エピローグ
グランド・セレニスは、かつての栄光を失い、ただの廃墟と化していた。
王宮の尖塔はへし折れ、由緒正しい大広間は瓦礫の山となり果てた。街の中心にはディカイオスの槌が残した巨大なクレーターが口を開けている。隕石が落ちたと言われた方が、まだ説得力があった。
キメラとなった女帝が暴れ回った痕跡は、焦げた石畳と溶けた鉄の残骸に刻まれている。辺りには黒い霧の悪臭が漂っていた。
人々はクレーターの外側から暗い穴を眺め、呆然としていた。ある者は亡くなった家族に祈りを捧げ、ある者は焼け焦げた家屋を見つめ、虚ろな目で空を見上げていた。
紛れもない廃墟――セレニティア共和国は、文字通り歴史から消え去った。
クレーターの中心には、黒く潰れた何か――かつて暴君ジュリアと呼ばれた者の痕跡がわずかに残っていた。
邪怨の球の破片が散らばり、かつての黒い輝きは失われている。今では嘘みたいな静寂が訪れている。その静けさも、時間が経つとともに少しずつ失われていく。
民衆の囁きが風に乗る。将来的な不安や絶望、混乱や困惑があちこちで響き合うが、その声には希望よりも恐怖と不安、そして虚無が混じっている。
ジュリアの最期は、おおよそ英雄とは程遠かった。かつて美の極致とさえ評された女帝は、自らの手で醜い姿へと変身して、挙句にもう一匹のバケモノに殺された。それまでの文脈も何も知らない人々は、あのバケモノが女帝であったなどとは夢にも思っていない。せいぜい不意に現れたバケモノの犠牲者ぐらいにしか考えていないだろう。
ルナ・シャドウズはクレーターの縁に立ち、小太刀を鞘に収めながら目の前に広がる廃墟を見渡した。赤黒い瞳には、ルキア・シェイドの復讐を果たした満足感と、かつて救おうとした世界の終焉が混ざり合い、複雑な色合いが宿っていた。
ディカイオスの巨体は光の粒となって消え、彼女の背中の紋章も静かに輝きを失った。まるで、街を破壊し尽くしたハリケーンがあっけなく消え去るように。
「判決は下ったわ。もう、言い渡すことも出来ないけど」
ルナの声は、風に溶けて消えた。その響きは、どこか寂しそうに聞こえた。
ふわりとアスタリーナが現われて、尖塔の残骸に腰掛ける。
「ルナちゃん、すごい怪獣対決だったね」
声を掛けられても、ルナは遠い目で廃墟となったグランド・セレニスを眺めているだけだった。
復讐は果たした。だが、これが本当に目指した光景なのかと訊かれると、それは違う。ピンポイントでジュリアへ復讐を果たすのが難しいとはいえ、巻き込まれた人があまりにも多過ぎたかもしれない。
犠牲となった人々はルキアの死で歓喜した者たちだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。そう考えると、ろくに選別もせずに多くの人を巻き込んだことが本当に正しかったのかは疑わしいものがある。
アスタリーナもそれを察したのか、さらに問いかける。
「でもさ、ここもこんな廃墟になっちゃったわけじゃん。これからどうするの?」
その声は軽妙だが、どこか不穏な響きを帯びていた。淫魔の瞳がルナをチラリと見つめ、まるで次の展開を試すように笑みを浮かべる。
ルナは一瞬だけ空を見上げ、焼け焦げたグランド・セレニスへと視線を戻した。
「復讐は終わったわ。ルキア・シェイドの怒りは、ジュリアの最期で全て燃え尽きた」
ルナはかすかに微笑み、瓦礫の街を見渡した。
「もう満足かなとも思ったんだけど、この廃墟を見ていると、ちょっと面白い考えが浮かんできたわ」
アスタリーナが真意を測りかね、小首を傾げる。
「面白い考え? このクレーターでキャンプでもする気?」
「まさか」
ルナはクスリと笑い、小太刀の柄に手を置いた。
「復讐は終わったけど、この国をただの廃墟で終わらせるのは癪だわ。破壊の対極にあるのは創造。それなら、ここで新しい国を作ってみるのも楽しいかもしれないわね」
ルナの声には、どこか新しい活動への期待や高揚が混ざっているように見えた。
「セレニティアは死んだけど、私の王国なら、もっと上手くやれる気がする」
アスタリーナが目を丸くし、半笑いで言った。
「ルナちゃん、それマジで言ってるの? 廃墟から王国を作り上げるって、めっちゃ無茶じゃない?」
「無茶だから面白いんじゃない」
ルナは不敵に笑い、クレーターの縁から一歩踏み出した。
「ルキアとして守りたかった笑顔はもうないけど、私なら新しい笑顔を作れるかもしれない。歴史は勝った者が書くんだから、私の物語をここから始めるわ。だって、もう私はルキア・シェイドじゃなくて、ルナ・シャドウズなんだから」
そう言うと、ルナの体から輝きが出はじめる。ちょっとした魔法のトリックだが、文字通りに後光が差しているようでなかなか神々しい姿だった。
民衆の中から、ルナの姿を見つめる者が現れ始めた。恐怖と絶望に沈んでいた瞳に、微かな希望の光が宿る。
「あれは何だ」
「知らん。だが、輝いているぞ」
「輝いているってことは、神か?」
「バカを言え。でも、彼女はたしかに神の御業でバケモノを退治した。この目で見たのだから間違いない」
人々が勝手に騒ぎはじめる。今の彼らには救いが必要だった。
突如現れたダークエルフの神性を囁く声が、風に乗り広がっていく。ルナは振り返らず、瓦礫の道を歩きはじめた。
背後からアスタリーナが「やれやれ、付き合うの大変そう」と呟きながらついていく。
「闇をさまよえる者たちよ、私はルナ・シャドウズ。神の使いだ!」
ルナはよく通る声で人々へと語りかける。
――間もなくここで新たな神が生まれる。
そしてその神が生むのは新たな混沌なのか、それとも本当の静穏なのか。そのさまを見守るのも悪くない。
「あなたはもしかしたら、本当に神の器だったのかもしれないね」
アスタリーナの独り言は、決してルナには届かない。
自称神の使いを背後から見守るアスタリーナは、歴史が動くまさにその瞬間を体感していた。
【了】




