第九話 溺れる策士は笑をも掴む
「なぁ一樹」
「ん?」
僕は等間隔に道々を照らす照明の淡いんだか眩しいんだかよくわからない光を見つめながら返事をする。宇野さんを送り、その帰り、誠と二人歩いている。
「だいたいは分かったけど……一つ気になることがある」
「なんだい?」
僕はもう、誠が何を言いたいのかだいたい分かってはいたが、そういうそぶりは見せなかった。べつに頑張って隠す気も無いけれど、それでも自分からこの話題を口にするのは気が引ける。
「……本気なのか?」
「何が?」
「ギャグ」
「ギャグじゃない、本気だよ」
「いやしかし、僕達に、特にお前にギャグ漫画なりギャグアニメなりのキャラクターが務まるとはどうしても思えないんだが」
「それはまぁ……そうだな」
頭の痛い問題である。
この世界で幸福に過ごすため、幸福なままハッピーエンドを迎えるために最も適したジャンルはギャグである。と、少なくとも僕は今だってそう考えている。その考えには間違いが無い、筈だ。
だが、それとは別に人には向き不向きというものがある。
そもそもこの僕、竹見一樹は変人である。それもかなりの偏屈ときている。この僕がいなければ宇野さん周辺を彩る物語ももっと違う形のものになっただろう。少なくとも世界自体を疑うなんて展開にはまずならなかったに違いない。
そんな僕が、いつも余計なことばかり考え過ぎて事態をどんどん複雑にしてしまうこの僕が、果たしてギャグなんかに向いているだろうか?
正直なところ、やはりその自信はない。
「というか本当に本気なら、今日話したようなことはほぼ全部黙っているべきだったよ。考えたとしても自分の内に留めておくべきだった」
「まぁ、そうだな。今やお前も宇野さんも俺並みに事態を考えなくちゃならない立場になっちゃったもんな」
「考えはあるのか?」
「あるよ。いくつかある」
そう、自分に向いているとは思わないが、それでも考えはある。策もなしにギャグなどと大見得を切ったわけではないのだ。
「まずは困った時の神頼み作戦。俺達の意向を汲んでとてつもなく面白いギャグキャラをこの世界に送り込んでくれることを期待して、待つ」
「……待ってるだけじゃん」
「とはいえこれだって立派に実験だぜ? 神が俺達の意向を汲む気があるか無いか、あるいは可能か不可能かを探る一歩になる」
「その実験って発想がそもそもギャグとは程遠いんだよ」
「そうか? マッドサイエンティストなんてギャグ漫画にはつきものだと思うが」
「ギャグとしてのマッドサイエンティストならね」
「ふぅん……まぁいいや。とにかく期待して待つ。もしギャグキャラが現れてくれたら、俺達はツッコミ要員に回ればいい」
「一樹、ツッコミだって簡単そうに見えてもセンスが必要になってくるもんなんだぜ?」
「わかってるよ。それでもボケ側に回るよりは俺達向きだろ」
「まぁ……ね」
「次の作戦は、もう神になんて頼まない作戦だ」
「早くも決別か」
「ギャグ要員となるべき人材を、俺たち自身が探す。今回の作戦もその一環だ」
「待て、僕ギャグ要員なのか?」
「うん、今のところ唯一のな」
「嫌だ、絶対に嫌だ!」
「ほほぅ、流石ですなー、既に堂に入ってる。実にギャグキャラっぽい」
「嫌だ、絶対に僕はやらないからな、絶対にだ」
「だったら必死こいて新たなギャグ要因を探すこったな。お前の人脈ならそう難しくもあるまい」
「ハメやがったな、僕を引き入れた真の理由はそれか」
「それもある。ほかにもある」
「顔が最後の理由じゃなかったのかよ……」
「俺の言葉を信用しちゃいけない」
「……だろうさ」
「とにかく、他のギャグ要員を見つければ前の作戦と同様に俺達はツッコミ側に回ればよくなる」
「……仕方ないか。まぁわかった、探してみるよ、必死こいてね」
「よろしい。で、次の作戦、神様……えーと……日常作戦」
「神様どこに行ったんだよ」
「ええい、うるさい。日常作戦はその名の通りギャグの中でも所謂日常系と呼ばれるような方向性を目指す作戦だ」
「ああ、なるほど、あれならそう難しくないかもな」
日常系とは、その名の通りちょっと変わった登場人物たちが奏でる日常風景を描くような作品群を指す。一般にそれほどギャグ色が強くなく、基本ほのぼのした感じなのでギャグ漫画ど真ん中よりはいくらかギャグのハードルは下がる。
「変人という意味では俺達もそれなりだろ」
「お前に関してはそれなりどころじゃないよ」
「おほめ――」
「褒めてないけどな」
「頂き恐悦至極」
「言い切りやがった……」
「あれ? さっきのちょっとギャグっぽくない?」
「だからそういうのが駄目なんだよ。仮にそうだったとしても言葉にするなって」
「いやいや、俺達は既に「自覚」ってカードを手札に加えちまってるんだからさ、方向性としてはメタギャグは外せないよ」
「……お前そういうの好きだもんな。というか、お前の趣味だけで言ってないか? それ」
「それもある」
「あるのかよ」
「さて、次なる作戦、もうこうなりゃヤケクソだ作戦」
「名前からしてろくでもねぇ……」
「俺達がギャグに挑戦する」
「やっぱりろくでもねぇ……」
「でもないよ。何せ俺達には救いの道がついてるからな」
「ああ、そっか、無理だと思ったらやり直せばいいのか。宇野さんに世界改変してもらえば僕達は記憶さえ戻るもんな。ダダすべりしても傷付かずに済むってわけだ」
「ただ宇野さんの記憶だけは戻らないから、宇野さんだけはやっぱりツッコミ要員に回ってもらうけどな」
「ふぅん、なんだかんだ言って優しいじゃん。……そういえばさ、俺も一つ作戦思いついたよ、その名もラ――」
「やめろ」
「ん?」
「その作戦だけは無い」
「……ふぅん、しかし、流れだけで僕が言おうとしてる作戦に思い当たるってことは――」
「誠、怒るぞ」
誠は立ち止り、黙った。それから参ったとでもいうように両手を上げた。
「わかった、わかったよ。この話はしばらくやめておこう。だけど、よくないと思うぜ、一樹のそういうところ」
「うるせ、ほっとけ」
「で、他に作戦はある?」
「あとは、そうだな……このまま作戦」
「作戦名がどんどん適当になってくな」
「うるせ、ほっとけ。このまま作戦はその名の通りこのまま、ギャグを目指しつつ、本質はややこしい思考を常に巡らせる。ギャグを目指して真剣に考えまくるがゆえに全然ギャグになってない、みたいな」
「まぁ確かに神の悪意に曝されないならギャグにこだわる必要はないし、今まで通り何でもかんでも考えるならギャグを目指すのはある程度必然的な流れだしな」
「この作戦が一番俺達の性には合ってるが。であるがゆえに後回しにすべきだろう。いつでもできることは最後の手に取っておく」
「まぁ賢明だな。となると、差し当たっての作戦は一つ目と二つ目、ギャグ要員を待ちつつギャグ要員を探す。それが無理だったなら僕達でギャグやってみて、それでも無理なら日常系にシフト、それでも無理ならこのまま作戦。ってところかな」
「そんなところだ」
「……というか、今更だけどさ、こんな話してていいのか? この話も物語に記述されてる可能性もあるわけだよな?」
「それこそ今更だろ。今この場どころかトイレや風呂に入ってるときだってその可能性はあるんだぜ?」
誠は再び立ち止り、愕然とした表情を浮かべる。どうやら今までそのことに思い至らなかったらしい。まぁ無理も無いのかもしれない。彼が事態を知ったのはまだ今日の夕方なのだから。
「ま、そんな顔せず、気楽に行こうぜ。トイレや風呂に入らないわけにもいかないし、考えたって仕方無い。ここはこの世界の神の、作者の良心と良識に期待しよう。それに、俺の場合需要がそもそも無いだろうからな」
需要が無いのは恐らく僕だけだけど。
こういうときは気楽でいい。
「とにかく、作戦は伝えたぜ。明日から頑張ろう、な!」
僕は誠の肩を叩き、別れを告げた。誠は観念したように肩を落とし、手を振った。
誠と別れて、僕は暗闇の中を一人歩く。僕は今、実のところわくわくしている。
作戦なんて、ほとんどでっち上げに過ぎなかった。それにしてはよくもすらすらとあんなに出たものだと我ながら思うが、いずれ良策と言えるようなものではやはりなかっただろう。
むしろ、それでいい。
結局のところこれも実験である。
僕達の無策や失策に対して神は作者はどのような反応を示すのか。協力するのか、脅迫するのか、見放すのか、見做すのか、救助するのか、糾弾するのか、修正するのか、終幕するのか。
こういう「失敗を以って策とする」ような作戦は、後になればなるほどやり辛くなる、というのが僕の経験則だ。それにこちらの手には救いの道も残されているのだし、失敗を恐れていても無駄に時間を浪費するだけだ。
かといって自ら進んで何もかも失敗させるつもりはもちろんない。ギャグという方向性が成功するならそれはそれで万々歳だ。要するにこれらは実のところ策でも実験でもなくて、ただの心構えなのだ。どのような状況に陥っても希望を見失わない心構えなのだ。
プラス思考は物事の良い側面を、マイナス思考は物事の危険な側面をそれぞれ知らせてくれる。常に希望を見出し絶望を回避しなければならない僕達には、どちらも無くてはならないものである
「さて、まぁそんなことはともかく」
僕としては今のところ一番楽しみなのはやはり神の、作者の反応である。
こちらは態度を決めた。
これからどんなことが起こるのか。
楽しみでならない。
僕は黄色く輝く月を見上げ、思わず笑みをこぼした。