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恐怖の女帝

 ――セレニティア共和国の都、グランド・セレニス。

 女帝ジュリア・マリス・バックスタバーの玉座が置かれた大広間は、冷たく重厚な石造りの壁に囲まれ、ステンドグラスから差し込む光が虹色に床を彩っていた。

 玉座に座るジュリアは金髪を高く結い上げ、青い瞳に冷酷な光を宿している。そこにはかつてのかよわき王女の面影はない。権力や闘争に明け暮れる日々が、彼女の顔つきをすっかりと変えてしまった。

 ジュリアの隣には黒いローブに身を包む参謀ディミトリ・アドルテリオスが立ち、静かに書類を手にしていた。

 大広間の扉が勢いよく開き、血と焦げ臭さにまみれた兵士が床を這いずるように入ってきた。その鎧はボロボロで、顔は絶望と恐怖を刷り込まれていた。

「女帝陛下。漆黒の森の斥候部隊と主力軍が……全滅しました!」

「は?」

 ジュリアの青い瞳が鋭く細まり、玉座から身を乗り出す。

「全滅ですって? レガムンド・フレアが率いる精鋭部隊が、ダークエルフの残党ごときに壊滅したというの?」

 ジュリアの声には驚きと抑えきれぬ怒りが滲んでいる。広間にいた廷臣たちが息を呑む。その場へ静寂が重くのしかかった。

 兵士は震えながら膝をつき、声を絞り出す。

「そ、それが……ダークエルフの女が、一人で……。得体のしれない巨大な悪魔と共に、魔戦車も兵も全て叩き潰しました……!」

「誰なの、そいつは」

「その女は……ルナ・シャドウズと名乗りました!」

 ジュリアの心臓が一瞬強く脈打つ。

「ルナ・シャドウズですって?」

細い指が玉座の肘掛けを強く握り、青い瞳が細かく揺れる。

「初めて聞く名前ね。でも、なんだか……嫌な感じがする」

 ジュリアは立ち上がり、大広間を歩きながら呟いた。

「巨大な悪魔……。まさか、召喚魔法? いや、でもその力はこの世界から消え去ったはず……」

 ふいにルキアの顔が脳裏をよぎる。

 召喚魔法はジュリアとルキアが力を合わせた時にのみ発動出来る。ジュリアでない人物が悪魔を呼び出したのだとしたら、それは……。

 寒気で体が震える。

 いや、まさか。だって、あの女は私の目の前で黒焦げになったはず。

 ジュリアは目を閉じ、脳裏に浮かぶ悪夢を振り払った。

 ディミトリが静かに進み出て、落ち着いた声で口を開く。

「陛下、落ち着いてください。ルナ・シャドウズなる者が召喚魔法を使ったというなら、それはダークエルフが持つ『神の器』の力かもしれません。彼らは神々の力を現世に呼び込む存在です。その女が新たな器となった可能性があります」

 ジュリアはディミトリを振り返り、怒りに燃える瞳で叫んだ。

「神の器ですって? そんなもの、私の覇道の前では意味を成しません。レガムンドを倒し、主力軍を壊滅させた程度で図に乗らないでちょうだい!」

 ――なんでそこでキレるんだよ。

 その場に居合わせた人々が一様にそう思ったが、誰一人としてそれを指摘することは出来ない。そんなことをすれば、自ら死を選んでいるようなものだ。

「情けない。無能な者は、わたくしの軍には必要ありません」

 ジュリアが手を挙げると、紫色の魔力が渦を巻いた。次の瞬間、敗走してきた兵士に向けて灼熱の炎が放たれる。

 兵士は悲鳴を上げる間もなく黒焦げとなり、広間の床に崩れ落ちた。廷臣たちは恐怖に震え、誰も声を上げられない。

 理不尽。それ以上に言い表しようがない。それでも、無辜の人が前触れもなく犠牲になるのはジュリアの近辺では日常的な出来事だった。

「汚らわしい。そのゴミをさっさと片づけなさい」

 そう言うと、使用人が我先にと床に広がった黒焦げの死体を回収しはじめる。もたつけば次に黒焦げになるのは自分だ。誰もそのような最期を迎えたいとは思わない。

 ディミトリが眉をひそめる。ジュリアの取り乱した姿に、ほんのわずかな嫌悪がよぎった。だが、彼はすぐに冷静な表情へと戻り、冷静な口調で窘める。

「陛下、ご乱心は敵の思う壺です。このルナ・シャドウズは、確かに脅威です。彼女が召喚魔法を使えるなら、我々の軍事力だけでは対抗できない可能性があります」

 ジュリアは息を荒げながらディミトリを睨んだ。

「ディミトリ、あなたまで私を侮るの? 私は世界を統べる女帝よ。そして、唯一無二の召喚を使える選ばれし者なの。たかだかダークエルフの小娘一匹に、恐れる理由なんて何一つないの!」

 勇ましい言葉とは裏腹に、ジュリアの声にはどこか虚勢も混じっていた。

 謎のダークエルフ、ルナ・シャドウズと召喚魔法の復活が、女帝の心に暗い影を落としていた。それでも恐れを見せるわけにはいかない。ジュリア・マリス・バックスタバーは鋼のように強い女でないといけない。

「失礼いたしました」

 ディミトリは静かに頭を下げる。

「もちろん、陛下の力は無敵です。ですが、この脅威を放置すれば、セレニティアの覇権に傷がつきます。我々は新たな策を練り、ルナ・シャドウズを確実に排除する必要があります。彼女がダークエルフの希望となる前に。そして、過去の亡魂が蘇る前に」

 ジュリアは一瞬、ディミトリの言葉に凍りついた。

「亡魂、ですって……?」

 脳裏にルキア・シェイドの顔が浮かぶ。火あぶりの刑で消えたはずの女、その瞳に宿っていた愛と憎しみ。その映像がまざまざと蘇る。

 ジュリアは唇を噛み、感情を押し殺した。

「悪い冗談はおよしなさい。亡魂など存在しないわ。ルナ・シャドウズが何者だろうと、私が叩き潰す。ディミトリ、新たな軍を編成しなさい。次は私が直々にこの女を葬ってやる」

「……」

 ――なんて小さな女なんだ。寝取った頃には、ウブな小娘といった感じだったが。

 決して口にはされない心の声。

 いつかは愛しくてたまらなかった女帝に、ディミトリの心はすっかり冷めていた。

 それでも、ディミトリの愛無しにジュリアが生きられないことは知っている。元々敵国にいたディミトリは、いつその立場が危うくなってもおかしくない。それゆえに生命線となるジュリアの好意だけはキープし続けなければならない。それが処世術というものだ。

「承知しました、陛下。すぐに準備を進めます。ルナ・シャドウズが何者であれ、セレニティアの覇道を阻むことは許されません」

「当然よ。召喚魔法が使えなくても、私は十分に闘える」

 ジュリアが鼻息荒くそう言い放つと、大広間は再び静寂に包まれた。

 恐怖の女帝は玉座に戻り、青い瞳を遠くに向けた。

 ルナ・シャドウズの名が、彼女の心に不気味な波紋を広げている。ディミトリは書類を手に、静かに退室する準備を始めた。セレニティア共和国と漆黒の森の戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。

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