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チャビ!  作者: 伝次郎
1/20

その一


(一)


 教室の自分の机にある弁当のふたを開けて、杉田哲夫は顔色を変えた。

 焼肉弁当ではない。これは豚の生姜焼きじゃないか。

 四時間目の授業が始まる前、哲夫は「俺、焼肉弁当」と、ボソッと言った覚えがある。それが違うものに聞こえたのかもしれないが、そこをちゃんと聞いて行動するのがこいつの仕事なのではないか。

 今までそう教えていたはずなのだが……。

「――チャビ、ちょっと来い」

 哲夫が小さな声で言った。

 役目を終えた中野光一は、買って来た昼食が間違いなかったかと、六人分の弁当やサンドイッチなどのチェックをしていた。一つでも間違えたら大変なことだ。

「おい、チャビ!」

 今度は哲夫が大声で怒鳴ると、目の前にある机を蹴飛ばした。

「はい! な……」

 光一はすぐに駆け寄る。もう次の仕事だろうか。

「あれは何だ」

 机と共に吹っ飛んでいった弁当を指差して、哲夫が訊いた。

「あの……生姜焼き弁――」

 最後まで言い終わらないうちに、哲夫の蹴りが光一の腹をえぐった。

 床にうずくまり、悶絶する光一の顔を、哲夫はスリッパで踏みつける。

「俺が食いたかったのは、焼肉弁当。――そう言わなかったか」

 返事をしようにも、口元を強く踏まれて言葉が出ない。

 どうやら間違って買って来たらしい。気をつけてはいるものの、いつも何か間違ってしまうのだ。そしてその度、ご褒美と称したいじめ、制裁が光一に襲い掛かった。

「す……すみません……すぐ取り替えて……」

 同じクラスの同級生だが、敬語を使って話さなければならない。

「早く行って来い。腹が減って死にそうだ」

 フラフラと立ち上がった光一は、慌てて教室を出て行った。

 ――学校を抜け出すのはもちろん校則に違反しているが、杉田哲夫に命令されたら、近くのコンビニに買いに行かなくてはならない。最初はビクビクものだったが、最近は校舎裏の抜け道を見つけている。買いに行くのは簡単だが、二度目となると、先生に見つかる恐れもある。どうしよう……。

 絶対服従を強要され、奴隷以下の扱いをされる。そして、使いっ走りのご褒美が殴る蹴るの暴力だからたまったものではない。

 しかし行かなければ、その後どうなるか……。

 光一の身体にできた無数の傷がその足を速めていた。


 ――チャビと呼ばれている中野光一に対するいじめが始まったのは、この春、この光洋学園高校に入学して間もない頃だ。

 体が小さい光一は、「チビ」と親しみを込めて呼ばれていたのだが、気が弱く、頼まれ事を断れないため、不良たちからしだいに使われるようになるにつれ、呼び名も「チャビ」に変わって行った。

 この高校は、この町では有名な不良生徒のたまり場的学校である。学力は中程度で、体育会系の部活に力を入れているところだ。普通科、商業科、体育科で構成され、光一が所属する普通科は四クラスある。その一年A組のボス的存在が杉田哲夫なのだ。

 入学と同時に勢力争いが繰り広げられる。目が合えばケンカ、目立つ行動を取れば、放課後、体育館裏へ呼び出され、殴る蹴るの暴行を受ける。そうやって行くうちに、いくつかの不良グループが形成され、力の差でランクが決まって来ていたのである。

 学校の中にちょっとした学食があり、パンや弁当なども販売されているが、充分な量はない。四時間目の授業が終わると同時に走っていかなければ、すぐ売切れてしまうのだ。その弁当を買いに行くため、誰か一人代表を決めようということになった。その最初の役目が、光一だったのである。

「俺の分も一緒に買って来てくれる?」

 初めはそういう軽い言葉からだった。

「うん、いいよ」

 光一は気軽にこたえていた。まさかそれがエスカレートするなどと思っていなかったからだ。

 何日か続いたある日、光一は自分が使いっ走りになりつつある事に気づく。そして、断ることにした。しかし……。

「チャビ、パン買って来い」

 杉田哲夫が、言った。

 光一は黙っていた。返事をせず、自分の席で持参した弁当を広げようとしていた。

 次の瞬間、光一は胸倉をつかまれ、哲夫の顔を間近で見ることになった。

「――チャビ、パン買って来い」

 哲夫は同じ言葉を繰り返した。

 逆らえばどうなるか、そのギラついた目が、光一を震え上がらせていた。

 それから、光一の惨憺たる高校生活が始まったのである。

もちろん教師に密告する者もいたが、今ではそんな奴はいない。その後どうなるか、血みどろになって学校を辞めていった何人かの生徒を見れば、教師の前で口を開くことなどできないのだった……。


「チャビ――ほれ」

 哲夫は椅子に座ったまま机の上に足を乗せた。光一は近寄って、その足をさすり始める。寒くて足が冷たい時は、いつもこうやって暖めてあげなければいけなかった。

「チャビ。まさか学校を辞めようなんてこと考えてないだろうな」

「まさか……」

「俺から逃げようと思っても無駄だぞ。この町に住んでいる以上、お前は俺の親友だ」

 親友……。

「分かってます。逃げるなんて、そんなこと……」

「俺に逆らったらどうなるか、分かってるよな」

 命令に従っても〈ご褒美〉が待っている。どっちにしても同じことじゃないか……。

 光一は心の中で呟いていた。

「そっちが終わったら、俺も頼むぞ。手抜きすんなよ」

 哲夫の手下、村上勇一が光一の横に来て言った。哲夫ほど頭は良くないが、腕力にかけては異常なほど自信を持っている。腕力というより暴力にかけては、と言った方がいいだろう。

「分かりました。すぐに行きます」

「おい、勇一。そんなに無理を言うな。チャビも大変なんだぞ」

 哲夫が嗤いながら言った。

「ごめん、分かってる。もちろん哲夫君が終わってからだよ。はは……」

 哲夫に逆らったら大変なことだ。勇一は自分の机に戻ると、食べかけのコンビニの弁当に再び箸を運んだ。もちろん光一に買いに行かせた弁当である。

 四十五分の昼休みも半分ほど過ぎて、教室の中には哲夫とその手下が五、六人、そして光一が残っているだけで、他の生徒たちは誰もいない。光一への暴力のとばっちりを受けたくない。いや、光一への暴行自体から目を逸らしたいのである。

 ――校舎の三階にある教室の窓枠に座らされた光一に、ジャックナイフを磨いている哲夫が親しみを込めて問いかけた。

「今日の放課後はどうするのかな、チャビ君。俺、ゲーセンに呼ばれてるんだよ、先輩たちに。手ぶらじゃ行けないし、せめて先輩たちの身の回りの世話だけでもしてあげたいと思ってるんだ」

 学校の先輩ではない。哲夫が所属している暴走族の兄貴分のことだ。

「それが……。今日の部活はどうしても抜けられません。明日からの交流試合のために、メンバーのユニフォームを洗濯しないと……」

 今にも落下しそうな身体、そして震える足を押さえながら光一は言った。

 哲夫がいきなり蹴飛ばした椅子が光一の足下で弾け飛んで、危うく落ちそうになる。その身体を勇一が食い止めた。

「そうか、君はバスケット部の小間使いをしていたんだよね。忘れてたよ。でも、バスケ部の岡田浩二と俺とでは、どっちが君に優しくしてるかな」

「それはもちろん、哲夫さんにはお世話になっています。でも……」

 どっちにしても同じである事は、光一にしか分からないかもしれない。光一に対するいじめは、クラス内から始まって、隣のクラス、普通科全体、そして学校中に広まろうとしているのである。今となっては、バスケ部員や先輩たちまでもが、光一を格好の餌食としているのであった。

「なあチャビ。そろそろ商業科の岡田と決着をつけなければならないと思ってる。最近あいつ、調子に乗りすぎだろ」

 指を鳴らしながら、哲夫は言った。「お前、その時、どうする……」

「それは……」

「――ま、いいや。今日はチャビが一緒に行っても邪魔になるだけだろ。安心してバスケ部のオモチャにしてもらいな」

 そう言いながら近づいて来た哲夫は、光一を窓から突き落とす振りをして、逆に教室の中に引き込んだ。

 そして、硬く握られた拳が、光一の腹に埋め込まれていた……。


 



 

 

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