目覚めていきなり使命を背負う
頬を伝う涙。暗闇の向こうから自分を呼ぶ声に気付いた。
「起きなさい、ルナ・シャドウズ。今こそ、目覚める時です」
頬を伝う涙を拭うと、ルキアは目を開けた。
見慣れぬ神殿。そこは薄暗く、辺りは褐色の肌を持った人々に囲まれている。彼らは一様に尖った耳を持ち、いくらか赤みがかった瞳をしていた。
ダークエルフ――「神の器」とも呼ばれ、森でひっそりと暮らす妖精族の亜人。
視線を落とす。足元には巨大な魔法陣。自らの手の平を見ると、それはかつての色白の肌ではなく、褐色の細い指先があった。
ダークエルフたちは、様子を窺うように目覚めたルキアを眺めている。その景色を見て、ルキアは一瞬で状況を把握した。
「私は、生まれ変わった……?」
ひとり言にも聞こえるルキアの言葉に答える者はいなかった。ダークブラウンの長髪に赤黒い瞳、筋肉質でほっそりした体に尖った耳を持つ美女は、かつてルキアと呼ばれていた人間とは明らかに別人だった。
「目覚めましたね、ルナ・シャドウズ」
神官らしき女性のダークエルフが沈黙を破る。
「ここは、どこなの?」
「ここは漆黒の森。ダークエルフの住む隠れ家です」
「私は、生まれ変わったの?」
「あなたの言葉で言えばそうなるのでしょう」
そう言って神官の女性は十字を切って続ける。
「あなたは神の魂を受ける器として立候補して、そしてその試みに成功しました。この世界であなたの名前はルナ・シャドウズ。現世へと呼び戻された神であり、それと同時に人間どもと闘う気高き勇者になります」
「私が、人間と……?」
情報量の多さに理解が追い付かない。生まれ変わりというだけで荒唐無稽なのに、その上ダークエルフが人間と敵対しているというのは初耳だった。
「そうですね。いきなり言われても状況が分からないでしょう。それでは、何が起こっているのかを説明しましょう」
混乱するルキア改めルナ・シャドウズに向かい、神官の女が口を開く。
「現在、私たちダークエルフの住む漆黒の森はセレニティア共和国の軍事侵攻を受けています。国名こそ共和国とありますが、その実は前身でもあるインサニティ帝国の軍国主義の流れを強く汲んでおり、女帝ジュリア・マリス・バックスタバーが世界で猛威を振るっています」
その言葉を聞いた瞬間、ルナの全身に寒気が走る。
「ジュリアは、他の種族まで虐げているというの?」
「そうです。かつては世界を救った英雄と持てはやされた彼女ですが、昨今では近隣国を侵略する暴君として知られています」
絶句するルナに、神官の女はこれまでの概要をかいつまんで説明しはじめた。
世界を恐慌へと陥れた「魔女」、ルキア・シェイドは女帝自らの手で火あぶりの刑となり粛清された。魔女を消した女帝ジュリアは、それ以降邪魔になった者は次々と難癖をつけては始末する恐怖体制をしいていくこととなる。
ルキアが復活するまでの間、あの粛清から一年が経過していた。その間ジュリアは恐怖政治を維持したまま近隣諸国への軍事侵攻を重ね、世界中で恐怖の代名詞めいた存在となっていた。
見えない敵とでも闘っているかの如く被害妄想をこじらせる女帝ジュリア・マリス・バックスタバーは、現在進行形で敵対する国だけでなく、将来的に脅威となり得る国や種族を攻撃しはじめた。
ほとんど侵略戦争のように自国の領土を広げていくジュリアの姿は、前代未聞の女性暴君としてその名を世界へ轟かせていくこととなった。
「それで、その流れでこの漆黒の森が狙われたと言うの?」
「その通りです。私たちは神の器として知られる存在でもあり、神々が現世で顕現するための唯一の接点と言っても過言でもありません。女帝にとって、私たちの存在は都合が悪いようです」
「そんな……。それじゃあ、ジュリアは神にすら弓を引くってこと?」
「女帝ご本人はありとあらゆる正当化をしてはいますが、実質的にはそのようになります」
「そんなことって……」
ルナは思わず言葉を失う。
セレニティア共和国にだって宗教は存在する。ヴォトゥム・ルクス教会だけでなく、神を信望する人々や場所はいくらでもある。それゆえに宗教戦争を起こさぬよう、歴代のセレニティア共和国元首はあらゆる宗教に敬意を払ってきた。どの神を信じるかで争うなどとバカげているからだ。
だが、ジュリアにとっては神すらも自らの野望を害する敵にしか映っていないらしい。あの美しい顔の裏に、そんな闇が潜んでいたとは夢にも思わなかった。
絶句するルナを前に、神官はさらに続ける。
「事実として、セレニティア共和国軍はかつての帝国よろしく漆黒の森に攻撃と軍事的な挑発を繰り返しています。今までは追い返す程度に留めていましたが、一向に収まる気配は無く、こちらとしても段階を上げざるを得ない状況に入ってきました。ただ迫害を受けるだけの日々は終わりです。私たちは反撃し、平和を掴み取らないといけないところまでやって来ている」
「……」
「ルナ・シャドウズ――あなたは、この森を護るために神の器としてその身を捧げる決断をしました。今こそ、ダークエルフであった彼女の意志を継ぎ、この森を脅かす脅威と闘うべき時です」
「ちょっと、待ってちょうだい」
ルナは混乱しているのか、思わず頭を抱えながら手を差し出した。
ジュリアが侵略戦争?
神まで敵に回した?
想像以上の暴君ぶりに、めまいがしてくる。
だけど、前世の自分が魔女として焼かれたのも事実だった。
ディミトリがジュリアを変えてしまったのか、それともジュリアが野心に目覚めてしまったのか。いずれにしても、世界でも唯一無二の能力であった召喚を使える女帝は歴史に名を残すレベルの暴君となり果てたようだった。
だが、あまりにも話の展開が急すぎる。
少し眠っていたと思えば一年の時間が経過しており、目覚めるやいなやダークエルフたちを救う使命を背負わされている。
「転生したら、圧倒的な展開で敵を殺戮していく展開になるんじゃないの?」
どこへともなく抗議めいた言葉を呟く。神官の女性はいくらか首を傾げながらルナを仏頂面で眺めていた。すぐにでも英雄的な決断を下さない神に不満を持っているのかもしれない。
『大体、私は神じゃない』
ルナは心の中で続ける。
アスタリーナから聞かされていたのは転生が出来るというだけの話だ。ダークエルフが神だけを肉体に受け入れているという話はしていなかったはず。そうなると、ルキア・シェイドはその神々の降臨する列の中へ勝手に割り込んだ形になる。それが発覚した時、ルナ・シャドウズはどうなるのか。
最悪の場合、始末されるのだろう。
神を騙って仲間の肉体を奪ったものとして。
いずれにしてもジュリアが敵なのは間違いないようだが、自身が前世でルキア・シェイドであったことは口が裂けても言えない。
「ルナ・シャドウズ、早く覚悟を決めて下さい」
神官の女性がいくらかうんざりした顔で言う。
「少しだけ、時間をちょうだい」
「……いいでしょう。ですが、逃亡を図っても無駄であることはお伝えしておきます」
「分かったわ」
神官の顔を見ずに言うと、ルナは神殿を後にする。
外に出ても、黒い木々に覆われた森は暗かった。木漏れ日も少なく、小さなスポットライトに照らされているように見えなくもない。
「目覚めて早々、なんてことなの」
ルナは思わず顔を覆う。こんな展開になるとは思ってもみなかった。
ジュリアは、やはり変わってしまった。
まどろみの中で思い出した彼女は美しかったが、今現在世界中を恐怖と混沌に陥れている女帝はかつての面影すらない。そして、その魔手はこの漆黒の森にまで伸びてくる。
「どうしろって言うの」
細い木漏れ日を見て毒づく。
いくら前世のルキア・シェイドが英雄だったとはいえ、多勢に無勢で攻撃されればひとたまりもない。魔女裁判に呼ばれた時も、恐ろしいほどの数の兵士を呼ばれて数で圧倒されている内に捕まった。
「なんだか、お悩みみたいだねえ~」
森のどこかから力の抜けるような声が響いてくる。ルナは周囲を見渡して答える。
「アスタリーナ……?」
「お、よく分かったね。そうだよ、あたしだよっ!」
目の前に小さな渦を巻くような空気が流れると、サキュバスの少女が姿を現した。
その淫魔こそ、ルキアを転生させたアスタリーナだった。




