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チャビ!  作者: 伝次郎
12/20

その十二


「一気にやるしかなさそうだな」

 岡田浩二が、小さな声で言った。

「すまん……。俺が顔を見られたばっかりに……」

 向井健吾が、情けなさそうにうなだれている。

「マスクを取られていなくても、俺らだってことはすぐに分かるさ」

「しかし、村上の野郎、あの紙切れを見ちまったからな。杉田を襲撃するってこと、もう本人の耳に入っているはずだ」

「ああ、今ごろチャビはボロボロになってるだろう。あの杉田が黙っているはずがない」

 商業科の岡田のクラスで、昨日の村上勇一襲撃の経緯を聞いていたところである。勇一への暴行は成功したものの、向井のマスクが剥ぎ取られ、その正体があらわになったのだ。ましてやあの紙切れを村上が持っていたということなど、岡田にとっては寝耳に水だったのである。

「チャビの野郎、みんな喋ってしまうんだろうな」

 向井は心配そうな顔をしていた。

「喋ってもおかしくはない。人間、誰だって、暴力は怖いもんさ」

「でも、もしそうなったら、今までの計画もパーじゃないか」「――待て!」

 岡田が窓から身を乗り出した。「見てみろ、ほら」

 そう言って、教室の窓の外に目をやった。向井もその方向を見る。

「あれは……」

「ふん、あいつも頑張ってるじゃないか」

 中庭を抜けて、正面の校舎に飛び込む中野光一の姿が見えていた。

 逃げているということは、すぐ後から追いかけている勇一たちの顔を見れば察しが着く。双方とも必死の形相だ。

「職員室に逃げ込むらしいな」

 と、向井が言った。「でも、やばいんじゃないか」

「何がやばいんだ?」

 と、岡田が訊いた。

「だから、チャビが……」

「俺たちのことを喋る、と言いたいんだろう」

「もしそうなったら、昨日のことや俺たちの計画だって台無しだ」

「心配するな。あいつは喋らん」

「どうしてそう言えるんだよ」

「よく見てみろ」

 窓の外を見つめたまま、「喋りたくても、おそらく無理だろう……」

 と、岡田は言った。


 職員室のドアまで、あと数センチ。

 このドアを開ければ、今までの苦しみから解放されるだろう。何もかもぶちまけて、この光洋学園の実態を暴露してやる。学校を辞めたっていい。でもその前に、悪い奴らには仕打ちをしなくてはならない。悪は滅びる。いや、誰かが滅ぼさなければならないのだ。

 このドアを開ければ……。

 ドアに手がかかる寸前、光一の背中を何かが触った。

 誰だよ、邪魔するな!

 光一はかまわず手を伸ばす。

 しかし、届かない。

 そして光一の身体は――職員室とは逆の方向に引きずられていったのだった……。

「――なめた真似しやがって!」

 気がつけば、光一は自分の教室の真ん中にうずくまっていた。

「お前のやったことが、どういうことだかわかっているんだろうな」

 いきなりパンチが――飛んで来なかった。

 暴力、いじめ。それは、肉体的に及ぼされるものだとは限らない。こうやって、無言の中の静まり返った教室。光一を囲んだ男たちの静かな息だけが存在する空間は、痛みを通り越した暴力となって光一を圧迫していた。

 光一の太ももに、パチンと弾ける小さな痛みが走った。――輪ゴムである。指で絞って皮膚の上で弾かせると、小さいながらも強烈な痛みを与えることができる。

「チャビちゃん。職員室に、恋人でもいるのかな?」

 輪ゴムを持った勇一の手が、光一の首に触れる。「キスマーク、付けてあげようか」

 指にかかったゴムが、小さな音を響かせてはじけた。小さいながらも――小さいからこそ、人間が感じる痛みというものは敏感に反応するものだ。

「大冒険だぜ、チャビ! 洋子ちゃんに会いに行ったんだろう」

 髙木典雄が、わざとらしくからかった。

「哲夫君、どうする、こいつ」

 勇一が、無関心を装っている哲夫にわざとらしく言った。

 哲夫は、なぜか突然笑い出した。

「どうしたんだよ――哲夫君」

「おかしくてよ」

 高笑いさえ始めて、「この本さ。コメディーなんだよ、これ」

 と言って、また読み始めた。

「そんなことじゃなくて……。チャビは密告しようとしてたんだぜ」

「何を密告するんだ」

「だから、哲夫君や俺たちがいじめてるってことさ」

「いじめてる? それはよろしくないね。いじめはダメだよ、君たち」

 哲夫は本を閉じて、「チャビ、こっちに来い」

 光一には、哲夫の考えていることが分からない。職員室に走ったことや、村上勇一が襲撃されたこと。そして、岡田と密謀を企てていることも、哲夫の耳に入っているだろう。

 いつもなら敏感に反応して何かしてくるはずだ。しかし哲夫は、怒ったような表情すら見せない。

「はい……」

 哲夫に近寄って、光一は歯を食いしばる。

「今日の昼飯」

「――は?」

「今日の昼飯だよ。売店のパンでいいからな」

「でも今日は、ホカ弁の新メニューの発売日ですよ」

 数日前から、哲夫が楽しみにしている新商品だ。

「実は、腹が減ってるんだ。今からちょっと行って来てくれないか」

「今から、ですか?」

「授業に遅れたら、トイレに行ってる、って先生に言っとくから、大丈夫だ」

 少しためらった光一だが、

「分かりました。じゃ、行ってきます」

 と言って、歩き始める。

「ちょっと待て」

 哲夫が呼び止めた。「ほら、金」

 差し出された千円札を、光一はポケットにねじ込んで、足早に教室から出て行った。

 ――勇一の頬の傷が、キリキリと痛み出したのだった。




 


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