プロローグ
「今、なんと言った?」
僕は彼女を睨みつける。怒りみたいな感情が浮かび上がる。
「聞こえなかった?」
「聞こえた」
「なら言い直す必要はないよね」
ピクリ顔の皮、痙攣。もう一度彼女を睨みつけてから僕はそっぽを向く。癇に障るとはこのこと。
僕は赤く染まりつつある夕方の風景を窓を通して眺めつつ、彼女に言う。
「そういう話は嫌いなんだ」
「知ってる」
彼女はにっこり笑う。きっと、彼女からこんな笑顔を向けられておいてムスッとしていられる奴はクラスではこの僕くらいのものだろう。
「じゃあ何で俺なんだ」
「それはもちろん君だから」
その返しは予想できていた。
「その、君が未来から来たという話が本当だとして、証明する術はあるのか?」
「えっとね……今日から……十日後かな? 12時を少し過ぎたくらいに――」
「待て」
僕は手を翳し彼女を制止した。なるほど、予言をして見せようと言わけだ。そしてそれをもって、自分が未来から来たことの証明とする……と。この上なく分かりやすい、それからポピュラーなやり方と言えるだろう。
しかし、これを聞いてしまえば彼女の戯言に対して答えが出るのは十日後だ。僕は暇だけれど、こんな戯言に十日間も付き合う気は無い。全く無い。
僕は彼女を見据え、観察し、吟味し、そして決心した。
「俺はね、昔ヒーローに憧れてたんだ」
「知ってる」
「嘘だろ」
「嘘だね」
だったら余計な茶々を入れるな、と心の中で呟いてから告白を続ける。
「俺の場合、サンタクロースからの卒業はわりに早かったが、ヒーローからの卒業は遅かった。中学3年、だから3年いや2年ほど前になるのか? それくらいまでは自分がヒーローになる気でいたし、なる日がいつか訪れると信じていた」
彼女は微笑を湛えながら静かに僕の話に聞き入っている。今更な素直さが腹立たしい。
「中学3年ともなればヒーローと言っても小学生やなんかが考えるのとは多少毛色が違ってくる。俺はな、実に中学3年まで、漫画みたいな超能力を自分がいつか使えるようになると信じていたんだ」
「痛々しいね」
笑う彼女にお前が言うなと思ったが、黙って頷いておいた。
「そんな俺も今では大人になった。まだ高校生だけどな。まぁ、毎日元気でやってます」
言い終わってから僕は溜息を吐き、背もたれにゆったりと身を預け、それから黙った。
夕日が眩しい。
「え、終わり?」
「終わりだ」
「え、え、結局何が言いたかったの?」
ようやく多少の混乱を見せてくれた彼女に内心ほくそ笑みながら、僕はやっと「結局言いたかったこと」を話し始める。
「中学3年生から大人になる過程で、俺はいくつかの考えを変えた」
「考え?」
「結論と言ってもいい」
「なになに?」
「聞いて後悔するなよ。どうやら君のその「過去へ行く能力」でやり直しがきくのは君自身以外のものだけらしいからな。その能力をどのように使ったところで、聞いてしまった事実を聞かなかったことにはできない。そうだろ?」
彼女はゆっくり頷き、黙った。今日一番の真剣な顔になってから、目を閉じ、小さく深呼吸し、人差指でコンコンとおでこを叩く。再び開かれた瞼から現れる瞳には、どす黒い漆黒と鋸のようなギラギラした光が共存していた。
「覚悟はできた」
僕は頷き、畳みかけるように「結論」の一つを言う。
「君の能力や俺の妄想の中にあったような不思議な力、それらは物事の理、即ち物理の範囲を超えた物事だ。それらが仮に存在するとするなら、いや、存在した時、それはその世界が物理以外の何かによって成り立っているということ、つまりは――偽物ってことになる」
「偽物? 世界が?」
「ああ、例えば小説や漫画や映画の中。そうでなくても高度に発達した文明のコンピュータの中とかな」
「つまり、現実世界でないと」
僕は頷く。中学3年生から大人になる過程で得たもの、それはつまりはそういうことなのだ。
「さて、聞く。覚悟があるか? もう一度、さっきの戯言を言う覚悟が。それを言うってことがどういうことなのか、今の君には分かるよな?」
彼女は頷く。目を閉じ、小さく深呼吸し、人差指でコンコンとおでこを叩く。それを眺めながら、僕は少し後悔する。なるほど、そういう意味だったのか。僕の成長とは結局、このためにあったことなのか。現実を知るために、妄想を、否定したというわけだ。まったく、皮肉な話だ。
再び瞼を開いた彼女に、僕は問う。
「今さっき、なんと言った?」
「私、未来から来たの」
果たして世界は脆くも崩れ去った。