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チャビ!  作者: 伝次郎
19/20

その十九



        (十四)


「チャビ、ちょっと待てよ」

 授業が終わって、バスケットの部室に向かっていた光一は、校舎を出たところで呼び止められた。

「はい、何か……」

 振り向けば、そこにいるのは村上勇一と髙木典雄。

「まだ飯食ってないだろう。一緒に食わねえか」

 勇一の言葉を補足するように、

「学食でいいじゃないか。最近行ってなかったしな」

 と、典雄が言った。「何時からなんだよ、バスケ」

「二時からなんだけど……僕、先に行って準備しないといけないし……」

「いいじゃないか。いつまでもパシリやってんじゃねえよ」

 と、典雄。

「ちょっと話があるんだ。――何、お前をいじめようってわけじゃないさ」

 二人の態度は、今までのそれとは明らかに違っていた。

 何となく――そう、何となく三人は学食に入っていったように見えていた。

 ――土曜日の学食は、一部の生徒しか利用しない閑散とした場所だ。

 カレーライスを注文した三人は、誰もいないのに、一番隅のテーブルに座った。

 よほど腹が減っているのか、猛烈に食べる典雄。ちょっと口にしただけで、視線を逸らして何か考え込んでいる勇一。

 光一は、二人のことを気にしながら――ということもなく、米の一粒一粒、ニンジンやじゃが芋に比べて肉が少ない、ちょっと甘口だ、などと考えながら、ゆっくりと空腹を満たしていた。

 勇一は何を言いたいのだろう。訊かれてもおかしくないことは山ほどある。それに対する答えだって――いや、答えなんかあるはずがない。

 何をどうすればいいのか、一番分からないのは光一なのだから……。

 しかし、何か底知れない落ち着きが光一にはあった。

 窓に目をやると、学食の外を杉田哲夫が横切っている。口に運んでいた光一のスプーンが止まった。

 哲夫がこっちを見た。光一と視線が重なる。そして――そっと片目を閉じて、何事もなかったように、哲夫は通り過ぎて行った。

「なあ、チャビ。お前、知ってるだろ」

 勇一が、やっと口を開いた。

「何をですか?」

「やるんだろう。岡田と協力して、哲夫君を襲撃。――情報は入ってるんだ」

 あちこちにいろんな情報が飛び交っている。少々のことでは驚かなくなってはいたが、

「知りません、そんなこと。僕、まだ死にたくありませんからね」

「沢村に呼ばれたんだ。俺と典雄と岡田。それに、チャビも一緒になって哲夫君を襲撃するんだって?」

 勇一はそう言って光一を見据えた。

「へえ……それも面白いかもしれませんね」

「――チャビ。それ、本気でやってみる気はないか」

 何? 襲撃に勇一が加担する?

 勇一は最近、哲夫に疎んじられている。それは確かに分かっていた。

 しかしここまで思いつめているとは……。

「情報によれば、決行するのは今日だ。バスケ終わるまで待ってるぞ。明日の朝まで、仲良くしようじゃないか」

 どうやら勇一は本気らしい。典雄は横で水をがぶ飲みしていたが、その目は勇一に同調している。

 光一は、残っていたカレーライスを一気に詰め込んだ。

 ――足りない。これくらいじゃ、夜中まで持たないかもしれない。

「すんません! カレー、おかわり!」

 と言った光一の大きな声に、テーブルを片付けていた学食のおばちゃんは、びっくりしてアルミの皿を落としてしまった。

 ガランガラン、カラカラ……。

 ――足下に転がってきた皿を、光一は蹴りつけていた。



     (十四)


 自分が望んでいることなのか?

 本当にそれでいいのか?

 バスケットの部室の隅で、メンバーのユニフォームにアイロンをかけながら、中野光一は自問自答を繰り返していた。

 いじめの限りを尽くした高校生活。僕の本当の顔を知っている奴がいるだろうか。いつも腫れ上がっているし、シミのような黒いアザは生まれつきなんかじゃないんだぞ。見れば分かるだろう。右だったり左だったり、殴打されるごとに移動しているじゃないか。

 やられた分はやり返す。それでいいだろう。今まで我慢してきたんだ。

 だから……だから復讐して……。

 バスケの練習が終わったら、工場の廃屋、あの「小屋」で杉田哲夫が待っている。土曜日の今日、いつもの集会だけではなく、リーダー北村武志の引退式が盛大に行われる。そして酒やドラッグがあの連中の頭を麻痺させるはずだ。

 解散した後の帰り道、光一が上手に誘い出す。待っているのはもちろん、岡田と一部の仲間。そして暴走族の無法者、田上信弘が挟み撃ちにすることになっている。

 哲夫はおそらく、まともな身体では帰れないはずだ。いや、それどころか「殺してコンクリートに……」という声さえ田上の周りで聞こえていたらしい。

 しかし、ここまで来て邪魔者が入って来た。村上勇一と髙木典雄だ。

「――どうだ、俺たちも仲間に入れてくれないか」

 二杯目のカレーライスを食べているとき、村上勇一が言ったのだった。

「待ってください。誤解ですよ」

「誤解? それでもいいじゃないか。実際、やろうと思ってるんだろ」

 否定すればいいものの、光一は答えることができない。

「とにかく、今日、待ってるぞ。作戦会議だ」

 髙木典雄もその気らしい。

 光一の肩をポンと叩いて、勇一と典雄は三人分の料金を払って出て行ったのだった。

 ――どうしよう。哲夫に気づかれないようにするだけでも大変なのに、あの二人がついて来たのではどうすることもできない。

 光一は考えながら、床に落ちているボールを見つめていたのだったが……。

「何やってんだ!」

 突然ドアが開いて、キャプテンが飛び込んで来た。

「あの……ユニフォームにアイロンを」

「バカやろう!」

 怒鳴りながら、キャプテンがアイロンを取り上げる。

 黒く焦げ目のついたユニフォームから、薄紫の煙が静かに流れていた。



 今まで我慢していたうっぷんを晴らすように、沢村は奇声を上げていた。

「だから言っていたはずです。何かあったでしょう。気づかないはずはない」

 今日、沢村のクラスで授業を行った教師が数人、職員室の隅に集まっている。

 沢村と池田の呼びかけに応じたものだった。

「さあ……私の時には分かりませんでしたね」

 英語の担当教師が言った。

「いじめ、襲撃。あんなあどけない子供たちに、そんなことが……」

 物理の教師も態度が曖昧だ。

「いや、それもそうでしょう。ただ、学校の中で、とは限らない」

 池田は同調しながらも、「授業中はおとなしくても、放課後、いや、夜になってからが怖い。おそらく人目につかないようにするでしょうからね」

 と言って、ずれたメガネを何度も直した。熱中しているときの癖なのである。

「でも、当事者が休んでたら、うっぷんも何もあったもんじゃないでしょう。ばからしい」

 相変わらず、園田洋子は関心を示さないような態度だ。

 しかし、洋子の言うことがまんざら外れているわけではない。

 杉田哲夫が欠席していたのである。襲撃を知っているからか、または昨日のうち、いや、朝からだってあり得るのだ。もし病気であるとしたら、家から連絡があるはずだ。

 しかし、杉田の家に電話しても、誰もいないのか、呼び出し音が鳴り続けるだけだった。

「村上はどうでした? 向井は?」

 と言った沢村は、「それから、岡田浩二に変わったことはなかったですか?」

 そっぽを向いたままの堂村の前に立ちはだかった。

 顔を上げた堂村。しかしその目は、沢村を見ていない。

「杉田が休んでいるのなら、何も問題はない。それより、池田先生の送別会はやらないんですか?」

 わざと話を逸らすような言い方だ。「やるんだったら早く言ってください。私も予定があるんでね」

 これには沢村も憤慨した。が、何を言っても無駄だろう。

 たとえ送別会をやるにしても、こんな奴に来てもらわなくてもいい。というより、出席してもらうつもりなど毛頭ないのである。

 確かに池田は今日で終わりだ。いや、正確にいうと、明日の日曜日までが光洋学園の教師として籍が残っていることになる。

 まだ土曜日だ。今は現役の教師として、最後まで任務を全うしなければならない。

 それは沢村が思う以上に、池田の行動や発言、そしてその目が、何よりも物語っていた。

「中野はどうしていましたか?」

 池田が訊いた。

「これといって変わりはありません。しかし、妙に落ち着いているんです。おどおどしていないし、どこか一点を見つめる目が鋭く光っているような気がするんです」

 沢村は今日一日、中野光一の姿を追い続けていた。

「チャビもたくましくなったじゃないの。良かったわね」

 どうでもいい、というような洋子の声は聞いていない。

「それが怖い……」

 沢村の言葉を聞いて、池田は立ち上がった。

「行きましょう、沢村先生」

「行くって、どこから行けばいいのか……」

「まずは体育館。バスケットの練習場ですよ」

 そうだ。一番の中心人物は中野光一なのだ。

 沢村と池田は、周りの冷たい目を気にすることもなく、職員室を出ようとして――トレーニングウエアの男とすれ違った。

「ちょっと……。今は練習中じゃないのかな?」

 男はバスケ部のコーチである。

「今日は急遽中止になりました。何でも、トレーニングを兼ねた山登りだとか言って、全員出て行きましたよ」

「出て行った?」

「突然キャプテンが言い出しましてね」

「それで、帰って来るんですか、ここに」

 池田の声が高まった。

「そのまま解散だそうです。本当に頼もしいキャプテンで、これからが楽しみだ」

 コーチはそう言って、職員室の中に消えて行く。

 廊下に残った二人は、ただ呆然と立ち尽くしていた……。



 

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