淫魔と禅問答
「それで、これからどうするの?」
サキュバスのアスタリーナが訊く。
味方ですら目を背けたくなるほどの勢いで敵を殲滅したルナは、夜の丘で白い月を眺めていた。
「そんなの決まっているじゃない。明日にもセレニティア共和国に向かうわ。プライドの高いジュリアのことだから、一刻も早く攻撃を仕掛けなければまた兵士たちを大量に送り込んでくる」
「ろくでもない女帝だね」
「その通りよ。本当に、ろくでもない。でもね、昔はそうでもなかったの」
「そうなの? 悪い噂しか聞いたことがないけど?」
アスタリーナはチョロチョロと飛び回りながら驚く。
「昔のジュリアは、それこそ物語にでも出てくるような民を慈しむ王女だった。今でも見た目だけは保っているけど、それなりに好かれてもいたの」
「えーなんか想像出来な~い」
アスタリーナが困惑気味におどける。配下の者を気分一つで粛清し、最愛の人でもあったルキアを火あぶりにした暴君が、他の誰かを慈しむことなんてあるのか。そんな思いがあるだけに、ルナの言葉はセンスの無い冗談にしか聞こえなかった。
ルナもそれには理解を示して、さらなる説明を続けていく。
「ジュリアはね、十歳の時に人質としてインサニティ帝国へと連れていかれたの。当時はインサニティ帝国が世界中で猛威を振るっていて、セレニティア共和国も帝国の圧倒的な軍事力に屈していた。みんなが見ている前で王を殺されて、もう二度と帝国に反旗を翻さないようにとジュリアが連れていかれたの。のちにジュリアは私たちに解放されたのだけど、あの人質になっていた期間に彼女を変えてしまう何かがあったのかもしれないわね」
そう言いながらも、ルナはこの自己流精神分析に虚しさを感じていた。
ルキアがジュリアと結ばれたのは、結局ジュリアが大人になって解放されてからの話になる。もし少女時代に彼女の何かが歪んでしまったというなら、女性同士の百合カップルとなった自分たちもその黒歴史の産物だったのではないか。そんな気分になってきていた。
「何か、あったねえ……」
アスタリーナは腕組みをしながら月を眺める。
インサニティ帝国で陰湿なイジメにでも遭ったのか。それともカルト教徒みたいに恐るべき教えでも刷り込まれたのか。いずれにしてもあそこまでの暴君が育つにはそれだけではない気がしたが、それは口に出さなかった。
「まあ、どうあれ……」
しばらく考えたアスタリーナが自身の考えを述べていく。
「何があったにしてもさ、それを理由にして他の人を傷付けていいわけがないよね?」
「悪魔のくせに正論を言うのね」
「そりゃあ、悪魔にだって筋を通して悪さをするぐらいの高潔さはありますから」
そういっておどけると、アスタリーナはさらに続ける。
「たしかにね、悪人の中にはとびっきり不幸な人だっているよ。それこそ、生まれた頃から負けが決定しているような人だって」
「うん」
「だけどさ、それでも高潔さを持つことは出来ると思うの。それはたしかにとても難しいことになるかもしれないけど、それでも堕ちずに清らかでい続ける人だっている」
「まさか悪魔にそんなことを言われるとは思わなかったわ」
「ルナちゃんはもっとシンプルにものを考えるべきなんだよ」
「シンプルに?」
「そう。言ってみれば、どんな境遇や過程を経たとしても、今の女帝ジュリアは明らかに世界へ害を成す存在と化している」
「うん」
「つまり、彼女の死を願っている人は世界中にたくさんいる。分かるかな? ジュリアを殺すのに躊躇する必要なんて少しも無いんだよ」
そう言った時、アスタリーナに悪魔らしい笑みが戻った。
「だってさ、戦争だっていちいち殺す相手の妻とか子供のことを考えていたら出来ないでしょう?」
「それはそうだけど」
ルナはそれ以上の言葉を言い淀んだ。
ジュリアはかつての仲間であり、恋人でもあった。ひどい裏切りに遭ったのは確かだが、それでもどうにか恋人同士でいた時のような時代を取り戻せないかと思っている自分もいる。
裏切られた時、絶対に殺してやると思ったのも間違いない。だけど、それだけで割り切れないのも事実だ。
そんな中で、アスタリーナの言葉は悪魔のくせに妙に現実的だった。そこにはロマンもクソもないが、シンプルに報復の戦士が成すべきことを説いている気がする。
「私は、どうすればいいの」
思わず出た本音。
「道は一つしかないよ」
アスタリーナがすかさず答える。
「女帝ジュリア・マリス・バックスタバーを殺す。あなたがするべきことはそれだけ」
今度の淫魔は笑わなかった。
「そんな簡単に、憎しみを手放さないで」
ルナは何も答えずに空を見上げた。
白い月は、黒い雲に覆われて見えなくなっていった。




