第十二話 |ルビーは使えない《NoUseJewelry》
「デートはどうだった? 姫様」
「上々ですわ。それから――」輝耶は急に真剣な顔になったかと思うと、喉に刺さった魚の骨をどうにかするべく苦心惨澹するが如く首をくねくね曲げ妙な表情をしながら「お兄ちゃんの言ってたこともなんとなく分かった。こういうことだよね♡」
どうやら、ハートマークを自分の意思で出せるようになったらしい。これだけの時間でこれだけの物事を自覚するとは、流石我が妹である。
しかし僕の感心をよそにハートマークを発音した輝耶は苦しそうに咳き込んだ。
「……でもこれ、意識して出そうとするとすごく喉に負担掛かるみたい。だから普段は代わりにこっち使うよ♪」
「な……他のも出せるようになったのか」
「うん、なんかコツ掴んだみたい%」
「いや、それは意味が分からん」
しかし、ハートマーク以外も出せるというのはもちろん嬉しいニュースだが、こうなると既に考えてあった輝耶の能力名「愛文字」が使えなくなったな。困った。
「じゃあさじゃあさ、愛の言霊はどうかな?」
「あはは、流石兄妹だね、ルビのセンスが一緒だ」
「ち、違いますよ、宇野先輩!嫌なこと言わないでください。愛の言霊っていうのはサザンの――」
それからの会話が僕の耳には入って来なかった。何やら楽しげに会話する誠と輝耶と宇野さんをよそに、僕は茫然自失してしばらく思考が停止し、それから妙に浮き足立った……自分が自分でないような心地に陥りながら自分の声だという実感の湧かない声で囁くように呟いた。
「宇野さん、今なんて言った?」
「え? ……えーと、それはちょっと説明しにくいって……」
「え? あ、いや、その前」
「著作権を侵害するような言葉を言うのはまずいんだよ、って」
「その前」
「えーと……流石兄妹って」
「その後」
「ん? ああ、ルビのセン――」
そこで宇野さんの顔も何かを思い出した嬉しげな表情のまま硬直した。少し遅れて誠も同様に目を見開き、輝耶はそんな二人の様子を不思議そうに眺めた。それから、しばらく考えて輝耶も思い至ったようだった。
ルビ――だと?
僕は試すように呟く。「救いの道」
宇野さんも同様に呟く。「能力執行者」
誠も呟く。「愛文字」
輝耶も呟く。「愛の――って、これはまずいんだっけ」
ルビだ。
どう聞いてもルビだ。
輝耶だけではなかった。僕達も既に、言葉によってこの世の理を破壊していた――。
ルビを発音していた。
今の今まで、全く気がつかなかった。輝耶が無意識にハートマークを発していたように、僕達も自分で気付かぬままルビを発音し――つまり一つの言葉で二つの意味を伝えるという離れ業をやってのけていた。
「いぎぇ」
突然誠が奇声を発した。だが僕にはその意図が分かる、何をしようとしたのか分かる。ハートマークか何かを発音しようとしたのだ。
ルビが発音できるなら、輝耶のやっていることも僕達にもできるのではないか――ということだ。
だが、無理だったらしい。とはいえ技術的な問題なのかもしれない。訓練すればできるようになる可能性は依然ある。
もしそうなると、輝耶の能力は他にある可能性や、他には能力など無く、僕達にルビや記号の発音技術を伝授することのみが神が輝耶に与えた役割だった――という可能性も出てくる。後者だった場合、「このまま作戦」が神に支持されているという僕の解釈は少し先走ったものということになるかもしれない。単なるギャグ路線での必要性から輝耶が召喚された可能性が否定できなくなるからだ。
とはいえ、今のところは分からない。僕達に使えるのはルビだけで、記号発音は輝耶だけの特権なのかもしれない。あ――。
「能力名思いついた」
「いや、お兄ちゃん、この局面でそこそんなにこだわるとこ?」
「うるさいっ、何事につけても名前ってのは重要なんだよ」
「はいはい、で? 何?」
「記号発音」
「あー……うん、いいと思うよ……」
「じゃ……じゃあ、無行動発音者」
「まぁ、さっきよりマシなんじゃない」
すごく微妙な反応に、僕はひどく傷付いた。
「そんなことよりさ、今思ったんだけどこれって実は物凄く、果てしなく異常でヤバい事態じゃない? お兄ちゃんはいつも言ってるよね、「この世に不可解なことはあっても不条理なことはない」「起き得ないことは起き得ない」って。お兄ちゃんは幽霊も神様も魂も信じない。私としてはそういうお兄ちゃんの考え方には大いに異議があったけど……今となっては認めていいと思うよ。だって、もうすでに起き得ないことが起こったし、この世はこの世じゃないんだから」
僕は恐ろしい予感と驚きと共に、自分の妹を見つめていた。もちろん妹の口から放たれる言葉のすべては既知の事柄だったし、僕にとって目新しい思考ではないのだけど、それでも僕はかなり驚いていたし、恐怖さえ覚えていた。宇野さんや誠も、同様にこれから妹の口から放たれるであろう言葉を予感し、驚きに目をみはっていた。
「無行動発音者……悪くないと思うよ。本来ハートマークやルビは声だけで伝わるものじゃないもんね。行動や演技を必要とする。行動や演技が無ければできない筈のこと。それが何故か、ごく普通の、種も仕掛けもない私に演技も行動もなく出来ているという事実は、ただそれだけの意味に留まらない――よね? お兄ちゃん。私という私は世界によって導き出された私だし、世界の一部だし、法則によって発展する世界は世界の全部を法則で満たし、だからどのような一部たりとも法則を超え得ない。世界のたった一部がある法則に則っていないなら、他に法則が、しかも世界全体に対してあるということ。私のちっぽけな能力は、ただそれだけで世界を変える――いや、世界の姿を浮かび上がらせる。……つまり、この世界は本物の世界ではない。だよね? お兄ちゃん」
僕は苦しげに苦笑いし、溜息を吐きながら、改めてこう思った。
流石は、我が妹。