その十五
更新が遅くなりました。申し訳ありません。
これからしばらくこの作品に専念しますので、気長にお付き合いして下さい。
部室で着替えを終えた岡田は、近藤に促されて歩き出した。
いつものように自転車で……と思っていたのだが、学校の前にあるバス停にタイミングよく止まったバスに、近藤は飛び乗った。岡田も後に続く。
どこに行くんだろう。話しかけても何も答えてくれない。
繁華街に差し掛かったところで、二人はそのバスから降りた。
「やばいですよ、こんなところ」
飲食店の入り込んだ路地、ではなく、その裏道だ。「どこに行くんですか?」
少し不安な面持ちで、岡田は訊いた。
慣れない場所というものは、人間を不安にさせる独特な空気を感じるものである。
「ほら、そこだ」
そこには、見慣れない工場の廃屋があった。
ギギッと軋むドアを開けて、近藤が先に入って行く。
「先輩、連れてきましたよ」
「おお、やっと来たか。――入れ」
奥の方から声が聞こえた。
やばい! もしかしたら、ここは……。
「誰もいないんですか?」
「あいつら、今ごろ暴れてるよ。音が聞こえるだろう」
遠くから、エンジンの爆音が聞こえている。
「紹介するよ。中学の先輩で、北村武志さんだ」
近藤が岡田に言った。
北村……そうか。ここは暴走族の集会場で、この男がリーダーの北村。
以前、岡田のグループが、杉田哲夫の身辺を調べていたときに、暴走族のリーダーとしてその名前を聞いていた。
まさかキャプテンとつながっているとは……。
「君が光洋学園の岡田君か。バスケット部のレギュラーになったそうだね」
北村は、リーダー専用のパイプ椅子に座っている。煙草をふかしてはいても、暴走族の怖いイメージはない。
「はい、おかげさまで」
「君に会いたかったんだ」
岡田には意外な言葉だった。「どうだい、調べは進んでるのかな?」
「――は?」
「心配しなくていい。何も、君を責めようっていうんじゃない」
と、北村は言って、近藤に視線を送った。
小さく肯いて、近藤が出て行く。
「あのう、僕……」
「杉田の事を調べてるんだろ。チャビをスパイにしてね」
「――それ、チャビが喋ったんですか?」
「あいつは何も言わないよ。そんなことがバレたら、ただじゃすまないってこと、一番知っているだろうからな」
「それじゃ、一体……」
「君にお願いがある。杉田を襲撃する計画、中止してくれないか」
北村は、そう言いながら立ち上がった。そして一歩進み出ると、「たのむ。今、もめ事を起こしたくないんだ」
殴られるのではないかと思って、岡田は一歩後退していた。
しかし北村は、その場にひざまずいたのだった。
「待ってください! どうして僕に、そんなことを……」
「俺ももうすぐ十八歳だ。いつまでもこんなことやってられない」
「でも、それとこれとは――」
「俺の後を継ぐのは、杉田だ。そう決めてある。だから、それまで待ってくれ。それから先はあいつ次第だから、君が何をやってもかまわない。だから、それまで……」
そう言って、北村は頭を下げた。
暴走族のリーダーらしからぬ態度ではあるが……。
「――一つ訊いてもいいですか」
「やめてくれるというのであれば、何でも」
「チャビじゃなければ、誰が漏らしたのか教えてください」
「――どうだ、やめてくれるか」
北村の目が、キラリと光る。
そして、廃屋の陰から、複数の男たちが出て来た。
気がつけば、岡田は取り囲まれていた。
「君の返事次第では、こいつらがどうするか、俺には保障できないが」
北村は、いつの間にか、足を組んでパイプ椅子に座っていた。
よその町から来たのだろう。見かけぬバイクが数台、爆音を鳴らしながら通行人を刺激している。
「何だあいつら、不法侵入じゃないか」
暴走族の暴れん坊、田上信弘が、予想外の闖入者に不満を漏らす。
「やっつけますか」
後部シートに乗っている少年が、鉄パイプを振り回しながら怒鳴り声を上げた。
威嚇するように空エンジンをふかすと、通行人が迷惑そうに顔をしかめている。
その音を聞いて、仲間のバイクが数台田上の周りに集まって来た。
「あのバイク知ってるか?」
田上が訊いた。
「たぶん隣町の奴らだ。俺が行って蹴散らしてくる」
と、金髪少年が答える。
「待て、俺だけで充分だ。お前らそこで見てろ」
そう言って、田上のバイクが走り出した。
まずはゆっくり近づいて……。
「いいか、近寄ったら一気にやれ」
「任せてください。久しぶりの鉄パイプですからね」
後ろの少年が奇声を上げた。
相手は合計三台、六人の少年たちだ。
交差点の真ん中で、周回を繰り返している。車は通行を遮断され、酔った人々も横断歩道を渡ることができない。
田上は、一気に走り寄ろうとした――が。
脇の路地から出て来た改造バイクが、一直線に交差点に入って来た。
その後部シートの男が木刀を振りかざしている。
「誰だ、あの野郎!」
突然の邪魔者に、田上は一瞬狼狽した。
次々と振り下ろされる木刀。不法侵入の若者たちは、心の準備もできないまま、一方的に打ちのめされていた。
「バカやろう! さっさと出て行け!」
運転している男が叫んだ。
抵抗する隙さえ与えない。倒れたバイクを起こしている男に、いやというほど木刀を振り下ろす少年。
田上は、近寄ることもできず、その光景を眺めていた。
一目散に逃げていく少年たち。後に残ったバイクには、マスクで顔を覆った男が二人、なにやら話し込んでいる。
田上のそばに、仲間たちが駆け寄って来た。
「誰だよ、あれ。知ってる奴か?」
金髪が、訝しげに訊いた。
「あの野郎……。また邪魔しやがって」
「邪魔って、まさか……」
「杉田だよ、杉田。最近、目立ちすぎじゃないか」
そう言って舌打ちすると、「そろそろケリをつけなきゃいけないようだな」
田上はアクセルグリップを握り直した。
「やめとけ。今やれば、北村さんに迷惑がかかる。そうなったらお前の立場だって危ないんだぞ」
杉田哲夫のことを面白く思っていないのは、何もここにいる田上だけではない。
暴走族というのは団体である。だからといって、常に行動を共にしなければならないということはない。しかし、突飛なことをすると目立ってしまうのは事実だ。
人様に迷惑をかけるために走っている、という奴もいるだろうが、ほとんどの場合、己の快楽のため、又は、他人に威圧感を与えて、自分の存在を誇示するといった短絡的な若者ばかりなのだ。
そんな中、一匹狼のように息を潜める男がいる。普段はただ、集団行動として走るだけ。しかし、何か問題があると、第一線に出て来る二枚目俳優のような存在だ。
「いつも美味しいところは杉田ばかりじゃないか」
そう言って、田上は路上に唾を吐いた。
「なに、そう長くは続かないさ」
金髪はちょっと笑って、「お荷物、背負い込んじまったからな」
と、言った。
「そうだ、そのお荷物と話ししてみるか」
これは面白い。――と、田上は思った。
目で合図すると、そこにいた数台のバイクが走り出した。
振り向く杉田哲夫。そして後ろに乗っていたお荷物は……。
「また来ましたよ! やりますか」
「慌てるな、チャビ」
哲夫の声は冷静に、「あれは仲間だ」
と、中野光一を制した。
哲夫のバイクは、ゆっくりと歩道に近寄った。車道の真ん中では話もできないと思ったからだ。
「頑張ってるじゃないか、チャビ」
哲夫には目もくれず、田上はそう言った。
「いえ……すみません」
「何で謝るんだよ。何か悪いことでもしたのか?」
「つい力が入っちゃって……。あの人たち、怪我したかも――」
「それが申し訳ないって言うのか?」
「だって、木刀だもん、痛いですよ」
光一は俯いた。慣れて来たとはいえ、力加減は全く分かっていないのだ。
「相乗りする人間、選んだ方がいいんじゃないのか」
その言葉に、哲夫はピクリと動いた。
「田上さん、お節介はやめてほしいな」
と言って、哲夫は笑った。「二十歳にもなって、まだやってるほうが笑われるんじゃないの?」
「何だと、この野郎!」
と、田上は詰め寄って、「十代のガキに、何が分かるんだ!」
哲夫に掴み掛かろうとしたが、
「やめろやめろ! 田上さん、帰ろうぜ。哲夫が言うように、あんたも大人だ。冷静に考えた方がいい」
と言っている金髪だって、自称十八歳なのだ。しかし本当は、田上と同級くらいだろう、と誰もが思っていることも事実だ。
「おい哲夫。お前も自分のこと、もう少し考えた方がいいんじゃないのか」
「どういうことですか?」
「心配してやってるんだよ、怪我しないようにね」
田上は光一の顔をまじまじと見てから、「お前、狙われてるんだろう」
と、笑っている。
「俺はいつだって狙われてますよ。――それが?」
「小屋に帰ってみなよ。お客さんが来てるぜ」
工場の廃屋、暴走族のアジトを、「小屋」と呼んでいた。
「客? 誰だか知らないけど、あまり会いたくないね」
と、哲夫は相手にしたくない様子だ。
「そんなこと言わないで会ってやれよ。チャビちゃんの友達なんだから」
光一の顔から血の気が引いて行く。
まさか自分のことを言われると思っていなかったのだ。
誰だろう。どうして小屋に……。
「チャビの友達か。だったら会ってみるか」
哲夫はそう言って、エンジンをかけた。「行くぞ、チャビ!」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
思わず大声になった光一は、「友達なんて、僕にはいません!」
と、哲夫の袖を摑む。
「いいから早く乗れ」
有無を言わさぬ哲夫の目。
奴隷として、子分として。――そして、暴走族の仲間として、光一はバイクの後部シートにまたがったのだった……。
ここまで来たら、開き直るしかない。
薄暗い部屋の中で、見るからに凶暴そうなお兄さんたちに囲まれたら、誰だって震え上がってしまうだろう。
しかし、逃げる道はない……。
「それ、杉田が言ったんですか」
岡田は目を逸らさないように言った。
もちろん怖い。いや、それを超える恐怖心は、逆に人間を冷静にするものだろうか。
「あいつはそんな卑怯者じゃない。これは俺からのお願いだ」
と、北村は言った。
「俺がここに来てること、杉田は知ってるんですか?」
「いや、知らないよ。知っていたら、今ごろ君は立っている事さえできないだろう」
「そうでしょうね」
「君だけじゃない。俺もだ」
と言って、北村は笑った。「あいつはね、狙われてるんだよ」
「だからそれは、俺のことでしょ?」
「そうじゃない。足下からぐらついている」
「足下?」
北村は、自分がいなくなった後のことを考えて、内部の事情を探っていたとき、グループの中に不穏な動きがある事を知ったのだ。
何とか食い止めなければならない。
もちろん引退したら、俺の知った事じゃない。所詮、烏合の衆である事に違いないのだ。
しかし北村は、どうしても全うしたかった。暴走族に責任も何もあったものではないが……。
「どうしてもやるか」
北村は念を押すように訊いた。
「やる――と言えますか、俺? この人たちの前で……」
そう言って、岡田は周囲を見渡した。
「いや、すまん。――おい、お前たち退がれ」
北村の命令は絶対のようだ。すぐさま男たちは消えて行く。
「でも、ここに来た以上、俺の計画は失敗です」
岡田は溜息をついた。「とりあえず、杉田には頑張ってもらうしかないようですね」
そう言って、岡田は立ち上がった。
「――もしよかったら、君に協力してもらいたい」
出て行こうとした岡田を止めるように、北村は言った。
「何を? 杉田を殺すんですか?」
わざとらしく言った岡田に、
「まあ、似たようなもんだな」
と言って、奥の小部屋に導いて行ったのだった。……。
バイクのエンジンは切ったものの、中に入る様子は見せない。
ただその場所で、時間が過ぎるのを待つように煙草をふかしているだけだ。
光一にとって、これほど時間を長く感じたことはなかった。
「どうした、落ち着けよ」
足下に捨てた煙草をもみ消しながら、哲夫はそう言った。
「哲夫さん……。俺……」
光一はバイクの周りを行ったり来たり。
「ほら、出て来るぞ」
廃屋の出入り口に目をやると、哲夫はゆっくりとバイクにまたがった。
――ドアが開いて、一人の男が出て来る。
哲夫の動きが止まった。光一も男を見つめている。
出て来た男が振り向いて頭を下げた。もちろん哲夫にではなく、ドアの中だ。
その顔に浮かんでいる笑み。
戦慄のあまり、動けないのは光一だけか。
岡田は背中を向けて歩き出した。
そして、どうして哲夫が肯いているのか、光一には分からなかった……。