闇の力と邪怨の球
「あなたは、ルキアなの?」
驚愕の表情で訊くジュリア。ルキアはかすかに口角を上げた。
――ルキア・シェイド。いつかに愛を交わし、黒歴史と化して思い出ごと火あぶりに処した元恋人。
それがまさかこのような形で相まみえるとは、夢にも思わなかった。
「冗談でしょう? ルキア・シェイドは火あぶりで死んだのよ? 私も、黒焦げになった死体を見たもの!」
ジュリアは半ば縋るように叫ぶ。
「ええ、ルキア・シェイドはたしかに死んだわ」
ルナ・シャドウズは表情の乏しい顔で続ける。
「私の体が燃えた時、サキュバスの娘と契約を交わしたの。そういう意味では、私はたしかに悪魔の女かもしれないわね」
「そんなことが……」
「生まれ変わった私は、ダークエルフの肉体を手に入れた。目覚めた瞬間から、あなたへの復讐ばかりを考えて生きてきたわ」
ジュリアは言葉を失う。
ディミトリに鞍替えし、邪魔になったルキアは手っ取り早く闇へと葬ったつもりだった。そのはずが、最強の敵を生み出した上に今の絶体絶命の状況を作り出している。因果応報と言えばそれまでだが、それを受け入れられるほどジュリアの器は大きくなかった。
「う、生まれ変わったんだったら、新しい人生を謳歌すれば良かったじゃない! こんな復讐になんか手を染めずに、幸せに生きていく方法だってあったはずよ」
「そうかもしれないわね。あなたが漆黒の森まで攻めて来なければの話だけど」
それを言われて、ジュリアは再び言い返す言葉を無くした。
漆黒の森を攻めたのはセレニティアの方だ。難癖をつけて、ダークエルフたちを弾圧しようとしたのも自分自身だ。あのままルナが大人しくしていても、ダークエルフたちは弾圧されていたに違いない。
「そう言うわけで、あなたは詰みよ。民衆もあなたの本性を知った。ディミトリも死んで当然の奴だとバレている。今のあなたには少しの求心力もないわよ」
ルナが無慈悲に言い放つ。
王宮の兵士たちは、あらかたルナ・シャドウズに殺されてしまった。逃げおおせた者たちも、この城へと戻って来ることはないだろう。そのような者を片っ端から粛清していったのがジュリアなのだから。
ジュリアの体が震える。恐怖なのか、怒りなのかも分からない。
ただ、これまでにない絶望と怒りを感じているのも事実だった。
「悪魔と契約して、転生したですって……? そんなの、反則よ。卑怯過ぎる!」
「仲間を裏切ったあなたには言われたくないわね」
「私だって、悪魔と契約すれば……」
そこまで言いかけて、追い詰められたジュリアに閃きが舞い降りる。
――そうだ、私だって闇の力を使えばいいんじゃない。
ジュリアは口角を上げる。ここに来て、急に勝算が見えてきた。
「なんだか、名案を思い付いたって顔ね」
ルナがジュリアの変化に目ざとく気付く。
「そうよ。私にもね、とっておきの切り札があったことを思い出したのよ」
そう言ってジュリアは玉座のひじ掛けを外すと、そこに隠されたボタンを押した。何かが動く音が響き、ルナが辺りを見渡す。
何をしたのと訊こうとしたところで、ジュリアの目の前にある床が左右へ開いていき、その開口部から大げさな台がせり上がってきた。
台の上に載っているのは、紫と黒を混ぜたような不吉な色で輝く宝玉だった。
「これはね、邪怨の球と言うの」
「……」
「この宝玉の力を使えば、冥界に眠る悪魔の力を使えると言われている。ガリオス・ブラッドヴェインと闘う時に、どうしてもピンチになったら使おうと思っていたけど、結局は使わずに終わった秘密兵器。それが今、私の手元にある」
「お言葉ですけど、それを使えばあなたの方が闇に呑まれてしまうのではないの?」
ルナが冷静に返すと、ジュリアは不敵に嗤う。
「ええ、そうかもしれないわね。それでも、あなたに負けるぐらいなら、闇に呑まれた方がずっとマシよ」
そう言うと、ジュリアは邪怨の球に手をかける。
「狂ってる」
「どうとでも言いなさい。私はね、誰にだって負けたくないの」
邪怨の球を手に持ったジュリアは、薄笑いを浮かべながら呪文を唱える。
「闇の力よ、目覚めたまえ。今、我の血をその深淵に捧げん」
その言葉を皮切りに、ジュリアが聞いたことのない術式を唱えはじめる。漆黒の古代文字が空中に浮かびあがり、鎖のように女帝の体を包み込んでいく。
「これは……⁉」
ルナは異様な光景を見て、思わず後ずさる。途轍もなく嫌な予感がした。
「ルナちゃん、これ、ヤバいかも」
ふいに現れたアスタリーナが慌てた口調で言う。
「ヤバいって、どんな?」
「この術式、邪神を呼び出すタイプのやつだよ」
「邪神って、何……?」
「簡単に言えば、すっごく悪くて、すっごく強い神様! あたし、巻き添えは嫌だから引っ込むね!」
アスタリーナは一瞬で姿を消した。
「逃げやがったわね」
誰もいなくなった虚空に毒づく。
だが、逃げたサキュバスを批判している場合ではない。
見える漆黒の古代文字に囲まれたジュリアは、みるみる邪悪な波動に満ちていく。漲る力は、明らかに禁忌の類いを思わせる危うさがあった。
「舐めやがってぇ……この私、コケにしやがってぇえ……!」
その口吻すらも、まったく別物の存在性に変わっていく。
「がぁあ……あああああああああああ!」
大広間に女帝の咆哮が響く。
ビリビリとする衝撃が同心円状に広がり、ルナは思わず後ずさりした。
闇の力を孕んだジュリアは嗤っていた。その表情は狂人でも暴君でもなく、もっとイカれた何かの顔だった。
ジュリアの肉体は邪怨の球の力に侵され、みるみる巨大化していく。白い肌を突き破った肉は、縦へ横へと暴力的な筋肉を肥大化させていく。まるでジュリアの中に魔獣でも封印されていたかのようだった。
もはや人間をやめたそれは、黒い塊となってさらなる脱皮を繰り返していく。
黒い鱗と鋭い棘で覆われた巨体――王宮の天井を突き破り、瓦礫がグランド・セレニスの街へと降り注ぐ。突然起こった城の崩壊に、衛兵や民衆たちはパニックになった。
轟音――怒りに叫んでいた暴徒たちを、圧倒的に暴力的な存在が黙らせる。
翼のような触手が壁を砕き、尾には毒の針が無数に並ぶ。竜の形をした頭部には、ねじれた角が左右から二本生えている。
紅い吐息。そして、赤黒い瞳がルナを睨みつけた。




