淫魔の力
ルナは恐ろしいほどのスピードで走り続け、森の奥へと飛び込んだ。
あちこちに放たれていく炎。その炎は進んでいけばいくほど大きく熱くなっていく。息を止めて、黒い煙の中を駆けて抜けていった。
「いた」
そこには、セレニティア共和国の斥候部隊が待ち構えていた。
巨大な魔戦車――魔力で動く鋼鉄の巨獣が、ゴロゴロと不気味な音を立てて森を踏み荒らし、その周囲には火炎放射器を構えた兵士たちが伴走している。火炎放射器を持った兵士たちは、周囲の木々に次々と火を放っていた。
炎が漆黒の森を舐め、樹々が悲鳴のようにメキメキと音を立ててから時間差で爆ぜ、あちこちで燃え上がる。
「ひどい……」
ルナは地獄のような光景に思わず絶句する。
ダークエルフの戦士たちが剣や弓で反撃を試みるも、あっという間に火炎放射器の炎に呑まれて命を落としていく。あちこちから煙と嫌な臭いが立ち込めていた。
視線を遣ると、敵の中心に巨漢の男が立っていた。
重厚な鎧に身を包み、両手に巨大な戦斧を握る重戦士、レガムンド・フレア。傷だらけの顔は顎から頬にかけて広がる髭で覆われており、いかにも屈強な戦士といった印象を与える。
レガムンドはセレニティア共和国の精鋭で、ジュリアの忠実な部下として知られる男だ。彼の冷たい目が、燃える森の中でルナを捉えた。
「ダークエルフの残党か!」
レガムンドの声が森に轟く。
「女帝の命により、この森を焼き払う。お前もその仲間も、残らず灰になるがいい」
ルナは無表情でレガムンドの見ると、小太刀を握りしめた。ジュリアの名を聞いた瞬間、胸の奥に潜む復讐心が再び熱を帯びる。
「あなたがジュリアの放った犬ね。この森を焼くつもりなら、ここで今死んでもらう」
ルナは一気に駆け出し、魔戦車の周囲に群がる兵士たちへと飛び込んだ。
両手の小太刀が閃き、魔法の刃が空気を切り裂く。兵士の一人が火炎放射器を構える前に、ルナの小太刀がその腕を切り落とし、悲鳴とともに炎が宙を舞った。
もう一振りの小太刀が別の兵士の胸を貫き、鮮血が焦げた地面を染める。
「何だと……?」
あまりの速さにレガムンドが面食らう。想定していた敵の能力とあまりにも違いがあり過ぎた。
ルナの動きは止まらない。彼女はまるで早送りの曲芸師のように舞い、兵士たちを次々と薙ぎ払う。
風が吹くように小太刀が唸り、敵の隊列が瞬く間に崩れていく。斬られていく側も、どうして自分が死んだのかを知らないままこの世を去っていく。
「ルナちゃん、ナイス! ほら、ここでチャームの出番だよ!」
セコンドと化したアスタリーナが宙で手を叩きながら叫ぶ。
「あの火炎放射器の連中、操っちゃえ!」
ルナは頷き、魔力を集中させた。彼女の赤黒い瞳が妖しく光り、サキュバスの能力であるチャームが発動する。
「愚かな者たちよ、凄艶なる私の声に従いなさい」
ルナの声は甘く、まるで森全体を包み込むような響きを帯びていた。呼びかける声は不思議な波長を伴いながら、波紋のように森の中で広がっていく。
ふいに火炎放射器を構えていた数人の兵士が動きを止め、目が虚ろになる。次の瞬間、彼らは仲間に向かって火炎を放射しはじめた。炎が兵士たち自身を飲み込み、悲鳴と混乱が森に響き渡る。
「な、なんだこれは⁉ 貴様、一体何をした⁉」
混乱したレガムンドが戦斧を振り上げ、パニックになりそうなのを堪える。
「誘惑よ」
「!」
レガムンド気付けば、ルナはすでに目の前にいた。
ルナは小太刀を握り、冷ややかな笑みを浮かべる。
「レガムンド・フレア、ジュリアの忠犬――あなたみたいな男が、彼女の汚い仕事を引き受けているの?」
ルナの声には、いつかの憎しみが滲む。
「この森を焼き、ダークエルフを傷付けるあなたを赦さない。その罪、死をもって償いなさい」
「うおおおおお!」
レガムンドが戦斧を振り下ろすも、ルナは信じられないスピードでそれをかわす。小太刀が閃き、レガムンドの鎧に深く突き刺さる。
「あっ……ぐっ……!」
レガムンドが驚愕の表情を浮かべる瞬間、ルナはもう一振りの小太刀を彼の首に突き立てた。
「ぐああっ!」
鮮血が噴き出し、レガムンドが膝をつく。大きな手から戦斧がこぼれ落ち、森の斜面を転がっていった。すでに誰が見ても勝負は着いていた。
噴き出す血を顔面に浴びながら、レガムンドは何とか口を開く。
「貴様、一体……何者だ?」
「ルナ・シャドウズ。あなたたちの女帝を倒す者よ」
ルナは冷たく言い放ち、首に刺さった小太刀を引き抜いた。絶叫とともに、大量の血が噴き出す。レガムンドの巨体は地面へと崩れ落ち、魔戦車の轟音も静まる。たった一人のダークエルフが、襲撃者たちを残らず殺し尽くした。
周囲のダークエルフは英雄を見るというよりは、森の中で大熊でも見つけた人間のように戦慄していた。その視線を感じながら、ルナはここにも長くいられないことを悟った。
あちこちで放たれた火はまだ燃えている。これから消火活動もしなければいけない。さもなければ漆黒の森が燃えてしまう。
ところどころが燃える森の中で、ルナは小太刀を握りしめ、息を整えた。アスタリーナが拍手をしながら近づいてくる。
「ルナちゃん、めっちゃカッコよかった。イエイ。ほら、言ったでしょ? この姿で闘うの、めっちゃ似合うって」
ルナははしゃぐアスタリーナを一瞥し、吐息をついた。
「まだ終わってないわ。ジュリアが次に何をしてくるのか」
敵の進軍して来た方向に目をやると、森を抜けた先の光景が広がっていた。
「いや、このまま待っているわけにもいかない。やられるぐらいなら、こっちから仕掛けていくしかないわね」
そう言うと、森を抜けた先に見える町を睨んだ。
――あの先に、ジュリアが待っている。
ルナの視線は、燃える森の奥、セレニティア共和国の影が潜む方向へと向けられていた。




