裁きの鉄槌
ルナは漆黒の森の外へと出てきた。風が強く、ダークブラウンの髪が激しく揺れる。赤黒い瞳には、復讐の炎が静かに燃えていた。
その背後にはアスタリーナがふわりと浮かんで、軽やかな笑い声を響かせながらついてくる。
「ルナちゃん、めっちゃ気合い入ってるね。次の敵もバッチリやっつけちゃおうよ」
アスタリーナが両手の握りこぶしを交互に天へと突きあげておどける。
「遊びじゃないの。余計なことを言わないで」
ルナは一喝したが、アスタリーナの言葉と考えていることは大して変わらなかった。ジュリアの派遣した軍を圧倒的な力で叩き潰し、彼女のプライドをへし折る――そのイメージが、ルナの心に黒い希望を芽生えさせた。
森を出ると、ルナの息が詰まった。
目の前に広がるのは、セレニティア共和国の主力軍だった。数十台の魔戦車がゴロゴロと不気味な音を立て、鋼鉄の巨獣たちが整然と並んでいる。
その周囲には数百の兵士が槍や剣、火炎放射器を構え、森の結界を破壊する準備を進めていた。ただそこにいるだけで、十分に威圧的な光景だった。
空気は焦げ臭い匂いと金属の冷たさで満ちている。間もなくここで戦争が始まる。
「こいつら、本気で森を焼き尽くす気ね」
ルナは小太刀を握りしめ、唇を噛んだ。援軍の数が多いとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。いかんせん敵の数が多すぎる。
前世のトラウマが蘇える。
世界を救ったルキア・シェイドは多勢に無勢の軍に囲まれてその力を封じられた。どれだけ優れた戦士であっても、数に物を言わせる敵と闘うのは難しい。
あの時は魔力で力を封じられ、がんじがらめになったところを捕らえられた。その先に待っていたのが、有罪ありきで死刑必至の魔女裁判である。あの時の記憶がよぎって、かすかに腕が震えた。
「ルナちゃん、ビビっちゃった?」
アスタリーナがルナの耳元で囁く。
「敵があまりにも多すぎるわ。正直どうしようかなって思ってる」
「でもさ、ルナちゃんの体にはまだまだ隠された力があるんだよ。ほら、背中見てみなよ!」「背中なんて、自分で見れるわけないじゃない」
ルナは眉をひそめたが、直後に背中で熱い感覚が走った。
「この湧き上がる力は、何?」
そう言うと、ルナの背中に刻まれた紋章のタトゥーが紫色の光を放ち始めた。それはまるで生き物のように脈動し、強烈な魔力がルナの全身へと駆け巡る。
「え? 何これ? 一体何が起こっているの?」
ルナが驚きの声を上げる中、紋章から同心円状に紫色の光が広がっていき、森の空気を震わせた。
森の木がかさつくと、木々の中から巨大な影が現れる。
「えっ……」
それを呼び寄せたルナは、あっけにとられてその威容を見上げていた。
漆黒のローブに身を包み、顔には骨のような仮面を被った、悪魔と判事を組み合わせたような召喚獣が現れる。
その手には巨大な槌が握られていた。槌の表面には無数の呪文が刻まれ、禍々しい光を放っている。地鳴りのような声を漏らすと、敵軍の血の気が引いていくのが分かった。
「これは……」
「うっひゃールナちゃん、めっちゃヤバいのが出てきた!」
アスタリーナが興奮気味に叫ぶ。
「これ、冥界から呼び寄せられた凶悪な召喚獣だよ。名前は……えっと、勝手に『ディカイオス』って呼んじゃおう。さあ、ルナちゃん。こいつで敵をぶっ潰しちゃえ!」
「ディカイオス……?」
ルナは呆然と呟きながら、召喚獣の圧倒的な存在感に息を呑んだ。
「怯むな! 撃て! 撃て!」
敵軍の声で我に返る。魔戦車が砲口をこちらへと向け、兵士たちが一斉に声を上げて突進してくる。
ルナは小太刀を構え、ディカイオスに命じた。
「ディカイオス、敵を一掃して」
ディカイオスが低く唸り、巨大な槌を振り上げた。その一撃が地面に叩きつけられると、衝撃波が森を揺らし、魔戦車の一台が粉々に砕け散った。
兵士たちが悲鳴を上げ、火炎放射器の炎が空を焦がす。
だが、ディカイオスの槌が再び振り下ろされ、数十人の兵士を一瞬で叩き潰した。血と金属の破片が飛び散り、戦場は地獄と化す。
「な、なんだ、あのバケモノは⁉」
兵士の一人が恐怖に震えながら叫ぶ。ディカイオスの赤い瞳が生贄をとらえ、次の瞬間、槌が旋風のように振り回される。敵の隊列がオモチャの兵隊のように吹き飛ぶ。
恐怖の一撃で、魔戦車の装甲が熱した飴ように裂ける。兵士たちは逃げ惑うも、ディカイオスの無慈悲な裁きからは逃れられない。
ルナは小太刀を手に、ディカイオスの後を追うように戦場を駆けた。
「チャーム!」
淫魔のスキルが発動し、兵士たちの間に仲間同士の殺し合いを引き起こす。
ディカイオスの槌と無双するルナの舞は、セレニティア共和国の軍勢を恐怖のどん底に叩き落とした。
「こ、こんな力……ありえない」
生き残った兵士が呻いて逃げ出そうとするが、ディカイオスの槌が最後の抵抗を粉砕する。戦場は静寂に包まれ、森の外側には屍の山が築かれた。
ルナは息を切らし、ディカイオスの背後に立つ。召喚獣はゆっくりと煙となって消え、それと同時に背中の紋章も光を失った。
一瞬にして訪れた静寂。だが、ルナの心は静まらない。
ジュリアの軍を壊滅させた今、復讐は一歩近づいた。だが、この規格外の力はルナ自身にも恐怖を与えていた。
「ルナちゃん、めっちゃカッコよかったよ! ディカイオス、最高じゃん!」
アスタリーナが拍手しながらあちこちを飛び回る。
「これでジュリアもビビるよ、絶対!」
「この力……本当に私に制御できるの?」
「もちろん出来るよ。だって、ダークエルフの力を手に入れたルナちゃんは最強だからね!」
はしゃぐアスタリーナとは対照的に、ルナの心は晴れやかにならなかった。ディカイオスが大暴れする光景は、とてもこの世のものとは思えなかった。
あの地獄絵図は恐怖とともにジュリアに報告されるだろう。そうなれば、彼女もルナをバケモノと呼ぶのか。そう思うとどうにも気が乗らなかった。
召喚獣も、以前はジュリアと力を合わせないと発動させることが出来なかった。それゆえにルキアを処刑した時点で召喚魔法はこの世界から潰えたわけだが、それをまさか自分一人で復活させるとは。悪魔の力を得たとはいえ、あまりのデタラメぶりに苦笑いするしかない。
「もう、普通の人間には戻れないのかも」
ルナは小太刀を握りしめ、呟いた。
彼女の視線は、焼け野原となった戦場の向こう、セレニティア共和国の都へと向けられていた。
正直なところ、この力を本当に制御出来るのかと訊かれると、極めて怪しい。
だけど、状況は余談を許さない。ジュリアはさらなる刺客を送ってくる可能性がある。その前に彼女を仕留めないといけない。
空を眺める。つがいの鳥が、焦げ臭い焼け野原の上空を飛んでいった。その光景が、何かを象徴しているようにも見えた。
「待ってなさいよ」
誰にともなく呟いた言葉は、風に溶けていく。
ジュリアが待つその場所で、彼女は全てを終わらせることを誓った。




