこそが本物の世界だと信じればこそ、この世界は偽物でなくてはならないのだ。
だから僕達にとって唯物論は宿命的で、そう考えると僕の前に唯物論者の文学少女が現れたこともそう不可思議なことではないのかもしれない。神の意図も、読めなくはないのかもしれない。
そう、そして、そのことだ。いま重要なのはそのことで、僕の目の前に唯物論者の文学少女がいるということだ。
「俺もそうです。唯物論者なんです。いや、実際はそんなたいしたものじゃないけど」
「わ、私だってたいしたものじゃないですよ。どちらかと言えばそう、というだけです」
女の子は恥ずかしそうにそう言った。
「でも唯物論には、ひとつ大きなハードルがありますよね」
「……クオリア、ですか?」
僕は頷く。
クオリアとは、これもまた一口に説明しきれるものではないが、それでも無理矢理簡単に言うなら、「感じ」のことである。
例えば僕達は赤いリンゴを見たとき「赤い」という感じを受けることができる。僕達は緑色のリンゴと赤色のリンゴを区別することができるが、それらを区別するとき僕達の頭に思い浮かぶのは、「赤」と「緑」の感じの違いだ。
唯物論はこの世のすべては物理現象だという考え――だと僕は考えているの――だが、少なくとも今の物理でこの「感じ」、「赤い」感じや「緑」の感じを説明することはできないだろう。
もちろん、色とは光の波長の違いであり、色の違いを物理的に説明することはでき、またその光を受容した人間の感覚器官の物理変化やそれを受けた脳内の物理変化を描写することで赤いリンゴと緑のリンゴを区別するプロセスは説明することができるだろうし、もしできなくともとにかく物理法則に沿ってそうなっているのだと言うことはできるが、しかしそこに「赤い」感じや「緑」の感じは不在なのだ。
なにしろ、物理は基本的に数式によって表現される。「感じ」を一体どのような数式として表せば、記号として表せばよいと言えるのだろう?
「私は」女の子は答えた。「クオリアが唯物論にとってハードルとなるとは思いません。あってもなくても、物理的な干渉はしないのでしょうし、それなら世界を物理的に描写するときに邪魔にもなりません。またクオリアを描写する必要もない筈です」
急になめらかになった口調を見るに、普段から考えていることだったのだろう。そしてそれは、僕が考えていたことでもあった。
「逆に物理的な干渉をするなら、クオリアを物理的に表現することが今はできなくてもいずれ可能であるということになる、と」
「そうです。クオリアが唯物論にとってハードルである為にはそれが物理的な存在でないことが絶対条件です。でも、そうするとクオリアは物理的な何物にも干渉できなくなる」
例えば赤いリンゴと緑のリンゴを区別するプロセスと、「赤い」感じ「緑」の感じの感じの違いは切り離されてしまう。
「クオリアが物質の物理的発展に影響を与えないなら、物理の邪魔にはなりえませんよ。唯物論に対しても、ある一面への批判にはなるんでしょうが、すべてが物質であるという点についての反論にはなりません」
「なんで? すべての中にはクオリアも含まれるでしょ?」
「含めなければいいんですよ。クオリアが物理的な影響を与えないなら、その他のすべてはクオリアとは独立に存在でき、発展できるということですから。この場合クオリアは物質的世界から一方的に影響を受けるだけです」
「でも、俺達が今こうしてクオリアについて話してるのは、立派に物理現象じゃないかな?」
「そこです」女の子は指差した。少しずつ気分がノってきたようだ。「クオリアが存在しなくてもクオリアについて語れる、と考えることもできますが、個人的にはクオリアは存在すると思います。赤いものを見たときの「赤い」感じは否定できませんから。ですが、そうするとクオリアは存在することによって私達にクオリアについて語らせ、つまりは物理現象を起こさせている。つまりクオリアは物理的影響を現に私達に与えている。となると、クオリアもまた物理現象なんですよ」
僕は頷く。僕の考えと一緒だ。女の子は続ける。
「確かに赤いとか青いとかの「感じ」は物理的に表現されていないかもしれません、しかしそれは人間に分かるレベルで表現されていないというだけのことで、実際は人体なり脳内なりの物理的発展の表現がそのままクオリアの表現になってると私は思うんです。クオリアが物質から一方的に干渉を受ける別の未発見物質なんてナンセンスです。多分クオリアは、個々の粒子ではなく脳の構造全体が持つ性質で、自己を観測し意識できる脳の性質ゆえに生じたものです……って、このあたりは私がそう思ってるだけでほとんど何も根拠はないんですが……。とにかく、クオリアが物質世界に存在できるなら、すべてが物質であるという点について唯物論の反証にはなりません」
僕は再び頷く。そして少し考え込むように遠くに目を向ける。この子になら、僕の考えを、つまり彼女が先程言っていたような事柄の更にその奥を、話してもいいのではないかと思う。
「俺もだいたいそんな感じで考えてます。そして――」今までこの考えを披露した相手は誠しかいない。女の子がどのような反応を返すのか、少し楽しみだ。「だからこそ人間は、いや、他の何物も、例えばコンピューターの中で生きられると思うんです」
「コンピューターの……中?」
「そうです。例えば今のところ知られてる最小粒子の素粒子にしてもそれが持つ情報はいくつかありますが、しかし有限です。だからそれぞれの情報――例えば位置とか、運動量とか――を計算すれば、その振る舞いについてコンピューターの中で再現することができます……まぁ、現実にはいろいろ障害がありますが……。そういう風にして、人間を構成するすべての物質についてすべての情報を記述すれば、人間の、クオリアを含めたすべての動きを再現できる。つまりそこには、人間が生きているんです」
女の子は僕の言葉を聞いて途方もないような表情を浮かべている。圧倒されて、しかしその脳内ではいろいろな考えが錯綜しているのが分かる。
「それは、理想的には……ということですよね?」
「もちろんです。実現できるとは思ってません。する意味もないでしょうし」
嘘だ。僕は少し前まで、この世界が偽物だという考えを受け、このようなコンピューター内の世界をこの世界のモデルとして一番有力視していたのだから。もちろん現代の科学で実現したなどとは考えていなかったが、更に進んだ科学では実現できるのではと考えていたのだ。いや、今だってその可能性を完全に捨てたわけではないし、むしろその可能性について見直しているところだ。
「でも、それは生きてると言えるのかしら? いや、でも、そうよね。コンピューターの中の私はクオリアさえ持ってる。意識も心も物理現象として、数字の羅列の変化としてきちんと再現されているのだから」
そうやって女の子はもうほとんど僕の存在さえ忘れて独り言のように呟き、考える。
そう、そうでないと困る。
だってそうじゃなければ、コンピューターの中の人間が生きているということになってくれなければ――。
僕達もやはり生きていないということになるのだろうから。
僕がさらに話を進めようと口を開きかけたその時、鼻の頭に冷たさを感じたかと思うと急に雨が降り出した。僕と女の子は目を合わせ、笑いあいながら互いに違う方向へ駆け出した。なんだか喜劇的で、非常に愉快な気分だった。
話は途中で中断してしまったけれど、きっとまた会えるだろう。そんな気がする。
いや。
また会えてしまうからこそ、この続きを話さなくてはならないのだ。